第7話



 勇者シノミヤ・マイト一行がガーデンに挑んでから七日が経過していた。

「退け、退けっ」

「騎士さまが倒れました!」

「足引っ張って回収しろっ」

 この七日で、勇者一行は第二階層に到達するのが精いっぱいという有り様だった。



 まず、死の神の祝福を受けていないことが大いなる問題であった。

 エロリットを信仰する人類の数がそもそも少ないという教会の懐事情もあり、今現在も勇者一行には死の神の信徒が含まれていなかった。そのため、ダンジョンに入った瞬間にやられるのだ。強く、濃く、深く、よどんだ瘴気が常人の神経を狂わせた。ガーデンの環境に慣れていないものにとっては水中でもがくのと同義である。聖ブロンデル騎士団の面々でさえ魔物と相対し、武器を握るので手一杯だった。

 群れを成す迷宮人も計り知れぬほどに強敵であった。一匹ですら厄介というのに瘴気で強化された小鬼・中鬼が波のように襲いかかってくる。場数を踏んだ冒険者でさえも恐怖を覚えるほかなかった。


「秘蹟、用意!」

「放て!」

「どうだっ」

「だめ、効いてない! 効いてませんよう!」


《十柱》の信仰者が行使する秘蹟とは魔法にあらず。

 魔法とは人の力であり、秘蹟とは神の力である。

 秘蹟とは神の見えざる恩寵を目に見える形で示したものだ。信仰心を用いて発動する神の力だ。だから、神を信じぬ者には扱えない。決して。

 信仰はそれぞれだ。とある例外を除けば、基本的に水の神の信徒は水の神の秘蹟しか使えない。火の神や死の神の秘蹟は使えない。


 当然だが、各神の支配地域ではその信仰こそが最も強まる。秘蹟の効力もしかりだ。死の神の神域たるガーデンでは他の神の秘蹟の力が弱まっていた。しかし、それにしては効き過ぎ・・・・だった。この中で最も秘蹟の行使に慣れ親しみ、膨大な信仰力を有しているのは聖女たちだ。同行する三人の聖女はそれぞれ水、風、地の神に信仰を捧げており、火力に特化した秘蹟の扱いに習熟している。だが、その効果は見ての通り。姫道や鳥巣のモンスター相手なら三回殺せるほどの威力であろうが、このダンジョンのモンスターに対しては傷こそつけても命までは奪えない。


(それほどまでに強いのか、エロリットの支配が)


 秘蹟省の司祭は認識を改めていた。それが遅いのか早いのか、神のみぞ知るというところであった。



 既に現地で雇ったポーターはおろか神学校の生徒からも泣きが入っており、後衛からは満足な支援が受けられない。騎士が倒れれば前線は崩壊寸前。いまだ低階層のモンスター相手に浮足立つさまは素人同然とも言えた。

 この状況下で十全に戦えたのは勇者シノミヤ・マイトのみである。彼は、ドワーフが鍛え上げ、聖女数人が数日がかりで祝福したレアメタル装備――聖剣シーデムを鞘から解き放った。月の光を押し固めたような輝く刀身は、すらりと鬼どもを撫で切った。スキルを用いた勇者シノミヤはモンスターを壊滅させると、肩で息をし、苛立ち交じりに地面を蹴っ飛ばした。

 無理もない。攻略は遅々として進まず、もうずっとこの繰り返しだった。モンスターと遭遇すれば火力が足りずじりじりと押される。それを勇者が押し返す。これでは補佐どころか足を引っ張るばかりだ。教会から派遣されたものの立つ瀬がない。のみならず、すでに負傷者は続出しており癒しの秘蹟が間に合っていない。ダンジョンに潜れば潜るほどパーティメンバーは消耗する一方だった。王都からの人員補充にはしばらく時間もかかる。目下、瘴気の影響を軽減できる秘蹟や祝福の使い手が必要だ。

 唯一戦力として期待できる勇者シノミヤだが、前衛で矢面に立たせ続けるわけにもいかなかった。まず死なれては困る。スキルも無制限に打てるわけではなく、装備が強力なためにどうにかなっているが、彼の技術は聖騎士どころか並の騎士にすら劣っている。いまだ蘇生の秘蹟持ちは間に合っていない状況だ。そしてこれ以上調子に乗らせるのも難儀な話であった。


 甘かったか。


 D・メアは天を仰いだ。何もかも計算違いだ。このダンジョンは凶悪過ぎる。試練の攻略どころか道中を突破できない。このままでは勇者シノミヤの心が十神教から離れてしまう。一年の猶予など何の意味もない。このダンジョンの攻略を諦めるか否か。もちろん彼女には権限がない。上役に指示を仰ぐにせよ、援軍を待ってパーティを立て直すにせよ時間を稼ぐ必要があった。祓魔師メアはあることを提案した。



◎〇▲☆△△△



《ガーデン》十階層。神殿の間。


「おう、出たか」

 その辺で酒瓶抱えながら寝こけていたシルバースターが面倒くさそうに起き上がった。いや起き上がってない。その場に座り込んだままだった。

「てめえは出てくんな」

 試練からは視線を外さないで切って捨てる。慣れてきちゃいるが、やはりボスはボスだ。油断できない。というかそれ以上に、


「よし、続けよう」

「まだまだ物足りねえからな」


 こいつらが油断ならない存在だ。

 俺と同じようにボスと対峙している二人は同業者だ。

 一人はイップウ師範。東洋系の身軽そうな服に身を包んだ拳法家だ。清貧で柔和だが、自身の流派を広めるためなら時に暴力も辞さないマジモンのおっさんだ。

 もう一人はサム船長。一年の半分は大陸周辺の外海にいて大物の魔物を狩り、もう半分はその報酬を使い、町でだらだら過ごすスキンヘッドのマッチョ強面おっさんだ。

 そして俺たちの後ろで寝っ転がっているのがシルバースターだ。飲んだくれでギャンブル狂いのおっさんだ。……おっさんばっかじゃん! この空間にはおっさんしかいねえ!

「ゲシュタルト崩壊しそうだ」

 そして俺たちの相手が此度の試練。熊みたいにでかい白狼だった。由来は知らん。所以も知らん。間違いなくエロリットの眷属で、神さまの使いだったんだろうが今は違う。瘴気に飲まれ魔に落ちたモンスターでしかない。

 白狼はなんだか怒りに打ち震えている。リポップした瞬間、俺たちを食らわんと突っ込んできた。横っ飛びで回避する俺。魔物の顎にカウンターを見舞う師範。微動だにしないで得物である巨大な銛をぶん投げる船長。突き刺さる銛。なんやねんこいつら。化け物かな?

「ははッ、いいねえ元気いっぱいじゃねえか!」

 豪快に笑うと、船長は魔物の体に飛び乗った。白狼の脇腹に刺さった巨大な銛を引っこ抜き、そいつを今度は頭蓋へと深く突き刺した。死に瀕して暴れ倒すモンスターだが、船長はその頭上に乗ったまま、なおも銛をぐいぐいと突き刺していく。

 好機。俺と師範は弱っている白狼を横合いからぼこぼこに叩きまくった。俺はその辺で拾った手斧で、師範は拳で。別に船長を援護しているわけではない。ボスがもう持たないので今のうちに信仰心を稼いでいるのだ。


 信仰心を稼ぐにはどうすればいいか。

 俺たちみたいな冒険者の場合、モンスターの討伐が分かりやすい。

 ただ、モンスターを倒すだけで信仰心が得られるという話ではない。止めを刺したものにだけ付与されるわけでもない。戦闘での貢献度に応じて信仰心が得られると言った方が正しい。だから魔物を殺しきれずとも信仰心は入手可能だ。もちろんぶっ殺しきったやつが一等でかい報酬をもらえることに間違いない。それでもボス相手だったらおこぼれ狙って叩きまくるのも全然ありだ。その辺の雑魚を殺すより断然熱い。現にシルバースターは最初からそのつもりで戦闘に参加するそぶりを一切見せない。というかマジで武器すら持っていない感じだ。やつは寝っ転がっているだけで、この場に溢れた信仰心のカスみたいなものを拾っているのだ。クズか。


「おぉらッ、どうしたもう終わりかよ!」

 船長が魔物から離れると、断末魔とともに瘴気が薄れて消えていく。残ったのは瘴気が抜けて小さくなった骸だけだ。よし。俺たちはそれを掻っ捌いて火をおこし始めた。戦利品の分配である。今回止めを刺したのは船長なので、彼が美味しいところを持っていく。さすがにここで揉めるつもりはない。どうせ次もあるんだし。

「船長、次は俺に回してくれよ」

 そう言うと師範が嫌そうな顔をした。なんでだよ。あんたさっき持ってったじゃんか。

「ケイジ。私には金が要る。道場を再興するために……」

「もう百万遍聞いたってその話は。次は俺の番だろ。そしたらまたあんたの番だ」

「仕方あるまい」

 師範は長い息を吐き出すと、構えた。

「拳で決めよう」

 ふざけんな。


 師範が嫌がるのも無理はない。俺たちはこの階層に来てからボスを狩り続けているが、無限には再出現リポップしない。瘴気が薄れれば試練は現れないし、それがいつになるのかはその時になるまで分からないのだ。


「だめだって。おい、シルバースター。あんたからも何か言ってくれ」

「俺ぁ誰が倒してくれたっていいんだがな」

 SSは頭をかきながら座り直して師範をねめつける。

「ここじゃそういう決まりだろ、イップウ。途中で罠を仕掛けたって間抜けを突き落としたって構わんがな、試練の場に辿り着いた時点でそいつらみんな仲間だろ」

 違うか。そう問われて、師範は構えを解いた。まだ納得いっていないらしいが、しゃあない。ここじゃあシルバースターが絶対的存在だからな。

 空気が悪くなったのを嫌がったか、サム船長がことさらにでかい声で笑った。

「やっこさんが出てくるまで時間はある。とりあえず飲んで、食って、英気を養おうじゃねえか」

「……そうだな。白狼の肉は旨い」

 師範も同意し、俺たちは火を囲んだ。



◎〇▲☆△△△



 自分が斥候として先行するという案を出したD・メアは、一向に見送られる形で深層へ向かった。単独行だが彼女にとっては都合がいい。もともと人付き合いは得意ではないし、一人の方が何かとやりやすい。魔物も強大でダンジョン内には変わらず瘴気が立ち込めているが、自分ひとりだけならどうとでもなる。祓魔師とはそういうものだ。異端に対しての抑制力となるべく、聖女や秘蹟省の司祭よりも戦いの場に慣れている。

 メアはモンスターを避けて移動していた。やや頼りないが迷宮の地図もある。簡素なものではあるがないよりましだ。頭に叩き込んだそれを確認しつつも、彼女は不信感を覚えていた。


(数が少ない)


 下へ降りるにつれ、モンスターの数が減っている。正確には、生きているモンスターの数がだ。骸が無造作に転がっていて、メアはそれを見ながら思惟に耽った。

 間違いなく先行者だ。自分たちより先に潜った冒険者がいる。だが、とも思う。その冒険者とはいったい何者なのだろうか、と。ヨドゥンを拠点にし、ガーデンに慣れたものなのは確かだ。だが、ここは勇者シノミヤ一行ですら苦戦するような魔宮である。


(こちらもそれなりの冒険者を雇ったはずだが)


 ギルドから派遣されたのは高レベルの冒険者のはずだ。しかし、彼らもガーデンに慣れているわけではない。他国のダンジョンを攻略したことで鳴らしたそうだが、ここでは大して役に立っていなかった。


「《ガーデン》を攻略できる冒険者ぁ? そんなやつ、まあ、なかなかいないと思うけど」

「ヨドゥン出身のやつだってビビッて入らないんだぜ」


 雇い入れた冒険者はそのようなことも言っていた。


(分からん)


 分からないことが多すぎた。

 そも、メアはダンジョンに関して門外漢なのだ。ヨドゥン出身ではあるが、幼いうちより王都の親戚に引き取られたのであまり覚えていない。そののちは王立神学校に入り、卒業して祓魔師になった。適性ありと見込まれたからだ。故郷に戻ってくるのは、今回が初めてだった。

 もっと言えば、ヨドゥンの町やエロリットの支配地域にあるダンジョンについて詳しいものなどほとんどいない。教会はある種、この町を見捨てている。危険度が高い迷宮があるのも理由の一つだが、やはり血だ。いまだ穢れた血だの土地だのといって毛嫌いする関係者が多いのだ。積極的にかかわろうとするものはいない。

 思考に耽っていたメアだが思わず足を止めた。大蛇だ。体をこわばらせたが、死んでいるのだと分かって安堵の息を吐く。

「これも、先行者が……?」

 大蛇は食い荒らされていた。皮は剥がれ、肉は削がれ、目玉は刳り貫かれて牙も抜かれている。近辺には火を焚いたような痕跡が見受けられた。殺して、食ったのだ。あるいは戦利品として皮を剝いだ。メアは身震いする。その所業が恐ろしかった。

 だが、じきに彼女は思い知る。大蛇よりも何よりも恐ろしいものを目の当たりにするのだった。



◎〇▲☆△△△



 どうせそこにリポップすんのは分かってんだし、俺はトラップを仕掛けた。白狼が出てくるであろう地面には、地の神ディアップルの秘蹟を用いた落とし穴を。その穴には棘を設置しておく。水神と風神の秘蹟を合わせて作ったツララみたいなもんだ。ついでに毒でも撒いておこう。このダンジョンに生息する大蛇由来の猛毒だ。傷口から入れば悶絶すること間違いなし。あとは……。

「おうおう、相変わらずせこい真似しやがる」

 シルバースターが落とし穴を覗きながら鼻で笑う。

「余計なこと言うと落とすからな」

「そいつは困るな。上ってくるのが面倒だ」

「マジで埋めてやろうか」

 言い合ってるうち、瘴気が色濃くなった。おでましだ。ダンジョン全体が震えるような吼え声を放つと、白狼は俺たちに牙を剥きながら穴にはまった。じたばたもがくが、悲しそうに長い声で鳴く。ツララが刺さって毒が回ったのだろう。まだまだ。容赦はしない。してるとやられちまうし。

 取り出しておいた革水筒の中身をぶっかける。酒だ。それが中空にあるうち、水の神の秘蹟を使う。水神スプマンティの権能は拡散・伝播だ。ぶちまけた酒が白狼の体をずぶ濡れにした。次は火の神エングゥリンにお任せである。穴にはまった間抜けに向けて焚火を蹴っ飛ばす。秘蹟を使えば火の勢いは増し、酒に塗れたモンスターの体をじんわりと焼き始める。

「てめー、毒やら火やら使ってんじゃねえよ肉が取れなくなっちまうだろうが!」

「もったいないぞ、ケイジ。いいか。私の国にはこのような言葉がある」

 うるせえな。こいつがどうくたばろうが知ったこっちゃねえんだ。俺の狙いはハナから信仰心なんだよ。素材なんか持って帰んのだるいし、信仰心は一番換金率がいいからな。

「もっと燃えろぉ! エングゥリンボンバー! 風の神よ唸れ! アイナススラッシュー!」

「何を叫んでんだこいつキチ●イか?」

「薬か。それしかない」

「キメてんだろ絶対」

 お前らに言われたくねえよ!

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