第8話 原初の神子


   第七節 原初の神子





 ——それは世に言う〝第二次下関戦争〟と呼ばれる




  幕末以降、下関を戦禍におとしいれたのは、これで二度目となった。






 顕現した神秘の仮象に、人々は歓喜した。

「——か、神様……?」

 たみまもり、戦場に佇む二人は、そう語るに相応しい光を放っていた。

 神々こうごうしく、鮮やかに凛々しい。

 いま皆が等しく願っているモノを成就させるに相応しい存在。

 散会する魔獣の群れが、進撃を躊躇ためらうほどの神聖が、今ここにはある。

 されど、魔獣とてこれに尻尾を巻くほどいさぎよくもなく、最前列に居た三体が、その長足を跳ねさせ飛び掛かった。

 迫り来る災禍の具現。そのことごとくを、烈火の息吹が凌駕りょうがする。

 直立不動の片翼が天地にはためき、あかつきの一閃が地平の向こうへと駆け抜ける。

 先刻は全身運動での両断がやっとだった朝陽だが、此度は片手で刀を振ることはおろか、斬り真似をしたそれだけで、炎の刃を走らせた。

 呆気なく、身体を分解させてしまう三体の魔獣。

 無論、その刀が骨喰ほねばみ藤四郎とうしろうという訳ではない。

 これが、神格化を成した彼女達の力だということ。

 耳を澄ませば聴こえてくる。

 救いを求める、人々の怒涛どとうのような願い——。その期待とも呼べる数多の悲鳴と感嘆に、不思議と無限の勇気が湧いてくる。

 それは愉悦ゆえつか慢心か——。

 朝陽の口の端が、わずかに吊り上がる。

 大地を蹴り、風を切り裂く金烏の仮象。

 獅子奮迅と疾走するその神秘に、迎える魔獣は高らかに吠え散らかした。

 先鋭化する禍いのあぎと。それら数多の脅威が、金烏の熱風によってすべからく四散する。

 うじのように獲物へたかっては、灼熱した一枚刃によってさばかれる災禍。

 先程までなんて事ない少女だった真紅の彼女は、今や魔をほうむる奇跡と成り上がった。

 目先の敵を全てほふれば、矢継ぎ早に天蓋てんがいを覆う妖魔の姿を仰ぐ。

 標的が改められた。

 奴らの邪悪なまなこに写るのは、地上に生息する人の形に他ならない。

 すかさず地上を跳ねる金烏。疾風を舞い、火の粉を巻き上げ、星のいかりを超越した。

 群がる魔獣の雲母を余す事なく踏み荒らし、炎熱する鋼の翼を縦横無尽に振り回す。

 見上げる空には、絶え間なく降り積もる肉片に、漆黒の雨が降り頻り、されどその嵐と戯れる金烏の化身が浮かび上がった。

 まさしく、人智を超越した高次元の象徴。

 天の美しさすら上回る真紅の美貌。

 太陽の触角が、いま確かにこの地に戴天たいてんする。

「——キリがないね〜。生き残って人達はどれくらい?」

「ここに居るので全部よ」

 子供十六人に、大人が四十人。うち半分は高齢者だ。

 対して、敵さんは地平線を覆うほどの大群。

 状況は非常によろしくない。

 朝陽は——。

「撤退しよっか」

 戦線離脱を提案した。

 しかし——。

「どうやって‼︎ 山と海に囲まれたこの地形じゃ——」

 退路はない。——ただ一つを除いて。遠星もそれに気がついたからこそ、呼吸を忘れて口ごもった。

 振り返れば、遠星達がここへ来た際のヘリが一機、まだ生きている。

「まさか——⁈」

「ここは、皆んなの助け合いが大切だよ! まずあなた!」

 朝陽は、被災者の内の大人一人を指し示した。男性だ。

「この中で一番動けそうだし、さっき銃声が鳴った所まで行って、ヘリを操縦出来る自衛隊員を一人呼んできて!」

「な——っ⁈」

 動揺と困惑が、彼の心中で同時に破裂する。

 得体の知れない怪物がうようよしている中、それをやってのける為にはかなりの度胸と覚悟が要る。

 されど、このままではいずれにせよ此処に居る全員が土に還る。

 わずかに渋りはしたものの彼も大人だ。どれだけ窮地におちいろうとも、状況判断くらいは出来る。

「……わ、わかった!」

 理解が早くて助かる。

 ちなみに、この時朝陽が彼を指名したのには、運動面以外にも理由がある。

 彼が他者との関係性に極めてうとく、明らかに独り身であったことは、先程から握り飯の配給をしていた時にも目に見えていた。だからもしものことがあっても、誰もその事実を問題視しない。——悲しむ人も、現れない。

 冷酷だと思うかも知れないが、被害を最小限に抑えるため、それは人の心とて例外ではない。

 は、朝陽憂奈が責任をもって看取ることを、彼女は自身の胸に誓っていた。

「——敵は海から来てる。内陸部の山口市ならあの魔獣も居ないんじゃないかな。そこは様子を見て、着陸場所を決めよう。乗車人数は限られてるし、乗り込む順番はお年寄りと子供を優先します」

 撤退のための作戦を詳細に語るが、当然、敵も悠長に待ってくれるほど優しくはない。

 二度目の進撃が開始される。

「ば、化け物が——っ⁈」

「こっち来てるぞ——っ‼︎」

 土煙をあげて刻一刻と接近してくる魔獣の群れ。うちの二体が早くも彼らの間合いへと侵入した。——それを、朝陽と遠星が踏み込み迎撃する。

 振り下ろされるいびつな触角を互いに一太刀で落とし、その胴体に流麗たる袈裟斬りを叩き込んだ。

 瞬く間にむくろとなると異形。

 二人は斬り下ろした刀を持ち上げ、互いに向き合う背中を凛々しく重ね合った。

 ——されど、見据える先は同じ。迫り来る魔の大群に他ならない。

「——退路はあたし達が守りますっ‼︎ 行って‼︎」

「お行きなさいっ‼︎」

 被災者達は雄渾なる彼女達の勇姿を信じ、のちの戦場を託すことにした。

 迷いなきまなこを皆で向かい合わせ、何を語るでもなくただ一度頷き合い、きびすを返す。

 お互い、振り返ることは野暮だ。

 走り去っていく彼らも、戦場を望む彼女達も、見据える先は違えど心は一つ。

 朝陽と遠星は、遠のいていく彼らの決断を信じ、握った刀のきっさきを光らせた。

 重なり合う正邪の全輪。

 迎えたおびただしいほどの黒き波濤はとうへ、おそれを知らず潜り込んでいく二柱。

 最前列の躯体を一太刀で掻っ捌き、続く獣の爪甲を鋼の片鱗で咀嚼そしゃくする。

 散らした火花は淡く儚く、それを追うように黒衣の輪郭が宙を舞う。

 頬を掠める厄災の一閃——。去りしよこしまを、天翔あまかけるあかつきひらめきが両断する。

 重なる斜陽——。

 斬り落とした触角が落下する寸分の須臾しゅゆに、繋ぐ本体を斬り伏せ、並立する同朋どうほうさえ、亡きものとする。

 混濁こんだくした漆の如き鮮血が天を目指して翔け上がる。——映り込む蒼き怒濤。虚空を踊り、絶えず入り乱れる災禍の群像と軽やかにたわむれる。

 旋回する一枚刃は荒波のように雄々しく、目まぐるしく屈折くっせつする不倶戴天ふぐたいてんを一刀の下に解体する。

 跳躍する妖魔。

 蒼穹にそびえる白亜の大輪を覆い、地表を舞うもう一つの日光に影を生む。——されど、その淫魔を絶海の波濤はとうが溜飲する。

 荒れ狂う大海の一波。烏滸おこがましく天に座す忌物いみものを、潮の香りと共に凪ぎ祓った。

 遥か上空で舞い散る禍々まがまがしい肉片。

 星の引力に導かれる我が身で、遠星は続くはずだったわざわいをも斬り刻む。

 差し詰め、岸辺に打ち寄せるうしおであろうか——。着地した彼女は目先で奔走ほんそうする朝陽の隙を捉えた。

 陽光の陰に忍び寄るは熒惑けいわくの一頭。

 されど、拮抗きっこうする邪鬼を蹴破り、その醜体を鮮やかにねる朝陽。彼女もまた、遠星を追随する悪しき気配を感知した。

 血飛沫が上がる中、互い違いに交わる二柱。違えた刃で、不貞の厄災を二枚におろす。

 圧倒的なまでの力量差。

 手数で言えば遥かに魔獣に分があるはずだが、戴天たいてんした二つの神聖はそれを物ともせず返り討ちにしていく。

 もはやどちらが災害か分からない。

 背後で振りかぶられたこれ一つ、くだる寸前の合間に横一文字を走らせる。見事なまでの東雲しののめ——。

 朝霧の地平に四肢を裂かれ、あえなく倒れるみにくき黒衣に、唸る一刀を振り下ろす。

「——ホントに何体いるのコイツら‼︎ 斬っても斬っても無尽蔵に涌いてくる!」

 未だ穢れを知らぬ翼を華やかし羽ばたかせ、戦場をのたうち回る金烏。次第にその衣も灰に滲み荒んでいく。

「でも不思議と、疲労の蓄積がにぶい……。これも妙な力のおかげかしらね」

 頭上の法陣を一瞥いちべつし、未だ理解の及ばぬ超常へ嬉々として微笑む遠星。

 地面を踏み締め、互いの背中を迎える二人——。

「——愛鐘が、無事であってくれればいいけど……」

 窮地——と言うほどではないかも知れないが、これだけの戦力差を前にしても、遠星はブレることなく友を想っていた。

「どうだろうね……。この数があっちにも出現している場合、愛鐘ちゃん一人じゃ中々に難儀だよ」

 荒ぶる呼吸を整えながら、戦場を俯瞰する朝陽。それは遠星とて同じことだが——。

「——あのさぁ。あなた一体いつから愛鐘のことを馴れ馴れしく名前で呼ぶようになったのよ……。なに? 満を持しての登場に浮かれて舞い上がってるの?」

「えぇっ⁈」

 ——失敬。多分違った。

「い、いやだって、愛鐘ちゃんもあたしのこと名前で呼んでくれてるし——」

「そこなのよね〜。なんであの子は貴女みたいなすっとこどっこいを容認しているのか、甚だ理解に苦しむわ。大体、ここだけの付き合いって言ったのはそっちでしょ? なら、端役は端役らしく、慎ましく薄明の活躍を大切にしたらどうかしら?」

「言わせておけば、随分とまぁ調子がいいんだね。それが主役の威厳てやつ? アニメのアフレコスタジオで鼻を高くして真ん中に鎮座するベテラン気取り? お生憎様あいにくさま、いま時そんなしとやかさの欠片も無い立ち振る舞いはウケないよ。薄明なら薄明なりに、あたしは今のあたし貫き通して、太く短く生き抜くまでだよっ‼︎」

「なら今ここで一戦交えて終わらせてやろうかしら?」

「いいね。やっちゃう?」

 不和を見せつける彼女達を知らず、愚かにも襲い掛かる魔獣が数体。

 されど——。

「「——消えなさいこの脇役がアアアァァ——ッ‼︎」」

 彼女達のこれまでの強靭を踏まえれば、以降のいくさを語る必要はないだろう——。




「——我ガ攘夷ヲ阻ム者。国ニ仇成ス不貞者。我ガ天誅ノ下ニ始末シテクレル」

 人だったモノが変貌し、邪悪をまとった戦国のわざわいが月岡愛鐘に立ち塞がる。

 明らかなまでの大魔。

 人の世に顕現してはならぬ異能。

 絶対的な凶悪。

 それでも、愛鐘は毅然きぜんと微笑み、ありったけの威勢を張った。

「——は、はは……っ! じ、時代錯誤も甚だしいわね……。幕末どころか、それじゃあ応仁おうにんの——⁈」

 刹那、風塵が巻き上がった。

 星の皮膜が剥がされ、地表を削った大太刀おおたちが愛鐘の短刀に息吹く。

「ぐ——ッ⁈」

 おそらく首を狙った一太刀。

 しかし、間一髪で防ぐも——。

「(おも——ッ⁈)」

 彼女の体はすべからく弾き出され、立ち並ぶ生垣いけがきを、けたたましい轟音をあげて跡形もなく吹き飛ばした。

 文字通りの意味だ。

 敷地の区画を隔てる柳並木の壁が、衝突した愛鐘の人体によって木っ端微塵に四散した。

 第三宇宙速度にすら匹敵するほどの威力。そんな馬鹿げた重圧を課され、彼女の肉体は地表を駆け抜けた。

 当然、人の体がこれに耐え切れるはずもなく、瑞々しいくちびるの向こうから、泥沼のような血が一気にこぼれ出る。

 呼吸が出来ない。

 窒息していた。

 喉の奥で息が詰まり、血液と唾液の混じった粘り気のある汚物が、口端から氾濫はんらんする。

 無論、立ち上がることなど不可能だ。

 胸元を抑えつけ、必死に呼吸を試みることで精一杯。

 だけど——。

「(——い、息が……できない——ッ⁈ 苦しいッ‼︎ やだ……死にたくない……ッ‼︎)」

 そもそも呼吸を取り戻したとして、今の彼女は背骨を砕かれ、脊髄にまで損傷を負っている。生き残れたとしても後遺症によって歩くことすら出来なくなるだろう。

 ——銃声が聞こえる。

 遮断された息の根によって意識が霞んでいく中、あの死神へ果敢に立ち向かう自衛官達の声が微かに耳を打った。

「——市民を守れっ‼︎ 何としてでも殺させるなアァッ‼︎」

 けれど重なって、彼らの断末魔もまた鋭く響いてくる。

「——ぐあアァッ‼︎」

 はらわたことごとくを撒き散らし、分解された人の肉片が次々と転がっていく。

 次第に血の海と化していく陸上。

 銃声と彼らの声が聞こえなくなったのは、それから十秒と経たなかった。

 もはやもがくための力すら失い、窒息の苦しみに為す術なく圧迫される中、愛鐘は自身の弱さを呪った。


 ——私は、強いと思っていた。

 ——助けられない人なんて居なくて、皆んなを守るための力が、私にはあるんだって、そう……思い込んでいた。


 呪いと、絶望と、恐怖と、後悔——。その幾ばくが、今際いまわきわで渦を巻く。


 ——でも、私は結局……弱いままだった。弱くて弱くて弱くて——。

 ——誰かの為に何かを成せた事なんて、等々一度だって訪れなかった。

 ——あの時も。


 浮かび上がる——大好きな人。

 彼のために成りたかったのに——。彼を助けたかったのに——。

 ——結局、何もかもを取りこぼしてしまった、あの日の光景。

 すくい上げようとして闇に消えてしまった——愛する彼の手。

 だけどまだ私は、あの日かげってしまった彼の背中を照らし出したい。

 月明かりのもとに、連れて行ってあげたい。


 呼吸が、ようやくして息を吹き返す。

「——イヤだ……死にたくないっ‼︎ もっと、もっと彼を考えていたいっ‼︎ 彼のことを憶えていたいっ‼︎ 彼を……助けてあげたいッ‼︎」


 ——彼の理想とした世界を、


「——叶えてあげたい‼︎」


 ——だから、後悔も、切望も、思い描いた夢の全てを、拳に乗せろ‼︎


「……ゔぁアアアァァァアアアアアアアアアァァァァァァァァァッッ‼︎」

 渾身の力をも振り切り、限界の更に先へ位置する力をしぼり出してその場に立ち上がる。

 そして頭の上に、一輪の法陣が出現した。

 淡い黄金色に輝く光の輪。

 満月を覆う三日月に、十字の光芒が円を組んで連なる。

 繻子しゅすのように美しかった銀髪の髪は、雪をもあざむく純白を灯して光り放ち、月光を模した金星のまなこには、小さな銀河が渦を巻く。

 気づけば、全身を蝕んでいた痛みが消滅し、粉砕していた骨の数々も時を戻したように復元している。——いや、それ以上の何かに生まれ変わっている。

「——私は、自分の人生いのちよりも優先した彼の理想ゆめを叶えたい‼︎ だからまだ死ねない‼︎ 必ず成就じょうじゅさせるために‼︎」

 黄昏が、爛れてしまったこの世を焼き尽くす。まるで穢れを浄化するように——。

 日が傾けば、待ち迎えるのは黒き天蓋だ。

 よいの訪れを告げる夕刻の境界に、うつつ常世とこよは符号しやすい。

 だからこそ、容易く魔を招く。

「——レゴトカスナアァ‼︎ 青二才ガアアァァッ‼︎」

 咆哮する悪鬼に、無数の魔獣が顕現する。

 されどその全てを、金色の月輪がちりんが一掃する。

 夕暮れに微笑む、神秘の三日月。

 横一文字に敷かれた短刀の鋒が化け、徒然つれづれなる災禍の躍動を拒絶した。

「ナ——ッ⁈」

 吹き荒ぶ夜空の息吹。

 星を撫で、幾度の刻限を掌握する。

 蓄積された年数は降霊し、一時いっときの事象が顕現を成す。

 ——渡辺わたなべ三郎さぶろう

 ——中島なかじま喜代一きよいち

 ——前田まえだ利家としいえ

 ——豊富とよとみ秀吉ひでよし

 ——三好みよし政康まさやす

 ——足利あしかが義輝よしてる

 記録された全情報が、月岡愛鐘の身体に開示される。

 光に巻かれた短刀は姿を変え、二尺六寸四分の太刀へと変貌。

 細身で腰反り高く、踏ん張りの強い鋼の美貌が顔を出す。

 小板目肌に富んだ地鉄は大肌を僅かに交え、星々の如き地沸が微塵に厚く浮かぶ。

 小乱れに小足が入る刃文は小沸に恵まれ、匂口が深く、打ち除けと呼ばれる三日月型の模様がしきりに激しく粟立つ。

 愛鐘自身、ここまで優美な太刀を今まで見たことがない。おそらく現代においては復元不可能な代物だ。再現することは難しいだろう。故に驚いた。

「——きれい!」

 意図せずとも、感嘆の声がこぼれ出る。

 だが解る。

 この太刀は今一時的に顕現している幻像だ。

 理屈は不明だが、おそらく金輪際手元に現れることはない。

 ——いや、理屈などとうに解明されている。

 黄昏に願われたのだ。

 此岸と彼岸が交わり、この世のことわり乖離かいりするこの一刻に——。


 ——再び皆が微笑わらえる、三日月の煌めく奇跡を。


 差し向けられた最美の輪郭に、どうしてかの悪魔はうめきをあげた。

 忌々しげに其を睨みつけ、この世の全てを呪わんとする憎悪が、止めどなく越流する。

「……許セヌ許セヌ許セヌ許セヌ許セヌッ‼︎ 恵マレシタワレウヤマワレ‼︎ 綺麗ナ物バカリニ見初メラレタ無知ノ所業ッ‼︎ ダカラ理解デキナインダ‼︎ ダカラ享受デキルンダッ‼︎ 教エテヤル……不条理ナ事実ニヨッテ虐ゲラレテキタ者ガ居ルコトヲ‼︎ ソシテ思イ知ルガイイ‼︎ 悪性ガドウ生マレ落チルノカヲ——‼︎」

 聴き覚えのある言葉。

 似たような事を、以前にも愛鐘は言われてた事がある。

 大好きだった人と離縁した何よりの元凶。

 愛鐘の三日月宗近太刀が、自然と奈落にかげた。

 そして——。

「——言いたい事はそれだけ?」

 氷輪の美貌を突きつけた。

 半分は八つ当たりだ。

 強者であり続けた彼女だが、それ故に弱者の気持ちが分からない。——否、この表現は適切ではない。

 富も才能も、生まれながらに恵まれて来た彼女には、それを持たぬ者の気持ちが、理解出来なかった。それ故の未熟に、愛鐘は酷く苛立っていた。

 ——もう半分は、自身の不幸の所在を他者や環境に依存し、あまつさえその鬱憤を、明らかに自身よりも劣る人間を標的に選び昇華していた狡猾こうかつさにいきどおったことにある。

 安全圏から標的をおとしめ、結局本気で今を変えようとしない弱さ。そんな物で攘夷などと、まことに片腹痛い。

 けれど彼の発言も事実だ。

 今の社会情勢が、彼のような罪悪を羽化させる。

 なら——。

 刹那、月光がはしった。

 戦国の甲冑を容易く貫き、魔の胴体から鮮血が飛ぶ。

「ング——ッ⁈」

 何が起こったのか——理解する間も許さず、月の車輪がの躯体を彼方へと蹴り放つ。

 さながら隕石とも思えるほどの威風。

 幾ばくか地面を跳ねながら、陸上を滑空する黒い巨躯。瞬き一度にも満たない一瞬で、対角する柳並木へと吹っ飛んだ。

 粉塵が巻き上がり、轟音が鳴り響く。

 鳴動する大地に、唯一の生き残りであるエマとその隣人も、身動きを失った。

 愛鐘は悪魔を追うように、されどゆっくりと歩み寄り、凍える声音を囁く。

「——なら、斬り刻んであげる。この私が責任を持って」

 悪魔がわらう。奇妙な笑みだ。

 女一人——それも十代半ばの少女に二町という距離を蹴り飛ばされながらなお、彼は嬉々としていた。

「——来イ‼︎」

 彼の扇動に、月光の一閃が応える。

 衝突するのは大太刀・青江吉次あおえよしつぐと天下五剣が一口ひとふり三日月みかづき宗近むねちか。互いに幻像の模造品。されど、神々より産出されし紛れもない神秘。

 火の粉を散らし合い、噛み付き合った刃が違える。

 旋回する三日月。

 青江もすかさず切り返す。

 荒れ狂う剣戟の嵐。

 鳴り響く、鐘の音にも似た鋭い轟音。

 大気が戦慄し、時空が叫喚する。

 刀同士が絶え間ない衝突を繰り返す度、衝撃波が刃となって地表に亀裂を走らせる。

 続く月下の怒号に、青江の太刀が押し退けた。

 土煙をあげながら後退し、すかさず間合いを詰める。

 刺し穿たれる巨大な刺突。

 されどその鋒を、二寸五分の影を踏んだ愛鐘が退しりぞける。

 弧を描く月の軌道。おろそかになった彼の傍らから、鋭き三日月がいななく。

 鋼色の悲鳴が大地を砕き、青江の太刀が空を仰いだ。

 旋転する愛鐘。間髪入れずに横一文字を叩き込む。

 閃光する繊月せんげつの波動。

 血飛沫と共に、悪しき鎧が砕け散る。

 この悪魔おとこ、硬い——。刃は通れど、まるでひるまない。

 大太刀が回転する。振り切られる厄災の怒濤どとう。夕霧を斬り払う真っ青な海嘯かいしょうが、天下になびいた。

 太刀の刃縁で真っ向からこれを受け、果ての彼方へと吹き飛んでいく愛鐘。

 当然、先のような無様な醜態はさらさない。

 粉塵を上げながら滑走する中で、彼女もまた太刀を振るい反撃する。

 月輪の猛威が、舞い上がった煙幕を二枚におろし駆け抜けた。

 初月風魔を討ち、とこしえの暗闇は断ち斬られる。

 淡くも眩く粟立つ、神秘の月影。

 あまね現世うつしよの数多を粉砕し、茜色に染まる空の景色さえ薙ぎ払う。

 風塵が突風となって天地に昇り、赤き空の情景に烟波えんぱの山脈を連ねた。

 どういうわけかこれをしのいだ青江吉次も、全く同じ威力を被弾させる。

 違えた空に、無数の瓦礫と共に舞い上がった噴煙が、対を成して立ち昇る。

 まさに神々のいさかい。惑星ほしの土台が耐え切れるはずもなく、天地は縦横無尽に鳴動した。

「——な、何が起こっているんだ?」

 戦を知らぬ者たちは、当然この不可解な地鳴りに恐怖を覚えた。

 臨戦中の朝陽憂奈や遠星美海でさえも、近隣で巻き起こる火山噴火にも等しい地響きへ同朋の安否を懸念した。

「……あ、あかね?」

 人知れず、たくましき友の背中をしのぶ美海。

 ——その背後を、天墜によって隆起した瓦礫が追随する。

 迫り来る危機へ振り返り、陸上をたくみに跳ねてこれを凌ぐ愛鐘。されど我が身を捉えた石礫を、三日月の軌道を振るって斬り払う。

 桁違いの斬撃に、投石はおろか地表までもがめくれ上がる。

 なびく突風に、神々しく光り輝く白亜はくあの髪が華やかに踊る。

 凛然とたずさえられた銀河の瞳が星々を連ねて燦爛さんらんし、彼方の敵を眺望した。

 愛鐘の中の焦りが、加減を鈍らせる。

 夕刻が過ぎれば、おそらく写された三日月宗近は消滅する。元の短刀では、あの禍いを祓うことなど出来ない。

 矢継ぎ早、立ち所に彼女の脳裏を反芻するのは、奴の悲嘆。

 いわく、綺麗なものばかりに恵まれ、常闇に触れる事のなかった愛鐘には、その闇に打ちひしがれてきた者達の気持ちがわからないと——。

 闇を晴らすため、彼らが崇高とする大義名分を理解出来ないのだと——。

 全くもってその通りだ。

 愛鐘には、悪を成して善としようとする彼らの大義がわからない。それは一重に愛鐘が満たされているからだ。

 けれど、から、愛鐘はずっと自分に問い掛けてきた。

 ——私の刀は何を斬るためのモノなのか。

 ずっと分からないまま、道路こたえを探していた。

 悪をほふるため——最初はそんな幼稚な理由だった。

 しかし、唐沢癒雨という男は違った。

 散々と課されてきた闇を断ち切るため——。

 同じ苦しみを、これからの子供達に背負わせないためだと——。

 ——私は、そんな彼の良心を信じてる。

 その行いがどれだけ罪深いモノだったとしても、彼の優しさが私は大好き——。

 だからこれで良いんだよ。

 間違ってるとか正しいとか、そんなのは法が決めること。

 人間ヒトにとっての善悪は決して一貫しない。

 だから私は、彼を愛したこと、ただの一度だって後悔した事はない。

 ——彼が背負った罪や、問われる罰さえ、私が全部掻っ捌いてやる。そして彼をゆるせる時を、ただ愛おしく待ち望みたい。

 その為に、彼に触発されてしまった数多の大罪は、私が斬り伏せて終わらせてやる。

 ——彼への愛が、私の忠義なのだから。

「——唐沢癒雨ノ御意向勇気ニ報イルタメ、私達ハ何トシテデモ攘夷ヲ果タサネバナランノダ‼︎」

 鎧の剥がれたその身で、未だなお熾烈に吹き荒れる悪しき闘気。

 やがておびただしいほどの黒い炎が青江吉次の太刀に立ち込めると、噴流する。

 重ねてのたうち回る黒百合の雷光。

 炎上する黒炎は怒涛に達し、しまいには黄昏をも覆い氾濫はんらんする。

 禍々しく煮えたぎる、絶対的なまでの悪性の具現化。

 荒れ狂い、吹き荒び、現世の境界にて絶叫する。

「……そう。なら、彼を育んだ私にも責任があるわね」

 三日月宗近が、大地の上で淑やかにたける。

 黄金の星屑を幾重にも束ねて灼熱し、三度天地を震撼させるは月の灯火。

「では償いましょう。私がはらんだ悪しき一片ひとひらに——」

 そしてこれが、最後の空白。

『 忘却サレシ民ノ権限 裁ク者コレヲ放チ 皆ゾ知ラヘヌハ世ノコトワリ—— 』

『 其方そなたを討つは私怨なれど 邪悪を滅するは我がもっぱら 』

『 ナラバ 天誅ノ下ニ断罪セシメシ我ガ命 国家ノ栄華ニテ大義ト成サン‼︎ 」

『 なんじさわりし種々くさぐさの穢れ 今宵こよいひたおもての下 月魄げっぱくあかりを以ってやすみ弔おう‼︎ 』

 臨界する正邪の太極。

 蜷局とぐろを巻いて輪転し、ついには颶風となって咆哮する。


『 ——日ノ本ニ尽クス迷イナキ災禍ノ独善ブレイジング・アストラルディザスター‼︎ 』


 ほとばし無冥むめい風穴ふうけつ

 邪悪にすすばんだ煉獄の劫火ごうかが、靉靆あいたいたる大河を辿って慟哭どうこくした。

 迎える黄金ヒカリは神々しく天上を望み——。


『 ——月詠ツクヨミ神歌しんか十八番・月下げっか天望てんもう鍾愛しょうあい功徳くどく‼︎ 』


 最美の千枚刃が鮮やかに開花する。

 其は花なれど、ひらめく色彩は月光に等しく、全天一ぜんてんいつを焦がせば次第に薄紅色の炎へと転じ、災禍を浄化するであろう——。



 ヘリは全ての被災者たちを避難させ、朝陽と遠星の二人は、あろう事か襲来する百鬼を全て始末した。その最後、天に咲く星の花を目にし、すぐさまそのふもとへと向かった。

 見れば、同じく神格化を遂げた月岡愛鐘と、その足元で倒れる見知らぬ男の姿があった。

「——あ、かね……?」

 駆け寄ろうとする遠星を、朝陽が止める。

 遠星は何も言わず首を振り、遠く離れた場所から、愛鐘の罪を見守った。

 ——愛鐘は、男の頭上で太刀を振りかぶった。

 彼はまだ息がある。——と言うか、死なないよう技を放った。

 けれど——。

「——対局は変わらん……。どの道お前は……これから先も俺と同じような連中を相手に刀を振るうだろう。唐沢癒雨によって触発された者は五万と居る。お前が奴を救いたいのなら、お前が奴の理想を叶えるほか道はないだろう。似たような境遇だからこそわかる。アレは、自身の幸福を許せないタイプの人間だ。己が使命を果たさなければ、正しく死ぬことさえ出来ないだろう。——救いたいのなら証明してみせろ。攘夷無くしてこの国を、私たちの主権を取り戻せることを……」

 さかしらに言を連ねる男。

 愛鐘は刀を握る手に力を込めた。

「——言われるまでもないわ。この国は私が統一する。それが私の贖罪しょくざいで、彼への愛情忠義。だから燃え広がった火も、責任を持って鎮火するわ。当然、あなたとて例外にはしない」

 天下統一を成せば、国内の律令を掌握できる。さすれば、彼がとがめられる世界も覆せる。

 愛鐘は、底の知れない宇宙の瞳を深々と携え、一刀を振り下ろした。

「——死ね」

 ねられた首を、愛鐘はもちろん、朝陽や遠星もその目に焼き付けた。

 愛鐘が決意を固めた以上、それを追う彼女達もやがて、その大罪と向かい合う。だからこそ、これから訪れるであろうその罪悪を、二人は喉の奥で強く噛み締めた。


 ——たとえそれが罪だとしても、その先の未来で、遥かな理想を果たせるのなら——。

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