第26話
ヨドゥン近くの農村に住む男、クロンヌは困りに困り、弱りに弱り果てていた。
クロンヌは醸造家だ。酒を造り、それを卸して生活している。その腕前にはいくらかの自信があった。うちの酒はよそには劣らぬと自負していた。一昨年に村一番の美人と結婚し、子どもも二人できた。二人ともかわいい盛りだ。これはという会心の出来栄えの酒は、ここいらで評判のいい行商人が目をつけてくれた。ニギアの町の酒場への仕入れルートは確保され、仕事は順風満帆だ。
つい数日前までは。
件の行商人が死んだのだ。殺された。名はイーノという。角を生やした亜人だが彼には商才があった。イーノの仕入れるものは必ず売れるのだ。目利きがいいともっぱらの評判であった。しかし彼は婚約者を失ったことで復讐の鬼と化し、商売など全部放り投げて逝った。全部ご破算だ。
実はクロンヌは商品の大部分をイーノに委託していたのである。彼が死んだことで大量の在庫を抱える羽目となってしまった。今さら新しい仕入れルートを開拓している時間はない。クロンヌは醸造家としての腕は確かだが商売人としては三流同然だ。営業も苦手で生まれ育った村から出ることも得意ではなかった。
首をくくるほかないのかと考えていたところに、とある男がやってきた。
「だ、誰ですか」
工房にやってきたのは黒髪の男だ。冒険者然とした格好でここいらに住むものではなさそうだった。
「おう。あんたがクロンヌ? この辺じゃあ一等腕がいいんだってな」
なれなれしい口調の男は積んであった酒瓶を一つ手に取った。
「飲んでいい?」
「どうぞ。お好きに」
ほとんど一息に飲み干すと、男は空になった瓶をその辺に投げてから、うまいと漏らした。
「シラフで飲んでもうめえな」
「ありがとうございます。でも……」
「ああ。イーノが死んで困ってるんだってな」
どうしてそれを。クロンヌが問う前に、男は言った。
「どうせだめなら俺に任せてみろ」
な? 悪魔じみた笑顔を浮かべた男――カシワギ・ケイジはそう言った。
シィオン先生は言った。
神を呼び出すには大量の信仰心が必要だが、それを肩代わりできる供物もあるのだと。
供物と言えば酒だろう。しかし毎度毎度買っていてはもったいない。もっとこう、安上がりに済ませたい。というわけで俺は《泳ぐ金の鷹亭》に行って話を聞き、暇そうな醸造家を訪ねることにした。
「ま、任せるって……」
この困り顔の男はクロンヌ。話に聞いた通り大量の在庫を抱えている。
「まずはこれを片付けるか」
「でも、どこに卸せばいいのか」
「《泳ぐ金の鷹亭》という酒場がある。ヨドゥンではまあ、マシな方の店だ。そこが引き取ってくれるってよ。多少は安くなっちまうけどな」
「ね、願ったりかなったりですよ。とりあえず急場さえ凌げればどうにかなります」
そりゃよかった。
「ただし条件がある」
クロンヌはごくりと息を呑んだ。
「あんたにはちょっとした酒を造ってもらいたい。片手間でいいんだ」
「それは構いませんが、どのような酒でしょうか」
「うん。ダンジョンあるだろ。ガーデンの水を使った酒を造ってほしい」
「……だ、ダンジョンの」
クロンヌはちょっと引いていた。
「ちょっとだけでいいんだよ。な?」
テラスには散々な目に遭わされたが、彼は『ダンジョンの物を食べれば耐性がつく』みたいなことを言っていた。それをヒントに頭をひねってみた。神域の水を使った酒なら神さまもアホみたいにお喜びになるだろう。うん。間違いない。
「神さまが好きそうな酒が欲しいんだよ」
「なるほど。わ、分かります。ぼくも水神さまを信仰していますから」
「分かってくれたか」
クロンヌはこくこくと頷いていた。
「ただ」
そう前置きするクロンヌ。先までの弱々しい表情は消え去り、鋭い目つきになっていた。
「さすがにダンジョン内の水を使って酒造りをしたことはありません。味や口当たりは、ちょっと想像がつかない」
「ああ、それは別に。どうせ味なんて分かんないだろうし」
神さまなんてたいてい大雑把だろ。
「ある程度上手くいきそうなら冒険者向けに売り出そうぜ」
「は、はあ」
「あいつら舌が馬鹿だからよ。度数上げまくって味付けも誤魔化せばどうにかなる。神が認めた酒だって言い張れば有難がってみんな飲むだろ」
シルバースターあたりにねじ込めば、ヨドゥンの酒場はクロンヌの酒を買ってくれるだろう。大儲けしたら分け前をもらおう。
「そ、それは神さまに対して申し訳がないというか」
「そこらへんは一応聞いてみるから平気だよ。で、どうすんだ。条件は飲んでくれるのか」
「もちろんです。お願いします」
よしきた。
「あとで人をよこすから、金勘定の話はそいつらとやってくれ」
「は、はい。ああ、それで神さまのお酒なんですが、時間はいただきたいです」
そりゃそうだな。でも酒ってどれくらいの時間で出来上がるんだ?
「エールでいこうと思うので、ひと月……二月ほどあれば」
そんなにかかるのか。大変だなあ。ここはプロに任せるしかないな。
「頼む。それじゃあな。今度はダンジョンの水を持ってくるよ」
「え。おひとりで、ですか」
「そのつもりだけど」
「めちゃめちゃ必要ですよ。水」
えー。どうしよう。
水ってのは案外重い。
人間の体の大部分が水分なのだから、水は言い換えれば命のようなものだ。そりゃ命は重たいわな。
供物用の酒造りのために水が必要なのだが、ダンジョンからクロンヌの工房まで持っていくのにかなりの距離がある。一度に運べる量などたかが知れているし、そんなことしている暇があったらモンスターをしばいて信仰心を稼いだ方がましだ。
どうしたもんかな。金を払って人を使うのも嫌だしなあ。
「あっ」と俺はあることを思いついて、早速心当たりに足を向けてみた。
自警団のメンバーが暮らしている一画がある。長屋みたいなもんが立ち並んでる区域だ。最近、その一棟を借り受けたやつらがいる。アキたちのいる騎士団だ。彼女らはまだこの町に滞在してダンジョンに挑んでいる。ついでに町の見回りまでしてくれる働き者だ。
だからあともう少しだけ働いてもらおう。
「こんちはー、アキいますかー」
アキが住んでいるであろう部屋のドアをノックしてみる。急すぎたかな。約束も何もしてないし。でも思い立ったら吉日なので仕方がない。
「へえっ!? ぼ冒険者殿!?」
お、いたか。声がでかいから普通にドア越しでも会話できそうだな。
「開けていい?」
「絶対だめです!!!」
「あ、ああ、そう、うん、ごめんね」
「お待ちを! 少々お待ちください! 待っててください!!」
慌てているであろうアキ。なんか悪いことしたな。
「ごめん、一回出直そうか」
「待っててくださいって言ってるじゃないですか!!!」
うわすごい怒られた。大人しくしとこう。
少しその辺で待っていると、どたんばたんとけたたましい物音が。ややあってラフな格好のアキが俺を見つけて駆け寄ってきた。
「お待たせしてしまって……」
「いや、全然いいけど。今日は休みだった?」
「は、はい。非番で」
アキは髪の毛をちょいちょいと指で梳いたりして気にしている。
「寝てた?」
「え! そ、そのようなことは!」
寝てたな。
「それよりも! 冒険者殿からいらっしゃってくださるとは、何かアキにお話でも?」
「頼みごとがあってさ」
水を運ぶのがだるいので、ダンジョンに慣れるトレーニングだと偽って迷宮内の水を運ばせるつもりなんだ。とは言えず、誤魔化してそれっぽくお願いしてみた。するとアキは胸をどんと叩き、二つ返事で引き受けてくれた。
「冒険者殿のおっしゃることに間違いはありませんとも!」
俺は苦笑いしかできなかった。
◎〇▲☆△△△
王都から派遣された騎士、シュウト・ビシバシーズは不満がたまっていた。たまりにたまっていた。
煌びやかな王都から一転、淀みに淀んだヨドゥンのような僻地に飛ばされ、挙句に勇者一行の盾代わりになるようにとダンジョン探索を命じられていたからだ。おまけにその勇者はヨドゥンから逃げるようにして違う町へ行ってしまった。やっと任務から解放されると安堵したのは大間違いで、自分たちを取りまとめるミュラー家の騎士たちがここに残ると言い出した。
『娘を頼む』
王都でも有数の実力者であり、民を守ることに命を懸けているであろう人格者たる波の騎士にそう言われては逆らえない(というか逆らうと命令違反になる)。
その波の騎士も今は王都に戻って雑務を片付けている。そのうえでまたヨドゥンに戻ると言うのだから驚くほかない。自分たちは勤め人であるからしてやるしかないのだが、それにしたってシュウトはダンジョンの瘴気に嫌気がさしていた。
そして、今日は非番だったはずのアキ・ミュラーに呼び出されて、ダンジョン探索に駆り出されている。
(聖騎士殿もよくやるぜ)
アキ・ミュラーは自分たちよりかなり格上の存在である。近衛騎士団の方が偉いのではとシュウトは思っていたが、スロープゴットにおいては教会所属の聖ブロンデル騎士団の方が重要視されている。
そもそもが彼女は聖騎士だ。聖騎士とはそう簡単になれるものではない。教会にその力、功績を認められたものにしか務まらない。選ばれたものは聖女や大司教クラスの祝福を受けて加護を得るのだ。
そのうえミュラー家は大貴族の出でも何でもない。力のみで上がってきた。だからこそ、彼らは聖騎士団内だけでなく王都の騎士団でも注目されがちでもある。
まあ、それはいい。波の騎士も、アキ・ミュラーも自分たちより上位の騎士だ。それはいい。
しかし。
(この冒険者はなんだ?)
カシワギ・ケイジ。
自分たちを先導する形でダンジョンを歩き、傍にいるアキに気やすく話しかけるさまはあまりにも図々しい。確かにケイジは波の騎士の命を救ったが、それによって義理や恩を感じるのはミュラー家のものだけでいい。近衛騎士団所属の騎士には無関係のはずだ。だが、アキはケイジに首ったけだ。彼女は否定するだろうがしっぽを振っているのが見て取れる。
(くそ。冒険者風情のご機嫌取りはこっちの仕事にゃ入ってねえぞ)
シュウトは内心で悪態をつく。というかそれしかできない。
やがてケイジはダンジョン内の水源らしき場所に到着するや、自分たち騎士に背負わせていた馬鹿でかい樽を持ってこさせた。
「よし。水いっぱい入れて戻るぞ」
「……な、なぜです。何のために」
シュウトの同期である近衛騎士が発言していた。ケイジはその言葉に大きく頷く。
「その疑問はもっともだ。これはな。お前らがここで活動しやすくなるためのトレーニングだと思え」
絶対嘘だ。シュウト・ビシバシーズは確信した。
「ダンジョンに強いやつは長いことダンジョンにいるんだよ。慣れれば慣れるほど、ここじゃあ死に難くなる」
「おっしゃるとおりです!」
アキの馬鹿でかい声が迷宮内に反響する。その声を聞きつけた魔物がやってきて騎士は悲鳴を発した。
「いちいちビビってんじゃねえ。ほら、さっさと水を汲むんだよ!」
ケイジはその辺にあった棒切れを拾い、ダンジョンマンと呼ばれるモンスターをぼこぼこにし始めた。
「強くなれ! 強くなりゃあお前らだって王都に戻れるんだろ!」
「おっ、おう!」
「私は戻らなくともいいのですが」
ミュラー家の騎士がケイジに続いた。
(うさんくせえ。しかし。この馬鹿げた強さは本物だ)
ケイジの振る舞いは野蛮で奇矯に映るが、モンスターを悉く葬るその実力に嘘はない。しかも棒切れ一本で。本当に強くなれるなら彼に従うのは一つの道理かもしれなかった。
そもそも、あの勇者シノミヤ・マイトでさえダンジョン内を無意味にうろつくような真似はしないはずだ。否。できないはずだ。ラフな格好でろくな装備もなく、秘蹟も使わず己の力のみで迷宮を踏破する冒険者。
(こいつ並に強くなり、ダンジョンを攻略すれば人生安泰かもしれない。もしかしたら俺だって聖騎士になれるかも……)
「うおおお俺たちも続けえええ」
シュウトは声を荒らげた。王都の近衛騎士団もケイジに続き、魔物と対峙する。
しかし彼らはまだ知らない。やっとの思いで地上まで運んだバチクソ重たい樽を、今度は農村まで運ばされることを。それが何十、何百往復と繰り返されることを。
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