第32話



 やっぱり、まだいやがる。

 いや、いてくれなくちゃ困る。

 下層に辿り着いた俺たちは、あのバカデカナマズと再遭遇した。とりあえず隠れる。物陰から様子をうかがう。

「……どうするの」

 ティピータが耳元で囁いてくる。こそばい。

 どうするのって決まってんだろ。俺は手を、ん、と突き出した。

「石よこせ」

 しかし反応はない。

「んーーーーーー」

 でっかい声が出せないので唸りながら二人を睨む。くそう。こいつらこの期に及んで信用できねえってのか! まあ冷静になったらそりゃそうなんだけど。出会ったばっかの氏素性も知れない、俺みたいなやつを信じろという方が難しいわな。しかし信じてくれなきゃ困る。いやもうこの際だから信じてなくともいいけど石は渡せ。

「失敗したらどうする気だ」

 ウォルターが鋭い視線を浴びせてくる。

「失敗したら? そりゃ、ナマズに殺されるかもしれないし、戻れたとしてデールにまたいちゃもんつけられるかな。いや、今度は殺されるかもな。あんた喧嘩売ってたし。食われた宝も手に入らねえし、まあ、悪いことだらけだな」

「は、そうか」

「首尾よく殺せりゃあ宝は全部俺らのもんだ。あんたの娘は卒業まで学費の心配をしないでもいい。ウォルター。あんただってストレスがさっぱりなくなるからハゲの進行も止まるかもな。とりあえず金が入ったら酒と肉か。俺ぁ賭場に行ってまた勝ちまくってよ、さらに金を増やしたらこの町全部の娼館に行って娼婦を抱くぞ」

「そりゃいいな」

 ウォルターは俺に石を渡した。それを見て、ティピータは驚いているようだった。

「どうして。ウォルター」

「どうしてって」

 問われた彼は頭に手をやり、半笑いになる。

「あのボスを倒すってのは夢みてえな話だが、夢みたいなもんを追っかけてる冒険者おれたちにはちょうどいいと思っただけだ」

 ゆめ。そう繰り返すティピータ。彼女は自分の報酬石を大事そうに両手で握りしめている。俺はその上から自分の手を重ねる。

「俺を信じるな。信じなくていい。その代わりに神さまを信じろ。この世界にいる神さまを。この迷宮にいる大地の神を」

「そんなの、いるの?」

「すぐに見せてやる」

 ティピータの手から少しずつ力が抜けていく。よし。よし、もうちょっと、もうちょっと。気づかれないように指をほどきつつ、報酬石をかすめ取る。

「あ」

 しゃあ!

 石が三つ! ヒヒヒヒ信仰の力も三倍だ!

 俺は物陰から飛び出し、スキルを発動する。《信仰心強化》だ! 俺たちの信じる力! 束ねた三つの心よ! どうか、なにとぞ!

「顕現しろディアップル!」

 石から漏れ、溢れた信仰心が渦を巻く。強い信仰の心が瘴気をかき消し、清浄なる神気を生み出しているのが分かる。

 俺の周囲には砂礫があちこちに散らばって、やがて巨大な何かを象る。

 これは俺たちの信仰心だ。神に対する畏敬の念が神の像を創り出す。

 声も出なくなるほどの圧迫感。それがこの空間を支配したのは一秒にも満たないわずかな時間。

 神像が砕け散ったかと思えば、そこにはもう神がいた。


「くあ……」


 ふくよかな肢体に一枚布だけを巻きつけた女が一人。まるでソファで寝転がるうちの母親みたいなポーズであくびをかみ殺していらっしゃる。……いや、女性の姿をしていてもそうではない。あれは本当は、もっと別の姿なのだろう。

 あれが地の神ディアップル。

 めっちゃ眠たそうにしているが、その神々しさは本物だ。

「ふあー、あ……」

 とうとう我慢できずにあくびをする神。ディアップルは俺に目線を送る。

「やってくれ。地の神」

 ディアップルはかったるそうに両手を合わせた。

 その瞬間、ダンジョンが動いた。大鯰の泳いでいた通路が突如として狭まり、潰した・・・。壁に押しつぶされて、割れた風船みたいになったモンスターはもう動かない。

 ふっと、神が消えた。

「お……」

 空っぽだったはずの報酬石が、輝いている。七色に彩られている。マックスまでたまった証だ。

 俺は息を吐き出し、石を二人に投げ返した。三つだ。三つとも虹色に光り輝いている。

「すごい」

 ティピータは瞬きを繰り返している。

「ええ、なんだよ。今のが神さまなのか?」

 ウォルターは立ち上がり、あたふたとしている。

 俺は腰に手を当てて、げぇははと笑う。

 そうだろう、そうだろう。すごいだろう、すごいだろう。そうなんだよな。テラスもそうだったけど神さま見たらだれだってこうなるんだよな。

「悪くないな! 悪くない!」

 いいな! パーティってのは悪くない。というか、いい。俺のスキル、信仰心を使って信仰心を強化するなんざ馬鹿げてると思ったが、何も俺の信仰心を使う必要はなかったんだ。そう。人のを使えばいいんだ! ……今だ。俺は地を蹴った。



◎〇▲☆△△△



 神?

 本当に?

 何が起こったの?


 ティピータはいまだに現状を把握できないでいた。神らしきものが消え、ナマズを押しつぶした壁もさらさらと砂と土に還っていく。そしてケイジは走り出す。


(どこへ?)


 ケイジはよだれをまき散らし、えへえへ変質者のように笑って、足をもつれさせながらモンスターの死骸に向かっていた。

「だぁぁああああの野郎ふざけやがって!」

 ウォルターもケイジを追いかける。ここにきてようやっとティピータも気づいた。彼の狙いは宝だ。ナマズが体内に納めていた金塊や聖遺物を独り占めするつもりなのだ。

 ティピータの頭に血が上る。かーっときて、彼女もスキルを使って追いかけた。


(信じてたのに! 信じてたのに! 裏切るなんてひどい! 独り占めなんてずるい!)


 しかしティピータは気づいていない。その裏切りこそ、自分がいつもやっていたことなのだ、と。


 一足先にナマズの骸のもとへたどり着いたケイジは、血まみれになりながら宝を探していた。肉をかき分け、皮を剥ぎ、臓物の中を泳ぐようにして金を探す。とてつもなく醜い行いだ。反吐が出る。

「きえええええ触んな触んなぁ! 俺のだ! 全部俺んだ!」

「てめえさっきまで俺らのものだとか、かっこつけてたくせに!」

「うるせえ死にやがれハゲが!」

「ハゲてねえ! ぬううおおおおおお」

 クズとハゲが揉みくちゃになっている。ティピータも二人に続き、血の海の中に顔から突っ込んだ。


(宝、宝、お金、金塊、宝石……! 全部私の! 私の!!)


 どつき合い罵り合う。

「ちくしょうまた横からかすめ取るつもりだな!」

「このアマァ! 顔がいいからって優しくしてりゃ付け上がりやがって!」

「どこがっ。どこも優しくない、優しくなんてされてないもん!」

「うるせえおっぱい揉むぞ! あ、揉むほどないか」

「わあああああああああああっ」

「逆さ女がキレやがった!」

 けれどティピータはおかしくなって笑っていた。笑い転げた。

 みんなで仲良くとか、パーティで助け合おうとか、そんなもの必要ない。少なくとも自分には。


(そうだったんだ)


 みんながみんな、こいつらみたいに業突く張りだったらいいんだ。格好つけず肩ひじ張らず、欲望をむき出しにして……だから、こいつらとだったら一緒にいられる。ティピータはそれが分かったから笑った。



◎〇▲☆△△△



 くそがっ。こんなパーティ今すぐ解散だ! だいたい俺は最初から組むつもりなんかなかったんだよ!

 俺は見つけた金の欠片をポケットの中に押し込む。腕にティピータが齧りついているが頭をどついて放り投げてやった。

「ウォルター! 俺が悪かった、話し合おうぜ」

「嘘つけボケ。血走った眼で言われても誰が信じるかよ」

「いいからパンツの中に隠した聖遺物をよこせ……!」

 あとどれくらいだ。どれくらいの宝があるんだ。くそ、血や臓物まみれで全然見えねえ。目を凝らして死体を漁っていると、足音が聞こえてきた。それも複数。ティピータを見ると、彼女もプレーリードッグのように立ち上がって反応する。

「数が多い……」

 しまった。時間をかけ過ぎたか。

「おうおうおう」と大勢連れてしゃしゃり出てきやがったのは、髪をオールバックにした冒険者のデールだ。

「いったいこりゃ、何事だ?」

 でかい舌打ちの後、ウォルターがデールをねめつけた。

「またコソ泥みたいな真似しやがって。やっぱりてめえは尻を追っかけてるのがお似合いだよ」

「黙ってな疫病神。何をどうやったか知らないけど、奇蹟が起きたらしいじゃないか」(ティピータたちが頷く)。

 デールは部下に武器を構えさせて、大仰に手を広げた。

「どうも。俺のために血眼になって拾ってくれてありがとう。さあ、宝を渡してもらおうか」

 美味しいとこだけ浚っていく気かよ。この野郎。この野郎、この野郎。もう容赦しねえ。知らねえぞ。こいつが貴族のお抱え冒険者とかそんなもん知らねえ。この虹色の輝き。この金銀財宝の前ではどんな理屈だって通らなくなる。


「がっ!?」

「え? どうした、おいっ。ぎいいい!? いでえええ」


 離れたところにいたデールの部下が二人も勝手に倒れた。何事かと思えば、ウォルターが銃のような武器を手にしていた。

「あいつ持ってんの魔銃じゃね?」

「えっマジ?」

「いや、どうだろう。あんま目ぇよくないし、断言できんわ。確信がないわ」

「ふざけんな!」

 魔銃まがん? なんだそのかっこいいのは。

 やにわに騒ぎ出すデールの部下たち。動こうとしたものから頭が弾けるようにして後方へ吹き飛んだ。

「あんたまさか、秘蹟を?」

 ウォルターは銃を構えたまま口の端をゆがめる。

「信仰心を使うのがもったいなくてな」

「マジで使えたのか」

「これだけの宝を持って帰れるんなら、どれだけ使ったって釣りがくる。やるぞ!」

 おう。やっと憂さを晴らせそうだ。

「ケイジっ」

 目の前に武器が乱舞する。

 敵陣に疾走していたティピータが、相手の武器を奪い取ってこっちに投げまくっていた。

「いいぞぉティピ! はっはー、より取り見取りじゃねえか!」

 俺は、落ちている中で一等痛そうな武器を手にした。斧だ。半ば発狂しかけているやつらに対して得物を振るう。殺すつもりはないが生かして返すつもりもない。ザコが。こんなもんガーデンのマジモンどもに比べれば屁でもねえ。

 歩きながらぶんぶんと斧を振り回す。当たろうが外れようが関係ない。ビビらせてやればいい。

 ウォルターはでかい岩に身を隠しながら銃を撃ちまくっている。よく見ると銃口からは何も出ていない。しかし石礫のようなものが彼の周囲から発射されているのが見えた。……なるほど。あの銃は秘蹟の効力を高めるためのものらしい。あるいは照準器の代わりなのかもしれない。

「俺たちゃ無敵のパーティだ! そうだよなァ!?」

 返答はなかった。

 俺はさらに突き進む。デールがブチ切れているのが見えた。逃がすか。向かってくるアホの腹を蹴り、柄の部分で顔をしこたま殴りつけてやる。

「正当防衛っ正当防衛だぞこれは! ダンジョンの中のこたあ誰にも分かんねえからな! 俺とっ、お前ら以外は!」

 有史以来、信仰心を手っ取り早く稼ぐ方法はこの世界でも早くから編み出されていた。

 それは殺戮だ。他者から奪っちまえばいい。だから国家間で戦争が起こったのだ。

「お前らの信仰心はお前らが死んだ後で俺たちがもらうからな!」

「正気じゃねえぞこいつら!」

 もう何人か切りつけてやると、蜘蛛の子を散らすように逃げ始めやがった。ウォルターはそいつらの背にも弾丸を打ち込んでいく。

「待て待て待て石だよ石! 石を置いてくんだよてめえら!」

「誰が置くか。オーウェン子爵の」

「すっこんでろコラァ!」

 デールの顔を裏拳でどつくと、呆気なく倒れてしまった。彼は陸に打ちあがった魚のように痙攣を繰り返す。その顔を何度も踏みつけにするティピータ。

 俺も斧を手放して息を吐く。趨勢は決した、か。

「ひぃー、ひぃー」とウォルターも壁に背中を預けて荒い息を繰り返している。何の気なしに彼を見ていたが、ひび割れ始めた。壁が。

「お、おい、ウォルター……?」

「あぁん? いいから、話しかけんな。死ぬほど疲れてる……」

 離れろ。そう叫ぼうとするより早く、ティピータが疲れ切ったジジイを回収し、今度は俺にも迫ってきた。

 壁が崩壊した。

 さっきまでウォルターが寄りかかっていた壁が崩れ、巨大なモンスターがのっそりとその姿を露わにする。……二匹目の大鯰だった。

つがいだったのか」

 俺もティピに引っ張られるようにして宙に浮く。

「重たい!」

「ごめん!」

 とにかく逃げなきゃやばそうだった。

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