第35話



 ダンジョンの外に出ると、茶髪でチャラい感じの兄ちゃんが歩いてくるのが見えた。……ありゃブラッドだな。

「捜したぜケイジ。……なんだよ。最近は珍しく冒険者頑張ってんじゃねえか」

「冒険者だからな」

 チャラ男の名はブラッド・スクリプト。見た目通りの軽薄な男である。軽くて薄い。風の強い日には吹き飛んでしまう。こんなんでも俺の兄貴分みたいなもんで、彼にはいろいろと町のことを教わった。いわばシルバースター二号だ。俺を悪徳の道に引きずり込んだ諸悪の根源パート2だ。ブラッドはもっぱら女遊びが好きで、大陸にいる人類の半分と寝たとほざくアホだが、罠師とも呼ばれるほどの腕利き冒険者でもある。

「町中の娼館を訪ね歩いたんだがお前の姿が見えないからよ。死んだかと思ったぜ」

「ほんとに俺を捜してたのかよ」

「マジなんだ。お義父さんがお前を呼んで来いって」

「ツェネガー氏が?」

 性に奔放なブラッドだが、実は婚約者がいる。それも相手はヨドゥンのギルドマスターであるツェネガー氏の娘だ。

「さすがに断れねえからな」

 苦笑するブラッド。俺たちはギルドに向かった。



 ギルドに着くと二階に通された。ほとんど立ち入ることのないエリアだ。もっと言うと応接室らしき部屋に入ったのも初めてだし、こんな部屋があるとは知らなかった。

 ちょっと趣味の悪いソファに座って寛いでいると、スーツを着たデカい男がのしのしとやってくる。マフィアじみた男だがれっきとしたギルドマスターである。

 ブラッドはソファから立ち上がると深く頭を下げた。

「おう、楽にしていい」

 はい、と、殊勝な態度のブラッド。ツェネガー氏の見てないところで茶化してやると殴る振りをされた。

 ぎし。ツェネガーが対面のソファに腰かけて、重苦しい息を吐き出した。

「お義父さん。それで用件ってのは」

 ブラッドが切り出すと、ツェネガーは悲しそうな顔で俺を見た。なんで。

「オウチのギルドから依頼が来た」

「うちに、ですか?」

 ツェネガーは頷く。

 ……オウチか。嫌な予感がしてきたな。


 オウチとは他国の町だ。大陸西部に位置するシ・ダアイ連邦という、複数の部族や亜人たちの国をまとめてできたところの。

 シ・ダアイ連邦の首都はブロウタウン。町を見下ろすような形で巨大なワルルルァ山が聳えており、他国のものは首都へ行くために森を突っ切らねばならない。その森こそ連邦のダンジョンだ。で。森に入る前の宿場町こそオウチである。


「では、不来方こずかたの森で何かあったんですか?」

「火災があったらしい。それも大規模な」

 げ、そうなのか。

「瘴気があふれそうなので、薄めるために冒険者を貸してほしいそうだ」

「連邦の冒険者はどうしたんすか」

「亜人の世代交代の時期と重なってな、きな臭さを感じたものはオウチから離れているらしい」

 ああ、と、ブラッドは息をつく。

 シ・ダアイ連邦は森の民が中心となっているが一枚岩ではない。いやそもそも一枚岩の組織なんざどこにあるんだって話なんだけど、連邦は複数の部族で構成されているせいか考えがあんまりまとまらないのだ、という噂を聞いたことがある。やつら森の中で小競り合いをしょっちゅうしているのだろう。

「瘴気を放っておけば試練が起こる。弱り目に祟り目だ。冒険者が少ない現状では太刀打ちできなくなるだろう」

「向こうの連中でどうにかならないのか……」

 俺がぼやくと、ツェネガーは眉間のあたりを指でもみ込んだ。

「こちらに依頼したということは、向こうはそれどころではないんだろう」

「話は分かりました。じゃあ、ヨドゥンからは冒険者をどれくらい送り込むんですか」

「ひとまずはお前たちで十分だろう。不来方の森程度なら苦戦しないはずだ」

 俺とブラッドだけ?

「二人だけなら行く意味ないんじゃ?」

「いきなり全員で行くのもな……ガーデンの瘴気が濃くなるのは避けたい。かと言ってこの依頼を断るのも難しい。何せ教会が噛んでいるからな」

 なーんかきな臭いな。確かに嫌な感じ。

「お前たち二人ならすぐに動けるし、まあ、死にはしないだろう。様子見で構わん。ヤバそうなら戻ってきてもいい。とりあえず誠意を見せておくのが大事だ。そのあとでこちらの冒険者にも声をかけて順次送っていこうと思う」

 戦力の逐次投入って嫌なイメージしかないんだが。

「ただ、お義父さん……連邦まではすぐに行ける距離じゃないと思いますが」

「転移の陣を使ってもいいとのお達しだ」

「マジですか」

「まずは国境近くへ。そこから許可を取ってさらに転移でオウチの町へ移動する予定だ」

 教会が噛んでるってのはガチだな。俺たち冒険者にまであの転移を使わせるとは。

 しかし、これじゃあ俺はともかくブラッドは断れないな。期待しているぞって言われてるようなもんだし、娘婿の立場だからなあ。一人で行かせるのもかわいそうだし、しゃあないか。

「様子見でいいなら俺も別にいいっすよ。ただ、なんで俺なんすかね。戦力だけで見るなら、イップウ師範とかサベージ教授とか……ああ、それこそノック・ノックなら単独でもいいんじゃ?」

「師範や教授に抜けられるのも困る。ノック・ノックは大陸で最高かつ最強の冒険者だが、彼とは連絡がつかない。どこで何をしているのか定かではない。……それにだ。カシワギ・ケイジ。お前を呼んだのはほかでもない。ある意味、教会からご指名があったからだ」

「なんで」

「なんでって、お前勇者だろう」

 あー、そういやそうだっけ。

「教会は連邦に勇者を送るそうだ。だからお前が行くことに何の不都合もない。というかお前が本当に勇者かどうかまだ信じ切れていないんだが、ここでお前の存在を隠していて後でバレたらお咎めを受けそうで怖い」

 全部言いやがったな。

「俺じゃなくてあくまで勇者に使命が下ったわけっすか」

 そりゃそうだろうと思ったよ。教会なんて一度追い出したカシワギ・ケイジを名指しするような連中じゃあないだろうし。……そうなると、他の勇者と会う可能性があるのか。同窓会みたいで楽しみ! とは思えんが、やっぱり生き残ってるクラスメイトがどうしてるのかは気になるな。

「とりあえず行ってみようぜブラッド。軽い気持ちで行きゃあいいんだよ。あ、ほら、向こうの娼館って俺どんな感じか知らないし……ああ、なんか楽しみになってきたな。な!」

 な、じゃねえよ。とでも言いたそうにブラッドはうつむいた。



◎〇▲☆△△△



 勇者オグリ・アワの一日は朝の瞑想から始まる。目が覚めると体を起こし、神に対しての祈りを捧げる。こうして信仰の心を獲得する。あくまで習慣になっているだけでアワは神など信じていない。ただ、この世界で神を信じる者たちを馬鹿にするつもりもない。考え方が違うだけだ。……いや、きっと同じだった。信仰で言うなら、その対象が違うだけなのだ。自分だって元の世界ではそうだった。友達や家族。恋人や仕事。友情や愛情や、使命感や正義感。そういった目に見えないものを人生の指標にして、信じて生きている。誰だってそうだろう。

 異世界召喚。なんともふざけた話だが、実際に自分がそのような目に遭っているのだから信じるほかない。受け入れなければ対応が遅れる。反応が鈍ければ鈍いほど死に近づく。アワは事実を信じるより先に勇者としての振る舞いを覚えた。教会の態度にも不満はある。信仰心稼ぎの使命も受け入れがたい。何せ自分の生き死にがかかっているのだ。


(みんな、いなくなっちゃったな)


 死んだ。

 逃げた。

 クラスメイトのほとんどはこの世界に対応できなかった。……教会がさせなかったともいう。矢継ぎ早に繰り出される質問や展開。頭の中を整理するよりも早く状況は変化し、みな、訳が分からぬままモンスターと戦わされた。十神教の信者として教義を叩き込まれた。何が正解か判断できないまま、しかし生きていくには教会に従うほかなかった。

 教会の手際はそれなりに見事であった。少なくともアワはそう感じた。異世界召喚は幾度も繰り返され、システムとして使われているのだろう。マニュアルも用意されているのかもしれなかった。教会の連中は最初からアワたち全員が物になるとは思っていなかったはずだ。篩にかけて一人でも残ればいい。そのようなやり方だった。

 アワは上手くやった。折り合いをつけるのは得意な方だったし、人間関係の構築にも苦労はしなかった。それはこの世界でも、元の世界でもそうだ。他人に気を使い、他人の目を気にするのはどっちでも変わらない。彼女にとってはどちらでも構わなかった。むしろ自分を知っている人間がいない分、こちらの世界の方が楽だった。死んでいったクラスメイトは前の世界に拘泥していた。考え方や倫理観、家族や恋人や友達。置き去りにしたものにいつまでも後ろ髪をひかれていた。だから死んだのかもしれない。

 とにもかくにもどう転んでも、小栗安和は勇者オグリ・アワとしてこの世界で生きることを決めていた。



「おはようございます」

 階下のリビングに顔を出すと、朗らかな笑顔が向けられた。執事服を着て、丸眼鏡をした男がおはようございますと頭を下げた。老年の紳士然とした男だ。割に足腰はしっかりとしていていまだ若々しい。

「すぐに用意しますので、少々お待ちください」

「ありがとう」と言い、アワは自分の席に着く。そうして、朝食の準備をしているモレノの背に視線をやった。隙のない身のこなしである。彼は勇者であるアワの世話役だ。代々勇者に仕えてきた由緒正しい血を引く一族の出、らしい。多分嘘だろう。

「あの子は?」

「教会の方へと。朝早くに呼び出されていました」

 アワはモレノとその娘、二人家族の家で世話になっていた。

 召喚された勇者には世話役がつく。いわばホームステイのような形で世話役の家に寝泊まりするようになっている。監視と護衛を兼ねているのだとアワは考えていた。実際、教会から提供されたこの邸宅はモレノの持ち物ではないはずだ。そして。モレノと彼の娘も血のつながりなどない。他人同士だ。疑似家族を形成しているのだ。恐らく、他のクラスメイトの世話役もそのはずだ。アワはそう考えている。世話役には監視や護衛としてだけでなく、何か、精神的な面でも安らげる場所や、関係性が必要だと考えたものがいたのだろう。異世界から来た少年少女への細やかな心配りというわけだった。


(勇者を普通の家に預けるわけないだろうしね)


 この疑似的な家族について、アワは特に何も思っていない。わざわざ突っ込むこともないだろうとして黙認している。何か言ったところで笑顔で黙殺されるのが落ちだというのも分かっていた。それに、モレノの作る食事は美味い。彼は物腰も穏やかで距離の取り方も気にならない。アワにとっては心底から一流の執事と呼べるような存在なので満足していた。



 朝食を終えて食後の茶を飲んでいたところで、玄関の方から慌ただしい物音が聞こえてきた。モレノの娘役の登場だ。アワは小さく微笑んだ。

「おかえりなさい」

 声をかけると、まだ顔も見せていないうちから『ただいま戻りました』という声が返ってきた。やがてリビングに来たのはメイド服を着た少女である。名はメリーナ。彼女は小柄だが髪の毛はふわふわとしていて、後ろから見ると羊のようだった。アワはそれが気に入っている。少女のつけているヘッドドレスや白手袋やエプロンといった装飾品も可愛らしく、自分ではとてもじゃないが着られないと考えているアワにとって、少女は面白い存在であった。

「大変ですよアワちゃん。大変なことが起こっています」

「……メリーナ。お嬢様とお呼びしなさいと何度言えば」

「あーっごめんなさい申し訳ないです! でも私のが年上だし友達だからアワちゃんでもいいよねって言ったらアワちゃんは構わないですよって言ったんですよ!」

「落ち着きなさい」

「喉乾いちゃったなー」

 コロコロと変わる表情もまたメリーナの魅力だった。

「それで、大変なことって?」

「んんっ、そうでしたそうでした」

 腰に手を当てて牛乳を飲んでいたメリーナは咳ばらいを一つ。

「アワちゃん。お仕事です」

 その仕事の内容は、アワの表情を分かりやすく曇らせるのであった。

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