第11話 烏合の衆
第十節
令和二十四年 十月日——。
東京都渋谷区・明治神宮の境内に、若き男女が無造作に集められた。その数え切れないほどの人混みに、一際鮮やかな銀髪を揺らす少女が一人紛れ込む。
白いワイシャツに濃紺色のブレザーを羽織り、赤いリボンを胸元に飾った普通の女の子。下は紺色のチェック柄スカートを履き、長い脚を黒いストッキングで覆っている。まさに高校生様々の風貌だ。肩には長い布袋が下げられ、部活帰りの放課後を思わせる。
そんな何の変哲もない少女を、遠くから呼ぶ子が居て——。
「——あ! 月岡さん‼︎ こっちこっち‼︎」
「え、エマちゃん——っ⁈ それに玲依ちゃんまで‼︎ どうして⁈」
そこに居たのは、エマ・イキシア・フォン・フランベルジュと伏見玲依の姿だった。
彼女達も、出身校の制服に身を包んでいる。それだけ此処は、生半可な身形で来て良い場所ではないのだ。
目を白黒させる愛鐘へ、エマは華やかに微笑む。
「提案したのは玲依なんだあ。同い年なのに、何も出来ないのは落ち着かないって。ね!」
「見かけに寄らず勇敢なんだよね! 玲依ちゃんは!」
エマの
肩には愛鐘と同様に、長い布袋が下げられている。
中でも、最も愛鐘の目に止まったのは、彼女の真っ赤な髪だ。
「憂奈ちゃん、髪型変えたんだ」
今までは肩口で切り揃えた髪を真っ直ぐ下ろしていた彼女だったが、今では頭の後ろで束ねられている。ポニーテールにしようとしたのだろうが、何しろ元々の髪が短いため、尻尾にはなっていない。小さく実る蕾のようだ。
「えっへへ! まぁね! 形式的には公務員になるわけですから、身だしなみはきっちりしなくちゃねっ!」
愛らしく、片方の瞳を瞬かせる憂奈。今日はいつも以上にテンションが高い。気合いは充分なようだ。
それにしても、燃え滾る太陽が二つも立ち並ぶと、目が焼き焦げそうだ。されど、その熱を冷ますかのように、濡羽色の髪が傍らから麗らかにたなびいた。
「集まっているのは、女の子が多いみたい」
遠星美海の指す視線の先には、確かに何人か、同い年くらいの少女の姿が確認できる。
誰も彼も、荷物に長袋を持っている様は実に異様だ。
しかし、そんな愛鐘達の見解を遥かに上回るほどの視線が、彼女達を襲う。
「——ねぇあの子達って……」
「——神様とかって
「——下関戦争の英雄……。神格化したってマジなのか?」
集束する疑わしげな目。
讃えられているのか、蔑まれているのかはっきりとしない見られ方だ。
「なんか、妙に見られてない? ワタシたち……」
エマの首が傾く。彼女からすれば、確かにこの注目のされ方は異様だろう。
しかし、愛鐘達からしてみれば予想できた展開だ。——少なくとも、三峰からあの話を聴いてからは。
「例の動画ね。下関での一件が国内に拡散されているんだって」
「こ、これでしょ……?」
愛鐘の告白に、スマホの液晶を見せてきたのは玲依だ。そこには、日本のあらゆる報道機関が取り上げた記事がびっしりと記されており、中でも共通して述べられている単語が一つ——。
「〝神の子現る。
「こりゃまた凄い肩書きだね……」
呆れた様子で復唱する愛鐘に、思わず憂奈の顔も引きつった。
無理もない。
この二人は、幼い頃から揃いも揃って変な異名を与えられてきたのだから。
阿州の鬼小町だったり、讃州の
月と太陽だから、星としたらしい。
「——これでまた一つ、二人に新たなニックネームが生まれた」
「み、美海ちゃん……?」
「なに?」
——珍しい。美海がボケた。しかもめちゃくちゃ平然と、涼しげな顔で——。面白がる様子もなく——。
「い、いや……なんでもない」
ツッコむべきだったのかの判断さえ不明瞭になるほどの実に冴えないボケだった。
ひとしきり、場の雰囲気と状況を把握し終えると、まるで合わせたかのように、拝殿の前へ黒いスーツを着た男が躍り出た。
「——静粛にっ‼︎」
男はマイクやメガフォンなどの拡声器は一切使わず、地声による発声だけで、集結した有象無象の喧騒を鎮め込ませた。
赤毛と硫黄の瞳を顔に持ち、
愛鐘を含め、全員の意識が彼の存在へと傾く。
「この度、諸君等の招集を提案し実行を担った、最重要責任者の
一瞬で場に緊張感が
まさしく青天の霹靂。
全身を足先から痺れさせるような緊迫感に、
「まず初めに、今回の招集は他言無用であり、一切の口外を禁止する‼︎ 理由は二点‼︎ 一つ目は、この組織は我々政府の目を周到に掻い潜り、未だなお攘夷を続ける五月雨を、炙り出すためであるからだ‼︎
結城の放ったこの〝二つ目〟に、多くの者達の瞳孔が見開いた。何せそれは、戦後以降、日本では頑なに認めることを許さなかった禁忌だからだ。
〝国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による
もちろん、それを肯定し、称賛する者もいる。
しかし、実情としてこれを良しとしないのが現在の日本の価値観だ。そのため、警察が無闇矢鱈にこれを行使する事は
そして案に違わず——。
「国民の認識下に置かれていなければ、君たちが武力を使用しようとも、我々政府機関に非難が及ぶことはない。同時に、定めた憲法第九条の体裁は保たれ、諸外国からの信頼も失わずに済む‼︎ 無論、招集令状にも記したとおり、君たちは隠密だ‼︎ 非公式的な組織ゆえ、極力人の目は避けるようお願い申し上げる‼︎ 現場の隠滅や情報の操作は、我々が責任を持って執り行う‼︎」
「——要は自分たちの立場がこれ以上下落するのが恐ろしいから、他人に任せて責任転嫁できるように仕込みたいってわけ……。どこまで保身バカなのよ、今の政府は……」
内閣府の思惑に細やかな憤りを覚える愛鐘。膨れ上がったその憤慨を抑え切れず、ついつい小さな口に漏らしてしまった。
防衛省諸共、政府の良いように飼い慣らされているという訳か——。
今回の招集に不信感を抱き始めた愛鐘だったが、彼女のその疑念は、次の結城の一言で消滅する事になる。
「——と言うのは、あくまで上の方針だ。俺は君たちを招集した第一責任者ではあるが、防衛省の大臣でも、ましてや自衛隊の幕僚長でもない。出世なんてこれっぽっちも興味が無く、本気で今の国を明るくしたいと思っている——
「な——ッ⁈」
「君たちは君たちの信じる道を、信じたとおりに歩んでいって欲しい‼︎ 白昼堂々攘夷が発生したのなら、同じく白昼堂々迎え撃て‼︎ 奴らの思想は過激だが、間違いではない‼︎ 諸外国にナメられるから異人による事件が起きるんだ‼︎ 日本もやる時はやるのだぞと、かつては侍の国と呼ばれた我が国の威厳を魅せてやれ‼︎ 以上‼︎」
「うわ言っちゃったよこの人……」
結城の独走に、その傍らに控えていた助手が呆れ果てていた。
結城友成の言うことはごもっともだが、果たして此処に集められた全てが、彼の求めた
概要案内を終えた愛鐘達一行は、それぞれが世話になる宿へと連れられた。
出身地によって各所異なり、されどその全てがこの二十二万坪もの明治神宮の敷地内で完結するようになっている。
九州、中国地方出身の者達は、西参道を挟むように建設された二階建ての木造瓦屋敷、左右一棟ずつ。
近畿地方出身の者は前者とは真反対の北参道と南参道の境に立地する、同じく二階建て木造屋敷。
関東圏は東方に位置する日本家屋。
そして、四国出身の愛鐘達は、西参道を遥か先に望んだ敷地の最端に位置する三階建の洋館。愛鐘、憂奈、美海の三人以外にも、四国から来訪した者が視界の中には大勢居る。
「立派なお屋敷ね」
感嘆の声を上げたのは美海だった。
反面、愛鐘はどこか腑に落ちない様子だった。
「建物の収容に限界があるのは分かるけど、どうしてそれを出身地ごとで分けたのかしら。別に自由でよくない? 隠密として活動するなら、人間関係は良好に築くべきでしょ? これじゃあ、結局馴染み同士の生活になって、統率の確率が難しくなるだけじゃない」
その疑問には美海や憂奈も同意見だった。だから反論することもなく、同じく不明瞭な意図に眉根を寄せた。
しかし、その疑念に答えを
「——それは俺から説明しよう」
刈り上げられた赤い髪に、特徴的な硫黄の瞳。紛れもなく——。
「結城友成公——⁈」
公とは、武士界隈において、主君への敬意を示す際に使う尊称。
予想外の登場に気取られるも、愛鐘達は敬礼をして姿勢を正した。
結城は、気さくな笑みを浮かべて愛鐘達に視線を向ける。
「気楽に接してくれて構わないよ。君たち三人は下関の英雄だろ? 神格化したってのは本当かい?」
「え、英雄だなんてそんな……滅相もございません‼︎ 私たちは力ある者として、当然の役割に準じただけでございます! 不思議なほど強い力が
あくまで謙虚な対応を見せる愛鐘だが、その実、彼女の内には国家を転覆させんとする野心がある。無論、それはまだ遥か先の話だ。
「あっははは! そんな謙遜しなくていいよ。動画は見た。確かにあれは凄い力だった。古来より日本には
思えばあの時、愛鐘や美海、憂奈の中には、人々からの願いが怒涛のように流れ込んで来た。まさかそんなことが——。
「君達があの戦場へ勇敢に挑み、勝ち抜き、尚且つ
結城の目は、とても申し訳なさそうで、愛鐘達に懺悔するようだった。
けれど、そんな物は既に覚悟出来ている。
あの時、禍津神とは言え、初めて人を殺した。あれは、もう愛鐘の中で覚悟が決まっていたからこそ出来たことだ。
彼らの思想は正しい。国を救いたいと言う気持ちは愛鐘だって同じだ。
しかし、上洛し、五月雨の戦闘員が愛鐘の目の前で外国人を斬り殺したあれは王道ではない。その惨虐性を、到底野放しにしておく事は出来ない。
彼への
愛鐘は黄金色の瞳を一色に輝かせ、胸元で硬い拳を握った。
「結城公、お気遣いは無用です。私達は半端な覚悟で此処に参上した訳ではございません。
「ははっ! 頼もしいなぁ。——了解だ。では改めて宣告させてもらう。疑わしきは消せ」
「お任せください!」
その夕。招集された強者達を歓迎した防衛省は彼らを手厚くもてなし、他に類を見ない御馳走を手向けた。
A5ランクの黒毛和牛が一人当たり六百グラムの厚切りステーキにされて提供された。
当然ながら場は大盛り上がり。
愛鐘も内心かなり気分が高揚したが、あくまでも一氏族の令嬢として淑やかに振る舞うことにした。
いつもとは様子が異なり、落ち着いた佇まいを見せる愛鐘に、美海の首が傾いた。
「——愛鐘? 体調でも悪い?」
「いえ、そうじゃないんです」
聞き慣れない言葉遣いに、妙な距離感を覚える美海。何かあるのかとやや慎重になり、彼女は愛鐘の次の言葉を待った。
「美海。隠密とは言え、私たちは事実上公務員となったわけです。しかし現状、この集団には統率や規律がありません。誰かが模範となり、示しをつけていかなくては、組織系統は内側から簡単に瓦解します」
「……つまり、私たちが皆んなの模範となるべく組織の基盤を担うってこと?」
「その通りです」
「………………」
迷いのない真っ直ぐな肯定に、腑に落ちない様子の美海。不満げに畳の網目を数えると、持っていた茶碗を一度膝の上へと下げ、そのまま小さな声で吐露した。
「……二人きりの時は、いつもの愛鐘でいてほしい……」
今にも泣き出しそうなほどの矮小な声音で、切実な願いを申し出る美海。
おそらく、愛鐘の言い分が至極真っ当な物だと理解し、納得している。——それでも、親友とのこの一線隔てたような距離感を
不意の女々しき願いに、あの日の口付けが脳裏を走る。
——そうだった。もう親友で済まされて良いような関係ではなかった。
思わず逆流しそうになる食物を、その予兆や余韻も残さず飲み殺す愛鐘。口元を丁寧に拭い取り、傍らを一瞥して誤魔化す。
「……ま、まぁ、仕事とプライベートの区別はもちろん……付けるわよ」
動揺のあまり、うっかり普段通りの口調に戻ってしまった。
そんな二人の痴話をこれ見よがしに
「わぁ〜っ‼︎ なんだか微笑ましいね! お二人さんっ‼︎」
興味深そうな好奇に満ちた双眼を向けてくるのは、なんとも小さく可憐な少女。丸みを帯びた童心的な骨格が特徴の女の子だった。
淡く滑らかな桜色の髪を肩口で整え、左側の
細く整った眉に、双方共に端麗な睫毛が優しく膨らむように伸び、アメジストのように煌びやかな瞳が清廉とけぶる。
精緻な肌は非常に豊かな血色に恵まれ、潤滑な白味はもちろん、頬などの皮膚が薄い部分には桜桃が実るように淡い朱色を灯している。
胸は小さく桃一つ分程度の大きさだが、骨格はしなやかで、細く引き締まった腰から膨らむ丘は目を瞠るどころか釘付けになるほどの魅力がある。当然、そこから伸びる
「……えぇっと……どちら様で?」
困った顔でその名を尋ねる愛鐘。
目前の女は軽薄に笑いながら、これに応じた。
「あぁ〜ごめんごめん! まずは自己紹介からだよね! アタシは
やけにテンションの高い子が現れたな。
憂奈も大概だったが、あの子はあの子でオンオフがハッキリしているから良いのだが——、彼女の場合、隠密には不向きなのでは?
——ん?
「ちょっと待ってください。山口県出身の方がどうして此処に? 中国地方出身の方は、西参道の方では?」
——そう。愛鐘達の居るこの洋館は四国出身の者が集まる宿だ。長州人が居ていい場所じゃない。
桜の顔が上空を向く。
「あれ、アタシひょっとして間違えちゃった? でもまぁ問題視されてないみたいだし、気にしない気にしない!」
これだよ。
これがあるから烏合の衆は困るんだ。
愛鐘は呆れたように溜め息をこぼし、箸を置いて睨みを効かせた。
「徳山さん——と言いましたね。規則は守って頂かなくては他の方々に示しがつきません。即刻ご自身の宿へお戻りください」
「桜でいいよ! あかねん!」
「あかねん——⁈」
「うん! あかねん! 可愛いでしょ? 貴女はみなみん!」
「はァ?」
変なあだ名を付けられ、美海の目が鋭く牙を研いだ。
されど桜の目にその敵意が写ることはなく、彼女はその後も意気揚々と
「これでアタシ達もお友達だね!」
「友達って——。あのねぇ、私達は仲良しごっこの為に呼ばれた訳では——」
立ち上がった愛鐘が桜の胸ぐらを掴んだちょうどその瞬間、彼女達が居る居間の扉が、勢いよく開かれた。
入室して来たのは、これまた別地方の男。防衛省の者ではない。身形からして、愛鐘達同様のならず者だ。
「——諸君、直ちに北参道傍にある会館へ集まって頂きたい。
馴染みのない名前。やはり同列の人間だ。この男はその者の召使なのだろうか。
「私達はまだ食事の途中なんですが——」
「他の者も既に集合している」
「要件は?」
「この組織における今後の活動方針についてだ」
「では結城公もお呼び致しましょう」
「不要だ」
「なぜ?」
「来ればわかる」
絶え間なく飛ぶ愛鐘の詰問に、男の回答は淡白だった。
寸分とて揺らぐことのない悠然とした立ち姿。
どうやら意地でも退く気はないらしい。
愛鐘の反抗的な態度が、等々
「私達の主君は結城友成御公儀に在らせられます。彼の命でないのならば従う道理はありませんでしょう。さぁ、食事を続けましょう」
再び腰を下ろし、自身の膳部で正座を組み直す愛鐘。
男は、そんな彼女に告発する。
「攘夷派団体・五月雨の筆頭、唐沢癒雨を育てたのはお前だったな——月岡愛鐘」
「————っ⁈」
箸を持った手が、物を拾う間も無く止まった。
和やかだった空気が一瞬にして張り詰めた。
「お前——ッ‼︎」
大人しかった美海が激昂し、男の胸ぐらに掴み掛かったのは、それから間も無くのことだった。
この事実を知る者はほとんど居ない。知り得る機会など、本人の口から暴かれる以外にあるはずもない。それを面白くない彼ら連中は、いったい何処で情報を入手したのか——、あろう事か美海の前で、
「——あまり身も蓋もない事を
美海の脅しに、しかし男は依然として落ち着いていた。
「事実だろう。——月岡愛鐘。白河様に歯向かえば、お前の罪業は天下に知れ渡ることになるぞ」
「それで脅しているつもり?」
「ではそむくか?」
「………………」
悪の根源——それが漏洩すれば、愛鐘の野望は無に帰す。
しかし、脅迫に屈することもまた彼女の自尊心に
愛鐘と癒雨の関係を知っているという事は、何かしらの五月雨にまつわるパイプがあるということ——。それがどちらの局面に繋がっているのかは見定める必要があるだろう。
「——わかりました。招集に応じましょう」
「賢明だ」
男は美海の手を払いのけ、
連れられたのは、敷地の北東に位置する大きな会館。向かいには北参道が通っている。
内部は無数の椅子が並列して備え付けられ、望む先にはだだっ広い舞台が広がっている。何やら映画館を
束ねられた人数は、その客席部に集合され、人数は先刻の境内に匹敵する。
どうやら、招集された全てが白河東湖と呼ばれる人物によって呼び出されたようだ。
彼——白河東湖は、会館前方の壇上に姿を現した。
背が高く、姿の良さに恵まれた男。白い肌に、爽やかな目鼻立ちを携え、濡羽色の髪をストレートに流した要望である。まだまだ若々しく、年齢は二十代半ばほどか。一般的な女性ならば無意識に目を惹かれるほどの年恰好だ。
「——諸君」
低音の効いた腹立たしくも美しい声音が館内に透き通った。
「心して聴いていただきたい。我々一味、この明治神宮の
白河の碧い瞳が、薄暗い一座を見渡した。
見事な言葉遣いに感銘を受け、続く演説をみなが期待する中、白河は予想外の志をこの神聖なる地にて露わにする。
「御国が我々に望んだ目的は、斎場元首相が命を懸けて築き上げて来た諸外国との外交を水泡たらしめんとする五月雨の弾圧にある。が、売国主義者に転じた国に尽くす道理など元よりありはしない。これは現行政治の内情を知り得る
痺れを走らせたのは館内悉くと言うまでもなく、愛鐘とて例外では無かった。
瞳孔が開き、罪悪感が回帰する。
憤然と湧き上がる後ろめたさに、愛鐘は頭痛を覚えた。
結城友成の引率は、呼ぶ必要があったのではなく呼べなかったのだ。
愛鐘の心中を案ずる美海の目が傍らから微かに感じる。
憂奈とエマは蒼白になり、玲依は
「諸君らも良くご存知のはずだ。国は
結城友成の勘が当たった。
それがまさか、これほど大胆な手に出てくるとは——。とんだ謀反者である。
阿州の鬼小町とて、この大啖呵には気圧された。おまけに帯刀していない今の現状では下手に反論することさえ是とは出来なかった。
「異存あるまいな」
白河の独善に呑まれてしまった一座に、反論する様子は、その予兆さえ見られなかった。——というか、そもそも彼の弁論を理解できるほどの教養がこの烏合の衆にあるのかと、愛鐘は疑問に思った。
結局、反意は言うまでもなく、同調はおろか、意見の一つさえ発言されることはなく、一同は解散した。
「——アイツ悪党ばい」
その夜。帰路、北部に延びる太鼓橋にて愛鐘はついうっかり地言葉を漏らした。
真っ向から敵対する意思を見せず、どちらに転んでも、どちらかが味方してくれる立ち位置から虎視眈々と戦況を見据える様は、まさしく
「でしょうね。思想はともかくとして、やり方が汚い。どんな綺麗事や御題目を並べても、性根は腐ってる。目的が失敗に終われば、今度は現行政府に肩入れするわよきっと」
「浮気性ん男はあがんのば指すっさね」
「始末は?」
「斬る」
「まぁ、それしかないわよね」
やや鬱屈とした様子の美海を傍らに、愛鐘は太鼓橋の下に浮かぶ北池を
「美海、憂奈、エマ、玲依、桜。——私たちはこれからあの謀反者を討ちます。五月雨の攘夷弾圧を目的として招集された組織ゆえ、殺人はもちろん、同士討ちでさえ覚悟の上と存じます。よろしいですね?」
戦後百年——。
自身で決断した道とは言え、至極平和な時代を生きてきた少女達にとって、その通告は、あまりにも荷が重く残酷だった。
「……こ、殺さなくても……結城さんに報告して、法的手段に出た方がいいんじゃ……」
青ざめた顔色で嘆きをこぼしたのは玲依だった。
しかし、愛鐘は冷血にも酷な現実をつきつける。
「気持ちはお察しします。——ですが、それにはまず物的証拠が必要となります。そしてそれを見つけるだけの余裕は、残念ながら私たちにはありません。加えてあの手の賊碧は酷く狡猾です。あれほど大勢の前で啖呵を切った以上、相応に言い逃れ出来るだけの手立てがあるはず。捜査も裁判も、行っている余裕はないんです」
大体的な刑事捜査を行えば標的に勘づかれ逃げられるだろう。だからと言って彼女たちだけで捜査をすれば相応に時間を要する。加えて、裁判は数年掛かるのが常識だ。愛鐘も言ったように、そんな事をしている場合ではない。
「それに私たちは結城公から〝疑わしきは消せ〟と命じられています。すでに
だから罪悪感は不要だ。など、そうは言わない。
殺人に抵抗を覚え、後ろめたさを感じることは至極当然だ。
だが、先程も述べた通り、彼女達は自分の意思で此処に来た。贈られた招集令状にも、あの大日本帝国時代の物ほどの強制力はない。
平和に生かされ、その平和を継続させるために上洛した。それはみな等しく同じだ。
ならばこそ、その平和を築いてくれた全ての志士達に報いる事こそが、未来を託された自分達の天命だと、——少なくとも愛鐘は思っている。
そして、その過程には、
「——助けてもらったし! ワタシ達に出来ることなら何でも協力するって決めたからっ! だから頑張ろう? ねっ!」
胸元で拳を握り、弱気になる玲依へ頼もしくも張り切るエマ。
玲依はまだまだ不安そうだが、エマの覚悟には、皆も首を縦に振って同調した。
かくして、月岡愛鐘ら一行の初任務は、白河東湖を始末する事に決定した。
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