第3話
ここは異世界。
天にまします神さまから終わりを告げられ緩やかに朽ちていく世界。
《十柱》が管理する、夢と希望と欲望に彩られたジェラーエア大陸は端の方、最も神に嫌悪され、最も滅びに近い辺境の国。その名はスロープゴット。かつて人類が危機に陥った時、この世で一番最初に神域へと踏み込んだ不届き物の血族。穢れた血が跋扈するスロープゴット国の寂れた町ヨドゥン。俺はそこにいた。
「しっかしまあ、どうしてこう蛇と狼ばっかりなんかね、ここは」
血振りした得物を鞘に納めて同行者に視線をやる。そいつは不機嫌そうにして眉根を寄せた。
「前にも言ったろう。蛇と狼はエロリットの眷属だ」
「言ったっけ、そんなの」
「言った」
「そうかあ?」
「お前は俺の話を聞かなすぎる」
成り損ないの出来損ないめ。そう言って同行者ことシルバースターは俺に背を向けた。剣の錆にしてやる。そこに転がってる魔物の死体と並べてやるからなジジイ。
出来損ない勇者である俺の修行の日々が始まった。というか始まっていた。
修行っつっても剣を振ったりするんじゃなく、シルバースターにくっついてダンジョンに潜るのがもっぱらだった。彼の後ろでおっかなびっくり歩き、話を聞くだけの日々。そっちのがいい。腕っぷしに自信なんてないのだから。
俺が最初に教わったのはダンジョンの歩き方だった。角を曲がる時は気をつけろとか、一定の歩幅で歩けとか、そんな感じの。それからダンジョン内の水源やら抜け道やら危険な場所について教わったり、モンスターの対処法だったり。戦いは避けられるものならなるべく避けろという心構えや、あると便利なアイテムについて。町では良心的な店の見分け方だったり、友達も紹介された。
一から十まで、全部だった。
俺は本当に何も知らなかったのだ。この世界に召喚されて数か月。俺はまだまだお客さんでしかなかった。そんな俺をここの住人として導いてくれたのがシルバースターだった。
ある日、俺はダンジョン内で酒を勧められた。
「いや、未成年だし」中身はおっさんだけど。
「はあ? 寝言を言うな。酒はこの世で最もよく効く薬だ。お前らの世界じゃあ知らないが、こっちじゃ赤ん坊だって呑んでる。ほら、ぐっといけ」
「いや美味くねえしそれ」
「俺の酒が呑めねえってのか!!!」
「キレんのはっや」怖すぎるだろこいつ。
圧に押されてスキットルの中身を流し込む。喉が焼けそうで悶絶した。
ある日、俺はダンジョン内でたばこを勧められた。
「いや、未成年だし」
「はあ? 馬鹿を言うな。こっちじゃ赤ん坊だって吸ってる。いいか」
シルバースターは煙を吐き出しながら俺に指を突きつけた。
「これはお前が想像するようなものじゃない。ダンジョンで生きていくのに必要なんだ」
どうやら彼が吸っているのは俺が思うような代物ではなく、いわば虫除けなのだという。煙やにおいを嫌った、程度の低い魔物が近づいてこないようにするものらしい。はあ、なるほど。
「生息する魔物に応じて草を使い分けるんだ」
「へー」手渡される箱。そこには紙巻きたばこが数本残っていた。
「どうでもいいけどさ、なんでこんな毒々しいっつーか、おどろおどろしいパッケージなんだ?」
なんか注意書きとかすげえし。
「……あ? おい。人体に悪影響を及ぼすとか書いてあるぞ」
「お前、字なんて読めたのか」
「勇者なめんなよ」
文字に関しては召喚されてから不自由なく使えるわ。勇者の特典か、あるいはコモンスキルのようなものだろう。
「あんたは噓つきのろくでなしだからな。また俺を騙そうとしてるんだろ」
言いつつも、俺はシルバースターが言うとおりにたばこを吸ってみた。これまた喉が焼けそうになって盛大に咳き込んだ。
ある日、何軒かの居酒屋をはしごした後で俺は風俗に連れていかれた。正直酒やたばこなんかよりもテンションが上がったが、ちょっとした怖さもあった。
「いや、こういうのってさ、本当に好きな人とじゃないと……」
「気味悪いこと言うな。こっちじゃ赤ん坊だってやってる。そんなだから女が寄ってこないんだ。今日は稼いだんだろ? しこたま使え。金は天下の回り物だ」
「えー……」
俺の拠点でもあるヨドゥンの町は基本的にガラが悪い。この町は、ガーデンとも呼ばれる神域ダンジョンを攻略する際にできたものでドヤ街じみている。俺のような勇者や冒険者を相手にしている店が多く立ち並んでいた。娼館もそのうちの一つである。
「……俺ぁもっとこう、せっかく異世界に来たんだからさ、エルフとか、猫耳娘とか、どっかのお姫様とかさ、そういうヒロインヒロインしたかわいい子と」
「ほざけ」切って捨てられた。
「れっきとした勇者ならともかく、お前を相手にしてくれるのは娼婦くらいだろうが」
れっきとした勇者なんだけど。
「それにこういうのは金だけで解決するのが楽だぞ。素人とやって痛い目見るよりずっといい」
「まあ、プロに任せるのが一番安心できるというのは、ある」
俺はかつての経験談からも大きく頷いた。
「どっかおすすめの店ある?」
「ついてこい」
「おっぱいでっかい子、いる?」
「任せろ」
気づけば一年が経っていた。俺はもうこの世界の住人なんだ。歩き方も生き方もなんとなくではあるが定まっていた。と、思う。ダンジョンに潜り、モンスターを狩る。そうして集まった信仰心やら副産物をギルドに提出し、報酬をもらう。俺は勇者としてまっとうに責務を果たしていた。
「ういー、よろしく」
ギルドに到着した俺はその辺の椅子を引っ張ってきて窓口近くにどっかりと腰かけた。受付嬢に向けてビカビカ金色に光る報酬石を放り投げ、屋台で買ってきた酒を呷る。仕事終わりのこれはたまんねえぜ。
「……はいはい」
だってのに、なんだ。なんだこのギルドは。この受付嬢の対応は。
「冷たいよな、シルヴィちゃんは」
俺の報酬石を鑑定し、信仰心を確認していた受付嬢ことシルヴィは睨むようにして俺を見上げた。
「昼間っからお酒飲むようなろくでなしのくせに」
「丸三日もダンジョンにこもってたんだぞ。それくらいはいいじゃないか」
「何でもいいんだけどさ、言い訳までして飲むお酒っておいしいの?」
じっとりとした目つきのシルヴィは二〇代半ばのお姉さんである。ヨドゥンの冒険者ギルドの受付嬢だ。しっかり者で仕事もできるし俺も散々世話になってるんだが気の強さだけはいただけない。高名な冒険者パーティのメンバーと結婚して一週間で離婚するほどだ。勝ち気さが災いしたに違いない。
「うるさいなあ」
「あんたまでお父さんみたいにならないでよね」
ん、と、鑑定の終わった報酬石を手渡される。俺は今一度シルヴィの顔を眺めた。意志の強さを示しているであろう、つり目。似ているといえば似ている。……シルバースターに。そう、シルヴィの親父は例のアレだ。二人は親子である。
「誰がなるか、あんなやつに」
「最初のころはさ、あーんなかわいかったのに」
す、と、金銀の硬貨を差し出される。今回の報酬だ。
「今でもかわいいだろ。……えー、おいおいこれっぽっち? 結構頑張ったんだけどなー、ちょっと色つけてよ」
「あほ」とシルヴィは鋭く言ってから、周囲の様子を気にするようにして声を潜めた。
「おまけしてそれなんだよ。えこひいきしてるってバレたら面倒なんだから」
「……あー、なんかごめん。ありがとう」
「はいはい」
それじゃあとギルドを出ようとすると、待ちなと呼び止められた。俺は無視した。
「ちょっ、おい! 聞こえてんでしょ! 無駄遣いしないで貯めときなよ!」
余計なお世話だ。
ギルドを出た俺は通りを外れ、人気の少ない方へと歩いた。潰れた店。空き家。倉庫。倉庫。廃屋。歩くにつれて人がいなくなる。ただ、視線は感じた。わざわざこんなところにまでやってくるやつをじいっと見つめる何か。それを無視しながらずんずん歩く。やがてたどり着いたのはボロッボロの潰れかけの教会だ。
「火ぃある?」
誰もいないであろう敷地内に声を放つと、どんなに甘く見積もってもかたぎではなさそうな男が姿を現した。禿頭の彼は俺をじろりとねめつける。
「火、持ってる?」
もう一度聞き、俺はたばこのパッケージを見せびらかすようにした。趣味の悪い金ぴかのやつだ。男は小さく頷いた。
「『祈らせてくれよ』」
頷くと、男は建物へと歩き出す。俺はその背を追いかけた。くわえたたばこに火をつけて一口。紫煙をたっぷり吸いこんで吐き出した。
俺の目的地は教会の地下にある。賭場だった。出入り口付近には浮浪者めいたやつが下を向いて座り込んでいる。シルバースターだ。ふん。雑魚め。
「あァ……おい、金貸してくれ」
黙ってろ。俺に気づいたSSが足に縋りついて無心をしてくるが肩を蹴飛ばしてやった。
酒。たばこ。女。博打。全てシルバースターから教わったものだ。そこに関してはありがとうとしか言えない。異世界に召喚される前も、その前に死んで転生する前も、俺には大した楽しみなどなかった。今は違う。俺の魂は燃え上がっていて、俺の人生はぴんぴんに張りつめている。モンスターをぶちのめすのも信仰心を稼ぐのだってどうだっていい。王国だとか神さまだとか教会だとかほかの勇者がどうだとか知ったこっちゃねえ。
「勝負勝負。全員路頭に迷わせてやるよ」
さあ、やろうか。胴元のケツの毛全部むしり取ってやるぜ。
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