第12話 茨を秘める花嫁


   第十一節 茨を秘める花嫁



 明治神宮へ招集された翌朝。月岡愛鐘、遠星美海、朝日憂奈とその一派は、白河東湖を始末すべくある人物のもとを訪ねた。

 総体的に巻かれた菫色の長い髪に、規則正しく切り揃えられた前髪と碧い眼が特徴の、十歳も歳が離れた大人の女性、——花沢はなざわ華奈かな。茨城県の出自で、神道無念流を扱う剣客だ。関東圏ということで、奇しくも標的たる白河東湖とは同じ宿舎となっている。

 黒のスクエアネックブラウスに、テーラードジャケットを着込み、白色の膝丈プリーツスカートを履いた上品な容貌。

 首には花柄のスカーフが巻かれ、頭には茶色のベレー帽。そこはかとなく欧州の貴族を彷彿とさせる。

 ——ただ、彼女には悪い噂がある。そのため対談は慎重に、彼女の機嫌を損ねない事が先決だった。よって、交渉役に選ばれたのは鬼小町ではなく、遠星美海。他二人は発言を自重し、愛鐘が美海の右脇へと控え、憂奈は左脇にて正座を組むことになった。

「花沢さん。彼のこと、どうお考えですか?」

 彼——とは無論、白河東湖のことである。


 時は一度さかのぼり、その日の朝——。


 朝の食事に互いの膳部を向かい合わせていた愛鐘達は、白河東湖の一件を話していた。

「白河さんの御一件、無論暗殺となるわけですが、ただ殺害するだけでは、形がよろしくありません。よって、その後の組織統括にあたり、私たちに賛同してくださる方々を募るべきです。——ただ、殺人をする者について行こうとする方々は少ないでしょう。そこで、世襲派の方を一人こちら側に招きます」

 提案をくだす愛鐘。

 美海は、一度口に運びかけた箸を下ろし、味噌汁に浮かぶ自身を見つめた。

「確かに、世襲派の人達なら元々の族柄、臣下は多い。私達のような田舎者が声を掛けるよりも遥かに信用度は高いわ。党首さえ引き入れられれば、臣下も自ずと——」

「そういうの、棚から牡丹餅ぼたもちって言うんだっけ?」

 エマの愛らしい小首が横に傾いた。

 しかし、やはり両親が異人だからか、大和言葉には少しばかりうといようだ。

 彼女の左隣に居た玲依の口が、重たく開く。

「……そ、それは…偶発的に連なったさちのことで……、いま意図して二つを得ようとしている月岡さん達とは…ちょっと違うかな……。二兎追うものが二兎とも取ろうとしてるわけだし……」

「そっかぁ〜。やっぱまだ難しいね、ことわざの世界って。教えてくれてありがとう! 玲依!」

「い、いや……」

 玲依は玲依で、素直に感謝を伝えるエマへの返礼の心得をまだ持ち合わせていないようだった。

「——して、その世襲派というのは?」

 美海の発言で話が戻る。

 持ち上がった彼女の顔に、愛鐘は実在する虚像を手向けた。

「花沢華奈。本名を有栖川ありすがわ華奈と言うそうです」

「有栖川? 有栖川宮家の?」

「はい。ご令嬢に当たる人物だそうです。どうしてこの招集に従ったのかは不明ですが、それも踏まえて、一度お話を伺っておくべきかと——」

 愛鐘と美海の傍らで、再びエマの首が傾く。

「えっと……宮家って?」

「皇族のことだよ……。中でも有栖川は確か、世襲親王家って言ったような……」

 これに関しては、流石に一凡俗である玲依の知るところではない。だからこそ、武家の出である徳山桜の出番だった。

「——そうなんよ〜! 有栖川宮家はね、江戸時代から続く由緒正しい家柄なんだよ! 日本の色んな伝統芸能の師範を勤めたりしてね、皇室からの信用もあつい立派な家系なの。水戸徳川家を始め、彦根井伊氏や我らが長州毛利家、広島浅野家、久留米有馬家などとも婚姻を結んだりした、公武合体派の最前線だったりしたんよ」

「く、詳しいですね……徳山さん」

 つまり有栖川華奈こと花沢華奈には臣下が居る。それを根こそぎ巻き込むことが叶えばいっちょ上がりである。

 ただ、改名している事を見るに、何かしら複雑な事情を抱えていそうではあった。既に出家している可能性も捨てきれない。

 何が地雷になるか分からない以上、ことは慎重に運ばなくてはならなかった。

 花沢を前にする美海の手が、次第に汗をはらんでいく。

 彼女の問いに対し、花沢は手前のさかずきにくべられた焼酎を飲み干す。

 器を置くと、彼女は不可解にも一度美海の左脇を一瞥した。

 しかし、それも刹那に終わり、瞬きと共に、その目線は自然を装って美海へと戻された。

「——愚問ね。あんな浮気者、東京湾の藻屑にしてやるのが道理でしょう?」

「おっしゃる通りでございます。ですが、あまり目立つ行動は自重していただきたい」

「………………」

 一瞬、花沢の目が獰猛になった。

 これの機嫌を損ねると非常に面倒だ。

 美海の体に再度緊張が走る。

「花沢さんは非常に腕が立つと伺っております。なんでも、有栖川宮家の道場にて免許を皆伝し、師範をなさっていたとか……」

「昔の話よ。私にはもう、有栖川との繋がりなんてないもの……」

 どこか悲しげな——、憂いにも似た蒼い相貌を浮かべる花沢。拍子に、飲みかけた盃を膳部に戻した。そしてまた、美海の左脇——朝陽憂奈を執拗に一瞥する癖を見せた。

 ——なるほど。やはり訳ありのようだ。

 地雷となるか否か——。

 しかし、これは彼女が従える臣下の忠誠心を測るために必要なことだ。

「あの、是非何があったか話していただけませんか? 有栖川家を出家した経緯など——」

 美海が花沢への関心を露わにした。

 その問いに、またしても花沢の目線が憂奈へと逸れる。彼女も美海と同様に、真剣な面構えで花沢と向き合っている。

 しかし、それもまた一瞬。

 花沢は目を伏せ、盃に満ちた酒に過去の自分を想起させた。

「——見放されたのよ、内閣府から。知ってると思うけど、私たち有栖川宮は、江戸初期から続く皇族よ。日本の伝統を頑なに重んじ、異文化を嫌っていたわ。その点で言えば、攘夷一派と変わらぬ思想を持っていた。けど、外交を政治の指針にしている政府にとって、私たちは目障りだった。でも皇族と政府は一連托生いちれんたくしょうなの。現国の実権が政府にある以上、私たちは政府の目指す維新改革に賛同するしかなかった。そうしなければ、皇族としての有栖川は没落してしまうから。世襲派ゆえに、御当主様がそれだけはと渋ったのよ。当然その娘である私達も維新を強要させられた。そんなある時、妹が五月雨の一味に殺された」

 花沢の告白に、霹靂にも似た衝撃が全身を駆け巡った。

 そして彼女の目が、またもや憂奈を向く。

「あなたを見た時、すごく驚いたわ。妹にそっくりなんだもの。瓜二つ——まだ幼かった妹を思い出すわ」

「あ、あたしが?」

 憂奈の目が白と黒交互に瞬く。

「ええ……。私の妹は人一倍正義感が強くてね、台頭した攘夷志士を許さず、彼らを断罪するための武力行使を政府に申し出たの。当然、内戦を避けたかった政府はそれを許さず、けれど皇族である妹の発言も無碍には出来ず、状況は拮抗した。やがてこれを聴きつけた五月雨の一味が、申請を取り止めさせるため妹に近づき。徹底抗戦する妹と斬り合った。私が免許を皆伝しているように、妹にも剣術の心得はあったのよ。けれど手数で圧倒され命を落とした……。私は、五月雨に復習するために此処に居る」

 花沢の目に、憎しみがこもる。

 碧かった宝石のような瞳に真っ赤な熱が灯り、次第に炎上していく。

「まだ年端も行かない妹を数十人で斬りかかった、士道もクソもないあの出来損ないに、天誅を下したくて下したくて——。けれど、有栖川の人間に令状が届くはずもなく……」

「——名前を改名した、と」

 文脈から読み解いた美海の解答に、花沢の顔が縦に振られる。

 確かに、戸籍を変更すれば、事実上有栖川との関係は断たれる。政府が知り得る限りの日本国籍に令状を送付していたのならば、変更済みの花沢にも招集は掛かる。

 ——と言うか、今の流れからだと、内戦恐ろしさに政府が隠密組織を建てたことになる。それは甚だしいまでの矛盾だ。

 まさか——。

「あの、ひょっとしてこの招集を持ちかけたのって——」

「ええ——私よ」

 美海の憶測に、花沢はすんなりと即答した。

「皇族である私は政府の内状を知っている。それも、国民が知れば大規模なクーデターが起こされるほどの大きな秘密をね。それをおとりに、防衛省へ隠密部隊の組織を嘆願したのよ。そしたらあっさりと承諾してくれたわ。彼ら自身も、内心では武力無くして五月雨を弾圧出来るなんて思っていなかったんでしょうね」

 武力行使に出るべきか否かと懊悩していた政府へ、逃れようのない牙を突きつけた事で強制的に選択肢を一つに限定したというわけか。決断を決めかねていた優柔不断な政府にとっても、それが良いしおとなったのだ。更には隠密という提案がとどめを刺したわけだ。

 美海はこれ見よがしに招集に当たって花沢自身が募った同志達の有無を問いただす。

「流石の行動力——花沢先生には感服せざるを得ません。しかし、単身での嘆願は難儀を要したでしょう」

 すると、彼女におだてられた花沢の調子は上がった。

「そうでもないわ。私が師範を務めていた時の弟子達が居たもの。今も私たちが五月雨を鏖殺すると、渋谷の連中へ宣言をさせているわ!」

 はァ——?

「あらかじめこの花沢華奈の名を知らしめ、国民の信頼を募り、新たな政党を立ち上げて国を正すのよ! 選挙に勝ち抜くためには、民衆からの熱い信頼が必要でしょう?」

 はァ——?

 美海と愛鐘の沸点に、湯気がこもり始める。

「おい——」

 おもむろに立ち上がろうとした愛鐘を美海が静止させ、代弁する。

「先程も申し上げたと思いますが、私たちは隠密です。目立つ行動はお辞め頂こう」

「安心しなさい。明神組のこと自体は伏せているわ。あくまでもこの花沢華奈が単独でと主張させているもの」

「だとしてもです。五月雨の目に止まれば、いずれ私たちの事が露見するのも時間の問題です」

「なに、私に意見するつもり? 成人したばかりの餓鬼が随分とまぁ図に乗るじゃない。大方、今日は私に白河暗殺の協力を申し出に来たのでしょうけど、あまり楯突くようならあの凡夫よりも先にアナタ達から斬り伏せるわよ」

「大事なことです。花沢先生が国民の信頼を集め、日本一の国士となって頂くためには、口よりもまず行動が物を語ります。焦燥に駆られ、口先ばかりが達者な政治家を、先生もよくご存知のはずです。彼らの多くが失敗に終わっているからこそ、今の日本があります。ゆえに先なる行動を起こし、のちにその事実を明かしたのなら、先生の偉業はこの天下を掌握するものとなるでしょう。国民ヒトは見せられる舞台モノよりも、影に秘めた物語努力にこそ魅了されるものです。——ときに先生は、尊大な態度で漠然と真似られた威厳を振りかざす者と、淑やかな所作で慎ましく振る舞う者、どちらがお好きですか」

「…………………」

 花沢の口が閉じる。おそらく美海の比喩に自身の醜悪を自覚したのだろう。

 一般論なら、好まれるのは後者だ。

「——つまりはそういうことです」

 さすがは美海だ。と、内心で大きく感嘆した愛鐘。鬼小町たる彼女には出来ない所業だ。

 閉口していた花沢の口が、少々控えめに開く。

「……私が、日本一の国士と言ったわね?」

「いかにも」

「なぜ私なの?」

「おや、これは先生ともあろうお方が何とも白々しい」

 花沢は、初対面である美海に私の何が解る——と訊いている。

 だが、美海は笑ってみせた。言うまでもないだろうと——。

「皇族の身分を持ちながら、文武共に優れた器の持ち主など、この日本中いくら探そうとそう居ませんでしょう。——少なくとも、私は先生ほどの人物を知りません。だからこそ、今一番信用に足る人物が先生なのです」

「無論です」

 甚だしいまでに大層な美海の賞賛に、愛鐘が傍らから同調した。

 そして——。

「あたしも、華奈お姉様ほど完成された御仁は居ないと思います!」

 憂奈による素晴らしい起点。

 妹に似ていると言われた彼女が、花沢を親しげに『お姉様』と呼ぶのは破壊力満点だ。

 結果は如何に——。

「……ま、まぁ、当然よね……‼︎」

 動揺している‼︎

 照れている‼︎

 効果は絶大だ‼︎

 もうあと二年で三十路だと言うのに年甲斐もなく頬を紅潮させている‼︎

 この茨姫のご機嫌取りは見事成功だ‼︎



 ——さて、白河暗殺の件である。

「協力はもちろんするわ。私もあれは目障りだしね」

 無事に花沢を前向きにさせる事が出来た。

 しかし、彼女にはまだ満たされていない物があるようで、

「でも一つだけ条件があるわ」

 と、人差し指を立ててきた。

「条件ですか……」

 今度はまた何かと緊張が走る美海を横目に、花沢の目線は憂奈へと向けられる。

「憂奈、と言ったわね、アナタ」

「は、はい!」

「アナタはしばらく私と行動を共にしなさい」

「理由を伺っても?」

 訊いたのは依然として美海だ。

 花沢の視線が再び美海へと回帰する。

「さっき言ったでしょ? 死んだ妹にそっくりだからよ。——一緒にいたいの。わるい?」

「妹の代わりということですか……。それで、憂奈の尊厳は守られるんですか?」

「悪いようにはしないわよ」

 いつまでも偉そうな態度をやめない花沢。

 憂奈を未亡人の代役とさせる彼女の不浄さに、美海は少々抵抗感を覚えた。

 ——いや、きっとこれに関して悪意はないのだろう。

 ただそれでは朝陽憂奈という人間はどうなるのか——。それだけが腑に落ちなかった。

 それでも、憂奈自身は、これに関してかなり大らかだった。

「大丈夫だよ遠星さん。心配してくれてありがとう。——でも、私も二人と出会う前まで独りぼっちだったから……妹さんを失ったお姉様の寂しい気持ち、分かるんだ」

 その呼び方まだやめないんだ。

「憂奈……」

 花沢華奈はきっと、天邪鬼あまのじゃくというものだろう——。

 随分と高飛車を気取っていたようだが、つまりはそういう事らしい。

 憂奈の良心に、美海は半ば諦め嘆息した。

「——わかった。好きにしなさい。ただし、いつでも連絡が取れるようにしておくこと。それと、」

 振り返り、花沢を見やる美海。尖らせた双眸そうぼうで、花沢に忠告を促す。

「——もし憂奈が嫌だと思う何かがあれば、その時点で彼女は私たちの元へ連れ戻します。朝陽憂奈は(香川県)の出で、先生は(茨城県)出身だ。この意味、よもや理解できぬお人ではありませんね?」

「………………」

「では失礼します。後日また伺います」

 かくして、美海達は憂奈を花沢に預け、関東宿を後にした

 その帰路、珍しく玲依の方から口を開いた。

「あ、あの……。なんでわざわざ昔の藩名を出したんですか……?」

 当然の疑問である。

 明治維新にて行われた廃藩置県により藩は失われ、現在の都道府県が確立した。それを何故今になって旧名で示したのか——玲依の疑問は道理である。

 エマはそもそも日本史に疎いため、会話を理解していない。

 愛鐘は美海と育ちが同じだ。故に美海の意図を読んでいる。訊く必要などない。

 この中では玲依だけが唯一、それを疑問視出来る立場にあった。

 美海の口が開く。

「昔、武士が藩を抜け脱藩することは御法度だったのよ。藩と藩は国と国。江戸の安寧を除いた他の時代は、そのことごとくが戦争をして止まなかった。だから藩は、自国の内部情報が漏洩することを恐れ、脱藩を禁じた。すれば追手を放たれ捕えられる。その後は、死罪になることがほとんどだったそうよ」

「つまり、もし憂奈をたぶらかせば、花沢華奈もろとも朝陽憂奈を処刑すると、美海ちゃんはおっしゃったんですよ」

「ひイイィィ——ッ⁈」

 追随した愛鐘の恐ろしい事実に、思わず悲鳴を上げる玲依。自ずと、それを自分に置き換え思考してしまう。

「……じゃ、じゃあ…もし私が脱走したら……」

 恐る恐る尋ねてくる玲依の真っ青な顔へ、愛鐘は影のある笑みを浮かべ、自身の首に、手先を用いて架空の亀裂を走らせた。

 玲依の足が止まる。

 恐怖のあまり、足を小刻みに震わせ始めた。

 そんな彼女を、傍らからエマが抱き寄せる。

「——けど、憂奈さんは仲間だよね? どうしてそんな……」

 玲依を慰める一方で、エマは悲嘆した。仲間である憂奈を、それでも処罰するのかと、遠星美海の道徳性を疑ったのだ。

 揺らぐ信用。

 向けられた罪人を咎めるような目に、美海は半ば呆れたように嘆息する。

「死んだ妹に似ているって言っていたでしょう? なら、おそらく憂奈の嫌がることは、たとえ憂奈自身が望んだとしても不可能よ。あの時の彼女の顔……おそらく死に際の妹をその目で見てる。きっとトラウマがフラッシュバックして躊躇ためらうわよ。脅しをかけたのは保険であり抑止力よ。だから心配は要らないわ、きっと——」

 美海は、おそらく仲良くやっているであろう二人の憩いを、秋晴れの空に空想した。

 望まれた二人はそれに応えるように——。

 花沢華奈は自身の荷物を漁った。

「——あったあった! 憂奈! ちょっと後ろ向いて?」

「は、はい!」

「ふふっ! もう、そんな緊張しなくて大丈夫よ。もっと楽にして?」

 言いながら、華奈は結ばれた憂奈の髪を解き、取り出した白いリボンで再度結び直した。

「これ、私の妹が使っていた物なのだけど、憂奈にあげるわ」

「え、で、でも……大切な形見なんじゃ……」

「ううん……きっとこれは、このリボンの運命よ。妹の仇を討つためと明神組を提案し、そしたら妹と瓜二つのアナタに出会った。私にはアナタが持つべき物に思えて仕方ないの。だから着けてくれると嬉しいわ」

 最後に、露草の花をかたどった藍染の髪飾りを、華奈は憂奈の左髪の鬢に飾りつけた。

「これも、妹さんの?」

「いいえ。こっちは私が妹にプレゼントしようとしていたものよ。誕生日が近くてね……贈ろうと思っていたら、その直前で動乱の戦いに巻き込まれて——」

 またしても侘しげな表情を浮かべる華奈。

 憂奈の心は、そんな彼女の悲嘆を見逃すことは出来なかった。

 感涙にむせ、思わず華奈を抱き締める。

「——え、ちょっ……憂奈⁈」

「ごめんなさい‼︎ 大切な人を失った気持ちは、あたしには分からないけど……それでも、華奈さんの支えになれるなら、全然……あたしを妹と思ってくれていいです‼︎」

 憂奈は知っている。孤独の極寒を——。

 皆んなを喜ばせたくて、楽しませたくて、それで少しでも興味を持って貰いたくて——。けれどその行いを、皆んなは滑稽こっけいと嘲笑った。以来、刀を捨てた憂奈は、南海トラフ巨大地震を前に愛鐘達と出会うまで、ずっとずっと独りぼっちだった。

 僅かほどでも彼女の寒さを暖められたならと、憂奈は華奈を強く抱擁した。

「————。楽にしていいって言ったはずよ、もう……。敬語なんて要らないわ」

 憂奈の願いは幸いし、凍える華奈の心は、この時を境に徐々に熱を灯していく。



 翌朝。華奈と憂奈は早速仕事に取り掛かった。

 同じ関東宿舎である華奈に愛鐘ら一行が訪ねてきた事から、命じられずともその意図は汲み取れた。——暗殺対象、白河東湖の詮索だ。彼女の一日の行動を把握し、奇襲に足る隙を見つける。

「——白河さん! お出掛けですか?」

 早朝、憂奈を連れた華奈は、宿の玄関口にて靴紐を結んでいた彼へと声を掛けた。

「あぁ……朝のランニングですよ。日課なのでね」

「ご一緒してもよろしいですか?」

「え? ……あ、あぁ…構わないけど……大した話は出来ないですよ?」

「お気になさらず! 私たちは白河さんの背中を追うだけで結構です!」

 話してみて思った。

 この男、不特定多数にはやたらデカい態度を取っていたが、いざ一対一で人と関わると急に人見知りをする。それも相手が女であれば尚更だ。きっと女性経験に疎いのだろう。

「——ん? ところで、そちらは朝陽さんでは? 下関の……。どうして彼女が此処に? 関東出身じゃありませんよね?」

「此処に来てから、皆さん同じことをおっしゃいます。しかし、残念ながら人違いです。この子は私の妹ですから。ほらコレ!」

 一昔前のロケットを白河へと見せつける華奈。そこには、花沢華奈本人と、目前の朝陽憂奈と寸分違わない容姿の女の子が肩を寄せ合い、互いの親愛に笑い合う姿が映っていた。

「なるほど……。時折居ますよね、そっくりさん」

「身近に起こると困りものです」

 楚々としてはにかみ、その場を切り抜ける華奈。白河に見せたロケットを憂奈にも見せつけ、無邪気にも舌を出して微笑んだ。

 憂奈も、その実体は初めて見る。

 散々言われた通り、確かにそれは自分とそっくりの少女だった。寸分の誤差なく精密で、もはや遺伝子レベルを疑うほどだ。

 思わず固唾を飲む。

「では行きましょうか」

 白河の先導に着き従い、華奈と憂奈は明治神宮を後にした。

 彼の一日はこの朝のジョギングから始まる。

 毎朝明治神宮を出ると代々木公園を数周走り、神社に戻って来ては道場で稽古。その後朝食を摂り、その後は仕事へと向かう。

 明神組は防衛省預かりのため、これも立派な仕事だが、突然の招集に前職を続けている者も少なくはない。

 白河東湖は塾の教員だった。

 朝の十時頃から夜の十八時頃まで様々な生徒の相手をしている。

 さすがに、仕事まで一緒にいる訳にも行かないので、華奈達は彼を塾まで尾行すると、日中は渋谷周辺を彷徨うろついた。

 そんな時。竹下通りを訪れた時だった。何やら憂奈があるスイーツに目を光らせたのだ。

「……これは?」

「ん? あぁ〜クレープね。地方じゃあまり見ないから、知らないのも無理ないわ」

「へぇ〜!」

 興味深そうに凝視する憂奈は、我が子のように愛らしかった。

 母性本能に駆られた華奈はつい財布の紐を緩め、

「どれがいい?」

 と、店前に臨場した。

「そんな悪いですよ! これくらい自分で——」

 言い掛けて気づく。

 被災地から直接上京して来たのだ。憂奈含め、愛鐘や美海も現在は無一文だ。

「…………………」

 続くべき言葉を見失い困り果ててしまう憂奈。

 それでも華奈は楽しそうに笑った。

「もぉ〜、また敬語になってるわ! こんな時くらいお姉さんに甘えなさい。ね?」

 十歳年上の朗らかな包容力に、まだ成人したての青二才が敵うはずもなく——。

「……い、いただきます……」

 お言葉に甘えてしまった。

 頂いたクレープは、華奈の優しさのように、ほんのり暖かくて、甘かった。

「憂奈、頬にクリームがついてるわ」

 気づいた拍子に、華奈の人差し指ですくい取られる。

 彼女はそれを舌で舐め取り、熾烈なまでの甘みに、思わず顔をしかめた。

「甘いわね、これ。胃がもたれそうだわ」

 そうは言いつつも、頬にはわずかに血が昇っていた。

 夕方になると、白河東湖は小田急小田原線の代々木八幡駅から徒歩三分ほどの所に位置するスポーツジムにて二時間ほどトレーニングをし、早朝同様代々木公園を何週か走ると、夜二十一時、JR原宿駅前の南門から神社に帰宅する。

 これを見張っている七日間、寸分の狂いはあれど、白河はほぼ同一の時間帯に全く同じ行動を取っていた。

 招集と白河東湖の寝返りから一週間——。彼の暗殺会議が四国洋館にて行われた。

 ちなみに、この一件を知るのは、月岡愛鐘、遠星美海、朝陽憂奈、伏見玲依、徳山桜、エマ・イキシア・フォン・フランベルジュ、そして花沢華奈の七人。他大勢の者達には、一切伝えられていない。何せ暗殺だ。組織の平穏のためにも、彼の存在は密かに、そして静かに消さなくてはならない。

 応接室の一室に集められた七人。

 花沢は相変わらず、酒を片手にしている。これが二十八歳成人女性の全容か——。

「——報告は以上よ」

 花沢、共に憂奈の調べにより白河東湖の日々のスケジュールは掴んだ。その中で確実に奴を狙えるポイントは一つしかなかった。

 卓上に広げられた地図を指差し、愛鐘が示す。

「日中は人が多いので論外として、夕刻もジムでトレーニング……。ここもダメですね。——となるとやはり、代々木公園内」

「私も同意見だわ」

 花沢が同調した。

「幸い、夜の代々木公園内は人も少なく街灯も希薄。備え付けられているのは道なりか、広場の隅ばかり。その闇に乗じて狙うのがいいんじゃない?」

 ——と言うか、それしかないだろう。

 問題は——。

「そうなると散歩している方々や、同じようにランニングしている一般人が厄介ね。寒くなればランナーは減るだろうけど……」

 美海の眉根が歪んだ。

 彼女の言う通り、夜の代々木公園内でも人が居ないわけではない。都心部であり、すぐ近くには繁華街もある事から、やはり多少なりとも人はいる。

「ふ、冬は……イルミネーションがある……よね」

 玲依の言う通りだ。

 秋も暮れ——チャンスは今しかない。

 愛鐘が一際力強い声を発する。

「——チャンスは一度きり。少人数での初太刀決着で挑みます。一撃を外せばその時点で即撤退。いいですね?」

「まぁ、それしかないわよね」

 顎に指を立てる美海。その後も、彼女は彼女なりの懸念を語った。

「おそらく襲撃を受けた時点で白河は大声をあげるわ。往来で襲われた時、助かる為にはまず周囲の人間を呼ぶことが先決だもの。おまけにランニング中の彼は丸腰。間違いなく助けを呼ぶわ。一撃のもとに有無を言わさず叩き斬らないと、私たちの存在が露見する」

「さすがは美海ちゃん! おっしゃる通りです!」

 親友を讃えた愛鐘。再び地図を指で指し示す。

「襲撃場所は此処——代々木公園・原宿門から進んだ先のパノラマ広場からバラの園周辺。灯りも少なく、夜の往来も比較的手薄。もし一般の方と白河の往来がかぶるようであれば、その時点で撤退してください。その場合、翌日また別の組で襲撃します。まず初日は美海ちゃんと桜さん。撤退した場合の翌日は私と花沢さん。これを繰り返します。他の者達は遠距離から白河の動向を観察し、その日の実行班に逐一状況を報告してください。普段と異なる状況も想定して動きましょう」

「ちょっと待ちなさい」

 愛鐘の説明に、声をあげたのは花沢だった。

 気に入らないと言わんばかりの不満げな目を、愛鐘へと鋭く突き立てる。

「どうして憂奈と私が一緒じゃないの?」

 ——そう。招集されたその日の夜。彼女と憂奈は行動を共にすることを美海と約束した。憂奈自身も構わないと承諾した。だと言うのに本作戦に於いては二人とも離されている。花沢はそれがどういう了見かと憤り問い詰めたのだ。

 だが当然、愛鐘にも理由がある。

「不要な発声、会話、雑談を防ぐためです。声で正体を暴かれる事は最も愚かな失態です。親密な関係であればあるほど、その可能性は高くなる。よって、皆一同、比較的関係性の薄い組合で作戦遂行に当たってもらいたいと思い決めました」

 確かに、遠星美海も愛鐘とではなく、徳山桜とペアになっている。彼女は此処で初めて出会った少女であり、まだ関わって日も浅い。愛鐘の筋は平等に通っている。

「本作戦においてだけです。以前に交わした約束はその後も守ってもらって構いません」

「………………」

 花沢は不服そうな顔をしばしおもてに携えたが、しばらくして根負けした。

「——わかったわ」

「話が早くて助かります」

 愛鐘は愛想良く微笑み、皆を一望する。

「では翌日から決行に移ります。各自刀の手入れなど、準備を怠らぬようお願い致します」

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