4章

第34話



 なぜだと問う。答えはない。必要ない。

 なぜなら答えは持っている。我ら亜人が森に追い立てられたのは、傲慢な人間どもの所業に他ならない。確たる証拠はない。必要ない・・・・。父祖より連綿と受け継がれた我らの歴史にそのすべてが記されている。遺伝子に何もかもが含まれている。悪いのは人間だ。我らではない。正しいのは自分たちだ。間違っているのは世界だ。

 ゆえに殺せ。武器を持て。

 積年の思いを果たし遂げるべきだ。

 骨髄に浸透した恨みと憎しみを存分に吐き出すべきだ。

 来たれ血よ。その時が来た。



 ミチキリ族の長、ノガマはそのようなことを滔々と語った。

 ノガマが長となったのはつい最近のことだ。先代の長と代替わりして数日、仲間をまとめて、志を共にする他部族をも引き入れた。しかし足りない。まだ足りない。森の民が一丸とならねばいけない状況というのに穏健派のアホどもは相も変わらず日和見を貫いている。彼らの目を覚ますには強烈な一撃を与えねばならない。そのためにノガマたちは、ここに来ていた。

「返答は」

 再度尋ねると、眼前の女は髪の毛を指で弄んでいた。白い髪だ。長く、二つに束ねている。白いのは髪だけでなく、肌もそうだった。

 森に生まれ、森と生きるはずの女は、サングラスやアクセサリーを身に着け、不必要なほど肌をさらしている。夜に溶けてしまいそうな黒い意匠の服は、種族が違うとはいえやはり目に毒だった。

 かつ、という音。

 女の履いたハイヒールが土を蹴った。


「分かんなかった?」


 女の声は少女のように高かった。

「知らないわけないよね。私の領地こっちに来るってのがどういう意味かっつーこと」

「……そのうえでここに来た」

 ノガマの声色には強い緊張がにじみ出ていた。

 森でこの女を知らないものはいないだろう。たった一人でこの広大な森、その三分の一を支配している女だ。そしてそれがまかり通っている事実。触れてはならぬ。それが森の不文律だった。

「さあ。どうする」

 みな、武器を構えた。がちゃがちゃと、森の中で金属のこすれる音。それを聞き、女は首を傾げた。

「それってどういう意味? まさか、答えによっちゃあ『やってやんよ』みたいな意味?」

 みな、答えなかった。

「……あのね。あんたらが生きてこられたのは賢いからでも強いからでもない。旺盛な繁殖力のおかげなんだって分かんないかな」

「な、何をっ」

「や、馬鹿にしてないから別に」

 やけに暑い。ノガマは女を――彼女の周囲に立ち上る炎を見た。それは全てを揉みくちゃにする破壊の光にも見えた。

 風が巻き起こる。

 うっ、と、誰もが息を呑んだ。

 耳だ。女の長い耳がちらと覗いたのだ。それは、この世で唯一の純粋なエルフの証左だった。



◎〇▲☆△△△



 どうして争いはなくならないんだろう。

 どうして俺たちはいがみ合うんだろう。

 どうして借金は減ってくれないんだろう。

 俺はこの世の無情を憂いながら酒を呷っていた。

「かあああ、美味い」

「ありがとうございます」

 俺は空になったグラスを置き、人心地つく。

 クロンヌは遠慮がちに頭を下げた。

 醸造家であり、神さまへの供物造りを手伝ってくれているクロンヌ。やはり腕がいい。酒は美味い。というか酒場で出禁食らっているので大手を振って飲めるのは彼の工房くらいなのでめちゃ助かっている。

「相変わらず神さまの酒はマズいが」

「まあ、なかなか……」

 ダンジョンの水を使わなくともいいような気がしてきたが、あれはあれで神さまは気に入ってくれているらしい。普通の酒を持っていったらしかめツラされたからな(とはいえあのでかい神さまはいつもいつも二日酔いの時みたいな辛そうな顔をしているが)。

「商売は何とかなってるか?」

「おかげさまで。いや、死ななくて済みました」

「またまた大げさな」

 俺は笑いながらクロンヌの肩を叩く。さて、酒好きの神さまのところにでも行こうかな。



 シィオン先生の家近くの丘は俺のスキルによってきっちりと浄化されている。なもんで酒を持っていくと、とりあえず御前が出るようになっていた。

 御前とはあのでかい神さまのことだ。彼女とは何度かのやり取りを経て、酒の神さまであること(予想通りだった)や名前なんかも聞き出せていた。名はカブラヤ御前という。妙な名前だなと思ったが、どうやら名付け親は昔の勇者さまらしい。つまり俺と同じ世界のやつが名付けたのだ。シィオン先生は御前を新しい神だとか言っていた。

 その御前だが、自らの意思で消えたり現れたりする。俺がいないときにも、ふっと姿を見せることがあったと先生は言っていた。

「お。いるな」

 御前は酒に敏感だ。どうもと軽く手を上げて酒を渡すと、彼女はそれを一息で飲み干した。豪快な飲みっぷりなので気持ちがいい。

「もう少しキレが」

 また細かい注文を言いやがって。

「……勇者よ」

 おう? 珍しいな。いつもだったら一言告げて消えちゃうのに。

 不思議に思っていると、御前は俺を手招いた。近づくと頭に手を置かれる。

「なんすか」

「今日は気分がいい。眷属を貸してやる」

「眷属?」

 御前が背を預けている樹の近くから、見知らぬ少女が現れた。狐らしきお面をつけた背の低い子だ。しかし胸はでかい。トランジスタグラマーとかいうやつか。彼女もまた御前のように和風っぽい服を着ている。が、装いはキャバ嬢みたいな御前とは違う。紅白の巫女っぽい服に、真っ黒のタイツを履いていた。

「その子は」

 ロリ巨乳ちゃんは御前の後ろに隠れてしまっているが。

「好きに呼ぶといい」

「か。カブラヤさま」

 ツーサイドアップにした髪が揺れた。お面の少女は不安そうに御前を見つめている。売りに出される子牛のような感じ。

 そして大方の予想通り、御前は特に何も言わないで消えてしまった。あとに残されたのは狐面の少女だけ。彼女はがっくりと肩を落としていた。

「どうしよう……」

「じゃ、さっそくだけど働いてもらおうかな」

「あなたには慈悲とかないんですかっ」

「えー。だって眷属でしょ。好きにしろとか言われたし」

「言われてません! 御前は好きに呼べと言ったんです! 好きにしろなんて一言も言ってません!」

 えらい怒ってらっしゃる。



 とりあえず供物の酒を渡しておいた。狐面の子はぷんすか言いながらもそれを飲むと少々落ち着きを取り戻したらしい。こうしてると普通の人間に見える。亜人っぽい耳とかしっぽ生えてないし。

 しかし、御前もいきなりだな。確かに借金をどうにかするために神さまの力を借りようとは思っていたが、眷属とやらを貸してくれるとは。

「ちょっとは同情するぜ」

「どうも」

「それじゃ行くか。職場に案内してやろう」

「ちょちょちょちょちょっと待ってください。その、供物はいただきましたし、神さまからも言われてますので従わざるを得ないのですが」

 じゃあいいじゃん。

「せめて名前くらいお願いします」

「お前の?」

「そうです」

「別にいらんくないか?」

 犬猫を飼うつもりじゃないんだし。おい、とか、お前、とかで呼べば分かるだろ。

「名前は大事です。名前があるということで、この世界に存在できるのですから」

「……そういうもんなの?」

「はい。よい名前をお願いしますね」

 げっ、やっぱり俺が考えるのかよ。

「じゃあキャロちゃんにしよう。昔、実家で飼ってた黒猫の名前なんだけど」

「私に黒猫の要素はありません。というかペットじゃないです」

「じゃあ、リリちゃんで」

「……それは?」

「いや、お気にの娼婦の名前なんだけど」

 狐面少女は激怒した。なんで。

「あっ、あなた、私もそういう目で見ているんじゃあないでしょうね」

「まあおっぱいでかいなあとは思ってるけど。というかなんでそんなでかいんだ。意味あるのか」

「知りませんよそんなの!」

 ずっと怒ってんなこいつ。

 しゃあない。御前がカブラヤで和風っぽいし、そっちにあやかろうか。

「じゃあ、ミヤマちゃんにしよう」

「そこはかとなく雅なお名前……よいですね! みやま。ミヤマ。ふふふ」

 喜んでらっしゃるのでよかったよかった。さ。キリキリ働いてもらおうかな。



 俺はミヤマを連れてダンジョンに向かった。ほい、と、サブの報酬石を二つほど渡す。

「あの。これは」

「お前の使命はその石を虹色に光らせることだ。モンスターがしこたまいるから、しばき回せばいい」

「ええ……」

「なんだ。神さまの眷属のくせにできないのか」

「失礼な」

 ミヤマは俺を見上げた。恐らく怒っているんだろう。

「できますよ。ええできますとも。ですがここは不浄が過ぎます。あの丘のような綺麗な空間が必要です」

 なにぃ……? お前それ、また信仰心を使わなきゃいけないじゃないか。

「一応理由を聞いておく。なんでだ」

「はあ。神の眷属ですから。神さまがお見えになるような場所でないと十全な活動ができないのです」

「もっともだな」

「とはいえ、とりあえず一か所でいいので」

 眷属が活動するには拠点になるようなポイントが必要ってわけか。さて。手持ちの信仰心にはまだ余裕がある。《金路》のボスで結構稼いだからな。問題はどこに作るかだ。

「ダンジョンの中で、あの丘みたいな空間を作るとしてさ。すぐに空気が汚くなるんじゃないのか?」

「私がいますし、こまめに供物を置いてってください。さすれば神気は維持できるかと」

 ……なるほど? 神の眷属ってのは、そこにいるだけで瘴気が浄化されるのかな。空気清浄機みたいなもんか。

 しかしダンジョンの入り口たる一階層でスキルを使ったらなあ。ここを拠点に活動されては冒険者にミヤマの姿を見られてしまう。いや見られてもいいんだけど……このちみっこいやつに信仰心を稼がせていると知られたら、俺の新たな悪評が回ってしまう。奴隷商人呼ばわりされるのはごめんだ。



 というわけで五階層にやってきた。道すがら、ミヤマの力がどんなもんか試してみたが、まあ、やる。それなりにやる。並の冒険者程度の力はありそうだ。拾った武器でも扱えてるし、コスパはいい。

「ところでお前ら眷属って死ぬのか?」

「死ぬ……ううん。あなた方の想像するような死はありませんね」

「殴られたり齧られたりしても平気なのか」

「平気ではないです。不快ですから。そうですね。ある程度のダメージを受けると形が保てなくなるという感じでしょうか」

 ぐにゃぐにゃのスライムみたいになるのか?

「ふっと消えてしまいますね。神気が足りなくなって、あなたたちの目には見えなくなります」

「じゃあ、もしそうなったとしたら? 復活するには供物があればいいのか?」

「この階層のモンスター程度にそうはならないと思いますが、まあ、そうですね。……ただ、神域があればそこから活動を再開できるはずです」

 ほー、便利やね。俺のスキルを使った復活ポイントさえあれば死んでも死なねえのか。

 ミヤマが俺をじっとりとした目つきで(たぶん)見てくる。

「よからぬことを考えていませんか」

 してないしてない。

「ところで、なぜこの階層に神域を?」

「ここは素通りされやすいからな」

 本来、この階層はかなり厄介だ。大部屋が乱立していて、そこにモンスターが巣を作っている。下手に足を踏み入れるとタコ殴りのボコ殴りの憂き目に遭う(俺も過去に何度かやられた)。

「この階層には抜け道があってな、下の階層へ降りられるようになってんだ」

 ここなら冒険者とミヤマが出くわすこともそうはないだろう。神域は、奥まった場所の大部屋を利用するか。



 大部屋の掃除を済ませると、俺は《信仰心強化》のスキルを発動した。よく分からないが、ミヤマの反応からして成功はしたらしい。彼女は部屋の隅々をチェックして、ほう、と息をつく。

「誰にでも取り柄はあるものですね」

 褒められた。

「特異な信仰の心をお持ちのようです。まったくもって神やその眷属である私を敬っているようには見えないのですが」

「いや、そんなことはないけどな」

「どうだか」

「しかし殺風景だな」

 あるのは魔物の死体だけだ。石造りの、息苦しい感じの場所だ。

「祭壇かなんかでも建てた方がいいか」

「あ。いい心がけですね。ぜひそうしてください」

 藪蛇だったか。ま、考えておこう。

「好きに使ってくれ。……なあ。ずっとここにいるわけじゃないよな」

「当たり前じゃないですか。カブラヤさまのところにも帰りますからね」

 そうしてくれ。さすがに申し訳なくなっちまう。

「じゃ、とりあえずこの石をしっかり光らせるように」

「ちゃんと供物はお願いしますよ」

 はいはい。しかしどうするかな。毎度毎度は面倒くさい。シィオン先生にお願いしてみようか。

「あ、そうだ。ついでに頼みがあるんだけどさ。ほかの神さまとか眷属とかも連れてきてくれよ」

「は?」

「いや、お前ひとりじゃ大変だろ? それに人数多い方が稼ぎの効率よくなるじゃん」

「あなた本当に信仰してます? 我々のことを小間使いか何かだと思ってません?」

 ………………。

「思ってるでしょ」

「供物のリクエストは何でも聞くよ。できる限りは用意すっから」

「クズ! クズ! どクズ! 最低最悪ですね!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る