第5話
異世界 ジェラーエア大陸 スロープゴット
最も神に嫌悪され、もっとも荒廃が進んだ国だ。他国との折衝が上手くいかず、危険なダンジョン群を割り当てられた貧しい国でもある。
いつ朽ち果ててもおかしくないスロープゴットが生きながらえているのは教会の力によるものが大きい。今でこそ神の影響力は薄れかけているが、神の教えに忠実であり続け、重要な信仰力をためていた。それを駆け引きの材料にすることで窮地を切り抜けてきたのである。だが、今は違う。この世界に生きる人々が信仰力を――神を必要とせずともよくなったからだ。もちろん一時の平穏ではあるが、みな、年を経るごとに神への信仰を忘れ始めている。こうなると危うくなるのがスロープゴットという国であり、その中枢に根差す教会であった。
だからこそ、数十年ぶりに異世界召喚を発動した。
呼び寄せた勇者に信仰心を荒稼ぎしてもらい、均衡を崩す。神の教えは廃れつつあるが完全に消えることなどありえない。約定は生きている。『信仰心を多く集めたものの救済』だ。今や現役の勇者を確保している国はほとんどない。血を受け継いだものはいるがその力は本物と比べれば微々たるものだ。スロープゴットに信仰心を集中させれば他国も無視できまい。大きなアドバンテージを得られる。今一度、十の柱たる神々の威光を知らしめる時が来たのだ。そのうえで返り咲く。教会の狙いはおおよそこのようなものだった。その程度のことは教会に属するものならたいてい察しがつくし、噂話など嫌でも耳に入ってくるものだ。
実際、噂ではない。教会が擁する勇者シノミヤ・マイトには新たな命が下されていた。
勇者シノミヤに仕えることとなった、対異端の専門機関に属する祓魔師D・メアは噂の真偽を確認できる立場にあった。
◎〇▲☆△△△
およそ一年前、十の神々を信仰の対象とする十神教は貯めに貯めた信仰力の数割を勇者召喚につぎ込んだ。これは信仰の薄れつつある他国には到底真似できない規模のものであった。
召喚には種類がある。不慣れなものや信仰心の乏しいものが行えば無作為に何者かが召喚される。男か女かも、善か悪かも、子どもか大人かも選べない。ただ、十神教が此度行ったのは特定の能力を持った人物を呼び寄せる
通常、召喚の儀式は王都タカラマウンドの大教会にて行われる。現れた勇者候補に対しては、所持しているスキルの鑑定を行い、選別する。並行してこの世界の成り立ちやシステムをも説明する。これらは迅速に行わなければならない。候補者が事情を呑み込めないうちに、抗う気力もないうちに、当然のように事態を動かす。そうしてスキルが強く、扱いやすいであろう人材は特級クラスに振り分けて手厚く遇する。教会が有する中でも最高級の物資、人員を投入し、その育成に充てる。攻略しやすいダンジョンに向かわせ、モンスターの討伐で信仰心を集め、教会の思想を理解させる。もちろん彼らは異世界の上位存在であり《十柱》の
二十七の勇者候補のうち、十二の死亡が確認されている。八人は戦いで命を落とし、三人は自死を選び、一人は王都からダンジョンへの移動中、誤って外海に転落して魔物に食われた。教会は手を尽くしたがどうにもならなかった。死の神エロリットの権能の一つに死者の蘇生があるのは有名な話だが、蘇生を行うには大量の信仰心を必要とする。そのうえ、かの神の信徒は数が少なく、権能を扱えるほどの人材ともなれば引く手あまたで方々を飛び回っているのがほとんどだ。
また、八人の行方が分からなくなっている。厳密にはその死体が確認されていないということだ。ほとんどがダンジョン攻略の際に起こった。五人は滑落。一人は魔物に足を食われて連れ去られた。二人は深部へ向かって逃亡。ほとんど死亡扱いだが、国外に勇者を流出させるわけにはいかず、万が一ということもある。そのダンジョンには今も見張りが立てられていた。
残った七のうち、教会が管理しているのは五人だ。それしか手元に残らなかった。
一人は勇者カラスダニ・アツタ。目立った問題こそ起こしていないが、彼はあまりにも気力がなかった。ダンジョン攻略にも十神教の思想にも理解を示さない。教会はあくまで保険として保護している。
一人は勇者サクライ・イッショウ。彼の能力は特異なものであり、人心を掌握する術に長けていた。そのためダンジョン攻略には参加させず、貴族連中を丸め込むべく社交の場での活躍が期待されている。現在は作法を教え込んでいる。
一人は勇者オグリ・アワ。彼女はスキルも性格も優秀だが、信仰心を集めるのに積極的ではなく、矢面に立ちたがらない。教会はその意思を尊重し、聖女のような役割を与えるという選択肢も考えていた。
一人は勇者コイケ・シゲアキ。彼は不届きにも国外への逃亡を試みたため、教会内でおとなしくしてもらっている。
一人は勇者シノミヤ・マイト。彼こそが十神教の鬼札であった。スキルは戦闘向きであり、恵まれた肉体を有している。年相応に感情を発露し、性欲も旺盛だった。振る舞いこそ粗暴だが言われたことはこなす。野心を企むほどの器もなく、女をあてがえば満足するので教会としては扱いやすいことこの上なかった。
勇者シノミヤは既に二つのダンジョンを踏破している。一つは《
もう一つは《
そも、失敗するはずがないのだ。
D・メアの知る限り、勇者シノミヤには教会が保有する中でも最上級の戦力が割かれている。
秘蹟省から派遣された司祭が二名。
聖女三名。《大鉄塔》には及ばないだろうが強力な秘蹟を所有するものが選ばれた。
メアを含めた祓魔師が二名。
聖ブロンデル騎士団序列第五位。波の騎士ホップアップ・ミュラー。
その娘である聖騎士アキ・ミュラーにその従士。
王都の近衛騎士団から五名。
王立神学校からは特に成績優秀な学生が五名。
ギルドから派遣された高レベルの冒険者五名。
加えて、王家からは軍資金や貴重な聖遺物が。教会からは祝福済みのレアメタル装備一式。聖別済のアイテム各種が贈られている。
はっきり言ってしまえば姫道や鳥巣を攻略するには戦力過多もいいところだ。勇者への期待の表れなのだろうが、度が過ぎているようにも思われた。
ただ、そうせざるを得ない理由もあった。
勇者シノミヤが自分の価値を知っているからだ。
シノミヤ・マイトは二十七分の一に過ぎなかった。召喚された勇者候補の中でも特に目立つような人材ではなかった。それが一人、また一人と勇者候補が脱落していくうち、教会はシノミヤへの注力を開始した。当時、彼は素直な優等生であったからだ。勇者シノミヤはドワーフが鍛えた装備を即座に着こなし、エルフから教わった技術も自らのものにした。ダンジョンに巣食う下級の魔物など物の数にも入らない。
勇者シノミヤが教会に対して強く出始めたのは色を知ってからであろう。教会があてがった高級娼婦を抱いた次の日には、シノミヤは別の女を要求した。処女の信徒や聖女でさえも。貴族令嬢や聖騎士さえも。その要求は通り続けた。これからも通り続けるであろう。
教会や王家としても旺盛な性欲は望むところであった。シノミヤの目が女に向いている間は手を嚙まれる心配もない。彼は見目もいい。勇者ならではのステータスのせいか、同性でさえ美しいと思わされるのだ。あてがわれる女も悪い気はしない。何より、その種には金貨が動くほどの価値がある。異世界の勇者には特別な能力があり、現地の人間にとっては埒外のものだ。しかし勇者と交わり子を成せば、その子どもにも能力が発現する可能性がある。自然、勇者は高貴な血筋と交わっていく。事実、現在のスロープゴットの王族や貴族たちにも勇者の血が流れており、微弱ながら力を扱えるものも存在している。
勇者の血は貴重だ。何物にも代えがたい。その血が他所に流れるのを防ぐために勇者は厚遇を受け、管理される。シノミヤはそのことを分かっていた。もうお前らには俺しかいないんだろう、と。だからたいていのわがままは誰もが聞き入れる。だから甘やかさねばならない。勇者の機嫌を損ねれば、かけた時間も、金も、すべて無駄になる。そも、異世界から呼び出された異邦人にとって当然の権利のようなものであった。ただし彼の振る舞いや能力について疑問視しているものもいる。そういった連中を黙らせるため、シノミヤに大きな功徳を積ませたいというのが今回の命――ダンジョンでの試練攻略につながっていた。
試練とは――。
ダンジョンは神域だ。神の御園である。本来なら魔物など現れるはずもない。しかし、人間が踏み荒らしたことで人界の穢れが持ち込まれ、瘴気が発生した。神の眷属は穢れに包まれ魔物と化し、瘴気が新たな魔物を生み出す。時間の経過とともにダンジョン内には濃く、深い瘴気が澱のようにたまり、やがて強大な魔物に変じるのだ。人類はそれを神の授けた試練であると受け止めた。
試練とは強大な魔物を指す。文献を紐解けば王家所属の近衛騎士団で試練に当たったところ、半壊の憂き目にあった、という記述もある。
試練は乗り越えるべきものだろうが、ないならないに越したことはない。だからダンジョンへの進行、モンスターの討伐は定期的に、日常的に行われている。雑魚を駆除しても瘴気は薄れるのだ。これを放置しないために現地人による冒険者部隊が発足された。
一方で、試練の攻略に成功すれば多量の信仰心が入手できる。また、試練が聖遺物や神の
(これで勇者シノミヤ・マイトの立ち位置は盤石なものになるだろう)
同時に、シノミヤを擁する陣営も今後の見通しは明るくなるに違いなかった。
D・メアは部屋の隅に背を預けながら思惟に耽っていた。
暗がりの部屋だ。窓の外には月がぼうと浮かび上がっている。D・メアの護衛対象である勇者シノミヤは、天蓋付きの豪奢な寝台の上で下半身丸出しの女を組み敷いていた。後ろから責め立てられ、あられもない声で善がっているのは東方国の食客たる姫君の護衛剣士である。ここに来た当初は勇者に対してもつっけんどんな態度だったが、すぐに絆された。自分と同じ黒髪であることや顔立ちが似通っているからか、彼女は目下シノミヤのお気に入りだった。
ふ、と、D・メアは勇者シノミヤの背に目をやった。天空神マルタにも並び立てるであろう強靭かつ流麗な肉体美は一流の芸術品に近い。若く、瑞々しく、それでいて獣じみた交合の果てには未来が約束されている。この夜の中、至上の幸福がここにある。雌である以上は決して逃れられないのだ。感情を抑制する訓練を施されているD・メアですら、気を抜けば下腹が疼く。あの雄に抱かれるがために生まれてきたのだと錯覚を起こすほどに。
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