第17話
翌朝。俺は二日酔いの頭で死にかけながらベッドからずり落ちた。ふと、部屋の中を見回す。もうテラスくんはいない。最初のころはここに二人で住んでたが、稼げるようになってからは別の部屋を取ったのだ。そりゃそうだ。ただ、何となく寂しいなという気持ちはある。男二人なんて本当は気味悪いが、彼はシルバースターや船長とは違う。同郷の誼なのだ。
顔を洗って朝のさわやかな空気を吸い込む。いい天気、いい気分だ。今日はギルドに顔を出して信仰心を換金しとこうかな。
そう思っていたが、町はどこか慌ただしかった。いや、どこか冷たい。殺伐としてる感じがする。この空気は知っている。もしやと不安を感じていると、俺の不安を払拭――ではなく、爆発的に増大させるような存在と出くわした。ドゥン警部である。丸々とした熊みたいな偉丈夫は、今日もどしどし駆けていた。
声をかけるか迷ったが、ドゥン警部が走っているのは非常事態のサインでもある。事情を聴く必要があるだろう。
「おはよう警部。朝飯でも買いに行くのか?」
「おうケイジ、ついてこい」
彼は片手を軽く上げ、止まらずに俺の前を走り抜ける。仕方なく追いかけた。
「今日の朝早くに死体が見つかったんだよ」
さわやかな気分が台無しだった。
「夜鷹通りでな」
「じゃあ、死んだのは」
「娼婦だ」
寂れた町のさらに寂れた裏通り。夜鷹通りと呼ばれる路地には娼館を介さないで性的なサービスを提供する街娼がいた。冒険者なら知っている。ろくに稼げないやつだったらなおさら。そういったメッカだからだ。
ああ、もう。嫌でもリリを思い出しちまう。最近、忘れかけてたんだけどな。いや、忘れたらだめなのか。あいつは俺のことを忘れないって言ってくれたんだ。
件の通りには人だかりができていて、ドゥン警部と俺はそれをかき分けるようにして進む。
「はいはいごめんなさいねー、ちょっと通りますよー」
ドゥンが言うと住民はみな道を開ける。彼がゴツイのもあるが、自警団としてまじめに活動をしていると誰もが知っているからだ。俺たちが通った後、通りを封鎖するようにして自警団のメンバーが壁を作る。
「ドゥンさん、こっちです」
おう、と、野太い声を発すると、ドゥンがのっそりとした歩調になる。彼の行き先に女が倒れているのが見えた。ドゥンは軽く祈りの言葉を口にし、それから自警団のメンバーに視線を投げた。
「死んだのは通りで商売をやってた娼婦です。名前はワチャネ。亜人の女ですね」
亜人だが、それらしい特徴は獣の耳くらいのものだ。帽子をかぶれば普通の人間と変わらない。
「見つかったのは今朝。散歩していた年寄り夫婦が見つけて報告を」
「死んだのは……」
「昨夜でしょうね。首を絞められて殺されたんじゃないかと」
見ると、ワチャネという女の首には指のような痣が浮かんでいた。
「かわいそうに。ひでえことしやがる。それで、目撃者はいないのか」
「何せ夜鷹通りですからね。住民は夜にはここいらに近づきませんよ。今タイターたちが聞き込みに行ってますけど……」
「街娼のネエちゃん全員に聞きまわるのは時間がかかりそうだな」
ドゥンは腕を組み、それから俺を見た。
「ケイジ。お前はどう思う」
「まあ、物取りじゃないでしょうね」
夜鷹通りの街娼から金品を巻き上げようなんて考え、普通じゃ出てこないだろう。恨みでも買ってたのか? ただ、ここらへんで商売するような人たちはひっそりとやっている。利用する客もそうだ。娼館じゃねえんだ。ここを使うのは、いわば便所で用を足すようなもんだからな。ヤってる間は余計な会話なんてしないし。
「首を絞められてるってことは、その、犯人はそこまで距離を詰められたってことっすね」
明らかに怪しいやつが来たら逃げるだろうし。
「なるほどな……すみません、失礼しますよ」
警部は死体の服に手をかけて、
「客を取ってたみたいだな。ここで」
「じゃあ、犯人は客か」
ゲスいな。言っちゃなんだが娼館と比べりゃあ料金は雲泥の差だぞ。ヤるだけヤってぶっ殺して代金踏み倒したってのか。どんだけ金持ってないんだよそいつ。
「娼婦か。こいつはちょっとまずいことになるかもな」
「なんかあったんすか」
「イーノが戻ってくる。それも、傭兵どもを引き連れてな」
俺は察した。
イーノとはサイみたいな角を生やした亜人で、行商人で、リリの婚約者だ。いや、だった、か。彼女の死を知った彼の悲しみと怒りは、壮絶なものだった。三日三晩家から出てこず、そうかと思えば、ふらふらになって町を出て行ったのだ。それきり戻ってこなかったが……そうか。復讐か。傭兵を雇うなんてそう簡単にはできない。めちゃめちゃな金を要求されたはずだ。
「あいつ、犯人を見つけてぶち殺すつもりだ」
「今回の事件とリリをやったのと、同じ犯人だと判断するかもしれませんね」
「そうなりゃあの野郎、この町全部をひっくり返して虱潰しにしてでも捜し出すだろうな」
「よそから来た傭兵風情に好き勝手されてみろ。町をめちゃめちゃにされちまう」
「そいつらだけじゃない。実はその、ドゥンさん」
「ん?」
ドゥンはたばこに火をつけようとしていた。
「イーノが金をばらまいてるのは自警団や冒険者にもなんです」
自警団メンバーの発言で、ドゥンはたばこを落としそうになった。
「無茶苦茶しやがるな」
いや、だけどそっちのがマシだ。
「俺たちもイーノに乗っといた方がいい。協力しなかったら意固地になるだろうし、一緒になって動いてるならよそもんを抑えやすくなる」
というか金もらって犯人捜しできるんならありがたいくらいだ。俺は乗る。……まあ、テラスくんは乗らないだろうが。自警団と絡むの嫌がるだろうからな。最初に町に来た時、自業自得とはいえボコボコにされたんだし。
「しようがねえか。とにかく、できることをやるぞ。聞き込みからだ」
ドゥンが言うと、みんなが動き出す。
「ああ、そうだ。ケイジ。あいつはしっかりやってんのか?」
「あいつ? ああ、テラスくんですか。はいはい、一緒にダンジョン潜ってますよ」
「そりゃいい。確かに、お行儀よくしてるみたいだしな」
テラスくんはまだいろいろと疑われている。やっぱり見張られもしてるみたいだな。ただ、大丈夫だろう。腹が減ってたからあんなことをしたわけで、もともとは俺と同じく地球の一学生なんだ。道徳心も倫理観も持ち合わせているはずで、本来なら犯罪行為をするような種類の人間ではない。
「なんかあったら協力しますよ」
「なんもない方がいいんだがなあ」
ドゥンは困ったような顔で笑った。
イーノが町に戻ってくると犯人捜しは大々的に始まった。王都みたいに広い町じゃないんだ。こんなに人手使ってたら犯人だってビビッて逃げちまうんじゃねえかとも思ったが、ことここにきて逃げるやつは明らかに怪しい。ヨドゥンは裏通りや地下道やらが多いから隠れる場所には困らないだろう。しばらくは何も出てこないんじゃないか。
「おお!! 冒険者殿! 冒険者殿ではないですかああああ!」
「ひっ」
ぷらぷら道を歩いていると、フルアーマーの騎士がガシャガシャ音を鳴らしながら走ってくるのが見えた。でっけえ……完全にアキ・ミュラーだ。というかあいつじゃなかったら嫌だ。こんなにでかくて距離感バグってるやつが二人もいるなんて頭がおかしくなっちまう。
「おはようございます!」
「近いよ、近い」
しかもフルアーマーだから余計に圧がある。
アキは兜を脱いで頭をぶんぶん振る。汗が飛び散って濡れた犬みたいな仕草だった。
「奇遇ですね!」
「そ、そうだね」
「冒険者殿はここで何を?」
「例の犯人捜しだよ」
俺がそう言うと、アキは目の端に涙を浮かべていた。なんで。
「さすがです! やはり冒険者殿は正義感に溢れた義に篤い方なのですね!」
金に釣られたとは言えない。
「ご立派です!」
立派なのはアキたちだ。彼らミュラー家の騎士も自警団に協力してくれたのだ。イーノが連れてきた傭兵も、王都の教会に属する聖騎士たちがいる以上は好き勝手出来ないらしく、大人しく仕事をしている。
「無償で見回りしてくれてるんだってな。ありがとうな。正直助かってる」
「……な、何をおっしゃいますか。騎士たるもの民草を守るのは当然です」
「あ、照れてるな」
「照れてません照れてませんとも!」
それに。アキは申し訳なさげにうつむいた。
「そのう、ちょうどよかったと言いますか……なんと言いますか……」
でかい声でスパッと言い切るアキにしてはイジイジとしている。
「ゆう……ではなく、パーティのリーダーを務めていた方はよその町に移ってしまったので」
「え、そうなのか? あれ? ついていかなくていいのか?」
「今のままでは足手まといになりますから。我々はガーデンで鍛錬を積むことになりました。今回のこともありますし、当分はヨドゥンにいられそうなんです」
なんでか嬉しそうだな。
「この町にゃあなーんもないぞ。こんなとこにいるより早く王都に戻りたいんじゃないのか?」
「そんなことはありません!」
ずいっと顔を寄せられる。
「そ、そうなんだ……」近い近い。
「あっ、失念しておりました。今週分です。どうぞお納めください」
花柄の包みを差し出してくるアキ。俺はそれをうむ苦しゅうないという風に受け取った。言わずもがな例のアレ、アキがダンジョンで稼いだ報酬である。もう何度断っても無駄なので、諦めて頂戴している。
「冒険者殿、では!」
「あっ。なあ」
「はい!?」
走り出そうとしたアキが急激にブレーキをかけたものだから、凄まじい摩擦で地面から煙がもうもうと上がっていた。
「俺のこと冒険者殿って言うとややこしいだろ」
「いえ! 私にとって冒険者殿は冒険者殿だけですから!」
ほら、なんかもうややこしいじゃん。
この町は冒険者だらけなんだから。アキが俺を呼ぶとみんな振りむいちゃうんだよ。
「ケイジでいいよ。普通に名前で呼んでくれよ」
「そ……!」
「そ?」
「そういうのは、その、ちょっと、ま、まだ時期尚早と言いますか! 何だか恥ずかしくありませんか!?」
距離感バグってるくせに何を言ってんだこいつは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます