第17話 福岡一文字


   第十六節 福岡一文字



 南藩、花沢華奈、朝陽憂奈、徳山桜、エマ・(中略)・フランベルジュは、東京駅にて東海道新幹線に乗車。——岡山県の地を踏んだ。

 ここで早速、エマが一つの疑問を提示した。

「……三人とも、帯刀してるのによく警備員さんに止められなかったね」

 ——いやそれな?

「パラレルワールドだったりして! 明治維新が成されていない世界線とか!」

「それはそれで面白そうね」

 桜の冗談へ、興味深そうに微笑む花沢。二人は愛鐘が居ないと随分楽しそうに会話する。

 ——————。——桜は愛鐘が居てもお構いなしか。

「それで、今はどこに向かっているの?」

 局長を差し置いて先頭を行く憂奈へ、花沢は何気なく尋ねた。

 愛鐘の前ではあれほど尊大だったのに、憂奈の前となると急に寛大になるこの女——。きっとこれが愛鐘に変われば、今頃大喧嘩していたに違いない。二人を同じ班にしなかったのは正解だ。何より他の班員のためにも——。

 尋ねられた憂奈は、歩みを進めながら顔だけをわずかに後ろへ向けた。

「とある刀鍛冶さんの所だよ! エマちゃんの刀を打って貰おうと思って。事前に連絡は取ってあるから安心して?」

「へぇ〜。岡山の刀匠ってことは、備前刀なのね」

 感心する花沢。

 しかし、肝心のエマからしてみればこの現状はさっぱりである。

「——あ、あの……ワタシその、びぜん? とかなんとか……、刀のことよく知らないんだけど……」

 当然だ。剣客でもなければ刀剣女子でも無い彼女が、この界隈のことを知るはずがない。

 エマはやや気まずそうに、頬の横に垂れる髪のびんを指で巻いた。

 ここで、憂奈と旅行——ではなく遠征が出来て非常に上機嫌な花沢華奈の声が高鳴る。

「備前刀とはその名の通り備前国すなわち岡山県産の玉鋼を使って造られる刀のことよ。備前は刀の聖地と言っても過言ではないほど良質な砂鉄が取れてね、古来より、国宝級の名刀を数多く輩出してきた刀剣の国なのよ」

「昔の話だけどね!」

「黙りなさい長州人」

「こっちも酷かった!」

 今更南班に入ったことを少しだけ後悔する桜はさておき、花沢の弁舌はなおも続いた。

「有名なのは、友成という刀匠が率いる古備前派——あ、結城友成御公儀のことじゃないわよ?」


「——ぶえぇッッくしょんッ‼︎ ……ん〜? 風邪かな……」

「スギ花粉かも知れませんね」

「いや、その季節はそろそろ終わりだろ……」


「——けど、これは平安時代中期から鎌倉時代後期までの刀のことを指すから、現代じゃまずありえないわ。だから、エマがお世話になるのは〝福岡一文字派〟か〝長船派〟ね。有名な備前の刀は全部この三つの刀派から輩出されていて、中でもあとの二つは、今でも色濃く伝わっているわ。それに憂奈のことだもの。まさかエマの刀に、無名の刀匠を選ぶはずもないでしょう」

「うん! これから会うのは〝福岡一文字派〟の刀匠——比留間ひるま吉房よしふささんだよ!」

「吉房——⁈ いま吉房って言った⁈」

「うん! 言ったよ!」

「国宝・岡田切吉房を打ったあの——⁈」

「さすがに本人じゃないけど、流通はあるみたい」

「良かったじゃないエマ‼︎ 名だたる吉房の系統よ!」

「え……う、うん……」

 よく知らんわな。

 もはや花沢が一番楽しんでいる。

 そもそも、なぜ福岡一文字なのに岡山なの? と、内心疑問に思っていたエマである。

 福岡なのか、岡山なのか、どっちなんだい!

 第一こんな事をしていて良いのだろうか——。

 真面目にも、エマは仕事のことを危惧する。

「……あの、それより隊士募集の件はどうするんですか?」

 つい抱いた疑問を言葉にしてしまった。

 憂奈の首が再びエマへと回る。

「刀は出来上がるのに凄く時間が掛かるから、依頼だけして遠征の終わりに取りに来ればいいよ」

 ——なるほど。それもそうか。

 当たり前のことだが、職務放棄が無くてよかった。あまりにも能天気な空気が充満していたので少し不安になってしまった。忘れていないのであれば異論はない。

 エマは憂奈の背中に行く末を預けた。

 到着したのは、岡山県・備前市・東片上ひがしかたがみ。ひたすら山に囲まれたこの町のさらに片隅に、訪問先の工房は居を据えていた。

「ごめんくださ〜い! 朝陽憂奈です! 比留間さん居ますか〜?」

 呼び鈴を鳴らし、憂奈の声で男を呼ぶ。

 すると早々に、扉の向こうから忙しない音が振動を立てて響いてきた。

 なにやら幾重にも物が落ちたりぶつかったりと、慌ただしく散らかっているようだ。

 しかし、出てきた男性は平然と慣れた様子だった。

「あ、いらっしゃいいらっしゃい、こんにちは——」

 登場してすぐ、エマと目が合う。

「あ、彼女が例の?」

「はい。今回の依頼主……になるのかな?」

「名前からなんとなく察してたけど、やっぱさんだったんだね」

 その発言に、エマの身体は瞬く間にして凍りついた。

 今までそうやってことごとくをおとしめられてきた。エマにとってはトラウマの単語だ。

 わずかに震え始める自身の体を、必死に抑え込む。

 男は、穏やかに微笑んだ。

「初めまして比留間吉房です。——まぁ芸名なんですが……。本名は諸富もろとみ勝也かつやと言います。外国の方から依頼が入ることは滅多にないので、楽しみにしていたんですよ! 是非とも備前刀——我が福岡一文字の良さを伝えられればと思います」

 笑顔に邪気はない。とりあえず一安心だ。

 体の震えは止まり、ひとまず落ち着きを取り戻す。

「ささ——、立ち話もなんですし、詳しい注文内容を伺いますので、どうぞ遠慮せず中へお入りください」

 男の案内に連れられ、玄関を通り抜ける一行。

 連れられたのは十畳一間の和室。どうやら此処を客室として扱っているようだ。ほかと比べて綺麗に片付いている。

 部屋の中央には畳半畳分ほどのちゃぶ台に、客であるエマ達には座椅子が設けられた。さすがに四つもないので、部外者である花沢と桜は座布団だ。正座をして楚々とした佇まいを見せる——のは花沢華奈のみ。

 桜は不敬にも、加えて誰よりも早く寝転がりやがった。

 花沢が密かにその背中を一蹴し、姿勢を改めさせる。

 ——流石は局長。感服致します。

 エマ以外の三人は腰の刀を右傍らに、柄頭を対面に向けて置き座した。

 しばらくすると、諸富が茶菓子を持ってやってくる。

「どうぞお茶でも」

「ご、ご丁寧に……ありがとうございます」「お構いなく——」

 やや驚いた様子のエマと会釈混じりの憂奈。此処に来て育ちの差が出た。

 ご存知の方も居るだろうが、日本の社交辞令としては後者——憂奈の対応が一般的。

 奥ゆかしい印象が売りの、日本における昔からの決まり文句になっている。

 エマも育ちは日本だ。

 しかし、両親はスイス生まれスイス育ちのスイス人であるため、エマの受けた教養は、日本の場であれどスイスのそればかりだった。——よって、茶前の礼儀作法などエマには知ったことではなかったのだ。

 いずれにせよ、諸富にとっては面白い発見だったようで、対応の違いを見るや否や、愉快げに笑って見せた。

「あっはははは! そっか、普通はそうなるよね!」

「ふつうは?」

 此処で言う普通とはどちらの事だろうか——。エマは首を傾げた。

「あぁいやね……憂奈のような決まり文句はさ、昔からの慣わしがあってこそでしょ? つまりそれは憂奈自身が考えて行った対応ではなく、誰かの真似をして執っている複写に過ぎないんだ。要はマニュアルだよ。そこには多分、特定の感情は含まれてない。飲食店とか行ってもよく見るでしょ? 真顔でマニュアル通りの接客してる人」

「あぁ〜」

 つい納得してしまったエマ。浮かび上がる情景に思わず共感を寄せる。

「日本人はあぁ〜言う悪癖があるからイケねぇよ。——対してキミのはキミ自身の感情がまっすぐ伝わってきた。あれはマニュアルが無いからこそ出来る芸当だよ。キミの中には持ちネタがなく、だからつい感情任せの言葉が出てしまった。——けど、そういった勢いほど純粋な気持ちはないよ。キミが言った〝ありがとう〟は、他のどの日本人よりも有り難みを感じたね。外国の血を引くキミにしか出来ない人の喜ばせ方だよ。是非とも大切にして欲しい」

 どうしよう、ちょっと嬉しい——。

 こんなにもちゃんと自分を見てくれた人なんて、玲依以来だ。

 神聖組に入って沢山の人と交流したが、やはり自分をよく見てくれる人は居なかった。

 玲依もよくエマを褒める。それこそ感情的な言葉が多かった。けれどだからこそだった。それが本心で言っているのだと鮮明に伝わってきて、心地が良かった。

 反して、諸富の場合は対照的だ。

 相手をよく観察し、理論的に肯定してくれるので、説得力は遥か格上。もしかしたら、彼は玲依よりもエマのことをよく見ているのかも知れない。

 ——いや、人を見る目があるのか。

「……ど、どうも——♪」

 上ずる口の端を堪えるも、わずかに弾んだ声は隠し切れなかったエマ。膝の上で交わる手に、妙な力がこもる。

「おっと、話が逸れたな。刀の注文打ちだよね」

 崩れていた姿勢を正し、話題を元に戻す諸富。

 自然と、エマの背筋も伸びた。

「聴くところによると、大小二振り必要みたいだけど……、何に使うの? 用途によって造り方が変わるからさ、——主に研ぎなんだけど……」

 問われた内容に、エマは口ごもってしまう。

 なにせ神聖組の存在は秘匿しなくてはならない。

——攘夷志士を叩き斬るためです!

 なんて口が裂けても言えない。

 ここは憂奈が起点を効かせる。

「試斬でお願いします。それも、とびっきりの上物を。あたし達は巻藁に竹を挟むので」

 しかし、エマの中には刀以前の根底からの問題がある。

「ゆ、憂奈ちゃん! そもそもワタシ、まだ此処でやっていくって決まったわけじゃ……」

「それは玲依ちゃんが拒んでるからでしょ? エマちゃん自身はどうなの?」

「それは……」

 玲依の近くに居たい。エマの本音は一重にこれだけだ。

 だけど、人を斬る覚悟が定まっていないのもまた事実——。

 生半可な分際で、刀を持とうなど片腹痛いのではないだろうか。

 話を聴いていた諸富は、浅い息を吐いた。

「——なんか訳ありみたいだね。けどせっかくの異国のお客様なんだしさ、ここは丁重におもてなしさせてよ。何かあるなら全然遠慮なく言ってくれちゃっていいんで」

 いや、どこからどう話せばいいものやら——。

 何か別のことに置き換えて上手く伝えられないものか——。

 エマの口が、重々しく開く。

「……その、ワタシ……剣術やるの初めてなんですけど、友達が危ないからダメだって。それで喧嘩になっちゃって………その……」

 諸富の眉が不可解げに歪んだ。

「……確かに刃物を扱うわけだから、危険ちゃ危険だけど…………え?」

 彼の疑念を、憂奈は容易く理解できた。

 諸富の中にある試斬剣術とは、即ちのことだ。目前に畳表たたみおもてを立て、それを両断し、刀の性能をいかに発揮出来るかの技術を競う武道。対人で刀を向け合うものではないため、それほど危惧することではない——と思っていた。

 無論、これは実状を隠蔽するためのエマの建前である。

 だが弱い。事実として諸富が怪訝けげんしている。

 憂奈は手助けのつもりで口を挟む。

「エマちゃんがやろうとしてるのは古武術なんだよね! でもあれ、剣道とは違って防具しないじゃないですか!」

「いや、だから袋竹刀ふくろじないを使えば——」

「エマちゃんが入門する流派は真剣で寸止めするんだよねっ!」

「いやめっちゃ本格的——っ⁈ こわ——っ⁈」

 あまりの実態に、思わず戦慄する諸富。当然の反応だ。

 正直フォローになってない。明らかに話が飛躍している。

 しかし、後戻りは出来ないので、エマは話を続けることにした。

「……でもこのままだと、その子が離れていっちゃうような気がして……ワタシ、それが怖くて……。今までずっと一緒に居たのに……その子ばっかり先に進んで——」

 困り果てる諸富。彼の中では全く話が見えていない。

 ——その子もその危険な流派に通う門徒なのかな? と、勝手に解釈した。

 更には——。

「……な、なるほど……。つまりエマちゃんはその子のことが好きで、共通の趣味で隣に居たいってことなのかな?」

 余計な憶測と発言に、エマの顔が不必要な熱を帯びる。——鼻の上まで真っ赤っかだ。しかも、当の本人は黙りこくったままで否定をしない。

 ——あ〜、これガチなやつだ。と、憂奈もやや驚いた。

 諸富は腕を組み、何やら愉快げに口の端を吊り上げる。

「お熱いねぇ。そこまでして着いて来てくれる人がいるなんて、お相手は幸せもんだぁ。俺なんか「刀打つ人なんて怖い」とか言われて今に至るまで全部逃げられて来たからね〜。羨ましいよぉ〜」

 ——聞いてねぇよ。

「よしわかった! エマちゃんの一途な恋、俺も主力を尽くして応援させてもらうよ!」

 なぜか物凄くやる気になる諸富。彼の全身から闘志のようなものが煮えたぎる。

「刀を打つに当たって、希望はある? こんな刃文がいいとか、こんな肌がいいとか」

 彼は続けざまに注文内容を伺った。

 しかし、刀剣界隈に今回初めて足を踏み入れたエマにとっては、何かもが未知数である。当然、返答には困った。

「……そ、それがその……ワタシ刀のこと、まだ良く分からなくて……」

「じゃあ長さは? エマちゃん身長いくつ?」

「……えっと、ひゃ、一七五……」

「え——っ⁈」

 唖然としたのは憂奈だ。

 前々から背が高いとは思っていたが、実際数字にして言われると凄いな——。

 反して、諸富は冷静だった。

「じゃあ二尺六寸くらいが良いかな……。脇差も合わせて造っちゃうね」

 メモを取り始める諸富。これまでとは打って変わり、顔が仕事の面構えになった。こうなった彼は職人だ。柔らかな物腰をしていたが、注文が入れば文字通り真剣を成す。

「エマちゃん、その子のことを好きになって、もうどれくらい?」

「はぁ——ッ⁈」

 次から次へと、一々驚嘆する憂奈。

 虚を突かれはしたが、寛大にもエマは穏やかだった。

 少し頬の血色を紅潮させるも、真剣な諸富の眼差しに固唾を呑む。

 ふざけているわけではないのだと、彼の真っ直ぐな瞳は物語っていた。

「——え、えっと……もう、かれこれ十年は——」

「長いね。オッケー。キミのその気持ち、刀に表現させてもらうね。——それで、これからもずっと一緒に居たいって、思ってるんだよね?」

「——は、はい」

——な、なんの拷問……?

 困り果てる憂奈。

 躊躇ためらうことも、包み隠すことさえ許さず——。素直な気持ちを、ありのまま打ち明けるエマを、憂奈は理解出来ない様子だった。なにしろ客観的に見れば、それはめちゃくちゃ真剣な職人顔で恋話をしているという異様な光景なのだから。

 笑いを堪える桜の口を、花沢が決死の覚悟で抑え込み、人知れず、そのまま客室を退室した。



 同刻——。

 皇城の地を踏んだ西班、月岡愛鐘、遠星美海、伏見玲依、室伏理北は、京都府下京区に位置する産業会館を目指し歩いていた。

 道中、神聖組には到底ふさわしくない、世間話にも似た議題が、愛鐘の口から突拍子もなく持ち出される。

「——突然ですが、今日がなんの日か分かりますか?」

「え——」

 ふいに出された愛鐘からの出題に、頭を悩ましたのは美海だ。

 表情に乏しいはずの美海がわずかに動揺し、人知れず手に汗を握った。

 これは実に難題だ。もしも正解できなければ、美海が抱く愛鐘への熱情が疑われ、果てには落胆、——絶縁のアレを叩き出されてしまうかも知れない。

 美海は悩んだ。必死に考えた。

 今日の日付は、令和二十四年十一月九日。

——初めて愛鐘と出会った日? いやあれは桜が舞い散る麗らかな春だった。

——愛鐘の誕生日? それも否。月岡愛鐘の誕生日は十月十六日。とっくに過ぎている。元服の祝福で、彼女が手掻包永を拝領したのがいい証拠だ。

——では愛鐘が免許皆伝を果たした日? それも否だ‼︎ 彼女な免許を皆伝したのは令和二◯年六月二九日だ。

——なんだ。……分からねばっ‼︎

 正解はおろか答えられないとなれば更なる悲劇が待ち望んでいるだろう。

 ここは——。

「——あ、愛鐘が……私と初めてお泊まりした日!」

 無論、出任せだ。

 二人で寝床を共にしたことなど数知れない。初日など記憶にあるはずもない。

 愛鐘は——。

「……何を言っているんですか?」

 嘆息した。

 ——終わった。

 愛鐘との関係はこれにて終いだ。

 この京の地で、華々しく腹を切って終わろう。

 ——などと美海が血迷いかけている間に、愛鐘は人差し指を立てて正解を明かす。

「——今日は、新暦で〝大政奉還〟が行われた日ですよ」

「……………。——あぁ〜」

 納得と同時に、ほっと胸を撫で下ろす美海。愛友に失望された訳ではないのだと、安堵する気持ちに自然と肩の力が抜けていく、 。

 しかし、室伏にとっては未知だった。

 無垢な瞳を乗せて、細い首がわずかに傾く。

「……なんなん? それ……」

 腰についているものはまやかしか——。

 美海の目が室伏の佩刀を疑う。

「あなた剣客なのに知らないの?」

 呆れた様子の美海。

 室伏は、依然目を白黒させている。頭の上に疑問符でも浮かび上がりそうな様子だった。

 説明するべきなのだろうが、あまりの見掛け倒しっぷりに、美海の頭は役目を放棄してしまっていた。それを見兼ねたのか、仕切りに何者かの平手が拍を刻む。

 二拍子の拍手かわしで。空白を切り裂いたのは愛鐘だった。

「玲依ちゃん? お願いします」

 あえて一瞥いちべつはせず、まぶたを伏せたままの優雅な出立で彼女は少女の名を呼んだ。

 この手のことに、玲依が異様なほど博識なのは知っている。きっと上手く説明してくれることだろうと、愛鐘は期待を寄せた。

 玲依は相変わらず、自信に乏しいおどおどした様子だった。

 開口はあたふたと訥弁とつべんを巻いて口ごもり、動揺を見せた。その後ひとしきりを置くと、まとまった考えを少し遠慮がちに発する。

「た、大政奉還て云うのは、江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜が、政権を朝廷へと返上し、事実上の幕府解体を宣言した事件のことで……以降、明治の新時代がやって来たんだよ。これにより、武士の時代は終わりを迎え、彼らの生きる場所は日本の何処からも失われた。慶喜は、新政府恐ろしさに、御公儀へ報いようと懸命に戦う幕臣ばくしん(幕府に仕える武士達)を裏切ったんだよ。天皇に政権を動かす力なんて無いからってナメプして実質的な政権を掌握し未来永劫徳川家に日本の栄華えいが牛耳ぎゅうじらせようとあろうことか新政府が怖いからって幕臣の全てに仇を成し宗家の保身のために自己中心的な政策をしてあまつさ鳥羽とば伏見ふしみの戦いでは新政府へ勇敢に挑み続ける幕臣を置き去りにして一人で大阪城から江戸へ逃げ帰るし性根の腐り方が現行の政治となんら変わらないよ。慶喜さえ……慶喜さえ居なければ……こんな……こんな————ッ‼︎」

 史実の解説が、いつの間にか積年の恨みによって侵食されていく。

 やがて矛先は現行の内閣府へと向けられ——。

「ゔアアアアァァァァッッ‼︎ あの¥%4(=「_なんか、抹殺されちゃえばいいんだ‼︎」

「おぉおぉ落ち着いてください玲依ちゃんっ‼︎ キャラが——キャラがブレてます‼︎」

「あなた慶喜に一体どんな恨みが?」

「えらい早口になっとるやん」

 要は大政奉還によって士農工商の民事階級が終わらなければ、上流階級であった伏見が、他者からさじを投げられる事もなかったのだ。

 頭を抱えて、渾身の悲嘆を天へと咆哮した玲依。

 仕切りに、愛鐘は彼女の右腕へと視線が向いた。

「——玲依ちゃん? その腕輪は?」

 玲依の手首には、何やら青く不格好な腕輪がはめられていた。

 ブレスレットの類いではない。明らかにファッションとは掛け離れた、何かの装置にも思える代物だった。

 玲依の存在感と、手首が常時死角にあったことも相まり気づかなかった。一体いつから着いていたのだろうか。

 玲依は、腕輪を左手で覆い、慣れない笑みを浮かべる。

「あぁこれ、血圧測ってるんだ……。私、昔から血圧が低くて……規定値を下回ったら、病院に行くよう言われてる……」

「病気とかですか?」

「いや……違うと思う……。私の親……冒険家でいつも留守だから……何かあったら……遠くに居ても解るようにしてるんじゃないかな……」

 なるほど——。

 低血圧か——。

 立ちくらみや目眩めまいが頻繁に起こると聴くが、大丈夫なのだろうか。

「もし不安なことや、少しでも辛いことがあれば、無理せずいつでも仰ってくださいね」

「……あ、ありがとう……」

 こちらでも玲依の容体はよく確認しておく必要がありそうだ。

 初見から可憐な子だとは思っていたが、まさか事実として病弱とは——。

 己が弱さを乗り越え夢を実現させようとする今の彼女は非常に勇敢だが、それで倒れてしまっては元も子もないだろうに。

「………………」

 愛鐘は、一つの決断をする。

「——あの、室伏さん。玲依さんと手を繋いでもらってもよろしいですか?」

「え——ッ⁈」

「なんして?」

 玲依の衝撃と室伏の疑問が重なった。

 出発時はあれほど不用意に距離を狭めるなと言っていたのに、おかしな話だ。

 しかし、玲依の実状を耳にした以上、愛鐘も放っては置けなかった。

「今の話があるからです。ただでさえ玲依さんは存在感が薄いんですから、何かあっても迅速に対処出来るようにするためです」

 たとえ他人が苦手でも、これで血圧が下がることは少なからず無いだろう。むしろ上がりさえするかも知れない。

 室伏としては、別に断る理由などない。

 ただ玲依が良しとするかが問題だった。

「繋いでもええ?」

「………………………。………………。——うん……」

「えらい渋るなぁ……。うちも傷つくで? せやけど副長命令やし、しゃあないでね」

 まったくだ。

 嫌なら早急にエマと仲直りしてください。

 ——さて、話は元に戻る。

 ようやくして京都産業会館に到着した愛鐘ら一行。

 美海が話題の焦点を始まりへと還す。

「——それで、その大政奉還の記念日がどうしたの?」

「玲依ちゃんが仰ってくれた通り、大政奉還で武士の世は終わりました。それも信じていた主君に裏切られて——。彼らを悲しみ、憂いた方々が、せめて何か報いることは出来ないのかと、散っていった武士をしのぶ慣わしを発案したんです。それがこの〝報霊祭ほうれいさい〟です」

 会館へと足を踏み入れた一行は、息を呑んだ。

 茫漠とした会館のメインホールには、数々の展示台が並べられ、上面うわつらには数え切れないほどの日本刀が出品されていた。刀剣市場の大盤振る舞いだ。

「形は終われど、誠に刻まれた心意気たましいだけは残そうと、武士の世を弔う儀式として、この即売会が始まりました。刀と共に、日本人が清き良き大和魂を忘れないために——」

「へぇ〜、随分気合いが入ってるわね」

「こ、コミケみたい……」

「………………」

 圧巻する美海と玲依。二人の傍らで、唯一室伏だけが無表情だった。

 何やら酷くつまらなそうにしている。

 同じ剣客なら——とも思ったが、彼女は大政奉還も知らないほど、こちらの界隈に興味がない。

 ではなぜ剣術を始めたのか——。

 なぜ、招集令状に応じたのか——。

 出逢ったばかりゆえ、まだまだ謎は多い。ならばこそ、これからゆっくり知っていけば良いと、愛鐘は思った。

「——それでは本題です! 玲依ちゃん? 此処へはあなたの佩刀はいとうを買いに来たんですよ。色々見て廻って、何か気に入ったものがあれば言ってください。公務に使用するものゆえ、お金は国が出してくれます!」

 会場はいくつかのエリアに分かれている。

 大和伝、山城伝、備前伝、相州伝、美濃伝の五箇伝に分布し、それぞれの特色ごとに、区画を隔てている。

 しかし、玲依からしてみればさっぱりだ。そこはエマと相違ない。

 いくら知識豊富といえど、刀剣などというマニアックな世界まで知るほど全知ではない。

 適当に安いのを選んで、出来るだけ国の財布に優しくしようと思っていた。

 しかし——。

「——————⁈」

 玲依は、備前伝区画に出展されていた大小揃えの刀の前で突如停止した。

 座禅を決め込んでいた目を円らに光らせ、恍惚と、目前の刀剣を一望する。

「——どないしたん?」

 突然立ち止まった玲依をいぶかしみ、手を繋いでいた室伏は覗き込むように同じ品を仰いだ。

 刃長は二尺二寸八分。

 身幅一寸二厘。

 反り六分九厘。

 造り込みは言うまでもなく鎬造りで、胸は庵棟。

 刃長の割に身幅が広く、重ねの厚い豪壮な太刀姿には、太い棒樋が掻き通されている。剣尖は猪首型の鋒が奮迅と伸び、虎視眈々と獲物の急所を見据えているようだった。

 小板目肌に富んだ地鉄はきめ細かく、地沸が豊富についている。

 加えて、鮮やかな乱れ映りが鍛え肌で鮮烈に浮かび上がり、一色の鋼に濃淡豊かな色調を巧緻こうちに色付けている。

 しかし何といっても目を惹くのは刃文。

 なだらかな山形の互の目に重花丁子を僅かに交え、雨だれの如き袋丁子を、存分に焼き入れている。

 刃縁には足・葉がしきりに入り、匂深く、小沸つく。

 大きく乱れ込んだ帽子の表は小丸、裏は尖りごころでわずかに返っている。

 ——続く脇差も揃えなだけあって特徴が似通っていた。

 刃長一尺八寸八分。

 身幅一寸。

 反り四分六厘。

 鎬造りに庵棟。

 身幅は広く、腰反り深い。

 地鉄は板目肌を基調に杢目、流れ肌が交じり、総体的によく詰んでいる。

 加えて地沸が微塵につき、乱れ映りも見える。

 互の目を主体とした刃文には、丁子、袋丁子、飛び焼きなどが豊富に敷かれ、神々しく冴えた匂口も相まって、極めて豪華な美貌を宿している。

 本差同様に足・葉にも富み、小沸つき、匂も深く浮かんでいる。

 帽子は乱れ込み、小丸に返る。

 鞘は、まず朴の木に鮫皮さめかわを巻き付け、皮に着いている突起物の間に、黒漆を塗り込んだあと、表面を研ぎ出した鮫鞘と呼ばれるもの。

 柄巻きは木綿もめんの絡み巻き。

 鍔は木瓜もっこう型の真鍮しんちゅうに秋草とうずらの図を彫ったものだ。

 品名には『岡田切吉房(写)。袋丁子吉房』と銘打たれている。

 写とは、即ち模倣。既存の刀と全く同じ特徴を捉えて打った作品を言う。

「——スゴいなあ。そっくりやん」

 感嘆する室伏。彼女も岡田切吉房は拝見したことがある。もちろん資料の物だが——。

 国宝に指定され、今では東京国立博物館にて所蔵、管理しているそれは、備前国の福岡一文字派の名刀だ。

 正直、室伏の好みではない。彼女は派手なものが苦手だ。

 しかし、佩刀するのは玲依だ。彼女が気に入ったのならそれが一番だろう。

「これがええの?」

 優しく問い掛ける。

 だが、玲依の目に写ったのは、甚だしいほど高額な値札。万単位なのは言うまでもなく、桁数が三桁を軽く越えていたため、ソレを見るや否や玲依は慌てて視点を改めた。

 しばらく右往左往したが、結局、目前すぐ真下の二桁分安い刀へと落ち着いた。

「こ、これで——」

 しかし、彼女のその気遣いも虚しく、横から割り入った愛鐘が先刻の大小を指差した。

「あの、岡田切の写ください!」

「へ——?」

 動揺する玲依を横目に、傍らで密かにほくそ笑む室伏。あたふたと口答えを試みる隣人の姿が少々愛おしく思えてしまい、思わず口の端が上擦った。

 玲依は、物事を三段飛ばしで進めて行ってしまう愛鐘には敵わなず——。

「あいよ! 支払いはどうする?」

「このデビットカードを一括払いで」

「マジで⁈」

 見事、『袋丁子吉房』を拝領した。

 ほぼ強引に、大小二振りの刀が左腰へと携えられる。

 玲依は、甚くおぼつかない様子だった。

 歩を踏むたび、体がやや左寄りに傾く現象は、いつかは慣れるものなのだろうか——。鍔に当たる前腕の動きを改めつつ、玲依は顔を伏せた。

「(——ゔぅ……重い……歩きづらい……。それにこれって、いま私の腰には六五〇万が憑いてるってことなんじゃ……)」

 産業会館を後にし、四条通りを東へ進む玲依。愛鐘や美海の後ろを、室伏と手を重ねておろおろとついて行く。

 隣接する喫茶店の窓越しに、自身の姿を俯瞰した時、玲依は改めて現状の異常さを実感した。

「(こ、怖い……っ! 六五〇万が……いま私の腰にある……⁈ ガラの悪い素行不良に襲われたりしませんように……)」

 彼らからしてみれば、きっと今の彼女は鴨がネギを背負って来たようなものなのだろう。

 渦巻く畏怖へ密かに怯えながら、玲依は漠然と道なりを進んで行った。

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