第21話
テラスくんが逃げ込んだのは俺がいつも通っている賭場だった。
一度だけ彼を連れてきたことがある。その時、地下の賭場について知っていることを色々と話した覚えがあった。ここは入り組んでいて、案内なしでは目的地になかなかたどり着けないことや、地上のどこかにつながっているんだという話をした。
ドゥン警部たちには少しだけ時間をもらった。俺が時間内に戻らなかったり、無様にも死んでたら後は好きにしてくれと約束した。
恐らく、テラスくんの行き場はあそこだ。新しい賭場を作るための工事現場だろう。地下聖堂のある大空間を利用した、罰当たりな場所だ。俺たちにはふさわしいかもな。
「なあ。テラスくん」
「追ってくるよな、そりゃ」
テラスくんは聖堂近くの柱に体を預けていた。剣をぷらぷらと片手で弄んでいる。
「逃げようと思ったんだけど、どこまでも追ってきそうだから」
剣の切っ先を俺に擬すと、テラスくんは続けた。
「ここで殺さなきゃって思う」
……そうか。
そうかよ。
「参考程度に聞いとくよ、柏木くん。君だってアレだよね。この世界恨んでるよね? 仕返しできるんならしたいよね? 《十柱》とかいうクソみたいな神さまにイカれた教会のクソどもをぶっ殺して、この世界をぶっ潰せるならそうしたいよね? 僕はする。そうしたい」
「ああ、そうだな。この世界はクソだし、俺たちを呼んだ連中もクソだよ」
そこについては何一つ間違いない。偽りのない事実だ。気持ちは分からないでもないよ。俺たちは一緒だ。同じように辛酸を舐めさせられて苦労してきたはずだ。
「だけど気に入らないもんを殺すのかよ。この世界を嫌ってるくせに、クソ野郎どもと同じやり方をしてるじゃないか」
「ええ? そうかな?」
「召喚される前、そんな剣を手にする前、ただの学生だった時にそんなことをしたか?」
君は殺人行為に手を染めたか。違うだろ。できなかったはずだ。
「しなかっただろうね。向こうじゃそんなのする必要はなかった。だけどここは違う。この世界はおかしいだろ。おかしいやつ相手に正しく振舞ったって無意味じゃないか」
「……だったら、どうしてあの子を殺したんだ」
「どの子だよ」
「リリだ。黒猫の娼婦だ。お前が指輪を奪った相手だよ」
ああ、と、テラスはつまらなそうに呟いた。
「自分より弱いやつ相手にイキがって、それがお前の復讐かよ。くだらねえよ。王都だの教会だのこの世界の王様だの……そっちに殴り込むべきだったろうがよ。本気で仕返ししたいんなら」
ちんけな町の娼館で、無辜の娼婦を切り殺して何を息巻いてやがる。
「あの子がお前に何をしたってんだよ」
「……気持ち悪いよ」
俺は得物を抜いた。ダンジョンで適当に拾ったものじゃない。テラスくんとおそろいの剣だ。少し値は張ったが、いい装備も生きていくには大事だと考えなおしたのだ。
「柏木くんは気持ち悪い。けど、僕は……もっとキモいんだ。自分が一番気持ち悪くて、耐えられない。女を抱いた後、こうは思わなかった? 異世界の女を抱いたら、この世界に適応しちゃうんじゃないかって。異世界で正常になろうとしてる自分が、汚らしく思えるんだ」
答えず、俺は構えた。柏木くんは笑って、見えなくなった。
速い。ついていけないか。
がつんという衝撃が背中から伝わる。切られたのではなく殴打によるもの。俺はたたらを踏む。戦力差は分かり切っている。圧倒的と言っていい。誰がどう見たってテラスのが上だ。それも当然である。彼はこの町に来て冒険者としてまじめに探索を繰り返していた。稼いだ信仰心は装備の新調やレベルアップに使い、自己研鑽に励んでいた。俺は、最後にレベルを上げたのっていつだったかな。あの神像に祈りを捧げたのなんて覚えちゃいない。遠い過去だ。
勝てないな。だけどそういう問題じゃない。ケリをつけるんだ。ここで。
数合打ち合って、俺は倒れた。殺されかけていた。
喉元には剣。目線の先にはテラスの顔があった。彼は傷一つ負わなかっただろうし、疲れだってほとんどないだろう。俺なんかガーデンのモンスターよりずっと楽な相手だったはずだ。
「知ってただろ。柏木くんより僕のが強いって」
「ああ」
「じゃあなんで。ワンチャンあるかもって?」
「いや、ないだろ」
百回やったら百回負けるよ。でもやらなきゃいけなかった。その結果、殺されたとしても。
俺は懐から自分の報酬石を取り出した。さっき換金したのですっからかんだ。
「今死んだら生き返らない。死の神の蘇生は使えない状態だ」
「ああ、そうなの?」
「俺を殺してくれ。でも、そしたらもう、この世界の人を傷つけるのはやめてほしい」
「は? 何それ? なんでそこまですんの? そんなに異世界が好きなの?」
いいや。俺は首を振ろうとしたが、痛くて無理だったのでそのままで答える。
「テラスくんのためだよ」
「僕の?」
俺にはもう何もできない。君を止められない。
「あんまり変な風にならないでくれ。やっぱりさ、クラスメイトがおかしくなるのは嫌だからな」
言うと、彼は黙り込んだ。ややあって、俺の手元に何かが投げ落とされる。これは。
「その指輪、気になってたよな。あげるよ。その代わりに、もう追ってこないでくれ。ほっといてよ。頼むよ。友達だろ」
テラスくんは俺に背を向けた。
それから。彼はこう付け足した。
「君の頼みは聞かない。もう裏切られるのは嫌だからね」
「ちょ、おいっ」
「君のいうところのくだらない仕返しは続けるよ。今の僕にはそれしかない」
ふざけんな。
俺は立ち上がろうとして、掌が熱を帯びるのが分かって顔をしかめる。何か、破片のようなものが突き刺さっていた。指輪にはまっていた宝石だ。戦いの余波を受けたか、ひびが入ってついに壊れてしまったのだろう。
ぐっ、と、脳みそを揺さぶられるような感覚。俺はゲロを吐いた。何かが体に入り込んで……流れ込んでくる。その正体にはすぐ気が付いた。さっきまでうんともすんとも言わなかった報酬石が光り輝いている。それも虹色に。いつか試練を攻略した際にしか見られなかった、幻の光だ。
信仰心が一瞬でマックス近くまでたまった。なぜかは分からない。それよりも、俺の中へ信仰の力と同時に流れてきたものの方が大事だった。温い気持ちになるそれは、独りでに涙を流させていた。
リリの笑顔だ。
リリの記憶が、俺の中に在る。
そうか。あの指輪……砕けた宝石は、やはり聖遺物だったのだろう。本物だった。本当だった。リリは俺からもらった指輪を、本当に売らないでおこう、大切にしまっておこうと思っていたんだ。テラスに襲われた時も、それを守ろうとして、取り返そうとして殺されたんだ。
なあ。仇を取って欲しいかな。そう望んでいるかな。リリ。
「あー、ごめん。もうちょっと付き合ってくれや」
立ち上がり、報酬石を見せつけてやった。テラスは瞠目し、再び剣を抜いた。
「おい。嘘をついたのか? 信仰心がバリバリにたまってるじゃないか。なんだ、その色? なんだよ。初めて見る」
「嘘じゃねえ。さっきこうなったんだ。きっと天の配剤。神さまの思し召しってやつだろうよ」
「何が神だよくだらないこと言うな!」
「いいか、テラス」
お前こそくだらないことを言うな。
神はいる。
神さまは確かに存在してるんだ。
この世界のやつらがどう思おうが、お前らクラスメイトがどう笑おうが、俺は向こうの世界で、その神さまってやつに転生という形で二度目のチャンスをもらったんだよ。
《十柱》とかいう神々じゃない。名前も知らない、どんな姿かたちをしているかも分からない。
それでも俺はここにいる。俺がここに立っている。それこそが神がいるという証明に他ならない。
だったら、こっちの世界に神さまの一人や二人、いたっておかしくないのさ。
「いるんだよ」
お前は何にも知らないし、何も見えちゃいない。
「分からせてやる」
手っ取り早くこの世界に仕返ししたいんならチャンスだぞ。教会でも王様でもねえ。そいつらの上にいるもんをとくと拝ませてやる。
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