第16話 秘めたる恋
第十五節 秘めたる恋
明治神宮・境内——。
伏見玲依は、唯一携えた左目を強固に唸らせ決意した。
「——私は、残る」
「……え? ……れ、れい?」
空白を剥く薄紅色の美貌。
だが、玲依の意思は変わらない。目を見れば一目瞭然だ。
彼女の果断な言葉を現実だと受け止めた上で、エマは玲依を問い詰める。
「どうして⁈ こんなにも危ないのに……っ‼︎ 殺されるかも知れないし、殺すかも知れないんだよっ⁈」
「殺すよ。……私には、夢があるんだ、エマ。だから、五月雨や他の攘夷志士が、それを脅かすのなら、私は斬るし殺す。別にエマに強要はしない。山口の避難所に戻りたいなら、エマだけで戻ればいい」
視線を外し、愛鐘や憂奈を見据える。
二人は、本当に良いのかと、玲依の身を案じるようだった。
だけど、これは此処に来る前から決めていた事だ。曲げるつもりはない。
だが当然、過程は違えど、これは過去と何ら変わりない。
エマの顔が不安に沈み、絶海の瞳が曇った。
「……また、またそうやって、ワタシを遠ざけるの? ——またそうやって、ワタシから離れるの?」
「………………」
返す言葉もない。
だけど、これが自分にできる、エマへの精一杯の恩返しだから——。
黙り込む玲依に、憂いを隠せないエマ。
見兼ねた愛鐘がそっと静かに嘆息した。
「——少し、話し合いの時間が必要のようですね。これは、二人のこれからの道を決める大切な分岐点です。同時に、人殺しの汚名を切るか否かの、人としての岐路でもあります。ご自身で悔いのない決断をしてください」
手を叩き、一座へと声を張る。
「班が決まった方々から出立して構いません‼︎ まだ決まっていない方は、私と共に本殿の中にてお待ち頂きます!」
しばらく、玲依とエマは二人きりにする。
愛鐘、美海、憂奈、桜は一度境内を離れた。
ちなみに、彼女達の他で班を決めかねていたのは、花沢華奈と
あとの者達は各々班を構成して出立する。
北部を担当する事になったのは、
続いて関東圏を担当する東班は、
男一人のみとなった一柳の肩身の狭さといったら想像もしたくないが、来島が、女性だけでは心許ないと、半ば用心棒のような形で彼を引き入れた。
——さて、境内に二人残された玲依とエマだが、玲依の意思は変わらず揺るぎなかった。
「……手紙、沢山贈るから……。もし途絶えるような事があれば、その時は……わたしが死んだ時だと思う……」
背き、
向けられた背中に、エマは考えたくもなかった不安を吐露する。
「……ワタシのこと、嫌いになっちゃった……? 攘夷が流行する今のご時世じゃ……、やっぱりワタシは邪魔……?」
「そんなわけないよ」
即答だが、向けられた背中は随分と寂しい。
「私たちは……その攘夷を淘汰するために招集されたんだから……何があっても、私は、最後までエマの味方だよ。——けど」
玲依の拳に、
「——エマがこれ以上、私の道を阻むなら……」
今にも血が溢れんとするほどに、握った拳には爪が喰い込んだ。
「……私は、エマを嫌いになる……——」
人知れず噛み締められた唇から、等々赤い波が滲んでしまう。
拒絶的な親友の発言に、エマの心は握り潰された。
締め付けられるような胸の痛みを堪え、胸元を強く抑える。
だけど、それでも喉の奥が詰まるようで、口の中が苦くて——。
どうしようもなく、——切なかった。
——あの日。誰もが見て見ぬふりをする中で、ただ一人——唯一手を差し伸べてくれたアナタは、ワタシの泥を祓うんじゃなく、ワタシと一緒に泥を
災害の中で玲依とまた会えた時は、スッゴくスッゴく嬉しかった。
もしかしたら——なんて、ずっと悪い方向ばかり頭をよぎるのに、アナタはいつだって、そんな邪なモノを覆してくれる。
——異質。
——異端。
——邪悪。
——そう呼ばれ続けたワタシを、アナタは否定してくれた。
——中学時代。
「——綺麗だなぁ。ワタシも、着物着てみたかったよ……」
「……着たこと……ないの?」
「着れないよ……。お店行くの怖いし……それで町に出て、何されるか分かんないし……」
ただ行き交う着物装束を見るばかりで、差別に怯えてお店にも行けなかったワタシに、アナタは優しく応えてくれた。
「……わ、私のでよければ……着る……? 何着かあるし……着付けも出来るよ……?」
「ホント——⁈ いいの⁈」
「……い、いやでも……サイズ合わないか……」
「あ——、」
あの時のワタシ、きっと凄く酷い顔していたんだろうな。
アナタはそれでも、ワタシの願いを叶えてくれようと頑張ってくれた。
「……さ、採寸測るから……ちょっと立って……もらえるかな……」
「え——?」
洋服じゃ測らない所まで丁寧に計測してくれて、数日が過ぎた頃——。
「——あ、あの……これ」
「え——これ、着物……?」
「……う、うん……。エマ……着てみたいって、言ってたから……その、この前の採寸を元に……織ってもらった……」
「もらったって、——お店でってこと? 一人で?」
「……うん——」
嬉しかった。
玲依だって、人と話すの苦手で、怖いはずなのに——。
ワタシ知ってるよ。
玲依が初めて私に料理を御馳走してくれた時、話してくれたこと。
玲依は〝ギフテッド〟っていう、極めて高い知能指数を授かった子の一人だったんだ。
彼女自身、自覚はないみたいだけど、明らかに特徴が一致し過ぎていた。
だっておかいしもん。まだ小学生低学年にしか満たなかった玲依が、化学物質の元素記号を暗記しているなんて——。
小学生とは思えないほどの料理の腕前も、多分ギフテッドの産物。
だけど、それを理解してくれる人は、今まで一人もいなかったんだ。
それで孤立して、誰も信じられなくなっちゃったのに、ワタシなんかの為に——。
「ありがとう‼︎ 玲依‼︎」
「ぐはァ——‼︎ え、えま……ハグは、日本ではあまりしない方が——」
——違うよ。これは挨拶なんかじゃないんだ。
「大丈夫! 玲依以外にはしないからっ!」
「そ、そういう問題じゃ——」
だけどまだ、ワタシはこの気持ちを隠し続ける。
打ち明ければきっと、玲依もワタシの苦悩に巻き込んでしまうから——。
だから、いつかアナタの隣を胸を張って歩けるその日まで、この気持ちは伝えられない。
「——着付けまでしてもらっちゃって、ホント何から何までありがとね」
「……わ、私がやりたくてやってるだけだから……気にしないで……」
——あの時、アナタが言ってくれた言葉、ワタシは今でも忘れてないよ。
「……エマ、髪の毛綺麗だよね……」
「へ——⁈」
「……透き通るような淡い紅色なのに、ちゃんときめが細かくて——
しゅす? ——って言うのは、ちょっとよく分からなかったけど……、ワタシ、あの時スッゴく嬉しくて、鏡に映る顔が自分のだなんて信じられなかったよ。
似合もしない乙女な顔しちゃってさ、鼻の上まで真っ赤だった。
——幸せだった。
玲依はきっと、覚えてないだろうけど……。
あの時のアナタの言葉は、今でもずっとワタシの宝物だよ。
ずっとずっと、好きでいて欲しくて、毎日髪の毛だけは
今じゃ腰の下まで長くなっちゃってるけど、アナタが褒めてくれたから、ずっと大切にしてきたんだよ。
これからも、玲依が褒めてくれた髪を、玲依に見て欲しくて——。
玲依が褒めてくれた髪で、玲依の隣を歩いていたくて——
ねぇ、玲依——。
「——それなら、」
閉じていたエマの口が、長い沈黙の中でようやく解放された。
わずかに振り返る玲依。紺碧に隠れた陰鬱な瞳で、淡くゆれる薄紅の花を見据える。
「ワタシにも、玲衣の夢を、一緒に追いかけさせてくれないかな……。玲依の……玲依の隣で、同じ道を歩かせてほしい——。——だめ?」
儚げなエメラルドグリーンの瞳が、物憂気に潤む。
引き寄せられるようだった彼女の瞳。だけど今は少し遠くて、眩しすぎた。
——キミは、泥を着せられた人。
——わたしは、泥を着た人。
この違いが、私たちの間を決定的に分け隔てる。
「——殺されるかも知れないし、殺すかも知れない。そう言ったのはエマでしょ……? エマに人は殺させたくない……」
「それはワタシも同じだよ‼︎ 玲依が人殺しになるなんてイヤ‼︎ だって、そんなことになっちゃったら、玲依はまた、独りぼっちになっちゃうでしょ……? そんなのヤダよ‼︎ もう、玲依を独りになんかさせたくない‼︎ けど……玲依を止める権利なんて、ワタシにはないから……」
締まる胸の痛みに耐えかね、等々露を
見ずとも伝わってくる彼女の悲痛に、玲依は口の中に潜んでいた苦虫を噛み潰す。
それでも、エマは勇敢だった。
「だから、どうしても玲依が行っちゃうって言うなら、ワタシも——」
駆け巡る痛みを噛み殺し、雄渾な声音を向けてきた。
言葉に乗せられたエマの覚悟のほどは、正直不明だ。
もしかすれば、想像以上に重いモノを背負う気でいるのかも知れない。
または、ただその場凌ぎの出まかせかも知れない。
いずれにせよ、玲依にはどうしても、エマのそれを許容することは出来なかった。
だって、エマは綺麗だから——。
このままでは、玲依の身勝手な都合で、彼女にまた泥を浴びせることになる。
途端によみがえる、あの日の惨状。
エマを覆う真っ黒な泥が、——次第に朱に染まっていく。
それだけは——。
「——ワタシも連れていってよ! 玲依が見ようとしてる世界に、ワタシも——‼︎」
背く玲依の手をエマが取った瞬間——。
「——来ないでって言ってるでしょッ‼︎」
握られた手を、玲依は勢いよく振り払い、拒絶した。
瞬く間に奈落のどん底へと叩き落とされるエマの感情。およそ絶望と呼ばれる表情が、一瞬にして彼女の美貌を真っ黒に染色した。
しかし、玲依は依然、彼女と目を合わせようとはしない。
「わかんないよッ‼︎ なんでそこまでしてついて来ようとするの⁈ なんでそこまでして追いかけてくるの⁈ あの時私が声を掛けたことで恩を感じているなら大間違いだよ‼︎ 私はエマを助けたかったんじゃない‼︎ ただ自分で自分を許したかっただけなんだよ‼︎ 醜い自分を救済したかっただけなんだよ‼︎ 独りぼっちの私を憐んで恩に報いようとしているならエマの勝手な思い上がりだよ‼︎ 私は最初からエマのためなんかに生きてない‼︎」
全力の咆哮。
精一杯の慟哭。
生まれて初めての激昂だった。
生まれて初めての怒りだった。
そして、生まれて初めての、——ウソだった。
エマには何一つ非はない。恨みもない。むしろ感謝さえしている。
——報いたかったのは玲依の方だ。
けれど、あの時と同じ。
周囲の環境が納得できないことばかりで、思い通りにならないことばかり——。それがどうしようもなく我慢ならなくて、エマに当たってしまった。
発したあと、奈落に
止めどなく溢れる彼女の涙を見て、自分をまた嫌いになった。
だけど、エマが何不自由なく幸せになるためには、穢れた自分を
「——————」
許してとは言わない。
散々と呪ってくれて構わない。
だからどうか、幸せになって欲しい。
混濁とした後悔の念に
残ったのは、エマの悲痛な独白だけ——。
「……ごめん…なさい……。ワタシがよわいから……ワタシがおくびょうだから………。このきもちをアナタにつたえたら………きっと、アナタをくるしめちゃう………………」
本殿で二人の経過を待っていた愛鐘たち。灰色の空を見上げ、憂愁に浸る。
「……雨、降らないといいですね……」
今にも泣き出しそうな空の気配に、一座はどうにも辛気臭かった。
——無理もない。これから長期遠征だと言うのに、雨など降ろうものなら最悪だ。憂鬱にならない方が難しい。
ただ一人を除いて——。
「……………。……あ、あの、徳山さん? 先程から、何をそんな熱心に携帯と睨めっこしていらっしゃるんですか?」
彼女——徳山桜は、本殿に入った
起き上がる桜の顔。重ねて、例の液晶が掲げられる。
「だって遠征だよ⁈ お泊まりする宿はちゃんと決めなくちゃねっ‼︎」
そこには、とある旅行会社のネットワークサービスが映し出されており、数十項目にも上るほどのホテルや旅行プランがびっしりと並べられていた。
遠足と間違えているのかな? この子——。
まぁ、宿泊先が必要なのは事実だが——などと、彼女の行いを正当化しようと試みた優しさは、次の桜の発言によって
「東西南北、それぞれの場所で私が勝手にホテル予約しといたよ!」
「は——?」
待て待て待て待て。
確かに宿泊先の決定は必要不可欠だが——⁈
大体、資金は——。
「出発した子達にも、場所のURL送ったし、名義もそれぞれの班長の名前にしてるから心配いらないってぇ〜」
そういう問題じゃない。
「貸しなさい‼︎」
咄嗟に桜のスマホを取り上げる。
しかし、時すでに遅し——。
言葉通り、とうにホテルは予約されていた。
「……ぅゔぅ……」
鬼小町の顔が、形容しがたいほどの
眉間だけでなく、目頭の周りにも
一度気を取り直し——。
「……そ、そもそも、お金はどこから出てくるんですか!」
「あ、それなら——」
桜の懐から、一枚のデビットカードが取り出される。
「結城さんが、好きに使いなさいって——」
「貸せそれ——‼︎」
即座に奪い取った。
遠目からでも確認は出来たが、至近距離から視認したことで、それが現実であることをより明白に物語った。
カードの表面には、確かに結城友成の文字が、ローマ字で記載されている。
「……な、なぜ……」
半ば悔しげにこぼれ出る愛鐘の悲嘆。
局長どころか副長の自分すら差し置いて、どうしてこのような小娘に——。と、結城の判断を疑った。
愛鐘の顔が、自慢の美貌を今に忘れ去る。
何より、各班の回る場所と予約した宿泊施設が一致しなかったらどうする気なんだよ。
ありがた迷惑とはこのことか——。
もはや愛鐘の頭の許容値が限界を迎え、呆然と立ち尽くすしか無くなってしまったころ、ようやくして待ち人が訪れた。
「お、遅くなりました……」
伏見玲依だ。
時間にして三十分ほどだったか——。
しかし、エマの姿はない。
結局、玲依のみが残ることになったのか——。
「……話は、ついたんですか?」
尋ねた愛鐘に、玲依はどこか気まずそうに黙りこくってしまった。
「——?」
疑問を感じ、境内へ出てみると——。
「エマちゃん——っ⁈」
しゃがみ込み、顔を伏せてしまった彼女の姿があった。
状況のあまりの深刻さに、考えるよりも早く飛び出していった愛鐘。丁重に、エマの現状を気づかった。
「——なにしたの?」
訊いたのは美海だ。
玲依のすぐ傍らから、単刀直入に問い掛けた。
うつむく玲依。
ひとしきり置くと、事の経緯をありのまま話してくれた。
「——なるほどね……」
面倒な事態に、思わず頭を抱える美海。
帰れ帰らぬでは、決着の目処が見えない。——であれば出発も先送りになってしまう。
「……どうする? 愛鐘——」
美海は、前方でエマを
だが、美海に解明できぬものを、愛鐘に解き明かせるはずもなく——。
「そうですね——」
彼女もまた頭を悩ませた。
無論、覚悟のない人間は早々に立ち去るべきだ。
しかし、当の本人が頑なに
結城友成に相談するべきか——。
愛鐘がエマを案じ、美海は玲依を俯瞰する。
停滞する時間軸——。
悩み抜いた末、結論を出したのは、なんと愛鐘や美海の二人ではなかった。
「——なら、引き離しちゃえばいいじゃない、その二人」
もう一人の局長、——花沢華奈だ。
顎をしゃくり、尊大極まった態度でものを言ってくる姿は依然顕在中。
発言の意図を汲もうと自身を見据える一同に、花沢は高らかに示唆する。
「幼馴染だか何だか知らないけれど、片方の決心は付いているんでしょ? なら、着いてこれない貴女の問題よ西洋人。私だって賢志と班分かれちゃったし——」
それはアンタが憂奈に執着した結果だろ。
「もう時間はないわ。どっかのバカが勝手にホテルの予約しちゃうし——」
「てへぺりんこ♪」
ぶっ飛ばすぞ長州人。
「このまま議論していたって日が暮れるだけよ。ならいっそのこと、お互いの頭が冷えるまで別行動させるのが賢明よ。どうせ人数不足の今の有り様じゃあ、本格的な攘夷志士の撲滅なんて無理なんだし……。旅の中で決心を固めさせればいいんじゃない?」
思いのほか大らかなんだな——と、愛鐘は思わず感心してしまった。
ごもっともだ。
まだわずかに時間はある。
「……そう、ですね……」
エマにとっては気の毒だろうが、今はその選択肢しかないのだ、仕方がない。
「——はいは〜い‼︎ それじゃあ、エマちゃんはあたしと班を組もうよ!」
早速、元気の良い挙手をしたのは朝陽憂奈だ。燦々と輝く太陽のような瞳でエマの手を取った。
「紹介したい人が居るんだあ! ねっ? いいでしょ?」
「……う、うん……」
やはり玲依が気になるのか——。
しきりに、エマの視線が玲依に傾く。
続く花沢の便乗。
「当然私も憂奈の班なわけだから、定員はあと一人かしら」
懲りないな。
「じゃあ私も憂奈ちゃんの班入る〜‼︎ 月岡さん怖いし……」
おい徳山聴こえてるぞ。
「——となると……」
月岡愛鐘は、遠星美海、伏見玲依、そして室伏理北で一班となる。
室伏理北とは、今朝初めて顔を合わせたばかりの初対面だ。
なんでも、親がヤクザのようだが、目前の麗麗とした上品な佇まいからは全くと言っていいほど想像できない。
まず頭の両側に下りる髪を三つに編み込む。その編目へ四つほどに分けたもみあげの毛束を通して流す。
編み先は頭の後ろで結び、最後に、後ろ髪の内側に隠して完成。
見た目だけなら、極めて清廉で楚々とした印象を受ける。
耳ぎわの髪を三つ編みに巻き込んでいるため両耳は露出しており、髪の毛の全てが背面へと流れるようになっている。
規則正しく丁寧に切り揃えられた前髪からも清潔感あふれる人相が窺える。
愛鐘は友好的に、彼女へと右手を差し出した。
「よろしくお願いします、室伏さん。髪型、とっても可愛らしいですね!」
かなり面倒だろうに——。
逢引きでもない日に着飾ってしまえるのは、日々の習慣なのだろうか。ならば尚更だ。ヤクザの親を持っているとは思えない。
室伏は、愛想良く微笑んでくれた。
「おおきに。こちらこそよろしゅうおたのもうします」
見事なまでの京都弁だった。
極めて優麗な京言葉。綺麗すぎる。
「…………………」
思わず、恍惚としてしまう愛鐘。
あまりにも綺麗な言葉遣いだったので、つい魅了されてしまった。
「月岡はん? どないしはったん?」
「え? あ、いや……なんでもありませんよ!」
初対面の相手に気取られるとは、不覚。——などと悔やんでいる内に、愛鐘は背後から忍び寄る悍ましい気配へ背筋を凍らせた。
「————っ⁈」
絶海の水上が、瞬く間にして氷河と化した。
「——み、美海ちゃん⁈ 違うんですよ? これは決してそういうんじゃ——」
決死の弁明を試みようと慌てふためく愛鐘。あわや、美海の
「室伏さん。悪いけど、あまり愛鐘に色気付かないでください。風紀が乱れます」
これから同じ班で遠征だというのに、強い牽制をかける美海。
——仲良くしようよ。
「あら、そないなつもりはなかったんどすけど……なるほど。お二人はそういう関係なんどすなぁ。心配しいひんでも、余計な茶々は入れしまへんさかい、ご安心ください」
上品な微笑みを残すなり、室伏は傍らに居た玲依の腕へとしがみついた。
「——ほな、うちらはハグれもん同士、仲良くいたしましょ」
「ひイィ——っ⁈」
仕切りに、二人を遠目で見ていたエマの目が虚ろう。
このままでは、彼女の精神が完全に氷解してしまいそうだ。
再び、愛鐘の胸中に危機感が走った。
「れ、玲依ちゃんは、あまり他人に親しくされるのが得意ではありません……。不用意な接触はほどほどにお願い致します」
「そうなん?」
忠告したそばから、至近距離で玲依の瞳を覗き込む室伏。
ダメだこの娘。人の話を全く聞かないタイプだ。
京女は人当たりが悪いと聞くが——なるほど、方向性は様々のようだ。
桜に続いてまた面倒な
「……い、いや……その……………はい……」
落ち込んでいく玲依の頭。もはや死人のようだ。
「……はぁ……」
大きな溜め息が、愛鐘の口からこぼれ出る。
先が思いやられる。
だが、嘆いていては副長の名に傷がつく。
ここは愛鐘こそがしっかりしなくてはならない。
大きく息を吸い、再度気を引き締める。
「それでは出発いたします! 関西地方、および近畿地方は私、月岡愛鐘の率いる西班が担当。花沢さん率いる南藩は、中国地方から九州地方をお願い致します!」
整然と、模範的な声を張る愛鐘。彼女の方針そのものに異論はない。
ただ、一つだけ問題が——。
「けど、瀬戸内付近は災害の被害で陥落してるんじゃない?」
指摘したのは局長の一人、花沢だった。
彼女の言う通り、南海トラフ巨大地震の影響で、無人と化した都市が瀬戸内には幾つもある。
四国は余さず陥落し、中国地方、近畿地方の瀬戸内際沿岸部も悉くが洗浄された。
九州でさえ、大分や宮崎などのフィリピン海沖はどうなっていることか——。
それだけじゃない。
花沢は知らないだろうが、被災地には、あの異形の魔獣——禍津神が出る可能性だって考えられる。
彼女の班は神格化しているのが憂奈だけという事もあり、不安要素は最も多い。
「そうですね。花沢さん達には少々過酷な遠征になるかも知れません。もしもご不満なら、班員を調整するか、あるいは交代しても構いません」
「いえ、そこは問題ないわ。ただ陥落している地域がある中で、どう探すのか——ということが気になっただけよ。だから、あまり勧誘できる規模は期待しないでちょうだい」
「ええ、それはもちろん。主力の限りで構いません。くれぐれもお怪我のないように——。安全第一でお願いしますね」
「言われるまでもないわ」
珍しく、微笑みを残していく花沢。今まで愛鐘に対して笑うことなど皆無だったのに、一体どういう風な吹き回しだろうか。
彼女は憂奈と手を重ね、エマや桜と共に明治神宮の鳥居を抜けていく。
「——では、私たちも出発いたしましょう」
追って、愛鐘たちも一度神社を留守にし、東京駅へと向かっていった。
一方、東京都千代田区に所在を置く警視庁では、日本各地の警察署署長を一斉招集し、大規模な会議が執り行われていた。
「一体全体なにが話されるって言うんだ?」
一同、そんな思いを胸に抱いていた。
おそらく、とんでもなく大きな事件、または方針、あるいは制度改正などが行われるのではと、会議室は緊迫感に満ちていた。
普段であれば、長々と退屈な話を並べられる会議は御免被りたい所だが、今回ばかりは規模も規模であったが故に、半身楽しみでもあった。
しかし、話された内容はある意味では
「——今回話したいのは、激化している五月雨の攘夷断行についてだ‼︎」
——んな事だろうと思ったよ。
——なんだ? 大規模な武力行使にでも出る気か?
——市民の武装化を許すとかか?
様々な憶測が飛び交う中、続く語り部はそれら期待にも似た想念を断絶するものだった。
「我々は、これら全てへの公務執行を停止する‼︎」
——は?
「詳細は、公安警察や警視総監のみが知る極秘のものであり、告白することは出来ない‼︎ だがしかし‼︎ 五月雨が脅威的な力を持ち、我々警察など容易く凌駕して余りある存在であることもまた事実‼︎ よって‼︎ 上層部共感のもと可決した‼︎ もし、街中で五月雨の攘夷に遭遇した場合、身柄の拘束などは決して考えるな‼︎ 見つけた際は、場所と時間を記録したのち、すぐさま各々の署長へ報告せよ‼︎」
「ふざけるなぁ‼︎ 奴らの蛮行をみすみす見過ごせって言うのか‼︎」
「ただでさえ税金泥棒とか言われている俺たちに、更なる汚名を着せる気か‼︎」
「この薄らハゲ‼︎ テメェの頭漏れなく砂漠にしてやろうか⁈」
嵐の如き罵詈雑言が飛び交う中、——反面、冷静な考えを持つ者もいた。
「……いや、公安警察が事態の概要を知っているなら、彼らがこの問題を預かることになったと考えるのが妥当じゃないか?」
「——え、じゃあ公安警察が五月雨の大弾圧を引き継ぐってこと?」
「ばか! 彼らは国際的な国益侵害や破壊工作を未然に防ぐエリート集団だぞ⁈ こんな一塊の国内テロで出張るような組織じゃねぇよ」
「……け、けど、五月雨の攘夷運動が過激化すれば、国交に影響出るよな……。それって国益に関わる事なんじゃ……」
「——静粛に‼︎」
喧騒とし始めた室内を、一際大きな音声が静止させる。
「諸君らの思いは充分わかる。しかしこれは内閣府を始め、防衛省指揮下のもと決定した事案だ。異論は認められん」
一座に向け、屈強な佇まいを揺るがさない警視庁長官。
しかし、その表情は甚く悔しげだった。
懐で強く握られた拳と、人知れず噛み締められる奥歯。
彼自身、警察としての尊厳を放棄しなければならないこの案件には、納得がいっていなかった。
だからこそ、皆の批判は痛いほど理解している。罵声さえ承知の上だ。
上の圧力に逆らえない自身の弱さを悔やみ、終いには頭を垂れてしまう。
「……すまない……」
長官ともあろう者の、そのあまりにも惨めな姿に、皆は言葉を失った。
呆気に取られたのもあるが、何よりこうも素直に頭を下げられては責めるに責めきれなかった。
頭を上げた長官は、最後の言葉を残す。
「——それとこれから先、街中で大小二振りの日本刀を帯刀したJKを見掛けるだろうが、放って置くようにとのことだ。皆、くれぐれもよろしく頼むぞ!」
——は?
——なんじゃそりゃアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァ————ッッ‼︎
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