3章

第25話



金路ライン》。またの名をラインの大洞窟。

 ニギアの町近くにある巨大な地下ダンジョン。かつてはしこたま金が採れるということで一獲千金を夢見た冒険者が集まった。陽の光の届かない入り組んだ地下。穢れに侵された神の眷属が魔物と化して跋扈する。その中を死に物狂いで進む。時に死ぬ。実際に金塊を手にし、巨万の富を得たものもいる。しかし夢はいつか覚める。黄金の輝きはいつしか色を失い、人は去った。

 今や金路とは名ばかり。土くればかりのただの迷宮。しかし去るものばかりではない。残るもの、新たに訪れるものもいる。金はまだ眠っている。この洞窟にはまだ宝があるはずだ。そう考えて武器を取る。


「だああああああああこの野郎とっととくたばれってんだ!」

「がっ、く、くそっ、ジジイてめえどきやがれっ」

「ハンスから離れろ!」

「へ、へへ、どくもんか。宝は俺のもんだ」

 若者がランニングシャツ一枚の中年男を蹴りつけた。蹴られた方はその場から引かず、馬乗りになって別の男を殴り続ける。

「おいふざけんな!」

「死にたくなけりゃあお前らこそ消えやがれ!」

「クソジジイ!」

「いでえええええぇえっぇぇえ」

 ダンジョンの中で争い合う人々。誰も彼も頭に血が上っていた。

 その中に一人、オールバックにした髪を撫でつける男。彼はランニングシャツの男を呆れたような顔で見ていた。

「……疫病神が。おい、もういいだろう。諦めて帰んなよ」

「黙ってろお前こそお仲間が一人くたばるぞ! そらっ、そらあ!」

「フー……別に俺は構わないんだが」

「だっ、だすげ……! だづげでぐでえええ」

 オールバックの男は、ランニングシャツ男の持っているものを奪うように手下に告げた。

「だあああああクソよせよせやめろぉおおおおお!」

 取り上げたのは光沢のあるまん丸の石だ。それだけではない。ランニングシャツの男はポケットや靴の中に宝石や聖遺物を隠し持っていた。それを取り上げられた男は端の方に蹴り転がされる。

「そこで死んどけ!」

「おーおー、大量じゃねえか」

 地面の上に広げられる金銀宝石。大豊作であった。金路では久しく見ない量の宝である。

「んっ」

「おう?」

 それが男たちの前から消えた。正確には飛んだ。上へ。彼らはみな一様に天井を見上げる。そこには逆さになった女がいた。黒ずくめの格好に長い金髪をまとめている女が、財宝を抱えるようにして天井に立っていた。

「げえっハイブリッドだ」

「逆さま女が!」

 逆さ女は逃げようとするが、強い揺れがダンジョン内を襲った。地面だけでなく、壁も天井もそこかしこが揺れている。

「兄貴ィ、こいつぁやばいんじゃ」

「静かに」

 オールバックの男は周囲の様子を黙りこくって注視する。ややあって、ランニングシャツの男が背を預けている壁にひびが入り、崩れた。破片とともに現れたのは巨大なモンスターであった。



◎〇▲☆△△△



 あれ・・から数日が経とうとしていた。

 俺たちコンビの評判は地に落ちた。今や這いつくばって死に体である。町を歩けば顔を背けるやつもいた。まあ、仕方ない。それよりも考えることがある。テラスにボコボコにされたことで分かったが、やはり同じ勇者でも差はある。できてしまう。しっかりレベルを上げて装備を新調せねばこの世界であろうと負けてしまう。いや負けっぱなしの人生だから別にいいんだけどな。自衛のためにちょっとは鍛えておこうかなとか思っている。

 だが、その必要なくね? というような気もしている。だって食っていくだけなら今のままでもモンスター相手にゃ手こずらねえしな。レベル上げるのも新しい装備を買うのも信仰心やら金がもったいねえ。パーティを組むのもこりごりである。こないだはポルカがパーティメンバーの仲介を請け負おうかと言ってきたが、仲間だの友達だのはごめんだね。ソロでやれてるんだ。急に莫大な金が必要になるとかじゃねえとな。



「えっ、損害賠償……?」

 そうだよと、俺を取り囲む町の連中が声を荒らげて言った。

 宿を出てギルドに行くと、俺を待ち構えていたらしい連中が口々に金を払え、返せと言ってきたのである。いわれなき誹謗中傷だ。

「ふざけんな、なんだって俺が」

「ふざけてんのはそっちだろ!」

 めっちゃキレてるのは見覚えのあるおっさんだ。……あ。そこで俺は思い至った。こいつ、《泳ぐ金の鷹亭》の店主だ。テラスが人を殺しまくって暴れ回って、店をめちゃめちゃにされた人じゃないか。

「い、いや、やったのは俺じゃなくってだな」

「ああ、お前じゃないなケイジ! やったのはお前の相棒だ! 椅子にテーブルにメシに酒に! 血まみれの店を掃除するのもただじゃないんだぞ。お客だって冒険者がほとんどだ。景気が悪いのを嫌がってよその店に取られちまった。どうしてくれるんだ!」

 うぐぅ。痛いところを突きやがる。

 ほかにも、リリを雇っていた娼館だの、地下の賭場を荒らしただろうと怖い顔をしたお兄さんたちが迫ってくる。どうしよう。損害賠償って。借金? 借金か? いや借金だよなこれどう考えても。

 うーーーーん。

 逃げるか? こいつらたたっ切って借金帳消しだぜと笑うか? ……無理か。無理だなあ。死ぬほどムカつくがテラスと組んだのは俺だ。多少の責任はある。

「分かってると思うけど、俺ぁ金なんかないぞ。全部まとめていっぺんに払えない。それでもいいのか」

「……えっ」

『えっ』てなんだ。

 町のみんなは顔を見合わせる。まるで俺が金を払うなんて言うとは思っていなかったようなリアクションだ。

「払うよ。何とかするから、ちょっと待っててくれ」

 俺はその場を後にして、ギルドに入った。信仰心の換金はやめておこう。すぐ取られるのもなんか嫌だし。



 俺は冒険者窓口にいたポルカにわけを話していた。話を聞き終えた彼女はちょっと面白そうにしている。

「災難じゃん」

「今度テラスに会ったら請求してやる」

「ていうか勇者なんだから教会に泣きつけばいいんじゃない?」

 教会に?

「それか王さまとか」

「いや、俺みたいなん相手にされないだろ」

「そんなことないと思うけど? まあいいや。私から聞いといてあげる」

「えっ、マジ? 大丈夫そう?」

 ちょっと期待しちゃう。

「いや知らんけど」

 適当抜かしやがって。


 しかし参ったな。ダンジョンに潜ってもいいんだけどテラスと組んでいた時と比べて一人では効率が悪い。圧倒的に。ボスもまだ出てこないだろうしザコを狩ってもたかが知れている。ここは発想を変えてみるしかない。信仰心を稼ぐというか金さえ稼げればいいんだ。たとえばそう。俺は異世界から来た現代人だ。現代知識で無双するのはどうだ。…………いや無理だな。すでに先達者がいるので向こうにあるもんはたいていこっちにもある。そもそも俺には知識がなかった。

 どん詰まりやんけ。

 やはり俺にはダンジョンしかない。

 うーん。もう裏切られたりするの面倒だしな。俺の意のままに動いてくれるやつならともかく……その時、天啓が閃いた。そうだ。神だ。エロリットとかあいつらなら俺の言うこと聞くだろ。死の神だけじゃなくほかの神さまもいるんだし、そいつらの眷属だっている。よし。そいつらにやらせよう。信仰心を代わりに稼がせればいいんじゃないか? うわっ、俺って天才だな。

 で。

 どうやってやらそう?



 というわけで困ったときのシルバースターに聞いてみた。

「神の召喚だと?」

 シルバースターは昼日中から酒を飲んでいた。まだ賭場は開いていないらしく(ちなみに俺はヨドゥンの賭場に金を払うまでは出禁を食らっている)、自宅前で座り込んでいた。今日はシルヴィ休みだからなあ。家に居づらいんだろうなあ。

「そんなもん俺が知るわけないだろう。教会のやつらの方が詳しいんじゃないか」

「それもそうか」

「いや、だがな……」

 SSは渋い顔になる。

「ヨドゥンに来るような教会関係者は信仰心を持ち合わせているか怪しいからな。聞いても無駄かもしれん」

「賭場を開くような罰当たりがいるくらいだからな」

「もっと言えばこの町には頭のいいやつなんていないぞ」

 妙な説得力があるな。

「……いや、確か……変わり者は町の外れに住んでいるな。昔は学者か先生をしていたそうだ。尋ねてみるといい。お前とは気が合うかもしれん」

 どういう意味だ。



 シルバースターに教えてもらった住所を訪ねてみると、町の出入り口近くにぽつねんと建っている家があった。少し歩くとちょっとした丘のような場所があり、でかい樹が生えている。

「変わり者ねえ……おーい、すんません、誰かいますかー!」

 戸外から声をかけるも物音ひとつ聞こえてこない。この家にはシィオンとかいう爺さんが一人きりで住んでいるそうだが。

「いるのは分かってるんだぞ! 出てこい!」

 反応なし。

「俺を誰だと思ってる! 勇者だぞ! 勇者さまだぞ! あっ言ってて空しくなってきた」

「何? 勇者? 本当に?」

 振り向くと、道を歩いてくる爺さんが見えた。中折れ帽にチェックのスーツ。禿頭に口の周りに生えた白髭。彼は縁なしの眼鏡の位置を指で直し、蝶ネクタイを整えた。おや、お洒落でダンディな爺さんである。この町には珍しい。

「ああ、あなたがシィオン先生?」

「はっは。先生とは、ずいぶん久しぶりにそう呼ばれたよ。君は?」

「ケイジです。冒険者の」

「勇者と言っていたが?」

「まあ、一応。この世界に召喚されたので」

 そう言うとシィオンというダンディ爺さんは目を見開いた。

「とりあえず入りなさい。話なら中で聞こう」

 俺は言われるがまま、シィオンの家に入る。中は本だらけだった。棚にも本。床にも本。机の上にも本やメモ書きのようなものがびっしりどっさり。俺はその場に立ち尽くした。

「それで私に何か聞きたいことでもあるのかね。いや、今は私の方が君の話を聞きたいね」

「はあ」

 長話を聞かされそうな雰囲気だな。嫌な予感がする。



「学会の連中は何も分かっていないんだ。教鞭をとっていた王立神学校のアホどももそうだ。いつか論文を書き上げて、界隈をひっくり返すような説を提唱したいものだ。それで」

「はあ」

 どうやらシィオン先生は王都のナントカ学校で神さまについての講義を行っていたが、不人気で腹が立ち退職したそうだ。俺が勇者であることは分かってくれたが、死の神エロリットを顕現したことについては懐疑的である。そりゃそうだろうが。

「あのー。もう日が暮れてきたし、本題に入りたいんですけど」

「ん、ああ、そうか。そんな時間か。すまない。話し出すと止まらなくなる」

 シィオンは部屋の中をうろうろしながら話していたが、その辺に置いてあった椅子にどっかりと腰かけた。俺は地べたで胡坐をかいている。

「それで本題とは?」

「神さまを呼びてえから、そいつらの居所を知りたいんです」

「…………なるほど」

 あ、あんまり分かってくれてない顔だな。

「仮に神が現れるのなら清浄な場所だろう。今でこそその姿を変えているが、神域と呼ばれた場所にこそ神はいらっしゃる」

「ダンジョンですか」

「そういうことになる。しかしダンジョンで神を見たというような話は聞いたことがない。君たち冒険者が相手をする魔物も、もとは神の眷属だ。恐らくだが瘴気が清浄なる神気をかき消しているんだろう」

「じゃあ瘴気をなんとかできれば神さまが出てくるかもしれないってことですかね」

「そういう風にも考えられる」

 じゃあ何とかできるかな。俺のスキル、《信仰心強化》はまさにそれ。神域を作り出すようなものだからな。

 それからとシィオンは話を続ける。

「大量の信仰心が必要になるはずだ。かつて聖女は神の声を聞き届けるための信仰心を集めるために何時間も舞い、歌ったという。文献によれば数日もかかった、という記載もある。その間は人々が集まり、神を楽しませるために大いに飲み、大いに騒いだとある。これは降臨祭とも呼ばれていたそうだ」

「うーん。確かに」

 虹色までたまった信仰心を持っていかれたからな。

「信仰心を肩代わりする方法もある」えっ。

「供物だ。神への捧げもの。食べ物や生贄が当てはまるね」

「お酒とかはどうなんです」

「ああ、それも当然、神はお喜びになるだろう」

 はあ、なるほど。別にそのまま信仰心を渡さなくてもいいわけか。ほかのもんで代用なり補填できるわけだ。

「そうだ。ちょうどうちの近くの丘も神がいたとされる場所だ。見てみようか」

 二人して家を出て、でかい樹が生えている丘へ行ってみる。

「ここには何の神が?」

「正確には分からんが、現在の十神教が信仰する神々よりも格は落ちるだろう。土着の神だと思う。元は信仰されていたようだが今は十柱のどれかにその神性を吸収されたはずだね」

 へえ。こんなとこにねえ。今は無理だが信仰心がたまったら呼んでみるか。

 樹の前に立ってみると、何となく妙な空気感はあった。前の世界で神社に行った時みたいな。あの鳥居をくぐるような、別世界に入ったような感覚がある。

「先生、もったいなくないですか。せっかく王都の学校にいたのに」

 こんなとこで何の勉強ができるんだ。

「いいや」とシィオン先生はネクタイを調節しながら樹を見上げた。

「王都近郊は神に関するものが少ない。土から資料から、あらかた掘り起こされているからね。この辺の方が発掘されていないものが山のようにある。ガーデンもそうだ。エロリット神殿の何たるかを解き明かしたものはいない。我々には知らなくてはならないものが多く存在する」

「そういうもんですか」

 ともあれ、これが後々学会とやらを揺るがすことになるシィオン先生との最初の出会いであった。

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