第8話



 深層に辿り着いたD・メアが見たのは、薄れていく瘴気と、崩れ落ちるように倒れる巨大な狼だった。その狼が強大な力の持ち主なのは分かる。今の自分たちでは手も足も出ない相手なのだとも。

 あれは死の神エロリットの眷属たる白狼だ。文献や童話にも登場する、恐ろしくも偉大な神の僕だ。


(これが、試練)


 神が与えた困難な道程。乗り越えるのは容易ではない。

 だが、成し遂げた。何者かが試練に打ち勝ったのだ。メアの体に電流がほとばしる。何か今、とてつもなく崇高なものを目にしたのだという直感がある。惜しむらくは戦いを見られなかったことだ。自分はただ、一つの終わりを見届けたに過ぎない。

 試練を攻略したのはいったい何者なのかと目を凝らして、驚愕した。四人だ。たった四人でクリアしたというのか。高名な冒険者パーティに違いないとメアは考えた。

 一人は、その出で立ちから見て東方国の拳法家だろう。細身だがしなやかな筋肉がついていて、立ち振る舞いに無駄がない。相当な気の使い手だろうと当たりをつけた。聞いた話によれば、東方では体内から抽出した気を練り、それを操って魔物とも打ち合うそうだ。

 一人は、スキンヘッドの大柄な男だ。ラフな格好だがみすぼらしく見えない。立ち姿は劇場の役者のようだ。だが、持っている巨大な銛がそうではないと言っていた。彼はれっきとした冒険者である。スタイリッシュさの中には隠し切れない野性味があった。

 一人は、一見するとただの少年だ。だが、ほかの男に物おじしている様子はない。


(……ん?)


 少年の顔立ちはここいらのものではない。東方国出身の人間のそれに近い。あるいは、勇者シノミヤと少し似ている。

 知らずのうち、メアの頬は赤く染まっていた。彼女は思わず自らの熱を確かめて、息を吐く。


(ちょっとかっこいい。かもしれない)


 最後の一人は浮浪者にしか見えない。酒瓶片手にゲラゲラ笑うその姿には品性の一かけらすらも存在していなかった。

 あの冒険者パーティと接触する必要があるかもしれない。交渉次第では勇者シノミヤ・マイトの心強い同行者になるだろう。話は地上に戻ってからでもいい。メアはそう断じてこの場を去ろうとした。


「……っ!? 瘴気……」


 先まで薄れていた瘴気が、また強く、濃く、淀み始める。クリアしたはずの試練が、再びその牙を露わにしたのだ。

 早い。早すぎる。確かにガーデンの試練はそういうものだと聞いていたが、実際に目の当たりにすると震えるほど悍ましい。こんなものが我々の足元で息を潜めているのかと頭がおかしくなりそうだった。

 出現した白狼が、穴にはまっていた。そしておもっくそ苦しんでいた。


(なんだ……?)


 メアには何が何だか分からない。

 白狼はもがくが、男たちは容赦のない攻撃を加え始めた。


「毒はナシだからな!」

「下がりたまえ。あとは私がやる」

「ふざけんな俺にも殴らせろよっ。罠は俺んだぞ! 俺が仕掛けてんだぞ!」

「ピーピー喚くんじゃねえよ素人かよ」

「ふッ……ああ、すまん。見間違えた。いや、すまない。危うく君を亡き者にするところだった」

「師範てめえ殺す気だったろ、ふっざけんな!」

「正当防衛っ、正当防衛っ」

「オルルルルァ! やられる前にやってやらァ!」


 聞こえてくる蛮声。いやというかもう蛮族そのものだった。

 試練を何だと思っているのか。ボスなど眼中にないのか、冒険者同士で仲間割れを始めている。否。何かの見間違いかもしれない。メアは眼を瞬かせた。


(いや、でも『オルルルァ』って言ってたし……)


 見間違いではなく、間違いなく仲間割れの同士討ちを始めていた。白狼の試練はその片手間にバゴンバゴンしばかれている。

 あまりにも。

 あまりにも、命が安すぎる。軽すぎる。


 だが、メアにとって冒涜的な光景はそれだけに留まらない。

 ちょっとかっこいいとか思っていた少年が、複数の神の秘蹟を行使したのだ。これは絶対に勘違いの見間違いだと確信したが、少年はご丁寧にも十の柱全ての秘蹟を操っていた。メアはちょっと吐きそうになっていた。


 為政者が信仰する天空神マルタ。

 風の神アイナス(主に商人が信仰する)。

 水神スプマンティ(最もポピュラーな神で信徒が多い)。

 地神デイアップル(主に農民が信仰する)。

 火神エングゥリン(主に職人が信仰する)。

 軍神クァンプ(主に戦士や軍人が信仰する)。

 太陽神スーパーフレア(芸人が信仰する)。

 知恵の神グランディーネ(学者が信仰する)。

 雷神サカビカリ(天空神に取って代わられ、堕ちた神とされる悪徳の信仰)。

 そして死の神エロリット。


《十柱》すべての秘蹟を使うものなどありえない。あってはならない。

 稀にはある。稀に。

 複数の神の秘蹟を扱えるものは二重信仰者ダブルスタンダードと呼ばれ、往々にして性格に難のあるものが多い。だが、それでも二つだ。この世の理を逆さにしたって筋が通らなかった。少なくともメアの知る限りでは。


(神を何だと思っている。神も、なぜあのような輩に力を貸すのだ)


 冗談ではない。

 異常者・・・め。異端者め。メアは憎悪のこもった眼で少年を睨みつけた。そしてその目が白目を剥きそうになる。試練の攻略に成功した冒険者たちはあろうことか白狼を解体し始め、その肉を食べだしたのだ。彼女は暗殺用の短刀を握りしめていた。

 冒険者たちは車座になって酒を飲み、その場に居座っていた。なぜ帰ろうとしないのか。なぜその場に留まっているのか。その理由はすぐに分かった。瘴気が膨れて試練が三度現れたのだ。彼らはまた、よっこいせと立ち上がり、ボスを殴り始めた。


(まさか)


 まさか、あいつらは、試練が再出現するのを待っているのか。

 何のために。決まっている。崇高な目的のためではない。これは露骨だ。信仰心を稼ぐためにそうしているのだ。

 メアは泡を吹きそうだった。目はぐるんぐるんと回っていて理解しがたい状況のせいで走馬灯が見えてきた。気絶した方が楽だったろうに、彼女は優秀であり、冷静だった。脳みそは勝手に動き、ある一つの仮説を組み上げていた。

 スロープゴットが。この国が膨大な信仰心を得ていたのは、ヨドゥンの冒険者がボスを狩りまくっていたからではないか、と。

 異常だ。

 異常なことが起こっている。いや、すでに起こっていた。これはもう一介の祓魔師がどうこうすべき問題ではない。上役に報告すべきだ。『ヨドゥンの冒険者が勇者一行ですら苦戦するガーデンのボスを仲間割れしながら狩りまくっています。しかも複数の秘蹟を扱う少年もいます。あのう。どうしたらいいでしょうか』。


(こんな与太話、誰が信じる?)


 馬鹿げている。でたらめもいいところだ。

 ダンジョンの瘴気に頭をやられたと思われるだけだ。


(やはりアキ・ミュラーも連れてくるべきだったか)


 メアが斥候に行くと申し出たとき、聖騎士アキ・ミュラーは同行することを強く申し出たのだ。彼女は隠密には向かない体つきをしていたし、そもそも性格からして魔物の群れに突撃しそうなのでやんわりと断ったのだが。せめて自分だけではなく、あと一人だけでも目撃者がいれば信ぴょう性は増しただろう。


「あっ」また白狼が死んだ。今度は邪魔だと判断されたのか、その骸を大穴に落とされていた。

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