第20話



 ああ、もうだめだな。この町にはいられない。

 結構いいところだったんだけどな。しようがない。

 やってしまったものはしようがない。

 殺してしまったものはどうしようもない。


(僕は柏木くんと違って死の神の信徒じゃないし)


 蘇生の秘蹟を使ってやりたくても使えない。そも、使う必要もない。異世界人なんぞにかける情けは持ち合わせていなかった。

 さて、どうするか。テラスは思案する。

 酒場で大立ち回りをやってのけ、店の裏口から逃げ出したテラスは、血の付いた服を捨ててからこっそりと自分の部屋に戻り、身支度を済ませていた。すぐに発たねばならない。イーノとかいう亜人が傭兵団を引き連れてきたのだ。彼らを殺したのも大勢に見られている。自警団にだってバレているだろう。

 それに、と、テラスは舌打ちする。ドゥンとかいう男は自分を最初から最後まで疑っていた。流れ者をついぞ受け入れなかったのだ。望むところだ。テラスもまた、異世界を受け入れていなかった。

 部屋を出たテラスは速足で町の外を目指す。

 未練はいくつかある。柏木はいいやつだ。彼と組んでダンジョンに潜るのは悪くない気分だった。だから、こんな形で別れてしまうのはもったいない。

 この町で得た名声もだ。せっかく名を上げてきたのだ。レベルを上げ、力をつけて王都に戻ってやるつもりだった。

 それから――。


「ああ。ツイてるな」


 未練が、もう一つ。

 テラスは彼女を見つけた。足元のおぼつかない彼女を。ポルカ・リオンリオンの姿を認めた。


(ヤれないままってのはムカつくよな)


 あの女は散々自分を煽っておいて体を許さなかった。捕まえようとしてもするりと逃げ出してしまうのだ。



◎〇▲☆△△△



 この世界はまともじゃない。

 普通の学生だった自分たちを手前勝手な都合で召喚し、凶暴な魔物と戦わせて、自分たちは美味しいとこどりだ。まともじゃない。

 まともじゃないやつらのいる、まともじゃない世界。こんな世界で正常であろうとするものは異常でしかない。

「こんばんは、ポルカさん」

「んー……?」

 振り返ったポルカの頬は上気している。酔っぱらっているのだろう。これなら簡単に終わる。

「どうも」とテラスはポルカを奥まった通りまで連れていき、壁に強く押しつけた。

「一個くらいはもらうもんもらうか」

「……何……?」

「僕と一緒にこの町を出ましょうよ。一人は寂しいですから」

 酔っていたポルカだが、さすがに意識がはっきりとしてきたらしい。いつもの、媚の含まれた視線は向けられなかった。強い敵意だ。テラスは地面に唾を吐く。

 どいつもこいつも。

 誰も彼もが馬鹿にしやがる。

 王都では裏切られて、ダンジョンに逃げた。鑑定のスキルを使い、邪魔になりそうなものを排除した。やっと自由になれた。この世界で何がしたいのか分からなかったが、この世界を許せないという思いは確かだった。

「ああ、そうだ。これをあげます。似合うと思いますよ」

 テラスはポルカを押し付けたまま、懐を探って指輪を取り出した。この町で拾ったものだ。値打ちものらしいのでもったいないから取っておいたのだ。

「……何なの、あんた」

「ふ。何って……」

「いきなりこんなことしてっ」

 ポルカは抵抗するが、より強い力で抑え込んだ。

いきなり・・・・? そりゃこっちのせりふだ。いきなりこんなところに連れてきて……無茶苦茶しやがって……」

「離して……離せって、クソガキ」

「口わる」

 一発、平手で頬を打ってやった。ポルカは涙目になったがむき出しの敵意は健在だ。

「はあー。あのさ」

 ポルカが体をよじり、腕を動かす。その際にテラスが持っていた指輪が地面に転がった。瞬間、彼の頭に血が上った。

「ふざけんなクソ女がよ! 俺のもんを! 異世界人ごときが! 何してくれてんだっ、だからヤなんだよ女は!」

 こいつらはそうだ。いつも裏切る。大事なところで俺を見下し、見捨てる。

 その目はなんだ。それをやめろ。そんな目で見るな。

「うお……!」

 あの娼婦もそうだ。あの女もそうだった。あいつも、あいつも、あいつも。

 頭が変になりそうだ。テラスはポルカの首を両手で絞めた。彼女は必死に爪を立てるが無意味だった。テラス・ユキヒラは勇者である。ダンジョンで鍛え上げたその身体能力は常軌を逸していた。

「くたばれえええええアホがああァアア、アァ! 時間ねえからさあ! 手か口で許してやってもよかったんだよこっちは!」

 殺した後に犯して穢してやる。死体でも構わない。生きていようが死んでようが、こいつらには等しく価値がない。

 ポルカの口角から泡と涎がぶくぶくと吹き上がる。白目を剥き始めた彼女の表情は傑作だった。これが、ギルドのアイドルとして扱われて調子に乗っていたバカ女の末路だ。異世界の女は等しく惨たらしく死ね。


「テラスくん?」


 ああ、と。

 テラスは目を瞑った。

 くそ。ろくでもないところを見られてしまった。



◎〇▲☆△△△



 血まみれの店を出てテラスくんを探すべく、俺やドゥン警部たちは駆けだした。途中で法螺吹きトムといった冒険者とも合流し、町の出入り口へひた走る。

 俺は必死こいて考えていた。警部たちの目は血走っている。テラスくんを見つけたら何をするか分からない。そうだ。まだ何も確定していないのだ。可能性が高いだけで彼が殺人犯だなんて信じられない。酒場での戦闘だって深い事情があったに違いないんだ。


「テラスくん?」


 そう、思っていた。

 町の出入り口近くの路地裏で、彼を見つけるまでは。

 テラスくんは、俺が見たことのない鬼のような形相で女の首を締めあげていた。見覚えのある女は、どうやらギルドの受付嬢、ポルカらしかった。

「何やってんだ!?」

 俺は固まっていたが、法螺吹きトムは早かった。彼は投げ縄めいた道具をカウボーイのように放り投げ、テラスくんを捕まえようとした。

 よせ。

 やめろ。

 頼むから。

 頼むから、動かないでくれ・・・・・・・

 願いは通じなかった。テラスくんは縄を引きちぎり、腰物を抜いた。何のためらいもなく。

「待て、待てって!」

 俺はテラスくんとトムたちとの間に割って入る。

「なあ、なあって、話を聞かせてくれよテラスくん。何があったんだよ」

「……柏木くん」

 テラスくんは落ち着いているように見える。まるで戦闘なんかなかったかのように。まるで人なんか殺してなかったかのように。いつも通りの彼に見える。

「君はいつもそうだよな。そうやって異世界人とつるんでる。クラスメイトと仲良くするみたいに」

「へ、あ、ああ。だって」

「おかしいと思わないのかな。異常だよ。僕は、僕は気持ち悪いよ。柏木くんが」

「どけ!」

 強い衝撃を受け、俺は横合いに吹き飛んだ。ドゥンだ。彼に突き飛ばされたのだ。同時、先まで俺がいたところに、テラスくんの剣が空を切っているのが見えた。

 俺を切ろうとしたのか。

 地面に倒れても大したダメージはない。だけど起き上がれなかった。ショックだった。この世界に来て一番嫌な衝撃だった。俺たち、友達だよな。友達なんじゃないのか? 切るか? 剣を抜いて、向けるのか? クラスメイトだったろ?

「う、うぅううううう」

 四つん這いになってうつむくしかない。戦いの音が聞こえてくる。テラスくんとドゥンたち自警団との戦いはもう止められない。

 どうしてこうなったんだ。何があって、どう転がったらこんなことになるんだ? ぐるぐると回る思考。吐き気がやまない。息が荒くなってくる。気分が悪かった。もう、眠りたい。酒を飲みたい。きついやつを。何もかも忘れて――


『ありがと。お客さんのこと、ずっと覚えとくね』


 ――忘れられたら、どれだけ楽だったろうか。

 黒猫のリリ。殺された君。彼女とは婚約者でもなければ恋人でもない。俺はただの客でしかなかった。だけど俺は彼女に好意を持っていたんだろう。今さらだ。後付けの思いだ。

 俺はイーノとは違う。全部擲ってまで復讐に身を焦がす真似はできなかった。殺されてでも犯人を捜し当てようなんて考えていなかった。……ああ、くそ。

「くそ……!」

 俺は、地面をたたきつけた。拳には血が滲んでいた。その傍らに光るものがある。小さな宝石だ。石のはまった、小さな指輪。

 頭の中が真っ白になりかけて、やめろ! そう叫ぶもう一人の自分が奮い立たせてくれる。止まるな。動け。それを掴めと叫んでいる。

 この指輪は俺だけが知る動かぬ証拠だった。ほかの誰も知るよしのない。俺にだけ分かってしまう。知りたくもないことだった。



「どけ。どいてくれ」

 俺は、法螺吹きトムの肩を掴んだ。振り返った彼はブチ切れていたが、目を見開いて顔色を青くさせる。

「ケイジ? おい」

 ドゥンが話しかけてくるが無視した。俺は、テラスくんが振るう得物をかわし、彼の襟元を引っ掴んで壁に押し当てた。さっきテラスくんがポルカにしていたのと同じように。

 テラスくんは驚いていた。俺がこうするとは思っていなかったらしい。

「柏木くん。なあ、話し合わないか」

「指輪」

 俺は、テラスくんを抑えたままで指輪を摘まんで見せた。

「これは、どうしたんだ」

「……ああ、これ。僕のだ」

 その指輪を俺から取ると、言った。テラスくんは言い切った。

「拾ったんだよ」

 俺はさらに強く押し付けてやった。テラスくんは後頭部をぶつけて舌打ちした。

「いった……マジかたんこぶできる……で、何なんだよ。この指輪が何?」

「拾ったなんて嘘だろ」

「ええ?」

 俺はねめつけた。テラスくんはへらへらしていたが、こっちがマジだと分かり、すっと表情を消した。

「拾った。拾ったようなもんだよ。亜人の娼婦が生意気にもこんなのを持ってたからさ。鑑定スキルで見たんだ。そしたら結構な値打ちもんでね。これあれじゃないかな。聖遺物ってやつじゃないかな」

「……どうして……なんで」

「なんでって」

 テラスくんは俺の腕をつかみ返し、拘束から逃れた。

「何が? 指輪を取ったこと? 異世界人を殺したこと? どっちを言ってるんだよ。つーかさ、この世界のやつがどうなったっていいだろ。君になら分かるじゃないか。君にしか分からないじゃないか。君だってこの世界に恨みを持ってる。そうだろ」

「か、あ……テラス!!」

「そうだろう!」

 一瞬の隙を突かれて突き飛ばされた。テラスくんは身をひるがえし、町の外ではなく通りの方へ逃げていく。自警団のメンバーがその背を追った。

「テラスゥウウウウ! 信じてた! 信じてたんだぞ!」

 友達だ。相棒だ。この世界でできた唯一の同志だって信じてたのに!

「お、おい」

「俺がやる」

 ドゥンとトムが息を呑むのが分かった。

「ケリは俺につけさせてくれ」

 あふるる感情も。流るる涙もそのままに、俺は言った。

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