第36話
「というわけでですね。勇者さまのお披露目にはちょうどいい機会なので、連邦の支援に向かうようにとのことです」
遅めの朝ご飯を食べ終わったメイドのメリーナがこともなげに言った。
アワは目眩を起こしそうだった。モレノが手を差し伸べかけるが、彼女はそれを制した。
「……
「大陸全体での信仰心の均衡が崩れております。時間の問題だったかと」
アワは口元に指を当てた。勇者の存在はイリーガルなものではない。異世界召喚を行っているのはスロープゴットだけではないのだから。ただ、現役となると話は別だった。今は、すでに召喚された勇者や冒険者の活躍によってダンジョンも攻略され、異世界からもたらされた様々な知識が人類の暮らしを安定させている。現状維持というのが暗黙の了解である。新たな勇者の登場は新たな争いを生みかねない。
「スロープゴットは決して悪事を働いたわけではありません」
「そうですね」とアワは空返事する。
確かにモレノの言う通りではあった。アワの知る限り、この世界は緩やかに、しかし確実に滅びに向かっている。自分たちの住んでいた星もそうだったかもしれないが、目前にまで危機が迫っているという認識はなかった。少なくとも一学生でしかない自分にとっては。ここは違う。この世界は一度、神を怒らせているのだ。
「えー。ほかの国が文句を言いますかねー」
茶を飲みほしたメリーナが面倒くさそうに言った。
「言われてもどうもこうもしないと思う」
教会は神の約定に従ったまでと嘯くだろう。信仰心を集めるのはこの世界の人類に課せられた使命のはずだ。
ただ、スロープゴットが警戒されているのも確かなのだろう。そこにきてシ・ダアイ連邦にある、不来方の森が火災に遭った。神域を穢す行為に瘴気が高まりやすくなる(地の神ディアップルはダンジョンがめちゃめちゃになっていたがおおらかなので気にしていないとされる)。瘴気を減らし、被害に遭ったものの支援に赴くのは同じ世界に生きるものとして当然のことだ。というお題目を掲げたのが教会というわけだった。
(勇者とはあくまでこの世界を助けるための存在で、他意はない。そう言いたいのかな)
「お嬢様はこの国の……この世界の勇者です。弱っているものを助けるのは至極当然でしょう」
その通りだった。ただし教会は支援団を派遣することによって信者を稼ぎ、おこぼれの信仰心を獲得するつもりでもあるのだろう。
「私、行かなきゃだめなのかな」
「恐らくは」
アワはダンジョンでの戦闘を嫌がっていた。目の前でクラスメイトがモンスターに齧り殺されたのを見てショックを受けたのもあるが、前線で武器を手に取り戦うのはどうにも向いていないように感じていた。だから戦闘以外の手段で信仰心を稼いだ。祈り、歌い、無償奉仕することで。勇者としての権利を最大限に使い、教会の聖女を取りまとめる機関とのコネを作ったのだ。しかし今回の任務は戦闘ではないぞ。そう言われているような気がしてならない。
「私以外には誰が行くんだろう」
「勇者シノミヤ・マイトには声がかかっているはずです」
「それは、当然よね」
生き残ったクラスメイトのうち、
「ま、彼が来るならいいかな」
シノミヤなら戦闘も耳目も一手に引き受けてくれるだろう。何かあったとして自分にまで累は及ばないはずだ。アワはそう考えていた。
◎〇▲☆△△△
一方そのころ、ガッツリ森が燃えてしまったシ・ダアイ連邦では、連邦会議という名の亜人の長の寄り合いのようなものが開かれていた。各部族の長が不来方の森で起こった火災について喧々諤々。
「誰のせいだ。誰の。神域で火を起こすなど」
「そんなもん決まっているだろう」
「しかし、くだんの魔女は自分の領地で大人しくしているのでは?」
「何年も眠り続けているそうだぞ」
「だったら誰かが起こしたんだろうよ」
「誰かって、誰が」
「その誰かを捜す会議をやってんだろ」
「違う! 落ち着け皆の衆! いいかっ。このままでは他国の介入を許してしまうぞ。
「そういやそうだったか。確か、スロープゴットの連中が来るとか抜かしてやがったな」
「民は困っている。助けてもらおう」
「あほう! よそもんの手なんか借りるか!」
「侵入者は殺せばいいんだ」
「せ、戦争になるぞ」
「おお、いいな。やれやれっ、やっちまえ」
「……こいつ、酒臭いなあ」
「つまみ出せ!」
「触んな!」
まあ何も決まらないし話は前に進まないしでどうにもならなかった。そもそも連邦とはいえ、かつてつま弾きにされたものたちが肩を寄せ合ってできただけの集まりだ。亜人同士であっても全く同じというわけではない。細かい部分で思想の差異はある。彼らは時間をかけて少しずつ分かり合って溝を埋めてきたのだが、好戦的な種族も中には。彼らの多くは『まあまあ』と穏健派に丸め込まれるが、長が変われば話も変わる。今の時期は代替わりした部族が多く、元からまとまらない話はことさらにまとまっていなかった。
首都ブロウタウンの議会場(という名の宴会場)、会議は踊りに踊ってめちゃめちゃダンサブルな状況になっていた。
そこに、女が一人。つかつかとしたヒールの音を聞きつけたものは口をつぐむ。彼女の白い肌、長い耳を見たものは顔を伏せる。
「……出た」
「きやがったか」
狂犬。逆巻く炎。不来方の魔女。エルフの怨敵。亜人の天敵。人類の敵。
不名誉なあだ名をいただく女が議会場に姿を見せた。女は白い髪をなびかせ、決してサングラスを外さない。そうして、一つ空いていた席にどっかりと腰を落ち着かせた。不遜な態度だが誰も何も言えなかった。
「どう。話は進んでる?」
この世界でたった一人のエルフこと、スキャレット・スモーキースリルはおかしそうに口を開いた。
「どうせ進んでないでしょ? そんじゃあうちはエルフ代表として。私の領土に入らなければ何をしてもいいよ。という言葉を贈ります」
「……あのう」
カバのような顔をした男が、スキャレットへ遠慮がちに話しかけた。彼こそこの議会をまとめるという貧乏くじを引かされた、連邦の代表たる男である。
「なんですかー、代表」とスキャレットは軽口をたたいた。
「いえー。あのー。ですね。森の火事についてなんですが。エルフ族は何か知ってますかね……」
「知ってる。阿呆のミチキリどもがうちに来たからね」
「あああー……やっぱり」
カバ代表は頭を抱えた。
「ま、どうするかはそっちで決めなよ。じゃあね」
「ええええちょっと待ってくださいよう」
スキャレットはさっそうとした足取りで議会場を後にした。彼女のヒールの音が聞こえなくなったころ、皆が口々に喚きだす。
「なんて生意気な娘なんだ。いったい誰のせいだと思ってるんだ」
「いや、あれ、お前よりずっと年上のばあさんだぞ」
「そうは見えなかったが」
「目が腐っとる」
「なんじゃとコラワレ」
「け、喧嘩するために会議を開いたわけじゃないんですけど……」
森での火災を契機に、連邦は真っ二つに分かれることとなった。
スロープゴットは支援団を派遣するらしい。
へえ、そうなんだ、助かったね。これまで通りみんな仲良く大人しくしようよという穏健派。
そんな支援いらねえぶち殺せ。ついでにいい機会だから亜人の地位をどうにかするんだ力ずくでという過激な強硬派。
この二つに。
◎〇▲☆△△△
そんな連邦の混乱というか内輪もめなどいざ知らず、勇者オグリ・アワ一行の旅路は順調であった。何せ転移の秘蹟を使うのだから時間も距離も大して関係ない、おまけに風情も何もない。
(マズったなあ)
勇者オグリ・アワが率いる第一次支援団には、癒しの秘蹟を使える信徒や物資を運ぶものや、聖女や教会騎士たちが参加していた。しかし勇者シノミヤ・マイトの姿はここにない。彼は来なかったのだ。連絡一つよこさなかったらしい。どうやら勇者シノミヤは難易度の高いダンジョンに挑戦しているとの噂があり、手が離せない、ということで皆が納得していた。
アワは一人だけ全く納得していなかった。シノミヤが教会の要請を断ったのもそうだが、それがまかり通っている現状には少しばかり苛立ちを覚える。というか自分が矢面に立たなければいけないのが嫌だった。
しかも。
さらに。
この上に。
厄介そうな人間が派遣団のメンバーに加わっているのが分かり、アワはため息を漏らすしかない。
「……ねえ。モレノさん。どうしてあんなのがここにいるわけ?」
「さて。どなたのことでしょう」
「とぼけないでよ……」
アワの視線の先には聖女レイチェル・リアルシェルの姿があった。まったくもって可愛らしい、邪気のない笑みを浮かべた少女だった。明るい茶色の髪は丁寧に梳かされていて、今から森の中を歩くというのにいささか露出度の高い恰好をしている。ちょっと軽く見えるが、その信仰の心は間違いない。間違いなく、あれこそが厄介そうな――厄介この上ないやつだ。レイチェルは差別主義者だ。強い偏見を持ち、自らの思想を絶対と信じて疑っていない。要は極度の亜人嫌いである。それがなぜ亜人の住処である連邦に同行しているのか。アワは理解に苦しんだ。
(点数稼ぎか……)
レイチェルは危うい立場にある。彼女は自分の意に沿わないものとたびたび衝突し、問題を起こしていた。特に亜人がらみの問題を起こしていた。
十神教は来るものを拒まない。亜人だろうが何だろうが十柱を信仰するのなら構わないのだ。が、レイチェルはそれをよく思っておらず、亜人の信徒に冷たく当たっていた。そのような無作法なふるまいを許しているのは彼女の扱う秘蹟が強力なものであることと、聖ブロンデル騎士団の序列八位騎士キント・セッタハイターと懇意にしているためだった。彼女への対応を誤れば非常に面倒な事態になりかねない。
が、その序列八位騎士であるキントの立場も怪しくなりつつある。その理由は詳らかにされていないが、行方不明の勇者に関係している、という話はアワも聞き及んでいる。人の口に戸は建てられないのだ。なんでも、キント・セッタハイターの管轄である《私雨の窟》というダンジョンの見張りが殺されたそうだ。魔物や野盗にではない。勇者に殺された。そこはそれ見張りに立っていた兵士は可哀そうだが何のために見張りを立てていたんだ責任をとれ。責任者はどこか。というわけでキントは責任者であるからして勇者逃亡の責任を取らされるかもしれない、という話がまことしやかに。そしてその責任者である彼も聖女レイチェルに同行しているというわけで、この支援団には厄介者が二人もいる。その事実がアワの気分をどんよりとさせていた。
亜人嫌いのレイチェルがわざわざ出張ってくるくらいだから、やはり彼女らの立場は相当危ういのかもしれなかった。
アワたち支援団はオウチの町に到着した。不来方の森近くにある宿場町で、ダンジョンに向かう際はここで宿をとるのが一般的とされる。しかし今はほとんど人の姿が見えなかった。
「冒険者は危険に敏いようで」
モレノは感心したように呟いていた。メイドのメリーナはそこいらを物珍しそうに見回してはしゃいでいる。
アワは、これから向かう先、ダンジョンの森をねめつけるようにして見ていた。
「不来方……『二度と来たくない』という意味合いだそうです」
「一度だって来たくなかったけどね」
「お嬢様、御冗談を。……首都までの道はつながっております。もちろん、この道を外れれば深い瘴気に飲まれるかもしれませんが」
その瘴気の中で生活している亜人もいると聞く。森を開拓し、集落を形成しているのだとか。
「この森はおおよそ東西に分かれて、主だった部族が管理しています」
「ふうん。あ、燃えたのはあのあたりかな」
「ああ、恐らくは、そうでしょうな」
少しの休憩の後、支援団は森に入り、首都への道を進む。そして、何者かの襲撃を受けることになる。
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