2章

第11話



 あの野郎、全然戻ってきやがらねえ。

 さては酒場か、商売女でも引っかけてどこぞにしけ込んだか。

 掘っ立て小屋のような詰め所で、兵士の男は同僚の帰りを待っていた。すでに交代要員は現場へ向かっただろうが、朝まで見張りに立っていたはずの兵士が詰め所に戻ってこない。

 気持ちは分かる。私雨の窟アンブレラケイブの見張りは酷く退屈だ。水神スプマンティの支配地域とされるこのダンジョンは冒険者しか立ち寄らない。そもそも、冒険者だってあまり寄ってこない。なぜか洞窟内で雨のようなものが降るので私雨の窟と呼ばれているのだが、ここはよく冒険者が足を滑らすのだ。出現する魔物はそうでもないが地形はそれなりに危険なので信仰心を稼ぐには不向きな迷宮だった。

 見張りとは言うが何を見張れというのか。自分たちが当番になってから冒険者どころか通りかかるものさえ見ないのだ。


(そういや、勇者さまも何人か滑り落ちたんだったか)


 この兵は詳しい事情を聴いていないが、私雨の窟では数人の勇者候補が滑落して死亡、あるいは行方不明となっている。兵士らは万一の場合に備えて見張りの任に就かされていた。

 誰も出入りしないのだ、あの迷宮には。

 次に王都へ戻るのは三日後だ。それまでは静かすぎる時間をつぶすほかない。そう考えていた男の思考は、扉が慌ただしく開かれるのを潮に中断される。

「……なんだ、どうした」

 詰め所に入ってきたのはさっき出ていったばかりの同僚だった。彼は真っ青な顔になっていた。

「どうしたんだ?」

 もう一度尋ねると、同僚は息を一つつき、壁に背を預けた。

「死んでる」

「何が」

「く、クラウドだよ。ありゃあ、たぶんだけどクラウドだ。血を流して、冷たくなってた」

 青い顔の男は続けて言った。

「モンスターなんかじゃねえ。盗賊か何かにやられたんだ」

「馬鹿な」

 ダンジョンからモンスターが現れることは稀だ。ほとんどない。ありえないと言ってもいい。やつらは瘴気の中でしか生きられないからだ。男は盗賊という線も切って捨てた。あんな何もない場所に突っ立っているものを狙うやつはいない。好き好んで兵士を襲う賊などいやしないだろう。

 まずは現場に向かい、状況を確認せねば。兵士二人は連れ立ってダンジョンへ向かった。出入り口付近に人が倒れているのが分かった。

「うっ」と男は呻いた。固いもので何度も殴られたのだろう、死体の顔がぐちゃぐちゃに潰れていた。同僚のクロードかどうか見分けがつかないほどに。おまけに死体の装備がなくなっていた。

「追いはぎにでも遭ったのか……?」

 死体に近づくと、男はあることに気づいた。クロードらしき人物は血を流してはいたが傷口が見えない。躊躇は一瞬だった。男は死体をひっくり返す。すると、背中には獣の爪に切り裂かれたような痕があった。

「なぜ後ろなんだ」

「え?」

「いや、だから、なんでこいつは後ろからやられたんだ?」

「奇襲されたんじゃないのか?」

 見張りの立ち位置はダンジョン出入り口を背にするように、ここへ入るものを見張るためにそうしていた。それが間違いだったのだ。男は内心で毒づいた。自分たちの仕事はダンジョンに入るものではなく、出るものを見張るのが正しかったのだ。下手人はダンジョンに背を向けている兵士を襲ったのだ。

「中に誰かいやがったんだ」

「ええ、ダンジョンの中に? でも、俺たちが来てから、誰も入ってくやつなんか」

「俺たちが来るより前に。いや、ここに見張りが立つより前にいたんだ。ずっといたんだ・・・・・・・。そいつが出てきやがったんだよ」

「いや、出てきて……どうして見張ってるやつを殺すんだよ……?」

 理由は簡単だ。王都の兵士に見られたくなかったからだ。自分がダンジョンに潜んでいたことを知られたくない人物だからだ。ここにいたのは間違いなく――男の思考が中断させられた。そして、二度と再開することはなかった。

 ぶちまけられた頭の中身が傍に立っていた男に降り注ぐ。

「うおあああああああ!?」

 同僚が殺された。目の前で。絶叫する男は剣を抜こうとしたが間に合わなかった。血と肉を浴びたまま、彼は自分の中身が腹からまろび出るのを見て膝から崩れた。元通りにしなければ。ぼたぼたと滴り落ちる中身を両手で拾い集めようとして、頭蓋を兜ごとかち割られた。


 勇者カシワギ・ケイジがガーデンの試練に臨む、一月ほど前のことであった。



◎〇▲☆△△△



 生まれ変わったらなりたいもの。男だったら気になるもの。

 勇敢な戦士。威厳ある王様。ベンチャー企業の社長。無自覚ハーレム主人公。色々あるが、俺はやっぱり風俗のパネル写真を加工する仕事に就きたい。超わくわくするだろうな。

「うーん、なんかいい子入った?」

「いやー、みんないい子ばっかりっすよ!」

 ボーイが適当なことを言う。なめるなよ。

 神は言った。パネルで迷ったらおっぱいの大きい子にしなさいと。そしたら前回は本物のオークが出てきたので股間の剣ではなく本物の剣を抜きそうになった。神は死んだ。適当抜かすな死ね!

「やっぱりパネルで決めるのはだめだな」

「ちょっとー、イップウ・・・・さん、ここであんまり長いこと悩むのはやめてくださいよー」

「どうせほかに客なんかいないだろ」

 午前中から風俗に来るようなのはろくなやつじゃない(魂が壊れる音が聞こえた)。

「あ、リリちゃんなら今いけますよ。イップウさん好きでしょー」

 ちなみにだが俺は風俗ではイップウとかサムとかで通している。界隈じゃイップウさんの色物好きは有名らしい。

「うーん。リリちゃんか」

「好きでしょ」

「まあ好きか嫌いかで言えば超好きだけど」

 リリとは亜人の娼婦である。何度かお世話になった。彼女は黒猫の亜人だ。スリムだが出るとこは出ていて流し目がエッチ。サービスもいいし聞き上手だし流し目がエッチだ。最近会ってなかったし、これも何かのお導きだな。サンキューゴッド。

「指名頼んますよー、亜人の子たちはなかなかお客さんつかないんでね」

「あいあい、分かったよ」

 この世界には亜人と呼ばれる種族がいる。エルフとかドワーフとか、リザードマンとか猫耳とか。種族の数が少ないものだからおしなべて立場は下の方で、結構苦労している連中が多い。娼婦に身をやつす子もいるが人間の女より安く扱われやすいし。そもそも普通の男は亜人を選ばない。人に獣の耳が生えてる程度のケモ度ならともかく、大概がケモノが二足で歩いてる感じだからな。やっぱちょっとそういう相手ってなると腰が引けるんだろう。俺はあんまり気にしない。金がないしな。女なら何でもいい。



「おらああああ」

 艶々としたリリちゃんの毛並みが眩しかった。俺は後ろから彼女を貫いていて、寝台がぎしぎしと軋んでいる。安っぽい音だがいかにもって具合で嫌いじゃない。突くたびにしっぽがゆらゆらと揺れる。リリの弱点であるしっぽの付け根を指で押し込むと、びくんと震えて毛が逆立った。両の胸を鷲掴みにすると彼女は高い声で鳴いた。

「なあ、首絞めていい? 絞めていいか?」

「にゃあああ……ちゅうしてえ、ちゅぅう」

 あーー好き。リリちゃん好き。



 ざらっとした舌の感触が離れていき、俺とリリの顔が離れた。近くで見ても彼女は美人さんである。異世界に来る前に実家で飼ってた猫のことを思い出してちょっと複雑な気持ちになるが。

「毎度毎度乱暴なんだから」

「ごめんごめん。あれやると興奮すんだよな」

「ひどーい。でもお客さんにだったらいいよ。ほかの人にされたら引っかいてやるけど」

 俺がたばこをくわえると、リリが慣れた手つきで火をつけてくれた。

「最後だしね」

 リリが寂しそうな顔をしていた。

「何、どっか別の店に移るの? いいよ、教えてくれたらそっちにも行くし」

「あ、ああ、そうじゃなくって、その……あんまり言わないでね」

 俺が不思議そうにしていると、リリは自分の頬に手を当てた。

「その、イノーがもらってくれるって……だからお店辞めて、結婚するの」

「えっ、マジ!? よかったじゃん!」

 寿退社か。めでてえじゃんか。

 イノーっていうと、サイみたいな角を生やした亜人だっけ。でかい町とも行き来してる商人だし、その辺の馬の骨に引っかかるより全然いいな。いい人と出会ったじゃないか。

「なるほど、それで最後か。いつまで続けんの?」

「ん? 今日にしようかな」

「そうなん?」

「お客さんが来てくれたし、ほら、最後はいい思い出にしとこうって」

 嬉しいこと言ってくれるじゃないの。

 着替え終わった俺はポケットの中のものに気づいた。指輪である。エメラルドっぽい宝石がはまっている。ダンジョンで拾ったものだが、もしかしたら聖遺物かもしれないとシルバースターは言っていた。換金するつもりだったのをすっかり忘れていた。

「これやるよ」

「や、え、なにこれ? そんなのだめだよ。もらえない」

「いいって。俺が持っててもそれこそ宝の持ち腐れだからよ。まあ、実際どんくらいの値打ちかは分かんないけどさ、金に換えてくれよ。何かと物入りになるだろうし」

「本当にいいの?」

 男に二言はない。たぶん。それにお金が間に入った関係とはいえ、抱いた女に格好の一つくらいはつけたいものだったりする。リリには色々とお世話になったし。というか結婚するのか。普通にショックだな。

「いいよ。おめでとさん。次は結婚式で会おうぜ」

「お客さんは招待しないかな……」

「えー?」

「考えとく。でも」

 リリは大事そうにして指輪に触れた。すらりと伸びた小指にそれをつけて、

「たぶん、売らない。ありがと。お客さんのこと、ずっと覚えとくね」

 彼女は笑った。

 それが、俺が見たリリの最後の笑顔だった。



 すっきりした後は賭場へ行く。当たり前のようにボッコボコに負けて表に出ると、外はすっかり暗くなって小糠雨が降っていた。顔をしかめつつたばこに火をつけると後ろから世界で一番小汚いジジイことシルバースターがやってきて、あまつさえ話しかけてきた。

「また負けたのか」

「今日はな。今日は負けたんだよ」

 俺とシルバースターは連れ立って歩き始める。

「どうする? どっか寄ってくか?」

「ああ、それもいいな。ところで知ってるか、ケイジ。例の賭場だが、そろそろ着工するそうだ」

「へえ、そうなんか」

 噂には聞いていたが、俺たちが通っている地下の賭場を仕切っているやつが新たな場を開こうとしているらしい。

「やっぱり地下にできるのかな」

「だろうな。……あの賭場は古の時代にあった地下聖堂や納骨堂を再利用しているそうだからな。別の場所を改築したんだろう」

 罰当たりだな。

大会おおがいは中止になっちまったし、胴元もてこ入れしたいのかね」

「ああ、やはり王都周辺の方が盛んだからな」

 俺もいつか行ってみたいなあ。王都に。というか王都の賭場に。

 賑やかな通りに出ると、シルバースターの鼻の下が伸びていた。

「今日はおごってもらうぞ」

 はあ? なんで? 髪の毛ちぎったろかこいつ。

「お前、ダンジョンで指輪を拾っていたじゃないか。あれは聖遺物かもしれん。売れば高値になる」

「あー、あれね」

「独り占めするつもりじゃないだろうな」

 シルバースターが恐ろしい目つきで睨んできた。金が絡むと豹変するんだよな。

「リリにやったよ」

 俺は包み隠さず喋った。シルバースターは途中でブチ切れて肘鉄を打ってきたがカウンターで黙らせてやった。

 曲がった鼻を抑えながら、彼は苦笑する。

「なるほどな。そういうことか。よし。今日はあの子の門出に乾杯と行こうじゃないか。だからおごれ」

「ムカつくけどそういうことならしゃあないか」



 酒場を出てもまだ雨は降っていた。雨粒は細く、音もない。静かに俺たちの肩を濡らしている。

「あー、チ●チ●勃ってきちまった。俺も風俗行こうかな」

 シルバースターは上機嫌だった。人の金で飲む酒ほど美味いものはないからな。

「俺は帰るぞ」もう眠い。

「まあそう言うな、付き合え」

「いや、ダンジョンの帰りに行ったって話したよな」

「馬鹿言え、冒険者たるもの一発や二発で満足してどうする。貴様不能か? どうせなら最後にリリを抱いてやれ!」

「いや抱いたから」

「がはははは! うっ、おろろろろ……」

 うわー、最悪。

 道の端っこに寄って屈み込むシルバースターの背中をさすってやっていると、こんな時間なのに慌ただしくしているやつらが目に入った。歓楽街の方に向かってるみたいだが。

「……自警団だな」

 ゲロを吐きながらでもシルバースターは周囲の様子に気がついていたらしい。

「何かあったのかな」

「行ってみるか」

「暇人め」

「酔い覚ましの散歩だ」

 何となく、騒ぎのする方へと足を向ける。そうして歩いているうち、嫌な予感がした。この道は、今朝も通った。

 娼館の前に人だかりがあった。かき分けるようにして進むと、雨の中、倒れている黒猫が一匹。腕を伸ばして、何か、掴もうとしていたのか。彼女はとうに息絶えていた。幸せの絶頂にあったはずの女が、こんな冷たい土くれの上で。

「ケイジ。行こう」

「……ああ」

「この場は俺たちの領分じゃない」

「ああ。うん」

 死の神の権能は使えなかった。今朝、ギルドに石を提出したことで信仰力は空になっていた。俺には何もできない。リリにはもう、何もしてやれない。

 誰がやった。

 リリは明らかに殺されていた。……そんなもん誰にだってわかる。仇を取ってやるなんて甘い言葉は吐けない。俺は官憲でもなければ正義漢でもない。一冒険者でしかない。

「シルバースター」

「なんだ」

 ただ、一つ、気にかかることがあった。俺の知るリリが、俺に見せていた笑顔や話が真っ赤な噓ではなく、真実なのだとしたら。あの指輪は、どこに消えてしまったんだ? 倒れていたリリは指輪をしていなかった。

「リリは、いい子だったよな」

「……ああ。あの子は俺のような年寄りにも優しかった」

 誰かが持ち去ったのか? だとしたら、そいつがやったのか?

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