第22話 結び合う願い


   第二十一節 結び合う願い



 水無橋を渡り直進した愛鐘は表参道へと臨場。右折し明治通りに合流すると、しばらく疾走し、キャットストリートへと逸れて行った。その後もいくつかの路地を右往左往して追っ手を巻き、小さな神社に逃げ込んだ。

 追跡者の気配が無いことを確認し、鳥居の前で血塗れの刀身を袖の内側で拭う。その後すぐに鞘へと納め、愛鐘は境内の木陰に隠れた。

 肥前忠吉の剣客から受けた傷の手当てを行う。

「……………」

 自前の手拭いを二つに千切り、胸元と腕に負った傷を止血する。

 当然だが、物凄く痛い。

 奥歯を噛み締めながら激痛を呑み殺し、強めに縛る。

 極めて激しく荒い呼吸を長らく続けていると、その異様な彼女の気配に気づいた神社の経営主が恐る恐る訪ねてきた。

「……傷の手当てなら、中で診るわよ……」

 経営主——といっても、その風姿はまだ少女。愛鐘と同年代か、おそらく二、三歳ほど下だろう。

 艶やかな金色の髪に赤いカチューシャを飾った、巫女装束の娘。

 愛鐘は御言葉に甘え、巫女の申し出に応じることにした。

 連れられたのは境内の離れにある屋敷。ごく一般的な日本家屋だ。されど武家屋敷ほど大きくはない。

「そこに座って、今救急キットを持ってくるから……」

 どこか尊大な佇まいで、かの巫女は戸棚の中を漁り始めた。そこから白箱を取り出し、再び愛鐘へと歩み寄る。

「傷口見せて」

 愛鐘は思った。

 ——この子、どこか昔の私とよく似ている。

 尊大で、生意気で、底知れない自信を慎むこともなくひけらかす。

 唐沢癒雨と出会う前の壊滅的な自分自身——。

 けれど、愛鐘の傷を丁寧に労わる姿は、見かけの風貌に相応しい清廉さだった。

「——お訊きにならないんですね。この傷のこと……」

 仕切りに、右傍らに置いた自身の刀——手掻包永と井上真改を見やる。こんな物を持ち歩き、同時に刀疵を負った少女など、明らかに異常だ。それを何を聞くでもなく、無償で手当てしてくれるなど、目前の巫女は一体どういうつもりなのだろう。

 巫女は、気取る様子もなく答える。

「だってどうでもいいもの。貴女がどこで何をしていようと——。私はただ、負傷した女の子が自分の御社で体を休めていたから、その偶然の縁に結びを施したまでよ」

 結び——?

 独特な表現の仕方だなと。つい感心してしまった。

 巫女はその後も、淡々と話を続ける。

「お母さんがね、縁は大切にしなさいって——。巫女なら尚更……。神社は神域だから、来る者を拒まない。善人だろうと悪人だろうと関係ない。命はみな平等——。どんな人にだって苦悩はあって、その人だけの役割がある。考えてもみなさい。およそ英雄と謳われる存在は、対となる悪が居なければ絶対に成り立たない。皆んなが想う理想は、現実が無くては成立しない。だからこの神社では、本来人が悪いとするモノを一極端に線引きせず、善きものと結びつけることを慣わしとしているの。木花咲耶姫という神様の神話が、正にその教訓を表しているから、ぜひ読んでみると良いわ。人は、善悪の矛盾によって支えられているのよ。だから私たちは、それを結びつける。——もう二度と、大切なものを取りこぼさないようにね」

 物憂気に語る彼女はどこか、後悔しているような口ぶりだった。まるで、もうすでに、何かを失ってしまったかのように——。

 愛鐘も同じだから解る。彼女もまた、大切なものを取りこぼした。互いが互いの役割に固執し、共生できなかった。


『真っ黒な世界で生きた人間が楽な道を知ると思うか⁈ お前が闇を知らないように俺も光を知らない‼︎ 光を知らない俺が、光の道を歩けるはずないだろ‼︎』


 鮮烈に、その苦い言葉が蘇る。

 もし、愛鐘が一緒に、彼の闇を受け入れられたのなら——。

 もし、癒雨が一緒に、光の道を歩めていたのなら——。

 二人は切り離されずに済んだのかも知れない。

 渦巻く後悔に、喉の潤いが枯渇する。

 だからこそだろうか——。

 つい、求めてしまった。侘しさを紛らわす何かを——。

「あなたも……何かを失ったの?」

 巫女は黙り込んだ。

 けれど、それも一呼吸の束の間。

 手当が終わり、膝の上へと置かれた巫女の手が、おもむろに閉じる。

「……ずっとずっと、大嫌いだった子がいたの。その子は、高校に入って初めて出逢った子でね。ある時、一つの分野でそれなりに大きな結果を出したのよ。私も、ずっと特別な何かに成りたくて、彼女達の後を追うようになった。だけど、どれだけ頑張っても、私が真ん中で輝くことは出来なくて、一丁前にプライドだけが高かった私は、彼女がずっと好きだったソレを、真っ向からけなしたのよ。以来、私たちは犬猿の仲——。私は相変わらず日陰の存在。——なのに、あの子は最後の最後まで、どこに居ようと私を見つけ出しては『この世界の素晴らしさを解らせてやる』なんて言って突っかかって来て、ずっとずっと、街の片隅に居るような私を、ついに日の当たる場所に導いてくれた。それでもやっぱり、〝あの子のお陰だ〟なんて事実を受け入れ切れなくて、私と彼女はぶつかり続けた……。そして去年——唐沢癒雨による攘夷断行が開始してから突然、その子とは連絡が取れなくなった。こんな動乱の真っ只中だもの。きっと、彼女のような外来種に……居場所なんてなかったのよ。……だけど、散々目の敵にしていて、散々鬱陶しく思っていたのに、いざ本当に居なくなれば、こんなにも寂しくなるなんて……思いもしなかった——」

 巫女の声が、冷たく震え始めた。

「身勝手よね……あれだけの事をしたのに、せめてただ一言、伝えさせてなんて——」

 なんて酷い話だろうか——。

 古い鏡を見せつけられているようだ——。

 同じように意地を張り続けた結果、取り返しがつかなくなってしまった青年を、愛鐘はよく知っている。

 既視感が拭いきれない話に唖然としながらも、愛鐘はその人物のことを伺う。

「その子って——」

「ええ……中国人よ。だから攘夷が流行した今、彼女は迫害の対象だった……」

「あなたの方から逢いに行くことは……?」

「居場所も分からないのに、出来るわけないでしょ……」

 それもそうか——。

 しかし、だからと言って二人を切り離す理由にはならない。

 経験則ゆえに、愛鐘はどうしても、この二人のことを放っては置けなかった。

「——申し遅れました。私は、防衛省お預かり。隠密・神聖組副長の月岡愛鐘と申します」

 本来秘密にしなくてはならない情報を全て開示した。これが愛鐘の真意だ。

 巫女は、さぞ驚いたように目を瞠った。当然だろう。こんな話、俄かには信じがたい。

 だが、彼女は思いのほか賢かったようで、すぐに冷静さを取り戻した。おそらく警察による五月雨の弾圧が未だ行われていない理由と結びつけたのだろう。

「……私は、すみれ。ただのすみれよ……」

「ではすみれさん。大変差し出がましいとは承知の上で口を挟ませていただきます」

 真剣を装う愛鐘。しかし、彼女の美貌は、自身の後悔を隠し切れてはいなかった。

 今にも泣き出しそうな純白の月魄が、淡い光を灯して語りかける。

「——どうか諦めないでください。その子の背中を追い続けてください。……でなくては、あなたはきっと後悔します。そしてきっとその子も、あなたが追いかけて来てくれるのをずっと待っています!」

「あなたに何が解るって言うのよ‼︎」

 すみれの、ただひたすらに隠し続けてきた積年の自己嫌悪と劣等感が、愛鐘の無神経な発言によって爆発。勢いに任せて愛鐘の襟元を掴み上げさせた。——菊花紋章が刺繍され、見事な錦仕立てで編まれた、その制服の——。

 巫女ならば解釈は容易だ。

 錦の菊花紋が何を意味するのか——。

「あなたみたいな……世界の中心を立てる人間に………ッ‼︎」

 果てには涙に目を燻らせ、ありったけの妬みをぶつけて来た。

 けれど、愛鐘は反抗しない。むしろ悲しげに微笑み、その不浄を歓迎した。

「解りますよ。だってその子は……今までずっと、といがみ合って来たのでしょう? 意地を張り続けながら、ずっと——」

 争いは同じレベルの者同士でしか発生しない。とはよく言ったものだ。

 すみれが意地になり続けた結果がこれなら、きっと相手側も同じだろう。

 何より、愛鐘には癒雨との前例がある。

「きっと今も……意地を張り続けているんだと思います。たとえば——」

 あの時の癒雨の思いを、今の彼女達に代入するのならば——。

「〝これは異人である自分の責任だから、すみれさんには関係ない〟とか——」

 攘夷派の矛先は、異人と、利己的な政府以外には向かない。だからこそ、異人である者がその場を離れれば、周囲に危害が及ぶことはなくなる。

 大切な人に負担を掛けることも——。

「そんな——」

 否定をしようとしたすみれの口が、途端に途切れる。

 やがて月光は、彼女の原点へと光を射し込む。

「——結びつけることがこの神社の御加護なんですよね? なら、その子との縁は尚更、切り離してはイケないのではなくて?」

 掴まれていた手が解かれる。

 力を失くしたように、すみれは畳に膝をついた。

「……けど、どうしろって言うのよ……。私にはどうすることも——」

 単純明快——。

 愛鐘は真っ直ぐな眼差しで答える。

「私たち神聖組に協力していただけませんか?」

「きょうりょく……? わ、私に……人を斬れとでも言うの?」

「そうではありません。実は、私たちは隠密と称しておりながら、既に過激派攘夷師団の『五月雨』一派に存在が知られております」

 まだ確証はないが、十中八九そうだろう。

 思い返されるのは、つい先刻のブラームスの小径における戦闘。


『——無礼だろ名を名乗れ‼︎』

『——神聖組・副長、月岡愛鐘』


 途端、彼らの形相が真っ青になったのだ。

 あれは確実に知っている顔だ。

 おそらく——まだ断定は出来ないが、隊内に内通者が居る。

 正直愛鐘は、犬猿の仲にあるが故に、花沢華奈を疑っている。あるいはその腹心、逢野賢志——。

 いずれにせよ、愛鐘達が表立って行動すれば、彼らは必ず雲隠れする。

 だからこそ、第三者の協力が必要不可欠だと睨んでいたのだ。

「——そこで、すみれさんであれば、神聖組の隊士ではありませんし、素性は割れておりません。一般人のフリをして、五月雨の情報を探って欲しいのです」

「いや、私一応アイドルとしても活動してて——」

「——アイドル?」

 言葉のままの意味らしい。どうやら今では一躍有名らしく、東京都民ならば、おそらくほとんどの人間が認知しているのだとか——。

 いや、むしろ好都合だ。

「なら、余計怪しまれることはありませんね。表向きはアイドル。しかし裏では、動乱にかげる諜報員。貴女にしか出来ない役割です」

 何故か何処となく、口角が上がるすみれ。しかしそれを欺くように傍らを向いた彼女は、落ち着かない様子を示した。

「ギャラはいくら出るの?」

「ぎゃら?」

「契約するなら、当然相応の給与は期待していいのよね?」

「あ、ええ——。それなら防衛省に掛け合って——」

「ぼ、防衛省——ッ⁈」

 愛鐘の言葉を遮り愕然とするすみれ。どうや先刻の話を聞いていなかったようだ。

 一瞬、きょとん、とした愛鐘だったが、すぐに気を取り直して謙虚な微笑みを浮かべた。

「——? ええ。先程申し上げた通り、私たちは防衛省預かりですので……」

 純白の美貌が、清楚に光る。やはり猫をかぶっている姿は実に清廉だ。

 すみれは、そんなお手本にも等しい慎ましさを前に、顔の半分をかげらせた。強欲な自身の所業を後ろめたく思ったのだろう。

「……そ、そうだったわね……。ごめんなさい、図々しいことを……」

「いえ、すみれさんのおっしゃる事もご尤もですから——。それで、受けて下さるんですよね? 神聖組・監察方の御役目——」

「もちろんよ。やるわったらやってやるわ‼︎」


 待っていなさい。絶対にアンタを、取り戻してみせるんだから——‼︎


 彼女の存在は完全秘匿。愛鐘は隊内の誰にも、——遠星美海にさえ話しはしなかった。誰が五月雨と通じているか定かでないことに加え、彼女の特性を存分に生かす目的から、愛鐘は露見を避けた。

 すみれは、完全なる透明人間にする。




 同刻——。

 局長・遠星美海は花沢華奈を訪ねた。

 警戒心を煽らぬよう、武装は全て解除し、丸腰でその敷居を跨ぐ。

「花沢さん、少しお話しよろしいですか?」

 花沢の機嫌は、大層悪かった。一言生意気を利けば途端に斬り掛かって来そうなほどの邪気に満ちていた。彼女はその憤慨の所在を、あえて露わにする。

「——アナタも、副大臣の件を咎めに来たの?」

 おそらく、彼女自身も自分のしたことの過ちを理解している。その上で、もう後戻りを許されなくなった自身の酷な立場と、わざわざそれを大っぴらに責め立てに来る者たちの性の悪さに、抑え切ることの出来ない憤りを感じているのだろう。

 しかし、美海にそんなつもりはない。何故なら、もう断罪の福音は下っているのだから。

 美海はスカートの裾を右手で折り、左膝からゆっくりと腰を下ろした。

「咎めに来た——というよりは、花沢さんに改めていただきたく参りました」

「改める——?」

 花沢の顔が、より一層怪訝に歪む。

 されど美海は真っ直ぐな姿勢を崩さない。

「はい。先程、内閣府参謀の方々に連絡を取りました。花沢さんら和解のため、盃を共にしないかと——。分裂しつつあるこの国を再び治める為には、まず我々が一丸とならなくてはいけません。だからこそ、花沢さんや政府の方々には、和平していただきたいのです」

「正気?」

「無論です」

 当たり前だが、冗談で整えられる席ではない。

 美海は曇りなき眼で花沢の疑わしげな目を迎えた。

 花沢は、膳に置かれた盃へと視線を下ろし、手に取った。

「——ことに、アナタと月岡は昔からの馴染みだそうね」

「それがなにか?」

「彼女、強いわよね。私も一度やり合ったことがあるけれど、——正しく鬼のようだった」

 白河東湖の時の件か——。今となっては懐かしささえ感じる。

「憂奈が仲裁した時の件ですね。存じております」

 酒を一口運び、再び花沢の口が開く。

「攘夷一派を殲滅すれば、神聖組私たちの御役目は終わるわ。その時、あれだけの能力を持った月岡愛鐘は、政府にとって間違いなく目の上のたんこぶとなるでしょうね。もしそこで、月岡愛鐘が暗殺されたとなれば、貴方はそれを潔しとできる?」

 意地の悪い質問だ。

 是なら非道——友情を超えた彼女との関係は終わる。

 否なら同類——花沢華奈を改めさせる権利など有りはしない。

 美海は——。

「……それは、多分……無理だと思います。……ですが、だからと言って、その関係者の方々へ報復することにはなり得ません。その悲しみを、私はそっと静かに——」

「彼女は国のために全霊を尽くしたのに? 万民のために至極誠実に生きたのに?」

 絶えず飛び跳ねる花沢の不満——。

 美海は、言葉を失ってしまった。

 ふと、花沢の気持ちが分かるような気がしてきたからだ。

「それは——」

「誰かのために懸命を尽くしたのに、その報いがこれじゃあ、——本人は言うに及ばず、残された者たちだって納得出来ないわよね」

 仄かに、花沢の瞳が蒼く陰る。

「納得できない事を正すこともまた、武き者の道のりよ」

「人の命を奪ってもですか⁈」

「人間は過ちを繰り返すものよ。花帆にした事を、彼らはこれから先もする。——でも、彼らが居なくなれば、そのあるかも知れない犠牲をゼロに出来る。見せしめにもなれば、模倣犯も現れなくなるのよ」

「————っ⁈」

 どこまで行っても、この花沢華奈という女は、自分以外の誰かを見据えている。

 憎むことの出来ない——不純な悪。

 彼女は、善と悪を選別出来ている。使い熟しているんだ。

 やはり美海には、彼女を断罪する縁がどうしても持てない。

 目標に眩む彼女の眼孔。そこへ、花沢は蒼みの消えた真摯な目を向けた。

「未来の誰かのため——戒めを背負うこともまた武き者の務めであり、それこそが、凡そ武士と呼ばれる、人よりも大いなる力を持った者の存在意義だと私は思うわ」

「————」

 腰を上げ、背を向けていく花沢を横目に、美海は行き場のない感情を密かに噛み殺す。

 部屋の襖が開かれ、花沢が退室しようとすると、突然訪問してきた朝陽憂奈と出会い頭になった。

「わぁ——っ⁈」

「ゆ、ゆうな——っ⁈」

 あわや衝突寸前の間際に、流石の花沢も驚いた。だがどうしてか、僅かに強張っていた頬の硬直が緩む。

 憂奈は、彼女の困惑を嬉々として迎えた。

「ビックリした〜‼︎」

「どうしたのよ、突然……」

「それが、さっきブラームス小径で攘夷派の志士達と交戦しちゃって……敵の一人に愛鐘ちゃんが斬られたんだ!」

 気まずそうに語る憂奈の発言に、美海の瞳孔が開いた。

「本当なの⁈」

 立ち上がり、明らかな動揺を見せる美海。

 憂奈は花沢の影から二寸ばかり姿を見せ、物々しく話す。

「……うん。で、でも安心して! 幸い致命傷にはなってないみたいだから! 神宮橋の方まで戦闘が続いたけど、その後はどこに行ったのかあたしも知らなくて——」

「神宮橋から逃げるってなると、表参道を通って青山方面に向かったか、ファイヤー通りから渋谷のセンター街付近に行ったかね」

「いや、愛鐘ちゃんは歩道橋を登ってたから、多分方角的には青山の方だと思う」

 花沢の推察を、憂奈は確かな目撃談から一蹴する。

 すると美海は刀を手に取り二つに結ばれた長い髪を翻した。

「すぐに向かいましょう。まだ追っ手が愛鐘を狙っているかも知れないし、負傷しているとなれば、流石の愛鐘でも分が悪い……」

「うん! 華奈ちゃんはどうする?」

 上目を向けてくる憂奈に、花沢は一呼吸置いた。

 周知の事実だが、花沢華奈と月岡愛鐘は犬猿の仲。助けに行く義理などあるはずもない。

 しかし——。

「憂奈が行くなら、私も行こうかしら。あの子に借しを作るのも悪くないしね」

 愛鐘からしたら御免被るだろう。故に美海もやや猜疑さいぎ的に顔を顰めた。

 反して憂奈は前向きだ。

「ありがとう華奈ちゃん!」

 太陽のような満面の笑みが、真朱の相貌からあふれ出す。

 本当に、どこまでも純粋な子なのだと感心する反面、その青さがのちの彼女の行く末を濁らせる。

 屯所を出た三人は、神宮橋に残っていた血痕を頼りに愛鐘を探した。

 憂奈の目撃通り、彼女は歩道橋を渡って水無橋を通過。明治通りへと参入している事が分かった。

 そこからは血も止まり始めたのか、血痕は残されておらず、手探りで聞き込みをしながら捜索した。

「——良かったわ」

 ふと、美海が吐露した。

「出血が止まっているなら、本当に大事は無さそうね」

 血走っていた瞳孔は落ち着きを取り戻し、今では穏やかな凪の海のようだ。

 しかし、だからと言って安心しきることは出来ない。まだ宵の間。追っ手の存在を否定できない。

「早く見つけないと——」

 途端に言葉を詰まらせる美海。辺りを見回していた最中に、一匹の子猫を見つける。

「……この子……」

 その猫は、艶やかな黒い毛並みに、到底似つかわしくない赤身を帯びていた。まるで、上から赤い染色液を数滴被ったかのように——。

 死戦を潜り抜けて来た美海達が見紛うはずもない——明らかなる血の気。

 途端、子猫は尾を返して走り出した。

 美海達はすかさず後を追う。

「待ちなさい!」

 その果てに、一棟の神社へと招かれた。

「……神社?」

 鳥居をくぐり、境内へと足を踏み入れると、小さな女の子が美海達を歓迎する。

「あ! さっきの人と同じ制服! お姉ちゃーん! お迎えの人来たよー‼︎」

 どうやら当たりのようだ。

 少女が社務所の裏側へと走り去って行くと、入れ違いに、彼女とよく似た金髪の巫女が姿を見せた。

 彼女の臨場——否、姿に、一瞬、萎縮する美海達。

 無理もない。

 何せその仙女の御尊顔は極めて精巧な目鼻立ちをしていたのだから。

 加えて、身に纏われた装束に甚く相応しい鮮麗な美髪。紛れもない美少女だ。

 赤いカチューシャもよく似合っている。

 女は、少々冷淡とも言える物腰で美海達を迎えた。

「月岡愛鐘さんのお連れ様……で、いいのよね?」

 タメ口——?

「——はい。間違いありません。私は遠星美海と申します」

「花沢華奈よ」

「朝陽憂奈だ!」

 愛鐘の容体を心配したのか、やや落ち着かない様子の美海に反し、花沢は相も変わらず高圧的だ。

 そして憂奈は例に漏れず元気いっぱい。

「——私はすみれ。愛鐘の手当てをした者よ。今本人に確認を取るから、しばらく待ってなさい」

 金髪の巫女——すみれは、そう言って踵を返した。

 だが、金色の髪が鮮やかに翻った瞬間——仕切りに、憂奈へと側目を向ける。

「——あなた……顔が私の後輩にそっくりなのね」

「ふええ?」

 酷く抽象的で含みのある発言だった。

 とある子役に似ているとは散々言われたが、他にも似た顔立ちの子が居るのか——。

 しばらくすると、再びすみれが出てきた。

「日が昇るまで、今夜ははここで過ごしましょうって——愛鐘からの提案よ。私は別に構わないけど、どうするの?」

 ——賢明だ。愛鐘に手傷を負わせた者を含め、攘夷志士の残党は夜中愛鐘達を探るかも知れない。

 だが、日が昇ればそれも容易くはないだろう。

 悩む道理はなかった。

「では、御言葉に甘えさせていただきます」

 正直、現状は非常に難儀だ。頭も胃も痛くなる。

 五月雨とは別と思しき攘夷志士たちの台頭に、花沢華奈の処遇。——問題は山積みだ。一つでも早期解決を願いたいところだが、今身動きすれば更なる問題が発生する可能性は否めない。一度落ち着いて、これら状況の整理と、それを打開するための思案もするには、ある意味いい機会なのかも知れない。

 今宵、美海は神域の夜風に浸りながら、今後を模索した。——決して悔いの残らない、最善の道を。

 東京の夜空は、徳島ほど星の見栄えが良くない。街の灯りが強すぎて、星の光が翳っているのだ。まるで、今の時世を写しているように——。

 どれだけ大地を輝かせようと、星々が月面のように照ることはない。


『 ——かきくらし 時めく宵に星うつし 天の岩屋戸 月にたぐへむ 』


 物憂気に謳ったのは、月岡愛鐘だ。傍らにはすみれも居る。

「愛鐘?」

「私の友達にも、和歌をたしなむ子が居るわ。よくもまぁそう易々と思いつくなと、感心するほどにね。——どう言う意味なの?」

 知人の慣わしを懐かしむすみれ。仕切りに和歌の意図を尋ねると、愛鐘は星も月も見えない黒い天蓋を仰いだ。

「——満天の星空になぞらえどれだけ夜を栄えても、星々が月のように照ることはない。故にこの現世うつしよもまた、光にかすむ星々に同じ」

 彼女は物憂気に、遥か遠くの輝きを憂いた。

「……違いないわね」

 嘆息する美海。

 すみれも、その道理の無慈悲さをよく知っていたようで——。

「スポットライトが当たれば、その他の光は霞むのが世のことわりだものね。星がどれだけ輝こうとも、太陽には敵わないのよ」

 どこか忌々しげに、わずかばかりの悔恨をこぼした。

 しかし——。

「でも、その一つ一つの星々が結び合わされば、太陽とはまた違った美しさになるよ」

「憂奈ちゃん……」

 眩いだけの太陽には、星座のような絶景は生み出せない——ということだろう。

 悔いの秘められたすみれの拳に、憂奈はそっと自身の柔らかな手を添える。

「あたし達は神様じゃないから、こうやって手と手を取り合って、皆んなで一緒に未来を創造するんだ。大切な人たちが一緒なら、どんな困難だって乗り越えられる。一人じゃないってだけで、心はどこまでも前に進んで行ける。辛いこと、苦しいことも、皆んなで半分こにすれば、喜びは倍に出来る。だからこれは〝みんなで叶える物語〟だ!」

 すみれと繋いだ右手に対し、空いたもう片方の手を愛鐘と結んだ。

 愛鐘は納得したように彼女の手を歓迎し、自身の左手を美海へと託す。

「そうですね。憂奈さんのおっしゃる通りです」

 そして美海の左手がすみれへと還り、円環を成した。

「では叶えましょう。皆さんの、如何なる願いも——」

 だがやはり、結び合わさったその円に、花沢の姿は無かった。

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