第14話
遅い昼飯を食ってヨドゥンの通りをぷらぷらしていると、俺の後ろからどすどすという足音が聞こえてきた。丸々としたおっさんだ。だが、彼は太っているわけではない。見よあの腕を、足を。ムッチムチのバキバキで、熊が走っているようにしか見えない。怖い。
「おォ、ケイジか。また暇そうにしてやがんな」
二足の大熊は俺を見るとニコッと笑いかけてきた(たぶん)。強面なのでどんな顔をしても怖いんだよな。
「警部こそ何してんだ?」
「捕り物よ」
好戦的な笑みを浮かべるのはドゥン警部だ。どっちかと言えば警察よりそれに追っかけられる組織に属してそうな面構えの彼だが、その実、自警団のリーダー的存在で、正義感の強い人物だったりする。俺が警部と呼んでいるのもなんかドラマでそれっぽいキャラがいたなあと思い出したからだ。
「なんかあったのか?」
思い出すのはリリのことだ。もしやその犯人でも見つかったのかと訝しんでいると、警部はふっと息を吐いた。
「食い逃げだよ。流れもんだろうな」
「珍しいもんでもないんじゃ? 警部が駆けつける必要があるの?」
「いや、結構抵抗してるらしいからよ」
ああ、そうだ。言って、警部は歯を見せた。
「お前も来い。たまにゃあ町のために働くんだな」
ドゥン警部にそう言われては断れない。俺は、どすどす走る彼に合わせて駆けだした。
路地裏にそいつはいた。すでにとっつかまってぼこぼこにされているようで、顔は腫れて口からは血を流している。なおも男は殴られていた。
「その辺にしとけ」
ドゥン警部が現れると自警団の人たちは直立不動になる。
「こいつか?」
倒れて、ぜひぜひと息をしている男を見下ろし、警部は笑った(と思う)。
食い逃げ犯らしき男は、若いな。俺と同じくらいか。長く汚らしく伸びた黒髪に、ぼうぼうの髭。それから、落ち窪んだ眼窩にこけた頬。なるほど食い逃げもさもありなん。食ったもんを吐くほど殴られたんじゃ世話ないが。
「ドゥンさん、こいつどうします?」
「その辺に捨てちまうか」
「また戻ってきますよ」
「食い逃げした店でただ働きさせるのはどうだ」
「店が嫌がるだろ」
「つっても、王都に連行するほどでもないだろうし」
「うーん。金持ってねえのか? とりあえず食事の代金払わせればいいだろ」
てめえの処遇が話されているのにも関わらず、食い逃げ犯はなぜか俺をじっと見ていた。不思議に思っていると、あっ、という声が上がる。
「お前っ、柏木か?」
何?
警部たちが一斉に俺を見た。食い逃げ犯も俺を指さしていた。
「か、柏木だろ。柏木くん」
「なんだケイジ、こいつと知り合いか?」
さて、どうしたもんか。ここで巻き込まれるのは嫌だが、この異世界で俺の名前を知っているやつなんかほとんどいない。きちんとしたイントネーションで呼ばれるのは実に久しぶりのことだった。
知らんふりするのも寝覚めが悪いか。
「あー、たぶんそうすね。とりあえず、俺が金を払いますよ」
「いいのか」と警部が俺をじっとねめつけてくる。
「二度目があったら、そん時は頼みます」
深く頷くと、ドゥン警部は食い逃げ犯が食った分をほかのメンバーに確認し、その金を俺に告げた。
「あいあい」
気前よくを心がけて金を払っておく。警部は俺の肩に手を置いた。ずしんという音が聞こえてきそうだった。
「厄介ごとは持ち込むなよ」
そのつもりだし、俺が何かしたってわけじゃねえよ。
路地裏に取り残される形で、俺は食い逃げ犯の男と二人きりになった。
「わ、悪い。助かったよ」
そう言う長髪髭面の男。彼は間違いなく俺のクラスメイトだ。一年ほど前、一緒にこの世界に召喚されてしまった一生徒だ。ただ、あんまり覚えがない。向こうにいた時とは全く違う人相になっているだろうし、そもそも仲のいいやつも少なかったからな。
「俺の名前を知ってたな」
問うと、男はおかしそうな顔になる。
「そっちは僕のことを覚えてなさそうだな」
誰だこいつ。
「
てらす。テラス。……ああ、寺須か。なんとなく覚えがある。あんまり目立つグループにはいなかったが、いじめられるほどの位置にもいない。割かし普通のやつだったかな。たぶん悪い人間じゃない。気のいいやつだ。確か、ゲームの貸し借りをしたような覚えがある。
「あのゲーム、まだ返してもらってないな」
「ああ、そうだったそうだった。ごめん、まだクリアしてないんだ」
テラスは笑った。
「帰ったらクリアして、ちゃんと返すよ」
テラス・ユキヒラ。
俺と同じく異世界召喚された男子学生だ。その後の扱いは違ったが。どうやらテラスくんは特級クラスに振り分けられて、現地で面倒を見てくれる人たちとも出会ったらしい。教会に属する一家だったらしく、そこで寝泊まりもしていたそうだ。
「そうだったのか。でも、だったらなんでこんなところにいるんだ? しかもすげえ格好だし」
「それは」
俺はテラスくんを自分の部屋に通していた。異世界人同士の話だ。あまり人には聞かれたくなかったし、彼の風貌は悪目立ちする。
「そりゃあ、あいつのせいだよ」
「……誰だ?」
テラスくんは苦々しく語った。
勇者候補たちが次々と脱落し(何も知らなかったので結構ショックだった。みんな元気にやってるんだと思ってた)、シノミヤ・マイト(誰だっけ)が活躍し始めると教会は彼にリソースを割き始めたそうだ。テラスくんが世話になっていた一家も、勇者シノミヤに協力するようになった。
「裏切られたんだよ。そこの女の子、あんなに俺に懐いてたのにさ」深くは聞かないでおこう。
その後、テラスくんは王都から離れたダンジョンに派遣されたが、運悪く足を滑らせて下層に落ち、行方不明扱いとなったそうだ。そうしてダンジョンから命からがら抜け出して放浪し、ヨドゥンに辿り着いたそうだ。……そうか。彼も苦労してきたんだな。
「王都に戻っても相手してくれるはずないと思って……」
「分かるよ。俺なんか外れスキルとか言われて放り出されたからな」
そう言うと、テラスくんは目を丸くさせた。
「柏木くんが?」
「そうだよ」
「そういえば、あっちじゃあんまり姿を見かけなかったけど……」
速攻放り出されたからな。
「ちょっとなんか、考えられないな。柏木くんって大人っぽかったし、成績もよかったじゃん」
そりゃあ転生してたからだ。中身おっさんだし、人生二週目なんだ。さすがに学校の試験くらいはどうとでもなる。
「女子にもモテてたし」
「えっ」嘘。初耳なんだけど。
「えっ、ていうか、ほら、他のクラスの女子とよく話してたし」
……あー。そういやそうだったっけか。
「あれは相談というか、まあ、たまたまだよ」
「クラスじゃ話題になってたけど」
「そうなん? いや、でも」
テラスくんは何か考え始めた。
俺も思い出していた。あの子か。あの子ね。ショートヘアでよく笑う。名前は何だったっけか。神崎さん、だったか? 幼馴染の男子が付き合ってもないのに肉体関係を求めてくるとかいうアオハルな話だったか。相談に乗るというか、同じ男という立場から話をした覚えはある。
「放課後も一緒に帰ったりしてなかった?」
「喫茶店とか、ゲーセンには行ったかな」
「行ってるじゃん! デートじゃん!」
「いや、そういう雰囲気じゃなかったような気がするけど……どっちにしろ付き合ってるってつもりはなかったし、向こうだってそうだったと思うけど」
女子は年上の男に憧れがちだと人は言う。中身が人生二回目のおっさんに惹かれる子がいても不思議ではなかったということか。
「ああ、そうだったの? でも、そう思ってないやつもいたよ」
へえ、と、俺はポケットの中のたばこに手を伸ばそうとしてなんとなくやめておいた。
「けど、なんか色々とショックだよ。異世界なんかに呼ばれて生き残ってるクラスメイトがあんまりいないなんてさ」
「……柏木くんはさ、
シノミヤって、例の勇者か。
「なんで?」
「だから、そのセックスしたがってた幼馴染の男子ってのが四宮なんだよ」
あー。なるほど。うーん? なるほど? えーと、まさか色々と勘違いされてるのか?
「根に持たれてるかもよ」
「そんなまさか」
「あいつ神崎のこと好きだったからな」
「見つかったら殺されるかな」
「今のあいつはマジつえー勇者だからな。そうかも」
マジかー、と、俺たちは笑い合った。なんかこういう風な話をするのは久しぶりというか、この世界に来て初めてかもしんない。
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