第21話 果たすべき御役目

   第二十話 果たすべき御役目



 東京都・渋谷区 明治神宮・神聖組屯所——。


「——理由ワケを、お聞かせ願いたい。花沢さん」

 金沢から戻った愛鐘は、帰宅早々、花沢華奈の座敷を訪ねた。

 要件は無論、内閣府副大臣三名を殺害したことについてだ。

 白銀の美貌に縦線を入れ、目前の茨姫を睨む。

 しかし、花沢は愛鐘の問いに対し解答を示さず、——むしろ質疑を重ねた。

「月岡さん、私たちに与えられた御役目とは、いったい何なのかしら——」

「論点を擦り換えないでいただき——」

「——御国の守護? あるいは国の改正? もしくは、ただ攘夷派を弾圧するためだけの殺戮かしら?」

「……………」

 一拍黙り込む愛鐘。

 花沢は頑固だ。ここで押し問答をすることは時間の無駄になる。

 冷静さを保ち、愛鐘は彼女の疑問へ素直に応じる。

「……政府が求めているのは三者。しかし私は一者こそが神聖組の存在意義と心得ております」

「——そう」

 立ち上がる花沢。

 意外にも愛鐘の解答に対する指摘も意見も下さなかった。

 おそらく、彼女の中でも答えが出ていないのだろう。

 この議題。今はまだ、各々の思想に留まっている。

 しかし、それとコレとは話が別だ。

「花沢さん!」

 去ろうとする彼女の背中を、愛鐘はやや昂った声音で呼び止めた。

「まだ私の質問に答えて頂けていません。なぜ内閣府の副大臣を——‼︎」

 終わりを待たずして、花沢は長い髪をわずかに翻し、冷酷な眼光を燻らせた。

「——根本からこの国を正すべきだと思ったから。彼らを斬った理由はそれ以上でもそれ以下でもないわ。やらなくては行けない事だと信じたから斬った。それだけよ」

 そう言って、彼女は大座敷の襖を閉めて行った。

 のちに一帯は極寒と化す。

 静まり返った座敷にて、声を発する者は一人としていない。こういう時、徳山の存在があれば、無神経な言葉と声量で馬鹿をしていたのであろうが、生憎今、彼女を含めた参番隊は巡察に出ている。

 重たい空気が祓われる事はなかった。

 愛鐘も腰を上げ、座敷を後にする。

「皆さん分かっていると思いますが、今回の件、真相は他言無用です」

 そう言って襖を閉めた。

 美海も、彼女の後を追った。

 寂れた神宮の回廊を、二人でゆっくり歩く。

 生い茂った緑の向こうに聳える天空は、灰色の蓋をして日光を覆っている。

 ふと、美海が尋ねた。

「——どうするの? 花沢さんのこと……」

 今その質問は非常に耳が痛い。痛すぎて自慢の美貌が苦渋に歪む。

 けれど、早く手を打たなくては、彼女は今後も自民党内の政治家を抹殺していくだろう。

 愛鐘自身、正直彼らを疎ましく思っていない訳ではない。——ただ、殺害という方法は決してしてはいけないと本能的に思ってしまう。

 ——いや、本当にそうなのだろうか。

 いま愛鐘達が五月雨の構成員を弾圧している状況も同じでは無いのだろうか——。もし、花沢がそれを悟り、真に国を脅かそうとしている者達を斬って回っているのなら、それは後に正義となるのかも知れない。

 斬るべき標的が、揺らぎ始める。

 愛鐘は沈黙を続けた。

 対して、美海の口が開く。

「——花沢さんが言ってた。〝夫兵法は国を治めるの力也〟——万民と同じ土俵に立って居ては、何も変えられない。彼らに出来ないことを勇んで行い、如何なる罪業をも背負う覚悟こそが武士の道だって。〝一殺多生〟が大事なんだって……」

「……………。……武士らしいですね」

 どこか寂しげに微笑む愛鐘。珍しく、花沢の思想に反論を示さなかった。

 正しい歴史を知っていれば、彼女の想い描く武士道は決して間違っていない。

 武士とはいつの時代も、互いの良心に揺るぎない正義を宿し、それを否定されるたびに殺し合ったきた。

 庶民の先に立ち、彼らのために多くの闇を斬り伏せ光を示す。

 唐沢癒雨が想い描く未来も、きっと間違ってはいない。ただその過程に、多くの犠牲が必要となってしまう。そんな最も重い罪を、彼は自身の運命とし、一人で背負おうとしている。闇を知り得たからこそ、それを斬り祓うことこそが自身の専らとした。

 だけど、彼にその技術を教えたのは他の誰でもない月岡愛鐘だ。

 だから愛鐘にも責任はある。

 彼を育んでしまったこと——。

 彼を追い込んでしまったこと——。

 彼を、愛してしまったこと——。

 その全てが、今の動乱を生み出した。

 だからこそあの時決めたのだ。

 彼の代わりにこの国を正し、彼の罪を断つと——。

 揺らぐ所在がどこにある。

 月岡愛鐘、お前の原点を思い出せ——。

 花沢の士道に準ずるのなら、いま愛鐘がすべき事は一つだけだ。

 足を止め、愛鐘の目が真っ直ぐに美海の瞳孔を見据える。

「——美海。この国は私が正します。ですがその為には多くの犠牲を孕みます。私たちはその罪業の悉くを背負わなければなりません。共に来るとなれば、貴女も共犯です。その覚悟はいいですね?」

 我ながら今更だと思う。

 美海も一瞬、頓狂な素振りを見せた。

 しかし、それはもう知れた事だ。

 美海は呆れたような笑みをこぼし、目前の美貌を愛おしげにめでた。

「それ、東京ここに来るときも言ってた。——無論よ」



 東京都・千代田区 内閣府——。

「花沢華奈の身元が特定できました。やはり、元有栖川家の御令嬢のようです。副大臣の暗殺も、次女・有栖川花帆の件による報復でしょうね」

「なぜ有栖川花帆の件がヤツに知れているのだ!」

「おそらく五月雨側からの接触があったのでしょう。水戸の戦乱にて、隠密が居ることは彼らの中でも想像がついているでしょうし、政府間による内部抗争で混乱や戦力の低下を狙うのであれば当然のリークでしょう。しばらく大人しくしているのも、その経過を見計らっているものと思われます」

「情報戦か……。思いのほか狡猾だな」

「如何なさいましょう。有栖川華奈の処遇は——」

「神聖組内で処分させろ。ヤツが我々の事を世間へリークする前に——」

「いずれにせよ有栖川となると、我々にとっては目の上のタンコブですからね。元皇族である以上、手は出せませんし、神聖組内での内部抗争って筋書きなら——ねぇ?」

「では結城友成防衛大臣。あとは頼みましたよ」


 その夕、愛鐘のもとに結城友成から連絡が入った。


 通話を終えて携帯を閉じる愛鐘に、美海は怪訝な様子を見せた。

「誰から?」

「結城公からです。花沢華奈の処遇を私たちに一任するようです」

 あくまでも全ての処断を神聖組に丸投げし、勅命は下さないようだ。相変わらず狡猾だ。いざとなれば全ての責任の所在を彼女達に押し付けられるのだから。

 忌々しげに思いながらも、美海は愛鐘の決断を冷静に伺う。

「愛鐘は、どうするつもり?」

 携帯をしまい、愛鐘は冷血な声音を吐いた。

「こうなった以上仕方ありません。いずれにせよ彼女は私にとっても障害になり、脅威となります。早いうちに手を打てることは、ある意味幸運かも知れませんね」

 将来的に唐沢癒雨を救済する為には、愛鐘自身が頂点に君臨するほか道はない。ゆえに、その障壁となり得る存在は排除しなくてはならないのだ。

 花沢華奈のような傲岸不遜で厚顔無恥な人間は特にだ。今まで話し合いで解決した試しもない。加えて今回の強行——。

 奇しくも、大義名分は成立してしまった。

「——花沢さんには、ここで幕を下ろして頂きます」

 即日決行——。それこそが愛鐘の理想だった。

 何せ相手は豪剣無敗の花沢華奈だ。計画を悟られてはならない。よって長期間の準備は却って不審がられる。

 遠星美海は、防衛省を通じてを発注。

 月岡愛鐘も、この日のうちにを揃えた。

 隊内の三分の一が花沢派に固まっており、残りの半数は新規入隊者。

 この計画を秘匿することが出来ると確信できる者となれば、四国党に限られた。

 一人目は無論、遠星美海。

 二人目は——。

「憂奈ちゃん、少しいいですか?」

 四国館の二階、北側に位置する一室を訪ねた愛鐘。扉の向こうには真紅の髪を下ろした童顔の女の子がくつろいでいた。

 いつもは一つに束ねられている髪も、風呂上がりで解かれていると少々艶っぽい。

 蠱惑的な色気が僅かに感じられる。

 少女は、大きな瞳を円らに瞬かせ、聳え立つ愛鐘を見上げた。

「愛鐘ちゃん? どうしたの?」

「少し、街に出ない? 話したいことがあるの」

 砕いた言葉遣い。その様子に、憂奈は事態の繊細さを悟る。

 二人は一の鳥居から明治神宮を後にし、代々木公園へと入園。バラの園を通過し噴水地へと赴いた。

 念の為ではあるが、帯刀は欠かさなかった。

 愛鐘の腰には『青貝微塵塗鞘大小打刀拵』に包まれた『大和守手掻包永』と『井上真改』がある。

 憂奈の腰にも『溜塗鞘大小打刀拵』を纏った『金烏一文字則宗』と『山城国藤原国広』がある。

 無論、いずれも刀袋が掛けられている。

 攘夷派に神聖組の存在が勘付かれているとの情報がある以上、片時も刀を手放す訳には行かないのだ。

 代々木公園の夜は全くと言っていいほど人が居ない。少し歩けば表参道や原宿、渋谷駅周辺などに歓楽街が広がっているが、池と緑以外何もないこの場所では、宵闇にて近寄る者は皆無だった。

 屯所では花沢派も駐在している。だからこそ此処を選んだのだ。

 愛鐘は、漆黒の池を眺めながら、物憂気に語り出す。

「——私は、花沢を斬る」

 途端、憂奈の気配が凍りつくのを感じた。

 無理もない。彼女と一番親しくしていたのは他ならぬ憂奈なのだから。けれど、だからこそ打ち明けなくては行けなかった。花沢華奈という人物を最も敬愛している彼女だからこそ事の顛末を知っておく必要があると思ったのだ。

 感じた憂奈の寒気へわずかに目を配るも、愛鐘はすぐに言葉を重ねる。

「でも、彼女は強者。一朝一夕じゃ通用しない。けど——」

「あたしを使えば、懐に潜り込めるって?」

「——————」

 流石に鋭いな——。

 いつになく抑揚のない彼女の声が、微かに愛鐘の背筋を気取らせた。

 だけど、偽ることはしない。なぜなら仲間だから。——友達だから。

「——そうよ。でも、もし憂奈ちゃんがやりたくないって言うなら、強制はしない」

 あくまでも憂奈が味方側であると想定して話を進める愛鐘。こういう処は、やはりまだ青い。

 憂奈はその意表を見逃しはしなかった。

「ならあたし、華奈ちゃんを守るね」

「え——?」

 鯉口に手を掛け、愛鐘へと向く憂奈。

 思わず、愛鐘は現実を疑った。

「どうしたの? 愛鐘ちゃん。構えないの?」

 愛鐘はこれでも喧嘩無敗の鬼小町だ。一息もすれば解る。迎える憂奈に殺意はない。

 平然とした様子で、愛鐘は柵にもたれ掛かり、池の方へと向き直った。

「——憂奈ちゃん。私ね、夢があるの。だからこの決断を曲げるつもりはないよ。たとえ、本当に憂奈ちゃんがその気でも——」

 もたれていた体を起こし、再び憂奈へと向く愛鐘。自らの眼に黄金色の満月を浮かべた。

「手加減しないから」

 憂奈も熟練者だ。だからこそ解る。この人にはきっと敵わないと——。

 恋は盲目。

 一人の青年に恋した彼女は、その忠義を果たすまで進み続けるのだろう。たとえどんな大きな壁が立ち塞がっても、傍若無人に斬り裂いて——。

 憂奈は、鯉口に掛けていた手を放し、宵闇の彼方を眺めた。

「——愛鐘ちゃんには敵わないなぁ。そう分かった上で、ダメ押しに脅してみたけど……そんなんで揺らぐような覚悟なら、最初から持ち合わせてないもんね」

 少しだけ入っていた肩の力が、仕切りに抜けていく愛鐘。

 内心では、少々戸惑っていた。

 憂奈も決意を固めたようで、初心を思い出す。


 あたしが此処に上ってきた理由意味——。

 イヤなんだ、誰かが苦しむこと——、辛い思いをすること——。

 陰鬱な空気で満たされた世界が、あたしは嫌いだ。

 だからこそ、少しでも誰かに喜んで貰いたくて、楽しんで欲しくて、自分の流派で曲芸染みた剣術を披露した。

 でも、皆んなはそんなあたしを嘲笑った。

 喜んでくれていたんじゃなくて、馬鹿にしていただけだった。

 どうしたら、皆んなが心の底から喜んでくれるのか、笑顔になってくれるのか、ずっと考えてきた。

 その答えに辿り着いたのが、この神聖組。

 景気を悪くしているヤツが居る。

 国民を苦しめている元凶がある。

 あたしは正したい。この国を日の本らしく、暗闇のない明るい国にしたい。


「——元々、あたしは何も背負ってないんだから、より率先して動かなきゃダメだったんだよね……きっと」

 柵の上で小さな手を握り、拳をつくる憂奈。

 一人でに後悔を刻む彼女に、愛鐘は訝しげに首を傾けた。

「……憂奈ちゃん?」

 冷たく乾燥した風が流れ始め、僅かに地面を転がっていた木の葉が穏やかに舞い上がる。仕切りに、憂奈の首が愛鐘を向いた。

「一つ確認させて、愛鐘ちゃん。華奈ちゃんを斬ることは、これから先の未来で、多くの人々を笑顔にする事ができる? 彼女の死は、ちゃんとこの日の本を照らす兆しになる?」

 彼女の問い掛けに、愛鐘の視線は落ち、声色も濁ってしまう。

「それは、まだ分かりません。けれど、私の夢が叶えば、必ずこの国は救われます。そのとき花沢は間違いなく障害になる。それだけは事実なんです。これから先、私の夢が叶う保証はありません。ですが、歯車の一つにはなります。彼女の死を無駄にしないかどうか——私達がただの罪人にならないかどうかは、これからの私たちの尽力次第です」

 口調が変わった彼女に、憂奈はどこか安心した様子で微笑んだ。

「ならいいんだ。協力するよ。その代わり、一の太刀はあたしに譲ってね? 華奈ちゃんの部屋のことはあたしが一番知ってるから。部屋の広さ、間取り、玄関口から寝室までの歩幅数。天井までの高さ、鴨居との距離、全部把握してるよ」

「もちろんです。では私は、余の方に徹しますね」

 密談はこれにて終了。

 二人は怪しまれない内に代々木公園を後にし、神宮を目指した。

 道中、神園町の交差点付近で、慌てた様子の御仁を目に止めた。

 よく見れば、彼だけではない。何やら街が騒々しい。

 いつも騒々しくはあるが、今回のものはいつもとは異なる。——どこか不穏な空気だ。

「御仁、いかがなさいましたか?」

 柔和な物腰で男性を訪ねる愛鐘。

 一瞬、とんでもない美少女に声を掛けられ困惑した御仁だが、すぐに我に還って早口で説明を始めた。

「え? あ、いや……なんか攘夷派の連中と思しき集団がの方で問題になってるみたいでさぁ。女性が一人斬られたんだよ。警察や機動隊が駆けつけるも、連中喫茶店に立てこもってそれっきり……。世も末だなたくっ……」

 愛鐘も憂奈も、まず最初に攘夷派・五月雨による反抗を疑った。

「また異人斬りですか?」

 しかし、御仁は首を横に振った。

「——いや、日本人だよ。長尾ながお景子けいこって女性で、なんでも声優事務所の社長なんだとか」

 すぐに検索をかける。

 ——長尾景子は、どうやら『株式会社・ナイトムーン』と呼ばれる企業の代表取締役のようだ。

 『ナイトムーン』は『ナイトグループ』と呼ばれる『株式会社・ナイトクリエイティブ』を中核とする組織の一つで、主に広告代理店やテレビ番組制作、音響制作およびタレントマネージメントの事業などを営む企業。その中に『鳴神なるかみ』と呼ばれる声優事務所があり、長尾景子はそこの社長でもあるらしい。

 昨今、この『株式会社・ナイトクリエイティブ』が制作した作品の配信権を隣国に売り渡し、そこで行われるイベントに際し『鳴神』に所属する声優タレントを頻繁に彼らの国へと渡らせていたようだ。しかも、その隣国というのが——。

「反日派の巣窟か……。攘夷派が悲憤するわけよね……」

 つまり、この長尾景子という人物は、彼らで云うところの〝売国奴〟に当たる。

 だが、ここである疑念が浮かび上がる。

「——これ、五月雨の犯行?」

 彼らは政治家を悉く惨殺して回ったが、この手の企業に手を出すことはなかった。憶測だが、おそらく、一民間企業に過ぎない彼らが、国を脅かすほどの驚異にはなり得ないと五月雨は留意していたのだろう。

 しかし、現に事件は起きている。事実を確かめない事には議論していても灯台下暗しであろう。

 愛鐘は、憂奈と目を合わせると互いに頷き、御仁へと振り返った。

「御仁、その場所へ案内して頂けますか?」

「え——?」



 有無を言わさず案内させたのは、ブラームスの小径こみちと呼ばれる、原宿の観光名所の一つ。

 原宿駅前から竹下通りへと参入してすぐの脇道にある狭い路地だ。

 洋風の景観が広がり、異国的な雰囲気を味わえることで有名だ。

 しかし、今となっては血の気が漂い、被害女性の遺体が見え隠れしている始末。

 駆けつけた特殊機動隊によって退路を塞がれた彼らは已むを得ず、小径の中腹に位置する喫茶店に立て籠ったらしい。

 本来であれば、愛鐘達のような少女が立ち入れる状態ではないが、規制線を張っている警察は、彼女達の制服を見るなり萎縮し、敬礼した。

「お、お疲れ様です‼︎」

 二人は、正絹で織り込まれた黒の膝丈セーラーワンピースで身を固め、腰には伸縮性のあるベルトが備え付けられている。無論、ここには大小二振りの刀が差されている。

 普通に帯刀すると歩いている内に刀は自然と縦を向くようになっており、この上に更に丈が膝下ほどまである赤羽織を纏うことで装備を隠蔽しているようだった。この色ならば返り血を浴びても差して目立たない。

 胸元に飾られたリボンの色は役職によって異なるようで、前回にも示したが壱番隊の長である憂奈は真朱。副長の愛鐘は青藍となっている。

 ちなみに、局長の遠星美海と花沢華奈のリボンは紫紺だ。

 警察は敬礼後、丁寧な所作で規制線テープをめくり、道を譲った。

 御仁はさぞかし驚いた。

「あ、あの嬢ちゃん達……いったい何者や——」

 現場へと侵入した愛鐘と憂奈。

 敵が立て籠っている喫茶店は、煉瓦造りの石段を一つ上がった先の、二階が正面玄関となっている。逆に、その階段以外の出入り口は他にない。

 あまりの好条件に、意図せず愛鐘の口角が上がる。

「憂奈さんはこの階段下を固めていてください。中へは私が行きます」

「愛鐘ちゃんの声であたしが入るってのはダメ?」

「——————」

 一瞬、良い案だとは思ったが、その必要は今はない。

 愛鐘は顎をしゃくった。

「そうしなくてはいけない日も近そうですね」

 言い捨てて、喫茶店内部へと侵入する。

 憂奈は抜刀し、その出入り口となる一角に仁王立ちした。

 中は洋風の景観が行き届いた風情ある内装だ。辺り一帯から、紅茶の香りが匂い立つ。

 被疑者の気配は上の方からだ。

 愛鐘は物音はおろか、足音一つ立てず、ゆっくりと階段を登った。

 今し方談笑していた男達。人数は八人。みな体格に恵まれており、それぞれ貫禄がある。一人で相手するには少し厳しいとさえ思えてくる。

 しかし、そんな強面の彼らでも、なんの前触れもなく、不気味なほど緩慢と入ってきた愛鐘の異様な雰囲気を前にしては、笑みを絶やして緊張を走らせた。

 艶やかな白銀の髪に端正な目鼻立ち。潤滑な肌は雪とさえ見紛うほど白く、紅を引かずとも瑞々しい唇は強かに潤っている。されど、その見目麗しい姿とは裏腹に漂う、何人をも寄せ付けない無敵の風格。

「何者だ、娘——」

 ただでさえ恐ろしく、厳かな顔立ちを、更に険しくする男達。その相貌に浮かべたのは、警戒と敵意。

 愛鐘は彼らの畏怖を歓迎した。

「良いツラね」

 目前の美少女を前にしても決してあなどることをしなかった彼らに、敬意を表したのだ。

 しかし、その笑みは彼らの神経を逆撫でする結果となる。

 嘲笑を受けた男達の逆鱗が、瞬く間にして逆立つ。

「無礼者が‼︎ 名を名乗れと言っている‼︎」

 傍らにあった刀を持ち上げ、鞘の小尻を勢いよく床に叩きつける野郎。

 愛鐘は羽織を脱ぎ捨て、刀を覆っていた布袋を払いとった。

「——神聖組副長・月岡愛鐘」

 勇ましい声明と共に、愛鐘は腰に帯びていた手掻包永の鯉口に手を掛けて股立の姿勢をとる。

「詮議します。署までご同道を——」

 瞬間、男達の畏怖の相が瞬く間に危機へと変わる。

 立ち上がり、抜刀する彼ら。初太刀を担った先頭の男は遠慮なく抜刀し、上段から愛鐘へと間合いを詰める。

 振りかぶったそのガラ空きの胴を、愛鐘は抜き打ちに躊躇なく斬り裂いた。

 跳ね上がる血飛沫が、天井にまで到達する。

 愛鐘は最中を駆け抜け、瞬時にバルコニーに面する掃き出し窓へと立ち塞がった。

 喧嘩の定席。

 相手の退路を塞いだのだ。

 同時に、いざとなれば自分も逃げることが出来るという一石二鳥。

 正面玄関には憂奈が居るため、これにて彼らは袋の鼠。——そんな事など知る由もない彼らはみっともなく正面玄関からの逃亡を図った。

 しかし——。

「なっ——⁈」

「残念だったね! ここから先は通行止めだよ!」

 闇夜に燃ゆる、豪華絢爛な金烏の重花丁子が、遁走する彼らを待ち受けて居た。

「ちくしょオオオォォォォッッッッ‼︎」

 半ばヤケクソ気味に肉薄してくる先陣。

 鮮やかな段映りを見せる刀身が、左袈裟から駆け抜ける。

 憂奈はこれを傍らほんの寸分に避け、刀の軌道上から身を外した。

 抜け落ちた刀が止まる寸前の須臾しゅゆを見計らい、その棟に自身の刃を被せて巻き落とす。この時、一瞬、軸足を刈足に捌くことで敢えて重心を崩し、倒れる体を元に戻さんとする反射的な運動で二の太刀を入れる。

 反りの運動も合わさり、勢いよく転覆する男の刀。反動でわずかに傾いた彼の右籠手へ、憂奈は重心の乗った渾身の一撃を振り下ろした。

 あえなく切断される、男の右腕。

 多量の血液が氾濫し、激痛に悶えて倒れ込んだ。

 間髪入れず、憂奈は彼を踏み台に跳躍。続く剣客の群れへと潜り込んで行った。

 ——一方、店内二階では依然として猛々しい剣戟が鳴り響いていた。

 耳をつんざくような鋼の重奏。

 茜色の火花を散らし、刀同士が共振する。

 一人が横薙ぎに振るってきた刀に対し、愛鐘は腰を引いて包永を直立させた。衝突した瞬間に刀身の上下を反転させて相手の刀を落とす。続けて左脚を踏み出し、その者の頸動脈を絶ち斬った。

 矢継ぎ早に右傍らから迫る剣尖を左傍らに逸れながら跳躍し、着地と同時に一息に打ち落とす。息つく間もなく刀を切り返し、相手方の水月を穿つ。

 絶えぬ猛攻。

 倒れ込む男の陰から、また別の男が真っ向から刀を振り下ろして来た。

 愛鐘は左脚を外しながら、右足を同方向へ刈足に捌いて刀を身代わりとす。

 衝撃に刀を弾ませ旋回。仮足によって倒れ込む重心を治める流れで、左袈裟から迎えた首に一閃を刻む。

 跳ね回る血飛沫に、わずかに目を細める。

 繻子の如き美しき銀髪が、瞬く間に朱へと染色された。

 間合いが二寸五分外れた愛鐘に、抜け落ちた相手の刀が当たる事はなかった。

「はぁ…はぁ…はぁ…」

 流石に人数過多だ。

 疲労が蓄積している。

 しかし、まだあと一人残っている。

 何やら嬉々として楽しそうな面を浮かべている、実に緊張感のない男——。

 一眼見ただけで理解した。彼の持つ刀は、極めて稀な上物だ。

 緻密に敷かれた米糠肌こぬかはだの清美な地鉄に、小沸づいた直刃の刃文がしなやかに延びている。こんな肌と刃文を出す刀工は、愛鐘の知る中で一人だけ——。


 ——肥前忠吉。


 名刀中の名刀——肥前国(長崎県)の名物だ。

 愛鐘は目前の忠吉を一瞥すると、踵を返し、窓の外を望んだ。喫茶店のバルコニーへと跳梁し、四メートル半ほどの高さをモノともせずに飛び降りた。

 追って、忠吉の剣客も降下してくる。

 細い小径を真っ直ぐ遁走する愛鐘。道中、憂奈が取りこぼしたであろう輩と対敵したが、邪魔なので通り過ぎ様に包永を走らせて斬り伏せた。

 倒れ込む肉塊を掻い潜り、彼女は等々、竹下通りの往来へと姿を現す。

 忠吉の刺客も、次いで小径から臨場する。

 響き渡る断末魔。

 原宿で抜刀した者達が往来を駆けていては無理もない。

 だが、事態に出逢わすなり逃げ出す者もいれば、スマホで撮影を始める者も健在した。

 二人は原宿駅竹下口を左折し、明治神宮の正門前に位置する神宮橋へと漂着した。ここなら、応援が望めると思った愛鐘の起点である。

 鳴り響く剣戟に、群衆の悲鳴が調和する。

 振り下ろされた忠吉を寸前で傍らに逸れて躱し、愛鐘はその棟に自身の包永を被せる。互いの刀身が十字を切る形を取ると、柔軟な手の内で巻き上げ下籠手を狙う。

 飛び退きこれを避ける忠吉。着地と同時に再度身を乗り出し刀を振りかぶった。

 見切る愛鐘。左脚を退き外側へと逸らしながら、自身の包永で目前の忠吉を迎える。

 途端に散華する火花。

 衝突した瞬間に右足を刈足に捌いてこれをなやし、反動に任せて刀を旋回。忠吉剣士の首を捉える。

 しかし、これは先ほども見せた技——。

 予め想定していたのだろう。

 互いに跳ね返った忠吉が旋回した包永を逆さまから歓迎した。さらに持ち上げるようにして包永を跳ね上げ、旋回させて横一文字を刻む。

 地面とほぼ平行に体を寝かし虚空を横転する愛鐘の身体。その真下を忠吉の直刃が疾駆。着地と共に低姿勢から肉薄し、包永を左右に重複させながら忠吉を牽制した。最後には鋒から刀身を振り上げ、敵の股間を狙う。

 されど、忠吉は大きく飛び退いてこれを回避。低姿勢の愛鐘の喉元に鋒をかざした。

 対する愛鐘も振り上げた刀を不動とし、彼の首を捉える。

 互いの剣尖が、共に互いの急所に向かい合う。

 既に街中は大恐慌だ。

「——誰か警察を呼べ‼︎ 若い男女が斬り合ってるぞ‼︎」

「ほ、本物——ッ⁈」

 しかし、愛鐘は有象無象には気を配らず、目前の男を睨み上げるばかりだった。

 対局した時から胸内に渦巻いていた違和感——その正体を真剣に見極める。

「——伺えば、被害女性は一民間企業の社長。刃を向ける道理などないと存じ得ますが、一体何の大義があって彼女を殺めたのですか?」

 問いただす愛鐘。

 男は沈黙を貫く。

 互いに神宮橋の一角を徘徊しながら、刃を向け合う。

 しばらくした頃、ようやく男の口が開いた。

「……奴を通じ、反日派が我が国を侵食する。現に『鳴神』に所属する女性声優の一人が彼らに惑わされ韓流に乗じた。SNSでは連中の食文化を真似ただの言語を習得しただの実に非国民的な内容ばかりが綴られている。他の声優に飛び火するのも時間の問題だ」

「それは個人の自由でしょう。あなた方に彼女達の生活を批評する筋合いはどこにもないと思いますが——」

「それが欧州や北欧ならばまだ良かったろう。俺とて口は挟むまい。何故よりにもよって反日派が跳梁する国なのだ! 俺にはそれがどうしても解せんのだ!」

「………………」

 やはり——彼らは五月雨の工作員ではない。行動原理、指針の悉くが私怨だ。御国の為などついでに過ぎないのだろう。

 愛鐘の目が、次第に黒く荒んでいく。

「——声優なんて所詮、使い捨ての道化でしょう」

 途端、男の目に篝火が灯った。

 予兆のない突進。

 突風の如き一撃が愛鐘の水月を捉えた。

「————ッ⁈」

 寸前で後退し間合いを取ろうとした愛鐘だったが、同じくして迎えた鋒は展延を成した。

「(片手平突き——ッ⁈)」

 見覚えのある剣技。

 思わず半身に捌いてこれを躱したが、すぐに打算だと気づく。

「(しま——ッ⁈)」

 虚空を駆け抜けた忠吉の鋒がその場で返り、間髪入れずに横薙ぎの一閃を刻む。

 半身になったばかりの愛鐘に回避する術はない。

 だからこそ愛鐘は、相手の刀が加速するより先に、彼の懐へと潜り込んだ。

「なに——⁈」

 忠吉の刀身が、愛鐘の胴中に刻まれる。

「ぐ——ッ‼︎」

 しかし、加速前の一撃であったがために、致命傷にはならなかった。

 愛鐘はそのまま彼の襟元を掴み取り、刀で牽制しつつ膝裏を折って地面へと倒し込んだ。

 忠吉の握られる右籠手を脇差・井上真改で抑え、首筋には手掻包永を添える。このまま警察が来るまで抑えようと思ったが、現実はそう優しくはなかった。

「——退け‼︎ 月岡は私が斬る‼︎」

 聴き馴染みのある声だった。

 今の傷で新手と対峙するのはあまりにも部が悪い。

 愛鐘は忠吉剣士のアキレス腱を絶ち、身動きを封じてからその場を離れようと試みた。

 しかし——。

「ゆかせん‼︎」

 有象無象が障壁となって立ち塞がる。

 斬り掛かってくる野郎の刀を真改で受け、包永でそのはらわたを刻む。

 二刀流など、生まれて初めて実践した。

 だが、女の身で大刀を片手で振れば、右腕に掛かる負担は甚大だった。

 力尽き、包永を地面に突き刺して往生する愛鐘。

 既に六人以上もの手練れを相手にしている彼女の体力は、もはや皆無に等しかった。

 息を荒げ、肩を上下させる彼女の隙を、また一人とこれ見よがしに捉える。

 万事休すか——。

 そう思われた刹那、聴き覚えのある男の音声が轟いた。

「君達は見聞役だ‼︎」

 襲撃せんとしていた者の刀が止まる。

 顔を上げた愛鐘の目には、懐かしき喧嘩相手の顔が立っていた。

 それは、およそ十年以上も前の宿縁——。

 唐沢癒雨を禍いたらしめた全ての元凶——。

 実の兄でありながら、彼の全てを狂わせた、最低最悪の魔敵——。

 されど愛鐘は微笑んだ。どこか嘲笑うように。滑稽そうに——。

「……なんだ、誰かと思えば、唐沢からさわ彗治けいじか……」

 かつて実弟に負わされた傷が癒えきれず、あとが残ったままの顔が、こちらを忌まわしげに見下している。——実に惨めだ。

 全身の痣はもちろん、大破した頭蓋骨の前頭部を補うため、琺瑯ほうろう製の額当てをしている。これが極めて無骨で不気味。子供泣かせも甚だしい風貌を醸し出している。

 それでも、彼は勇ましく、過去の遺恨を表に現す。

「因縁だな、阿州の鬼小町——」

 無理をするな。癒雨にすら敗北したお前では、私の足元にも及ばぬ。愛鐘はそう思い、余裕綽々とした面で、彼を見上げる。

「まったくです……。それで、いかがですか? 弟さんに付けられた傷のほどは——」

 煽る愛鐘。敢えてその神経を逆撫で、逆鱗に障るが如く。

 彗治は股立に平正眼の構えをとったまま、決して侮らぬ姿勢で応じる。

「そうだな——お陰様で末梢神経が麻痺していてな、今や体のおよそ半分の機能を機械に任せる始末だ。しかしこれが思いのほか優秀でな、全盛期の時より調子が良いぞ」

 要はサイボーグだ。

 こんなゴミクズでも、時代の流れと文明の進歩がその命を生かしてしまうとは、もはや皮肉を通り越して陰毛のこずえにも及ぶほどの嫌味だ。

「良い御身分ですね。馬糞臭いクソ餓鬼でも、上京すれば一丁前に大口を叩けるみたいで安心しました」

「馬糞臭いのはお互い様だ」

 浮かぶ美貌に反比例するほどの言葉遣い。

 睨み合いが続き、徐々に互いの間合いを詰めていく二人。今にも死闘が始まらんとした局面——直後、唐沢彗治の取り巻きらしき人物達が数人、酷く慌てた様子で躍り出てきた。

「ダメです唐沢さん‼︎ 戻ってください‼︎」

「今はマズいですよ‼︎」

 隙だった。

 愛鐘はこれ見よがしに遁走。

 拠点である明治神宮へ逃げ込めばその時点で神聖組の内状が露見するため、愛鐘は五輪歩道橋を渡って南下。水無橋を横断して渋谷の住宅地へと消えていった。

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