第18話 殃禍の胎動


   第十七節 殃禍の胎動



 伏見玲依が佩刀はいとうを得た中、南班の朝陽憂奈ら一行は岡山県の撃剣道場をしらみつぶしに当たっていた。

 応募資格としては目録以上の者に限定し、剣術の他にも柔術や槍術、他異国の武道でも構いはしなかった。

 もちろん、政府御用達の公安隠密組織ともなれば、年頃の男の子たちは大喜び。有無を言わずに入隊を応諾する者が多かった。

 ——反面、多少素行の悪い道場になると、喧嘩腰で煽り散らかして来る者も居た。

「こんな女子おなご共に政府の拠り所が務まるとはなぁ〜。よっぽどのモノなんやろ? どうや、アンタらの実力、見せてもらおか?」

 あまりに若すぎる佳容な少女達へ、政府の方針を疑った彼ら——。

「——のぞむところよ。今に吠え面かかせてあげるわ」

 先陣を切って挑んで行ったのは花沢だった。

 これがもうスゴいのなんの。

 一対一で勝負をし、勝者が残り、敗者は交代。勝ち続ける限り矢継ぎ早に戦い続けるという形式の試合をしたのだが、花沢華奈はなんと六十人抜き。——化け物です。

 彼女の剣技は、女とは思えないほどの尋常ならざる剛腕を生かした真正面からの肉薄を得意としていた。よく言えば正々堂々。悪く言えば、とても獰猛かつ野心的だ。

 その剣は「力の剣法」と呼ばれ、略打を許さず、強かに真を打つ、渾身の一撃を一本としていた。よって、門徒のほとんどが膂力に優れ、本試合に置いては花沢華奈の技に胴を突かれ、壁面まで吹っ飛ぶ者もいたほどだ。

 しかし、彼女とて一塊の人間。さすがに体力の限界が来ると一本を取られ後退した。

 朝陽憂奈は利口者で、相手に負担がないよう立ち回った。

 相手が変わる度に、

「——お願いします!」

 と、元気よく挨拶をしたり、花沢よりよっぽど礼儀正しかった。

 竹刀で相手を打つ際はあえて力を弱め、痛みが軽減されるよう工夫するなど優しい剣を扱った。

 結局、桜の出番は無く、二人で総勢百二十名もの門徒を討ち払った。

 最初こそ険悪だった相手方は、憂奈の優しさと強さに惚れ、是非とも入隊したい、と、よりすがってくるほどに落とされた。

 さすがに全員となると、他の班から募った者達も含めた時に規定員を超えてしまうため、ここは保留とした。

 それに、まだ九州の方も残っており、どんな強者が居るか計り知れない。

 最終的に、憂奈や花沢の判断で選りすぐりの隊士を決める。

 選考が終わり次第、結果を連絡し、合格者には上洛してもらう手筈だ。

 これを二週間にわたって続け、隊士募集も大詰めとなっていた頃——。九州から戻った南班を待ち受けていたのは、完成したエマ・フランベルジュの佩刀だった。

 備前に居を構える刀鍛冶、諸富勝也に依頼していたものである。

 机の上の刀掛けに置かれた大小二振りの日本刀。

 本差——。

 刃長二尺六寸。

 身幅一寸一部六厘。

 反り六分九厘。

 バランスの取れた優美な反りを持つ鎬造。

 棟はポピュラーな庵棟。

 鍛え肌は絹織物のように微塵に詰んだ小板目肌で鍛え目は瞭然とはっきりしている。

 平地には地沸が微塵に厚くつき、きめ細かな美肌を感じさせる。

 刃文は一文字派の特徴をふんだんに表し、重花丁子交じりの逆丁子乱れを、思う存分に焼き入れている。さながら、無数に重なり合った八重桜の如し。極めて熾烈絢爛な刃文だ。

 朝陽憂奈の物と特徴が似ているが、彼女の佩刀よりも丁子の刃文が激しくなっている。無論、足や葉は随所にこぼれ粟立ち、差し詰め炎上する桜並木と云ったところだろうか。荒々しくも華々しい非常に豪壮な太刀姿だ。

 鋒は鎌倉時代中期の特色を模した猪首いくび切先で、その刃文、帽子は掃きかけ小丸に返っている。

 憂奈の佩刀とは異なり、棒樋はない。

 続いて脇差——。

 刃長二尺。

 身幅九分。

 反り七分三厘。

 身幅広く、重ねが厚い、どこか堀川派を彷彿とさせる太刀姿だ。

 一目見て目立つのは、何といっても鎬に細く掘られた二本の棒樋だろう。表裏共に凛然と彫刻されている。

 肌は典型的な板目肌に、地沸が緻密に執着している。

 直刃を基調とした刃文には皆焼ひたつらが各所に散り、物打ちには金筋が入っている。

 鋒は小切先となり、一枚帽子。

 最後はこしらえ——。

 鞘は漆を塗り込んだ表面に金を蒔いた梨地塗りであり、これは蒔絵まきえの一種、金平目地きんぴらめじと言う。濃淡な深紅を土台に、小さな金粒子を砂塵のようにばら撒いた様相だ。名をつけるなら『金梨地大小打刀拵』である。

 柄巻きは蘇芳色の諸捻巻もろひねりまき

 鍔は丸型鉄地の夫婦のさぎが互いのいななきに呼応する姿が描かれている。

 見事な出来に、言葉を失い圧巻するエマ。

 諸富は、置かれた品を見下ろしながら、概要の説明を行なう。

「——大刀の銘は『備前国比留間吉房作之/令和二十四年霜月』。号を付けるなら山鳥毛ならぬ〝炎鳥毛えんちょうもう〟ってとこかな。〝紅鶴べにづる一文字〟とかも良いかもね。エマさんの猛々しい恋情を炎のような刃文にして再現してみた。お次は脇差の方なんだけど……銘を掘るのが面倒臭くなっちゃってね、悪いけど無銘だ」

 おい——。

「棒樋を二本敷いたのは、君とその思い人が寄り添いあって歩けるようにと願いを込めた。皆焼は、二人が互いを強く想い合うことで深まっていく、それぞれの心をイメージした」

 飾られた大刀を手に取り、燃え盛る業火の刃文に目を焼かれる。

「……すごい……」

 何度見直しても見事な出来栄えだ。

 今まで、日本刀という物を漠然と目にした事はあるが、これほど美しい物をエマは見たことがなかった。

 恍惚と、我を忘れたように見入ってしまう。

 エマの様子に、諸富は苦笑する。

「あっははは! 続きは是非、ご帰宅なさってからにするといいよ。その方がゆっくりと拝めるだろうしね」

「そ、そうですよね!」

 彼の言葉に、エマもようやく我を取り戻し、二振りの刀を鞘へと納め、外帯を巻いた腰へとく。

「では、お世話になりました!」

「ええ。また何かあれば気兼ねなく連絡ください。いつでもお待ちしております」

 無事にエマの刀問題を解決し、備前を後にする南班。

 遠征もこれにて幕引きとなり、彼女達は新幹線へ乗るため岡山駅へと向かった。



 一方、他班はというと——。

 北部、逢野賢志おおのけんしの北班は宮城県・仙台市に居を据える撃剣道場『神武館』を訪ねていた。

 ここは大正時代に発祥した〝夢想神伝流〟を生業とする道場で、なんでも現代居合道の母体となった流派らしい。

 逢野は事の経緯を説明すると、最後にこう言い放った。

「——是非ともキミたちには、現代の卑弥呼ひみこになって頂きたい‼︎」

 なんの脈絡もない横暴かつ不条理な発言だが、——彼は顔が良かった。

「きゃああああぁぁぁ〜〜〜〜〜〜っっ‼︎ 一生ついて行きまあ〜すっ!」



 月岡愛鐘が率いる関西の西班は地獄絵図であった。

 叩いた門は、大阪一の道場と名高い〝虎嘯白蓮こしょうびゃくれん流〟の『虎洞館こどうかん』。

 訪問に当たり事の経緯を説明すると、彼らは愛鐘たちを嘲笑うように爆笑した。

「はっ! 笑かさんな! アンタらみたいな小っせぇメス餓鬼に何が出来るって言うんや‼︎ 現行政府はこないな女子共に頼らなあかんほど力不足なのか⁈ えぇ〜ッ⁈」

 腹を抱えて大口を開き、飛沫の悉くを浴びせてくる男達。されど愛鐘は清麗な佇まいで組んだ正座を崩さず、煮え滾る思いを噛み殺した。

「発言に嘘偽りは御座いません。全て事実で御座います」

 慎ましく、淑やかな振る舞いを決して損なわせない強情さ。鬼小町にしては偉業だった。

 しかし——。

「はっ! アヒャヒャヒャヒャッ‼︎ おい聞いたかいな! コイツはとんだ笑いもんやで‼︎」

「ならアンタらはお役御免や‼︎ もうこれ以上、嬢ちゃん達が怖い思いをする必要はあらへんでぇ〜? なにせこれからは俺達がおるさかいなァ。今日はホンマよう来てくれたわ。せいぜい帰省先のマムシくせぇひなで官僚共に売る予定やったその汚ねぇ乳首とマ◯コを、チ◯コに脳みそ付けた荒戎あらえびすどもにしゃぶらせて、わしの不甲斐なさをなぐさめてもらい——」


 ——日本刀は、日本古来の武器であると同時に、鉄の美的な要素を極限まで引き出した芸術として、日本のみならず世界的に高く評価されて来ました。

 今回は、そんな日本刀の刀匠一派『福岡一文字派』についてご紹介いたします。


 ※ただいま、大変お見苦しい描写が流れております。しばらくお待ちください。


 福岡一文字——。

 鎌倉時代初期に端を発した備前国の刀工一派で、山城伝(京都府)、大和伝(奈良県)、備前伝(岡山県)、相州伝(神奈川県)、そして美濃伝(岐阜県)と共に、五箇伝の一つとしても数えられています。

 本作では、朝陽憂奈、伏見玲依、エマ・フランベルジュが佩刀する、この福岡一文字。

 福岡——という名前の由来は、岡山県吉井川の東岸にある備前長船おさふね福岡の地で起こったことが起源とされており、後鳥羽院番鍛冶を務めたとされる古備前派こびぜんは則宗のりむねが福岡一文字派の祖とされています。

 則宗の作品とて有名なのは二振り。

 室町時代初代将軍・足利あしかが尊氏たかうじの佩刀『二つ銘則宗』。

 新選組第一番隊組長・沖田総司の佩刀『菊一文字則宗』。

 双方、名実ともに数々の戦乱を潜り抜けた名刀です。

 他にも、一文字派の名刀といえば『山鳥毛さんちょうもう』や『岡田切おかだぎり吉房よしふさ』でしょう。

 岡田切については、本作でも何度か触れた作品ではありますが、今一度、詳しくご紹介いたしましょう。

 時は天正てんしょう十年(一五八二年)——。

 織田信長が「本能寺の変」でたおれたあと、彼の次男、織田信雄は信長の後継者争いにて、当時信長から最も信頼を寄せられていた豊臣秀吉と対立しました。

 二年後、天正十二年(一五八四年)——。

 織田信雄は、豊臣秀吉から、当時家臣であった岡田重孝しげたか津川義冬つがわよしふゆ浅井長時あざいながときが内通のため仕向けた密偵であったことを明かされます。

 これに激怒した信雄は、彼ら三人を伊勢国(三重県)長島城に呼び出し抹殺。その際、扱われた太刀が、——この吉房であり、のちに岡田切という号が与えられたのです。

 ——さて、続いて紹介する作品は、太刀・『山鳥毛』。

 山鳥毛は、上杉謙信の愛刀として知られています。

 豪華絢爛な丁子乱れの刃文が、まるで山鳥の毛が逆立ったように見えることから、この号が与えられました。

 上杉謙信は永享えいきょう二年(一五三〇年)、越後えちご守護代しゅごだい長尾為景ながおためかげの四男として生まれました。当時の名前は長尾景虎かげとらと言い、永禄えいろく四年(一五六一年)に長尾氏の主家である関東官領、上杉憲政のりまさの養子となったことで名を上杉政虎まさとらと改めたのです。その後、上杉氏が代々務めてきた〝関東管領〟の職を継承しました。

 のち、上杉輝虎てるとらと再度改名。最後は法号として、上杉謙信を名乗ったのです。

 彼の愛刀としてもう一つ知られるのが、同じく一文字派が一振り『姫鶴一文字』ですが、それはまた次の機会に——。


 ——どうやら、大阪道場の不貞者達は、阿州の鬼小町の脅威を存分に味わったようだ。

 門徒の全員が漏れなく身ぐるみを剥がされ、あざだらけの痛ましい体で、座布団もなしに正座を組まされている。

「ずびばぜんでぢだアアァァ————ッッ‼︎」

 大の大人が硬い道場の床に紫色の体を預け、涙ながらに懺悔する姿はもはや世紀末だ。

 月岡愛鐘は単身で、彼ら六十名あまりの大男達をのしたのだ。

 悠然と手をはたき、落ち着いた佇まいで忠告を下す。

「——これに懲りたら、これからはもっと外交的に人と接することね。私だからよかったものの、もしもお相手が暴力団の御息女だったなら、貴方達は今頃、大阪湾の奥底よ?」

 仕切りに、室伏理北を一瞥いちべつする。

 出家しているから良かったものの、もしまだ彼女と親の間にえにしがあったのなら、愛鐘の言うことも現実になっていただろう。

 愛鐘はおもむろにスカートを抑え、右脚からゆっくりと腰を下ろし、その場に座した。

 目線を彼らと合わせると、上品な笑みを浮かべる。

「——ですが、立ち会いは上々。剣術のスキルはほとんどが目録以上とお見受けします。さすがは関西一と言われる撃剣道場ですね」

 ——可愛い。

 誰もがそう思った。

 彼女のあまりの奇天烈ぶりで忘れているかも知れないが、月岡愛鐘は一応、今世紀一の美少女である。

 そして同時にもう一つ——。

 彼女の強さは完全に人の領域を超越しているものであり、月岡愛鐘という人間を基準に物事を考えるとロクな事がない。

 つまり一般的な観点からすれば、この大阪道場は選りすぐりの強者達が集まるエリート軍団なのだ。

「え——?」

 目前の白き美貌に見惚れていた彼らの意識が我へと帰る。

——褒められたのか?

——あんな手も足も出なかったのに?

 見ての通り、全身痣だらけの男達に比べて、月岡愛鐘は綺麗なものだった。潤い豊かな純白の肌が、今も麗々しく艶めいている。

 この女に遭遇すると、生前の価値観が転覆する。

 依然、目を白黒させる男達。

 愛鐘は、より麗らかに微笑む。

「——合格です♪」

 だが、人智を遥かに凌駕した愛鐘の恐ろしさは、すでに男達のトラウマとなり、彼らの多くをこの日の下から葬り去った。


 ——そして、関東。来島伊予率いる東班の状況は深刻だった。


 訪れたのは、茨城県に位置する〝浅山一伝流〟の撃剣道場『弘道館』。

 戦国時代から続く由緒正しき古流剣術であり、参勤交代を経て全国に広まった名だたる流派だ。

「戦国の剣」という事から、その戦い方は甲冑の着用を想定した上での合戦における一対多数の斬り合いを軸としており、特徴は〝より速く、より多くの一撃を流れるように繰り出す〟ことに由来する。そのため、斬撃が絶えず振るわれる流水の如き技が多い。

 そして実は、月岡愛鐘の生家『月岡家』が相伝している古流剣術〝月華天翔流〟はこの〝浅山一伝流〟の分派に当たる。

 阿波国(徳島県)と言えば〝柳生新陰流〟が有名だが、参勤交代以降は〝浅山一伝流〟の色も此処では強くなった。

 道場の門を叩いた時、出来る限り穏便に行こうという伊予の目論見は、隣人の無作法な態度によって水泡に終わった。

「——頼もう‼︎」

 嬉々として門をやぶり、勢いよく躍動したのは原田彩果だ。

 彼女の先駆けを制止できなかった伊予は、待ち受ける最悪の展開を想像し嘆息する。

「……原田さん。それは道場破りの際に使う言葉ですよ」

「え、違うの? 一人残らず叩きのめして連行していく手筈じゃ——」

「それはきっと原田さんの存在しない記憶です」

「えぇ〜……つまんない」

 左腰の『津田越前守助広』の鯉口に手をかけていた原田の戦意が鎮む。

 眉間には皺を寄せ、彼女は心底不満気に下顎をしゃくった。

 どうにか事態の収集に成功したと思い、人知れず胸を撫で下ろした伊予。しかしそれも一時のもの。好戦的な原田の態度に神経を逆撫でられた一匹の雌猫が、尊大な出で立ちをもって歩み出た。

「——あら、随分と可愛い子猫ちゃんが紛れ込んだと思ったら、獰猛な蜜蜂の類いだったかしら?」

 こちらを小馬鹿にするような、煽動的な声音。

 甘くも蠱惑的な、実に淫猥な声だった。

 煽られたと感じ、敵意剥き出しで振り返る原田。

 蜜蜂改め、雀蜂のような形相で迎える女を睨みつけた。

 ——其奴は、この浅山一伝会の師範代。宗家の娘であり、若くして免許皆伝を果たした才女である。

 下半身にまで達するほどの長い牡丹色の髪をストレートに下ろし、猫耳のような飾りを頭に付けた、やや幼な気な少女。

 長いまつ毛の奥で深々と燃ゆる真朱の瞳が、少し不気味に写る。

 背丈は原田や伊予を軽く上回り、一六五センチほど——。

 原田は、十センチ以上も差のある彼女を、されど強気に睨み上げた。——瞬間、帯刀していた『津田越前守助広』に手を掛け鯉口を切る。

 しかし——。

「————⁈」

 今にも抜き打たんと原田が柄を握った刹那、その右手首に、別の柄が真上から噛みついた。——無論、対局する女の物だ。

 以降のことは、瞬きをした者なら認識を許さないものだった。——いや、凝視していた者さえ理解しがたい出来事だった。なにせ気がついた時には原田の刀は宙を舞っており、落下と共に女の手元へと渡ったのだから。

 技を掛けられた原田だけが唯一現認出来た。

 仕組みとしては単純である。

 原田の手首に噛み付いた女の柄頭は彼女の鍔表つばおもてへと伸展し、抜き掛けた『津田助広』を手伝うようにして、そのまま引っこ抜いたのだ。

 間違いなく室内でやる技ではない。下手を打てば天上は風穴を開き、床には亀裂が入る。

 本気で斬るつもりは毛頭なく、寸止めで済ませるつもりだった原田。

 だが、その余裕さえ泡沫に散るほどの決定的敗北だった。

 女は、抜き取ったその鋼の素顔を仰ぎ、興味深そうに微笑んだ。

 棒樋が彫られた刀身に、小板目肌が精緻に詰んだ地鉄。明るく冴えた大海原の波打ちを刃文に敷いた壮大な一口。

「へぇ〜、濤瀾刃とうらんば……。助広かしら……。本物? 大阪新刀の三傑と呼ばれた津田助広をアナタが?」

 寄せては返す大波のような刃文を焼き入れながら、反りは浅く実に清楚だ。

 寸法は、刃長が二尺三寸四分五厘。身幅一寸一分六厘。反り六厘といったところだろう。

 女は挑発的な態度をやめなかった。

 原田の瞳が、より一層鋭く燻る。

「……返せ」

「おぉこっわ〜い」

 言葉とは裏腹に、余裕綽々とした佇まいを見せる女。

 対して、刀を奪われた原田はご立腹だ。彼女は脇差も差していないため、これにて打ち止めである。

 いがみ合う二人。

 仲裁に入ったのは、当然ながら来島伊予だ。

「原田さん。問答無用で斬りかかろうとした貴女の落ち度ですよ。自業自得です」

 向き直り、彼女は目前の牡丹色の女へ深々と頭を下げた。

「初対面早々、多大なるご無礼を働いてしまい大変申し訳ございません」

 原田とは対照的に、品格に優れ、高貴な佇まいを見せる伊予。

 しかし、事実として刃物を向けられた女としては堪ったものではない。

 顎をしゃくり、奪い取った津田助広を肩に置いて伊予を見下す。

「謝って済む問題? 私殺されかけたんだけど?」

 被害者である立場をいいことに、女はこれ見よがしに伊予を追い詰める気のようだ。

「賠償金を請求しても足りないわよ? ——これ、鑑定は付いてるの? もし本物なら、いくらの値が付くかしらね〜」

 遠回しに、津田助広の所有権さえ我が物にしようと企む。

 最中で伊予は、やや強引と知りながらも、話の論点と主導権を、自身へと返還するため障らぬ体で饒舌を巻く。

「——わたくし達は、防衛省局員・結城友成公のお預かりを受けて組織された、隠密治安維持組織です。ですが、この秋に組織されたばかりであり、弱小であることは言うに及びません。そこで、新たな人員確保のため、各地の道場を周り、その過程として、こうして浅山一伝会様を訪ね参った次第にございます。——たいへん失礼とは存じますが、御身は浅山一伝会 師範代 関根せきね暁良あきら 様でお間違いございませんか?」

「ええ、いかにも——」

「恐縮です。組織への所属の有無に問わず、この度のご無礼は結城友成公を通してお詫び致します」

「——それ、結局アナタ達からの謝礼は何一つないってことじゃな〜い? 無礼を働いておいて、謝罪は上の者がしますって、アナタ達の責任の所在は何処へ行くのよ」

「……返す言葉もございません。しかし、わたくし達単身ではどうすることも——」

 所詮一塊の構成員にすぎない伊予では、なんの決定権も持ち合わせてはいない。

 関根も、これまでの対話でその実状は理解している。

 何も出来ない相手を、これ以上貶めてもらちがあかない。

 関根は、ある条件を提示する。

「——なら、私の下に就きなさい」

「はい?」

「その隠密治安維持組織において、アナタ達は私の下に就くこと。そして私に絶対服従。いいわね?」

「……えっと、それはつまり……」

「招集には応じるわ。けれどアナタ達は私の奴隷。わかった?」

「おまえ——‼︎」

 不服に思った原田が掴み掛かろうとした瞬間、その首筋に津田助広の切先が鋭く伸びた。無論、関根が振りかざしたものである。

「異存は認めないわ」

 仕切りに、掲げた切先を落とし、柄頭を原田へと向ける関根。

 原田は彼女の意図を読み解き、津田助広を取り戻した。

「準備が済んだら上京するわ。それまで束の間の自由を楽しんでおくことね」

 関根の嫌味に対し、伊予は一礼し謙遜。原田の手を引くと、弘道館道場を後にした。



「厄介な事になっちゃったね」

 帰路、不安げな顔で呟いたのは一柳直哉だった。

 まだ出会って間もない女性のために、自身の尊厳が脅かされる状況に陥ってしまった。もはや悲劇中の悲劇。悪運もここまで来ると甚だしい。

 しきりに、一柳の口から溜め息がこぼれる。

「申し訳ございません。身内が多大なご迷惑を……。本部に戻りましたら、局長や副長に相談して、一柳さんと狭山さんは別の隊にしてもらうようお願いしてみましょう」

「………………」

 伊予の提案は真っ当だが、それでも、一柳の不安は絶えない。

 申請が降りたとして、果たしてあの関根暁良が許すだろうか。——おそらくそれは無いだろう。あれほど強情で傲岸不遜ごうがんふそんな彼女が連帯責任としたのだ。一人でも欠けることは、絶対に潔しとしないだろう。

「止められなかった私たちにも問題がある。一武士として面目ない」

 狭山若葉は謙虚だ。

 自己の成功は一同の成功。一同の失敗は自己の失敗——。それが狭山だ。

「狭山さん……」

 口元をわずかにゆるめる伊予。自身の監督不行き届きと解ってはいても、責任を一人で背負い込むには、やはりまだ恐ろしい年頃のようだ。

 ——そう。彼女はまだ二十代前後の少女なのだ。

 無論、他の者たちも——。

 来島伊予。二十三歳。

 原田彩果。二十一歳。

 狭山若葉。二十歳。

 一柳直哉。十九歳。

 されど、時代が呼んだ動乱は、いつだって理不尽な禍いを向けてくる。


「きゃアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァ————ッッ‼︎」


 突如鳴り響いた悲鳴に、生きとし生けるもの達が戦慄する。

 人間は言うに及ばず、野良猫から小鳥に至るまでもが震撼し、小さな忘れ物を落としていく。

 無造作に羽ばたく鳥の群れに、無数の羽が置き去りにされる。

 宙を巻い、やがて土壌に落ち着く一片ひとひら。その羽衣が朱庵に染まったのは、それから間も無くのことだった。

 一面を染色する黒みを帯びた真紅。止めどなく、奔流のように溢れては、灰色の地面に艶やかな紅を引く。

 源流には、人の形をしたモノが、身動ぎ一つせずに転がっている。

 その傍らに、刃長二尺九寸。反りが一寸一分六厘ばかりもある太刀を持った男が黒衣に身を包み直立していた。

 太刀は腰反り高く、分厚い重ねと極めて広い身幅を持ち、清美な地鉄に冴えた乱れ刃の刃文が焼き入れられた雄大な姿を誇っている——。何処となく、国宝『大包平おおかねひら』を彷彿とさせる一口ひとふりだった。

 紛れもない業物だ。そんな物で背後から筋交いに割られればひとたまりも無い。

 倒れている男は即死だろう。顔立ちは東南アジア系の外国人——。

 伊予は、状況を速やかに分析。現場の対処を思案した。

「原田さん。狭山さん。民間人の避難誘導と、警察、消防への連絡を。私と一柳さんで、彼を喰い止めます」

 伊予は間合いにのみ響く声で指示を伝達したつもりだった。

 しかし、奴はこの群がる人混みの中で、その鋭い眼孔を伊予へと突き立てた。まるで、待ち侘びていたと言わんばかりの笑みを浮かべて——。

「————ッッ⁈」

 眼圧だけで反り立つ鳥肌。

 伊予の身に衝撃が走った。

「——退避ッ⁈」

 瞬間、突風が渦巻く。

 遍く生物を凌駕し、等々大気までもが戦慄して波紋を広げた。

 ——いや違う。

 目先に居た男の姿が居ない。瞬きと共に消失した。

 刹那、立ち並ぶ有象無象を無作為に払い除け、空気が澪を引いて疾駆した。

 ——否、疾駆して来たのは男だ。

 目にも止まらぬ速さで、伊予目掛けて一直線に肉薄して来た。

 迎え討つなど不可能に等しく、伊予は背負っていた槍の柄で振り仕切られる太刀を防守。そのまま民衆諸共、疾風のごとく吹っ飛んだ。

「伊予っ‼︎」

「来島さん‼︎」

 間一髪で踏み止まり、迎えた男の太刀と火花を散らし合う。

 伊予の体は、十間近く後退した。

 靴底から、わずかに白煙が立つほどの滑走だった。

 渦中、伊予は予感——いや確信する。

 この男、月岡愛鐘や遠星美海、朝陽憂奈らと同じだ。

 ——神格化している。

「ぐ、ぐぅ………ッ⁈」

 緋色の閃光が眩く明滅する中、仙姿玉質に等しい藍色の美貌が、悲痛に歪む。

 彼女を見るや否や、男は極めて愉快げに微笑んだ。

「いいね、キミ……。美しい女が悲哀に転じる姿ほど高揚するものはないよ」

 発せられた言葉に、言いたいことは山程あったが、今の伊予にはそれを発言出来るほどの余裕さえ有りはしなかった。

 男の力が強すぎる。

「(なんという剛腕……ッ⁈ このままでは——ッ⁈)」

 最中を、一柳が一閃する。

「ぜアァ——ッ‼︎」

 伊予に向けられた太刀を下段から断ち割り、旋回させた刀を男の首へと走らせる。

 しかし——。

「————⁈」

 寸前で飛び退き躱された。

 想定内だ。

 一柳自身も、今の一撃で仕留められるとは考えていない。

 刀を握り直し、片手青眼に構えを取る一柳。

 二尺四寸五分の刀身が、淡く映り立つ。

 高潔な板目肌に冴えた小乱の刃文が焼き入れられ、はばきには三つ葉葵紋が彫られている。これは徳川家の家紋であり、徳川家に技術を認められた者だけが彫刻を許された、いわば幕府御用達の証。——もっとも、今代こんにちではあまり意味のない代物だが、これは「一柳」という家系が現代においても廃れていないことを示している。

 刀剣の名を『越前康継えちぜんやすつぐ』と云う。

 こしらえは、漆黒の潤塗を施した鞘。こちらにも、葵紋が表裏共に三つほど描かれている。

 柄は黒鮫の皮に濃緑色の山鳥毛の柄巻きを巻いた、濃綠革組上卷柄前(模山鳥毛柄)。

 鍔は『枝垂柳しだれやなぎ猿猴えんこう透鍔すかしつば』。名の通り、鍔に柳を彫って金染めし、透かし部分に小猿を型どったもの。

 一柳の構えが、青眼から、平青眼ひらせいがんと呼ばれる独特の体制に変化する。

「ここは僕たちが引き受けます!」

 刀身の平地を地面と水平に向け、反りが内側に向くように鋒を相手へと向ける構え——。天然理心流によく見られる攻防一体の姿勢だ。

 傍らで、伊予もおもむろに槍の掛け袋を払い取った。

 刃長一尺四寸四分二厘。柄は三尺にまで達し、全長で彼女の等身を軽く上回るほどの、大きな槍となっている。

 大きな笹を形造ったような刀身に、倶利伽羅龍と梵字が彫刻され、雄渾で実に勇ましい迫力に満ちた槍となっている。

 柄には青貝あおがい螺鈿塗らでんぬり細工ざいくが施されており、星空の夜を模したような風雅な姿を見せる。

 名を『蜂鳥切はちどりぎり』と云う。

 由来は、花の蜜を吸う蜂鳥が休憩の為か、たまたま立てていたこの槍の穂先に止まったとき、その胴体が真っ二つに斬れてしまったことに因んだとされる。

「原田さん達は皆さんの避難誘導を——‼︎」

 雄渾な声を続けて響かせる二人に、男は太刀を肩に預け、鼻を鳴らして空を仰いだ。

「ん〜、いいねぇ。勇猛果敢に立ち向かう女性は嫌いじゃない。むしろ好みだよ。まるで、戦場に気高く咲く百合の花を見ているようだ。——ミズ・リリィ」

 仕切りに、男は首を傾けて、上目を向けた。

 その極めて鼻につく態度へ、伊予の目頭が吊り上がる。

「妙な呼び方はやめて下さるかしら……。私は来島伊予と申します。お見知り置きを——」

「イヨちゃんね。へぇ〜可愛いじゃん。俺は赤尾あこう隆輝りゅうき。気軽にリュウ君て呼んでほしいな」

 卑しく微笑む赤尾。

 反して伊予の面は鋭く、依然として好意的ではない。——当然だ。何せ相手は攘夷志士。おそらく『五月雨』の実行部隊員。そんな相手と、略称で呼び合うなど軽率だ。

 黙ったままの伊予に、赤尾はなお語り掛ける。

「——キミだって分かっているはずだ。もう日本はかつての日本を忘れているって。けどだからと言って連合国家を作ろうなんて、この国の尊厳はどこに言ったんだって話でしょ。そんな事したら、おそらくパレスチナ国家と同じ結末を迎えるよ。大日本帝国時代のあらゆる非道を罪状に掲げられ、国家の実権はおそらく中国が握るだろう。そして日本は狭くなった肩身を寄り添い合い、狭い鳥籠に収容されることになる。ガザ地区のようにね——」

 逃げ惑う民衆の渦中で、流暢に語られる日本の行く末——。

 攘夷を目的としているはずの彼が、遁走する彼らには目も暮れず多弁を成している。

 伊予の胸中に、違和感という名の濁流が、静かに渦を巻いた。

 しかしながら、彼の話は決して戯言ではない。

 中でも挙げられたパレスチナ問題は、既に実例として起きている。他人事ではないのだ。

 被害を抑えられるのなら伊予としても好都合。このまま民衆の非難が完了するまで彼の話に耳を傾けることにした。

「——だからこそ、そうならない為の行動が必要なんだ。現国が理想とする諸国共生社会。ある有識者はその実態をこう捉えた。〝白人や黒人はもちろん——様々な宗教的価値観が交錯し、差別化される中で、もしもこれが成功すれば、真に平等な理想の国家が誕生するだろう〟と——。けど、現状日本国内でさえ格差が生まれている以上、平等なんて結局は世迷言。人間が自らの醜さを覆い隠すために掲げた綺麗事だ。だからね、どうせ無理なら、いっそのこと格差を明確に作っちゃおうって、唐沢さんは考えているんだ」

 彼の言う通り、今この国は財務省にとって都合の良いように政治的仕組みが成り立っている。困窮する庶民には目も暮れず、自身らに大きな還元を与えてくれる資本家達にのみ有益な政策をし、物価を高騰させる。所得減税などが良い例だ。これをして助かるのは、高額な所得を持つ資本家——即ち社長などの上層部の者達だ。庶民に有益な政策があるとすれば、それはおそらく消費税の減税だろう。

 しかし、財務省はそれをしない。なぜなら彼らにメリットがないから——。

 赤尾の話が依然続く。

「——幕府の時代。農民や百姓は質素な生活を送っていたとされる。だが文明そのものが進んでいなかったあの時代では、そもそも金があったところで他にできる事などなかっただろう。限られた物の中で、どうすればより豊かになるのか、そう考える環境が、彼らを強く育てた。——かの新選組局長・近藤勇や副長の土方歳三。沖田総司などなど。多くの強者達を生み出した幕末の動乱。しかし、彼らも元は百姓だ。それが何故、たった七年の活動で歴史に名を刻む英雄となったのか。その理由の一つとして、彼らは自身らの生活を豊かにするための手段を探求し、そのための技術を習得する気概があったからだ。際して必要な時間や環境もあった。質素ゆえに生まれた恩恵。酷い矛盾だが、この過程こそが、彼らを何より強くした。文明の叡智に踊らされ、惰眠をむさぼる今の人類には到底成し得ないことだ。——〝身分制度の確立〟。これが、いま唐沢さんが成そうとしている日本復興の基盤だ。その段位によって、出来ること、許されるものを制限する。そうする事で、強い日本人をもう一度一から育てる。無論その為の若年層世代への優遇は国側が全て負担する」

 実にぶっ飛んだ政策だ。

 しかし、一概に間違っているとは言い切れない。

 理論上、彼らの思想は歴史と実状を見比べた上での正当性がある。こればかりはやってみなければ分からない。

 しかし——。

「——ですが、今は民主主義。国民はそれを易々と受け入れはしないでしょう」

「だろうね。だからこそ、政権を転覆する。選挙なんて、この少子高齢化の世の中じゃ、俺たちに勝ち目ないからね。気づいてる? 老耄おいぼれどもが跋扈ばっこする今の日本政府は、老耄彼らにとって都合の良い経済循環が彼ら自身の手で維持されている。ご存知、若年世代の給与は上がらず、設備未来投資は極限まで削減され技術革新イノベーションは途絶。賃上げも行わず雇用を不安定化させコストカット。長期的な視点での投資も行わず、短期勝負で株主に利益を流し込み、彼らの利益は肥大化するばかり。このような株主至上主義に日本をつくり変えたのが今の斎場政権だ。当然、資本家や資産家たちは、自身らにとって好都合なこの仕組みを全力で支持する。——んで、選挙は有権者による多数決。これ、若者俺達に勝ち目あると思う?」

 ——ない。

「おまけに、足りなくなった働き手は諸国に媚び売って儲けようって腹だしね。民主主義? ふっ! 笑わせないでよイヨちゃん。そんなもん、半世紀前にとっくに失くなってるよ」

 軽薄な笑みを浮かべながら、されど深刻な声色で訴えかけてくる赤尾。隊士の中には、彼の話を聴いて戦意を失う者も居ただろう。

 けれど、来島伊予は——。

 仕切りに、幼い頃の記憶が脳裏をよぎった——。

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