第19話

◎〇▲☆△△△



「なんか久しぶりな感じ」

 報酬石を渡すやいなや、受付のシルヴィがそんなことを言った。

「久しぶり? こないだ一緒に飯食ったじゃん」

「そうじゃなくって、最近換金に来なかったじゃない。珍しいなあって」

「そうだっけ」

 俺は嘯いた。

 信仰心を石にためていたのは事実だ。

「ま、ちょっとした保険でな」

「うわっ、すごい。成長した。その日暮らしで宵越しの金は持たねえとか世の中ナメたこと言ってたくせに」

「一言余計だ」

 一言じゃすまねえくらい余計だ。

「でも換金するってことは保険はいいの?」

「今日はな」

 今日はテラスくんと飲む予定だからな。大盤振る舞いだ。楽しく盛大にやろう。そのあと賭場や風俗に行ってもいい。悪い遊びを教えるのはどうかなとも思うんだが、ちょっとした息抜きくらいは冒険者にとって大事である。

 俺はテラスくんと約束している店へ急いだ。遅くなったかもしれないが、おごりだと言えば許してくれるだろう。許してくれるかな……心配だな。

 そんな気持ちは消え失せた。冒険者の間ではちょっといい酒場と評判の《泳ぐ金の鷹亭》は、めちゃめちゃだった。周りには人ごみ。遠くからでも店内の様子がわかる。何もかもひっくり返ってボロボロだ。まるで店を逆さに振られたような有り様だ。

 それだけじゃない。血だ。血がそこいらに飛び散っていて、何人も倒れている。おそらく、死んでいる。あいつら誰だ? もしかして、イーノの雇っていた傭兵たちか?

「す、すんませんっ、通して、通してほしいんですが!」

 嫌な予感がした。テラスくんはどこだ。彼もこの店にいたはずだ。こんな騒ぎに巻き込まれて平気だろうか。

 野次馬を手で押しのけながら近づいていくと、自警団の人たちも見えた。

「入れてくれっ」

 叫ぶと、丸々とした腕が俺の手を引っ掴んで引っ張り上げた。

「うおっ」

「よう」と声をかけてきたのはドゥン警部だった。俺は急いで店の中を確認する。

 もっと酷かった。遠くから見るよりずっと。なんだ、こりゃ? 何人死んだんだよ。血の海じゃねえか。こんなもん、ダンジョンの中よりえぐいじゃねえかよ。

 呆然として立ち尽くしていると肩をたたかれた。

「平気か」

 ドゥンだ。いつも強面の彼だが、今夜に限っては酷く憔悴していた。

「何があったんだよ……」

「イーノだ。あいつが傭兵を引き連れて、ここでやらかしたらしい」

「イーノはどこ行ったんすか」

 文句の一つでも言ってやりたかった。

「そこだ」とドゥンが指さす先、こと切れているイーノの姿があった。

 嘘だろ。なんでお前が死んでるんだよ。どうして。どうしてお前まで。

「ここに娼婦殺しの犯人がいたんだ」

「犯人が?」

 頷き、ドゥンは告げた。

「あいつだよ。……ケイジ。お前の相棒だ」

「は?」

 は?

 こいつ。こいつ、なんだ? 何を抜かしてんだ?

「テラスくんのことを言ってんのか……?」

「ああ、そうだ。あいつがイーノを殺した。傭兵どもを無茶苦茶にした。その可能性が最も高いんだ。そうなりゃお前、あいつが娼婦を二人殺したかもしれないんだぞ。そのうちの一人はお前もよく知ってるやつだろうがっ」

「ふざけんな!」

 俺はドゥンから距離を取り、ほかの自警団メンバーから囲まれない位置を探した。

「ふざけんなよっ」

 あほみたいな言いがかりすんなよ! クソボケッ、どうしてそんなこと言えるんだ!?

 どうして、どうしてテラスくんがこんなことをしたって言える!? どうしてリリを殺したなんて言えるんだ!

「根拠でもあんのかっ、証拠でもあんのかよ!」

 すると、ドゥンは悲しそうな目で俺を見た。

「リリの店のボーイが喋れるようになってな。証言したんだよ。自分たちを襲ったのは黒髪の男で、冒険者風のやつだって」

「そんなやつほかにもいるだろこの世界には!」

「いるだろうな。それにリリを殺した犯人はこの町の人間じゃない。流れ者の仕業かもしれねえ」

「はあっ!? だったらなんでテラスくんを!」

「お前が来たからだよ」

 ドゥンはうつむいた。すまなそうに。

「ケイジ。お前、どうしてこの店に来たんだ」

 俺の呼吸はめちゃめちゃだった。戦ってもないのに息切れしかかっている。落ち着け。落ち着いてよく考えろ。

「……はあっ。どうしてって、テラスくんと約束してたんだよ」

「じゃあ、テラスはこの店にいたんだな?」

「たぶん」

「テラスと約束してたのは間違いないな?」

「ああ、そうだって」

「みんな見てるんだよ。黒髪の冒険者が暴れてるところをな。お前らはちょっとした有名人だ。すぐに分かるぞ」

 それは。

 それはしようがないだろ。

「いや、傭兵たちが押しかけてきたんだろ。こいつらが怖がらせたんじゃねえのかよ」

「そうかもしれん。殺されそうになったから手を出したのかもな。だが、やっちまったのに変わりはねえ」

 血の海。俺はそこに立っていた。

「ケイジ。捕まえるしかねえんだ。ここにいた黒髪の男ってのは間違いなくテラスなんだよ。お前が証明したんだ。ボーイが目覚めた今、あいつの顔を見せりゃあリリを殺した犯人かどうかは一発で解決する。二件目の娼婦は誰がやったか分からねえし、ここで何があったのかだって誰も分かってねえんだ。お前だって犯人が誰なのか突き止めたいはずだろ」

 テラスくん、どうして。

 いや、俺は信じてる。俺が信じなきゃ、彼は一人きりになってしまう。

 奮い立たせろ。決意を新たにしたところで、俺は固まった。自警団メンバーに支えられながら歩いてきたのは、あの娼館のボーイだった。

「おいおい、こんなとこまでどうしたんだよ」

 ドゥンが椅子を用意してやると、ボーイは荒い息をしたままそこに腰かけた。彼は天井を見やり、この店の惨状を認めて、嘆くように手で顔を覆った。

「すんません、すんません」

 ボーイは何度も謝っていた。

「俺がしっかりしてりゃあ、こんなことには」

「いいから」

 ドゥンが優しくボーイの肩をさすってやっていた。

「どうした? 何か思い出したのか?」

「すんません、さっき喋った時は気が動転してたし、意識も、なんか朦朧としてて……はい、そうなんです。あの、犯人の顔、見たけどちゃんと見えなくって……よく見えなかったんす」

 あ? 何言ってやがるこいつ。

「どういうこった?」

「あ、あの野郎、髪が長くて、髭もめちゃめちゃ生えてたから、それで……」

 え、なに? ドゥンたちも困惑してるけど……髪? 髭? それが何なんだ?


 髪。

 髭。


 俺の中で、何かが壊れそうになった。気づいたのは俺だけじゃなく、ドゥンもだった。

 あれ? おいおい。それってテラスくんだ。いや違う。え、あれ? 冗談だよな。彼じゃないか。食い逃げで捕まった時、テラスくんはぼろぼろだった。疲れ果てて空腹で、ダンジョンから抜け出して放浪してたって……だから、この町に着いて俺と出会った時、テラスくんの黒髪は長く汚らしく伸びていた。髭だってぼうぼうだった。

 あれ?

「ケイジ」

 ドゥンに肩をつかまれた。俺は震えるしかなかった。

「やっぱり流れ者の仕業だったな」

 だめだ。なんて凶暴な笑みなんだ。警部は確信している。テラスくんが犯人なんだと決めてしまっている。俺が。俺が何とかしないと……。

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