第33話



 走る走る。怖いものから逃れるにはそれしかない。

 後ろを見ると、大鯰がデールたちを圧し潰しているのが見えた。いくつもの赤い花が咲く。ぷちっと潰れて、悲鳴さえも飲まれて消える。彼らの死をもって信仰心が輝いた。

「神だっ」

 汗みずくのウォルターが叫ぶ。

「神を呼べよ!」

「無理だ」

「なんで!?」

 信仰心がもったいない。せっかく虹色にまでたまったんだぞ。

「まさか出し渋ってんのか? 生きるか死ぬかなんだぞ!?」

「いいから撃て撃て撃ちまくれっ」

 スキルを使うよりも遠距離用の秘蹟を使う方が万倍マシだ。俺は火の神の秘蹟をありったけ打ち込む。が、びくともしてねえ。大鯰はその速度を一切緩めることなく前進を開始している。

 火はだめか。そうか。そういやナマズってぬるぬるしてるもんな。

 ウォルターと並んで秘蹟を撃ちまくる。土煙が上がるも巨大なシルエットは健在だ。

「追いつかれるぞ」

「もう。限界近い」

 ティピータがスキルを使い、俺たち三人は逆さになって天井にへばりつく。その下をナマズが通り過ぎた。しかしそのまま去ってくれそうな気配はない。またも口ひげを伸ばしてこちらの位置を探ってくる。あれに触れると一発でバレるんだよな、確か。

 ボスナマズはその辺をうろうろしている。上層への道は完全にふさがれてる。ティピータのスキルも三人分使ってるわけだし、持たないな。これまでか。俺は死ねる。ここはガーデンじゃないが信仰心はたまってるから蘇生の権能は発動するだろう。しかし二人は違う。死なせるには長く付き合い過ぎた。

 どうせやられるなら最後の最後まであがくしかねえ。自力でボスをぶっ殺し、信仰心を持って笑顔で帰るか。もう一度神に祈って助けてもらい、微妙な顔で地上に戻るか。赤字か黒字。損か得。ここは勝負のしどころだ。どうせ失うのは命だけ。

「俺がやる。お前ら、その隙に逃げろ」

「死ぬよ。だめ」

 ティピータはふるふると首を振る。

「ウォルター。後を頼むからな」

「……分かった」

 よし。

「ティピ。俺を重くしろ」

「イヤ」

「俺を信じろ」

 今度こそ。

「もう一匹くらいついでにやってやるからよ」

 無理やり笑顔を作ると、彼女もつられて汚い笑みを返してきた。なんだ。そんな顔もできたんか。ちょっと好きになりそうだった。



 口ひげに触れると、ナマズが俺の存在に気づく。

「やれっ」

 逆さ状態が解除された瞬間、ずん、と、まるで上から掌で押しつけられているかのような感覚。速度が乗っている。俺は雷の神に祈った。堕ちたとされる雷神サカビカリよ。ここは地の底。あんたの支配下じゃあないだろう。

「食われるぞ!」

 ナマズが反転し、大口を開けた。俺は目を瞑らずに手を広げる。ばちばちという火花が走る。

 雷神よ! それでも奔らせろ! お前の力のその一端、地下であろうと咲かせてみせろ! サカビカリの秘蹟が発動し、俺の腕に神気が纏わりつく。右腕は既に武器と化した。電撃の刃だ。信仰心をぶち込んでやった。ぎりぎりの線の最後の手段。

「おおっ……!」

 体をよじりながら振り下ろす。迫る口ひげを焦がし、滑った体表を切り裂き、その奥へ。落下しながら腕を伸ばして裂き続けてやる。

 大鯰は苦痛に呻き、その巨体を震わせた。噴出した血潮が周囲を叩く。着地した俺は寸暇迷うも前進を選択。ダメ押しだ。信仰心をさらにつぎ込み、両腕を刃と変えた。くそう。燃費悪いから使いたくなかったのに。

「でかぶつがぁ、はよ死にさらせぇえええええ」

 抱きしめるようにしてボスを切り刻む。だっ、いってえなコラ……! 暴れんじゃねえよ!



◎〇▲☆△△△



 ウォルターは動けなかった。

 迷宮の試練と一対一で殴り合う人類を生まれて初めて目にしたからだ。


 不死しなずのウォルター。


 疫病神と厄介がられているが、かつてはそうも呼ばれていた。

 どんな状況にも屈さず、強大な魔物相手にもひるまなかった。絶望的な状況下からでも必ず生還した。全て娘のためだった。せめてもの罪滅ぼしのためだった。

 潜り続けて戦い続けて、気づけばもういい歳だ。ベテランとは聞こえはいいが、要はこの歳まで何も成せず冒険者を続けるほかなかっただけだ。同期の冒険者はとっくに死んだか、とうに引退し、安定した職に就いている。自分にはない。家族と過ごす時間も、老後の貯えも。ただ、今あるものを吐き出し続けるのみ。


(あの子のためだ。俺はそう思っている)


 本当にそうか? 内心で問いかける。

 学費を払うだけならもっとましな仕事があったはずだ。実際、引退して後進の冒険者を指導するという話もあった。断ったのだ。

 なぜだ。思い返す。

 迷宮に潜り続けたのはなぜだ。いつ死ぬかも分からない環境に身を置いたのは、楽しかったからじゃないのか。誰にも邪魔をされず、身一つで信仰心を稼ぎ、生活の糧にする人生を謳歌していたのではないか。冒険者というものに誇りを抱いてはいなかったか?


『あなたとはもうやっていけないの』


 家族は、余計な荷物だったか?


(そうかもしれん。だからこそ、俺はまだここにいる)


 娘が生まれた日、自分はここにいた。

 女房が新しい男を作っていた時、自分はここで魔物を仕留めて喜んでいた。

 女房娘を大切に思っている。だがそれ以上にここでの人生を大切に思っている。だからこその罪の意識だ。金を送ることで罪悪感を帳消しにしていた。

 けれど、それだけでここに残ったわけではない。

 今、自分の目の前で、獣のごとき咆哮を放つ若い冒険者。必死に抵抗する試練。これこそが迷宮の華。生きるか死ぬか、冒険者の醍醐味ではなかったか。カシワギ・ケイジ。ウォルターは彼にかつての自分を重ねて見ていた。


『俺を舐めやがってちくしょう、俺は勇者だー!』


(ああ、かもな)


 妄言ばかり吐いていたはずのケイジ。しかし彼はまごうことなき奇蹟の体現者だ。

 自分は今、歴史に名を残すものと同じ場所にいるのかもしれない。そう考えると、流し尽くしたはずのかつての冒険者としての血が、再び滾った。



◎〇▲☆△△△



 地上に出た俺たちは、その場に座り込むしかできなかった。しばらくの間はずっとそうしていて、口を利くことさえ叶わなかった。

 外はもうすっかり明るくなっていて、鳥がちちちと鳴いている。静かだ。下での戦いが嘘だったみたいに。

「……ありがとうな、ウォルター」

「あぁ、何が」

「あんたが来てくれなかったら、無駄死にしてた」

 ウォルターはふっと微笑んだ。皮肉屋の彼らしくない、素直な表情である。

「お前にだけ稼がせるのは癪だったからな」

 そうか。それなら、それでいいか。

 少しして、俺たちはギルドで換金を済ませた。俺はまだ報酬石のストックも残っている。こっちも虹色に輝いている。とんでもねえ貯金だ。そりゃそうか。ボスを二匹しばけたんだからな。苦労の甲斐はあったか。


 広場に出ていた適当な屋台のものを食いながら、俺たちは完全に疲れ切っていた。だけど何となく離れがたいような、そんな雰囲気があって。

「ん」とティピータが何かを差し出す。

「回収しといた」

 彼女が差し出したのは拳大の金塊と聖遺物らしきアイテムだ。

「くれるの?」

「ん。山分け」

「おいおい、逆さ女にしちゃあ気前がいいな。いいのかよ」

 ふふん。ティピータは笑った。

「いいの。仲間だから」

「ありがとよ。……ところでさ。俺ぁボスも倒したし、ヨドゥンに戻ろうと思う」

 結構長い間離れてたからな。神さまへの供物である酒もできてるかもしれないし、信仰心はたまってる。シィオン先生の家近くで神さまを見つけるのもありだろう。ここでの目標は達したのだ。

 俺がそう言うと、ウォルターはだろうなと笑う。

「もう歳だからな。俺は変わらずこの町で暮らすさ。デールたちもいなくなったから、まあ、過ごしやすくなる」

 金もあるしな。言って、ティピータからもらった金塊を掌の上で弄んでいた。

「ただ、気が向いたら顔を出してやるよ。ヨドゥンを見てみるのも面白そうだからな」

「おう。そん時は酒でも飲むか」

「バカヤロウ俺ぁ冒険者だ。ダンジョン潜るに決まってんだろうが」

 へへへと笑い合えば、最初のころに『このクソハゲ絶対ぶち殺す』と思っていたのが嘘のようだ。

「ティピータはどうする?」

「まだダンジョンに回収してないものがあるから」

 だから。そう付け足した。

「拾ってから追いかける」

「俺をか」

「うん」

 彼女は俺の頬に手で触れて、それから、自分の頬にも同じようにした。

「浮気しちゃやだよ」

 ん?

「私以外のスカウトと組まないでね」

「はは、浮気って」

 そりゃどうだろうな。そもそも俺は誰とも組むつもりなんかなかったんだ。面倒ごとばっかりだからな。ただ、今回の件で悪くないなという気もしている。パーティメンバーの信仰心を好きに使えるなら神さまだって出し放題だからな!

「組まないでね」

 頬っぺたをぶにっと摘ままれた。はいはい。考えとくよ。



 帰りは馬車に乗った。まだ転移の秘蹟は使えないし、本当に使えるようになるかもわからない。涼風の人は君にもできるとか言ってたけど、ああいう感じの人って、だいたいそういうこと言うよな。でも、うーん。練習してみるかなあ、どっかで。便利だしな。でも失敗して変なところに出たらどうしよう。岩の中に埋まっちゃうとかいう話も聞いたことあるしなあ。

 ヨドゥンに戻ると、とりあえずシルヴィの家で飯を食った。しかしシラケた女である。


『おう、ただいま! お土産もあるぞ』

『ああ、そう? ふうん。無事だったか』

『当たり前だろ』

『はいはい、おかえり』


 飯は美味かったけど塩対応された気がする……。一か月か二か月ぶりの再会だぞ。玄関開いたら裸エプロンで待っとくくらいしてくれよ。でも実際されたらドン引きする自信あるわ。



 翌日。クロンヌの工房に行くと、どうやら試作品の酒は完成していたそうだ。さすが! 仕事が早い!

 ただしクロンヌの顔は沈んでいた。

「ケイジさん。ダンジョンの水を使うと、その、味がよくないんです」

 そんな気はしていた。

「大量の水を運んでくれた騎士団の皆さんにも申し訳が……」

「まあ、感想はあとで聞いてみるよ」

 俺は試作品の酒を受け取る。どうせ俺たちが呑むんじゃないんだ。神さまへの供物なんだから真心さえこもっていればそれで十分だろう。味なんて分かんねえだろうしな。



 今度は、俺は供物をもってシィオン先生のもとへ行く。

「おお、君か。久しく見なかったがどうしていたんだね」

「ちょっとニギアの方まで遠征です。ああ、それから」

 俺は酒を掲げてみせる。

「これから神さまに挨拶でもしとこうかと」

「ああ、それはいいね。いい心がけだ。どれ、私も行こう」

 シィオン先生は静かに微笑んだ。俺が神さまを呼ぶとは思っていないんだろうな。



 件の丘。大きな樹の下に着くと、俺は虹色の報酬石を一つ取り出し、目をつぶって念じた。スキルを発動させると周囲の空気が一変するのが分かった。

「これは……?」

 俺は目を開けた。先生が瞠目していた。

 目の前には、巨大な女がいた。でかい。アキの比ではない。間違いなく種からして違う。

 樹の下にあぐらをかいて座り込んでいるのは水色っぽいロングヘア―に抜けるような白い肌をした、小難しそうな顔をした美女である。ただしおっぱいがぼろんと零れてしまいそうな着物を着ていた。それも派手な色の。キャバ嬢みたい(素直な感想)。

 和服美人は眉根を寄せ、こちらを睨むようにして見た。俺のそばにいたシィオン先生はがくがくと腰を震わせている。

「ま……さか。ケイジくん、この方は……」

「十中八九神さまでしょうね」

「ええ……なんでいきなり」

 俺たちがこそこそ話していると、神らしき巨大な和服美人が小さな声で言う。


「酒」


 と。

 俺は供物を差し出した。受け取った神さまは栓をきゅぽんと抜き、ラッパ飲みを始めた。それも数秒かからず飲み干して、また小難しそうな顔を作った。


「もう少しスッキリ感が……」


 そう言って消えた。

 消えた? 消えやがったぞオイ。

 俺は周囲を見回して樹の裏っかわも覗き込むが誰もいないし何もない。がっくりと肩を落として膝をつきそうだった。やられた。タダ飲みされた。嘘だろ。せっかくマックスまでためた報酬石を使ったのに……。

「こっ、これはなんだ? すごいぞケイジくん! 発見だよそれもとんでもない! 神はいたんだ、ここに! この地に! この世界に! はっははははすごいぞぉ学会が揺れるぞぉ」

 先生は狂喜乱舞しているが、俺は信仰心の持ってかれ損じゃねえかと落胆するのだった。というか実験とかする分の信仰心を換金する方が色々と手っ取り早かったのではと後で気づきウンコを漏らしそうになるほどショックを受けた。



◎〇▲☆△△△



 漏らしそうな勇者カシワギ・ケイジは全く知るよしのない話だが、《金路》の試練が攻略されたことにより、大陸ですごく……こう、とてもいい感じに保たれていた信仰心の均衡が崩れかけていた。後れを取っていた形の他国もそこまでのろまではない。天秤がスロープゴットに傾いたのを察して、様々な動きを見せていた。

 ただし。この件に関してはスロープゴットの教会や王家も埒外だった。何せ彼らの本命は勇者シノミヤ・マイトであり、彼には一年近い猶予を与えていたのである。ことが起こるのはまだ先だろうとみなが訳知り顔で構えていたのだ。

 いったいどこのどいつが信仰心を荒稼ぎしたのか。

 のち、持ち込まれた信仰心の出どころであるニギアギルドから、金路のダンジョンや冒険者についての調査が始まるのだが、それはまた別のお話。たぶん。

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