第22話


「あのクソガキ、絶対殺してやる」

「それは無理」

 メアから受け取った水を頭からひっかぶると、ポルカは殺意を漲らせた。先は不覚を取ったがアルコールが抜けたのなら話は別だ。風の秘蹟で息の根を止めてやる。

「あれは勇者だから、無理」

「殺す」

「だから無理」

 それより急いで。そう言って、メアは夜闇に溶け込むようにして姿を隠す。祓魔師ならではの隠形術だ。ポルカも仕方なく彼女に続く。すでにトムやドゥンといった自警団のメンバーもテラスの後を追っていた。

 走りながらで、メアは話を始めた。

「勇者テラス・ユキヒラについての報告がある」

「わざわざそれを言うために来たっての? まあタイミングのいいこと」

 どうせメアのことだ。自分が絞殺寸前であってもぎりぎりまで監視をしていたに違いない。いや、殺された後もじっと自分の死体を見つめていたかもしれない。ポルカは嫌な想像をかき消すように髪の毛をかき回す。

「秘匿情報で閲覧するのに苦労した。それなりの甲斐はあった。勇者テラスは十神教の信徒であるサンダリィ一家三名を殺害後、《私雨の窟》に逃亡。数か月以上も経過し、現在は行方不明扱いとなっている」

「一家を殺害?」

「そう。サンダリィの家は勇者テラスの当初の受け入れ先だった。それも長くは続かなかった。勇者シノミヤが台頭したから」

 教会は複数の勇者育成に力を入れていたが、シノミヤ一人に注力し始めた。その結果、ほかの勇者が割を食うというのは当然の帰結だろう。メアは話を続けた。

「それで世話になった家族を殺したっての? 自分を裏切ったから?」

「裏切ったわけではない。教会の指示だから仕方がない」

 それでも、テラスにしてみれば冷たく突き放されたように感じられたのだろう。

「殺すかね、普通」

「勇者は普通ではない」

「……そうかな。普通だよ」

「そう?」


 テラス・ユキヒラは地下にある賭場へ逃げ込んだ。なぜか勇者カシワギが先行し、他のものは外で待機していた。ポルカたちは彼らの目をすり抜けるようにし、地下へ潜入する。

「タイマン張るつもりかな」

 ポルカが言うと、メアはいくぶんか楽しそうに口を開いた。

「勇者テラスも勇者カシワギも異端中の異端。教会に不利益をもたらすに違いない。どちらも処分するチャンスかもしれない」

「おい。勇者殺しちゃダメなんじゃないの」

「場合による」

 現場に到着すると、祓魔師の二人は物陰に身を潜め、息を殺した。

 案の定、勇者二人が剣を交えていた。だが、一方的な戦いであった。カシワギ・ケイジは苦戦し、数分もしないで倒された。このまま殺されるのかと様子見してみれば、事態は妙な方向に推移し始める。ケイジの持っている石が派手に発光していた。

「……石が、虹色に?」

「指輪」とメアは短く言う。

「あれは聖遺物。名こそないが、聖人の残留思念が感じられた。推察だけど、あれに蓄積されていた信仰心が放たれたのだと思う」

 やがて祓魔師二人はそれを目撃する。聖女や司祭が扱う秘蹟とは比較にならない規模の、真の奇蹟を。



◎〇▲☆△△△



 報酬石から解き放たれた信仰心が渦を巻き、俺の周囲に沈んでいく。地面は黒く、どす黒く染まっていく。

「なんだそれ。柏木くん。まさか」

「うん。前に言ってたやつだ。使うぞ」

 これが俺のスキルだ。

 教会からは大外れだと非難され、冷遇された。

 これが俺の《信仰心強化ブースト》だ。こんなもん使いもんにならねえし使い道がまるでない。一度だけ試したことはあるが、信仰力を馬鹿食いするし、そもそもダンジョンじゃあ何の意味もない。ただの雑魚相手じゃあもったいなさ過ぎる。

「俺の信仰心を強化するだけなんだ。普通は」

 無意味だ。

 だけど、虹色にまでたまり切ったものを消費するんだ。これはちょっと破格というか、出血大サービスだ。たぶん、一度目の比ではない。いや、確信している。テラスくん。一瞬で終わらせてやる。

 周囲を染めていた漆黒が、やがてこの空間全体を侵食していく。俺の捧げた信仰心だ。黒々として縁起悪いが、これは間違いなく神に対する畏敬の念。聖女の祈りにも似た渇望のサイン。

 一寸の光すら消え失せた暗黒。それが一秒にも満たない時間で消失する。元の世界に戻ったと同時、俺たちは強烈な違和と存在感に押しつぶされそうになった。


 いる・・


 もう、いる。

「……あ、う」

 テラスは喉に手を当てていた。声を出せないでいた。

 俺のすぐそばに立つものを直視すれば誰だってそうなる。

 背は俺よりも高い。垂れ流された長い髪。そこから覗く青白い肌。目の下の隈は病的なほど濃い。

 一見すりゃあ景気の悪いただの女だ。一枚布を体に巻き付けただけの猫背の女だ。しかし彼女は――いや、こいつは違う。別物だ。人類ではない。本来ならこの場所にあることすらありえない上位の存在。すなわち神。

 見ろテラス。

 お前の相手は神さまだ。

 お前はずっと、これに復讐したいと言っていたんだぞ。

 俺たちを呼び寄せる原因、信仰心による約定を生み出した張本人だ。

「……………………」

 神が何かおっしゃったが声が小さいので聞こえない。

「……なんて?」

 聞き返すと、神は俺に耳打ちした。息遣いがこそばゆい。

「ん?」

「もう、すぐ」

 うん?

「待っています。橋向こうの人」

 儚げな声。

 橋が何とかって何のことだ。

 だが、神は答えない。言いたいことを言うだけだ。こっちの質問には答えないだろう。ただ、すべきことはやってもらう。

「やってくれ。死の神」

 俺はテラスを指さした。

「ただし、殺すなよ」



◎〇▲☆△△△



 俺はポルカに嘘をついた。

 彼女には自分のスキルがどんなだか説明しなかったし、使ったこともないと言ったが、真っ赤な嘘だ。

 一度使った。一度だけだ。

 だけどあんまりにもな能力だし、神々を呼ぶなんて不遜なこと、教会の関係者はおろかこの世界の住人に言えるわけない。

《信仰心強化》。おそらくだが、これは信仰心を神域の空気――神気の領域まで引き上げるようなものだ。ダンジョンの瘴気を浄化しているようなものだと思われる。神が顕現したのはその結果だ。正確には、俺のスキルは神を呼ぶことではない。瘴気とか言っちゃったが、あれは実際には清浄なる神域の空気なのだ。下界の穢れがそうしたのであって、ダンジョンももとは神域である。

 強い信仰の心は、神さえ目視できるほどの神域を作り出せる。それが俺のスキルなのだろう。だからダンジョンでは意味がない。今さらというか、当たり前すぎるんだ。本来、神々とはそこにいる。どこにでもいる。見えないだけだ。彼らはずっと俺たちのそばにいて、見守ってくれているのだから。



◎〇▲☆△△△



 戦いは一瞬で終わった。ケリがついた。

「さっきとは立場が逆になったな」

 倒れているテラスを見下ろし、俺は剣を突き付ける。

「どうだ見えただろ。ちゃんと仕返しできたか?」

「きたねえ……なんだよ。なんだよ、あんなの」

 どうしろって言うんだ。テラスは悪態をついた。気持ちは分かる。勝てっこないからな、あんなん。

 それじゃあ、まあ、やるしかないか。

 テラスをこの町に留まらせたのは俺だ。一緒に組もうって誘ったのも俺だ。だからこのザマはきっと俺のせいでもあるんだろう。

「リリを殺したのはどうしてだ」

「……気持ち悪くなったんだよ」

 テラスは投げ出すようにして言う。

「何をどう取り繕ったって、僕たちは生きている限り腹が減ったらご飯を食べるし、眠くなったら寝ないと持たない。性欲だってそのうちの一つ。そう割り切れればよかったんだけどさ。なんか、どうしても無理なんだ。ヤってる最中に思い出す。僕を裏切った女の子の目を」

 よく分かんねえな。俺なんか猿みたいに腰振ってるだけでほかのことは何も考えてないけど。

「そうか。じゃあな。テラス」

「ああ。さようなら、カシワギ」

 剣を振り下ろそうとして、俺は横合いから吹っ飛ばされた。この衝撃には覚えがある。咄嗟に膝立ちになると、ドゥンたちがいた。そうか。時間切れか。

 ドゥンはこの状況をどう判断していいのか迷っているらしい。

「俺の勝ちだよ、警部。俺にやらせてくれ」

「やめとけ」

 ドゥンは馬鹿でかい掌を突き出した。

「こんなクズ、殺す価値もねえよ。本当は俺だって殺してやりたいがな」

「けどよ」

「だめだ」

「いや、これは俺の責任であってだな」

「スロープゴットの法のもとでこいつは裁かれる」

 ドゥンの圧が強すぎて俺は押し黙るしかない。あのまま彼が来なければ、俺は本当にテラスを殺せたんだろうか。今、少しほっとしてないか?

「……分かったよ」

「おう。それに時間切れだ。約束は約束。だろう? 残念だったな」

 武器を奪われ、弱体化の秘蹟をかけられて連行されるテラスは、俺にはもう一瞥すらくれなかった。別れは思っていたよりあっさりしていて、さびしいとか、悲しいとか、余計なことを思う暇さえなかった。

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