第7話 私の忠義


   第六節 私の忠義



 ——南海トラフ巨大地震によって、四国は陥落。そのほとんどの領地が海に沈んだ。

 和歌山、神戸、姫路、岡山、広島、山口、大分などの瀬戸内海沖もまた、甚大な被害を及ぼした。

 ——それから四日。

 月岡愛鐘、遠星美海ら一行は難民キャンプでの生活を強いられていた。

 これまた不便極まりなく、時代が二世紀ほど巻き戻ったかのような環境だった。

 炊飯は釜戸かまどで火を焚き、羽釜はがまで米を炊く。

「江戸時代かよ——ッ‼︎」

 朝陽憂奈がそんな文句を垂れていたが、愛鐘と美海は家柄の問題から何度か経験があり、それほど驚きはしなかった。

 しかし、憂奈の驚嘆は以降も続き——。

「は、羽釜に付いてるこの土星みたいな輪っかはなに?」

「それは熱を吸収して、最後には放射する二つの役割があるんだよ」

「へぇ〜。大昔にも科学ってあったのね……!」

 大きな瞳を更に大きく見開き、感心する憂奈はとても可愛いかった。

 妹が出来たかのような愛くるしさがあり、ついつい頭を撫でたくなる。——とは言え、子供扱いするとまた怒りそうなのでやめておいた。

 興味津々な憂奈に見守られながら、愛鐘は二升にしょうの米を羽釜に入れ、釜戸へと設置する。続いて釜戸にわらを入れ、火を焚いた。

「——初めちょろちょろ中パッパ。赤子泣いても蓋取るな。って、知ってる?」

「なあに? それ」

「昔は火を焚く時に、こんなおまじないをしてたんだよ。最初は弱火で、後から火を強くしよってね」

「へぇ〜!」

「せっかくだし、憂奈ちゃんも歌ってみよっか!」

 愛鐘の提案に、憂奈は作業を続ける二人の傍らでまじないを唱え始めた。これがもう可愛いのなんの——。

 憂奈の声はどこか独特と言うか、甲高いのに不快感がなくなめらかで、優しくて——、安らぎにおちいってしまうほど鮮やかだった。

 彼女の声に聴き入ってしばらくすると、羽釜の蓋縁から水蒸気が出始める。

「ここで火を強くするの」

 わらの量を増やし、やがて火は炎へと変化する。

 愛鐘は水蒸気の量と羽釜内の音から、炊き時を見計らう。

「——わぁ! 煙が双極流みたいになって来たね!」

 憂奈の言う双極流とは、天文学用語だ。

 ブラックホールが物質を吸い込む時、穴の上下から現れる竜巻のようなもの。

 なんでそんな単語を知っているのかはなはだ疑問だが、それはさて置き——。

 ここで愛鐘は、ありったけの藁をぶち込み、炎を業火へと最終進化させた。

「そろそろかな〜」

 乾いた音が羽釜の中から聴こえ始めると、頃合いを見て藁の投入を止め、鎮火を待った。

「火が消えても、釜戸の中に残った灰が赤く色づいたままなのが分かるでしょ? これが、十分くらいすると完全に消えるから、それまでお米はこの余熱で蒸していくの」

 次第に灰が灰らしく黒くなり、全ての熱が消えると、白米の完成となる。

「——出来上がり〜! 食べてみて!」

 一口程度を箸ですくい、憂奈の口に放り込む。

「どう?」

 二、三回の咀嚼で、憂奈の真っ赤な瞳が猛々たけだけしく燦爛さんらんした。

 声にならない感激を、腕を上下に振って必死に表す。

 ——可愛い。

 それにしても、炊いた米は三キロもある。日用的なカップに換算すると二十杯分だ。

「——ところで愛鐘。こんなに炊いてどうするの?」

 当然ながら、美海が疑問に思った。

 三人で食べるには多過ぎる。大食家の美海とて、副菜があれば二号が限界だ。

 愛鐘もそれなりに食べる方だが、精々一号半程度。憂奈に関してはあまり食にはこだわりが無さそうだ。

 愛鐘はおまむろに経木きょうぎを取り出し、美海の疑問を粉砕する。

「おむすびを作ります! それを下関の方で配給するの」

 憂奈は目を白黒させたが、美海は納得した。

 今回の災害は、下関にも被害が出ている。

 しかし、下関の地形は、東西南が関門海峡と呼ばれる海域に囲まれていることに加え、北側には山脈が連なっている。避難しようにもそれが叶わず閉じ込められているのだ。

 山が崩壊し、土砂崩れでも起こっていれば尚のこと。

 無論、交通機関は当てにならず、外部からの侵入も困難なため配給の望みが極めて薄く、生活にも困窮している事だろうと、愛鐘は考えたのだ。

「——けど、どうやって下関に入るつもり?」

 この理屈は、愛鐘達とて例外ではない。美海はそう思ったのだが——。

「安心なされ遠星殿。秘策は練ってあるでござる!」

 あるはずもない架空の眼鏡を持ち上げ、自信満々に微笑む愛鐘。たったそれだけを残し、美海達と共に向かった先には——。

「——お待ちしておりました。月岡さん」

 自衛隊特別救援用ヘリコプター。

「「いやなんで——っ⁈」」

 鋭く刺し放たれる一太刀二つ。校庭に鎮座した鋼鉄の巨象に、思わず喉元が開いた。

 何をどうしたらこんな大層なものを呼べるのか、美海達には到底理解が及ばない。

 ひょっとしてこの娘、国の裏側と繋がっているのでは——? そんな非現実的な妄想が浮かび始めたりもした。

 しかし——。

「ほら、癒雨くんの件で色々繋がりが出来たでしょ? 攘夷弾圧の伝手つてもあったし、是非御礼をしたいって言われたから、それなら、被災者の支援活動をしたいってお願いしたの」

「国民栄誉賞もらってもおかしくないレベルの活躍っぷりね!」

 煌びやかに光る憂奈の瞳。憧憬と尊敬の意を同時に向けられる。

 美海も、我が親友ならではの恐ろしさに、本来ならば信じられぬほどの事案にも、一周回って納得してしまった。

「——それでは参りましょうか」

 自衛隊員の先導で、一行はヘリへと乗り込む。

 美海が先に中へと入り、続々と憂奈が続こうとしたその時、愛鐘は、自身の腰に差していた刀を彼女に手向けた。

「憂奈ちゃん! はい!」

「え……?」

「何があるか分からないし、護身用。持っておいて」

 愛鐘は、萩市に来る際に遭遇した魔獣のことを忘れられなかった。——いや、愛鐘だけではない。あれを見た者は、決して自身の記憶から、その存在を忘却することは出来ない。

 警戒は慎重に、念のための帯刀だ。

 離陸直前で余裕もなかったたて、憂奈は流されるまま、特に事情を訊くこともなく刀を受け取った。

 そしてヘリは、大空へと浮き上がる。

「もう既に、山口駐屯地の部隊が救援、及び支援に向かっておりますが、何しろ人手不足。月岡さん達のご支援は非常にありがたく思います」

「鬼小町だからこその信頼度よね! これが一般の人だったら、絶対大人しくしてろって言われるよ」

 憂奈の言う通りである。

 きっと愛鐘だからこそ許されている。

「——到着しました」

 同じ県内での移動なので、物の数分で辿り着いた。

 避難場所として設置されているのは、伊倉新町いくらしんまちの中学校と、冨任町とみとうちょうを所在とする武道館などの内陸部。だん浦町うらちょうの辺りは津波の被害を受けあえなく浸水していた。

 到着早々、愛鐘達は簡易的なテントを張り、おむすびを配り始めた。

 味は、梅干し、おかか、ツナマヨ、イクラ、昆布、紅ジャケなど多種多様。——無論、塩もある。

 更に——。

「これ、羽釜⁈」

「そう! 流石に釜戸を造るってなると時間が掛かりすぎるから、携帯コンロでの炊飯になるけど、これならあったかいお米をいつでも提供できるでしょ?」

「争奪戦を抑制できるねっ!」

「そういう問題じゃないでしょ……」

 憂奈の誤った解釈に、呆れ始める美海。

 炊飯器は電気が通ってないので使えません。

「さぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい‼︎ 月岡家特性ほかほか羽釜ご飯が此処にあり‼︎」

「市場と化してるわね……」

 テンションの高い憂奈を困った様子で見守る美海。被災者達の精神面を考えれば、これくらいの士気が彼らを憂鬱にしないための配慮なのかも知れない。——だとしても、終始これは疲れる。わきで休憩しようと思った矢先、その背中を愛鐘の目につかまる。

「——美海ちゃんは炊飯よろしく!」

「はぁ——っ⁈」

 先のやつだ。

 マジか。あれ私がやんのか。

 当然ながら断る余地などなく、米を張って火をつけるのだが——。

「美海ちゃん! 初めちょろちょろ中パッパ! 赤子泣いても蓋取るな! だよ!」

「いや、これコンロ——」

「はい歌唱‼︎」

「いや、だからこれコン——」

「はい歌唱‼︎」

「分かったわよ‼︎ やればいいんでしょやればあぁ‼︎」

 押しに弱いこの女子おなご

 半ばヤケクソ気味に承諾し、美海は恥をしのんで不許和音を響かせた。

「初めちょろちょろ中パッパ‼︎ 赤子泣いても蓋取るな‼︎」

 その傍らで——。

「さぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい‼︎ 月岡家特性のおむすびが此処にあり‼︎」

 カオスである。

 しかし、その馬鹿騒ぎもあってか、沢山の被災者たちが彼女達のもとを訪れ、握り飯を受け取って行った。当然、それだけでは味気ないので、自衛隊の方々にも協力して頂き、白菜たっぷりの味噌汁や玉露が香るお茶など、様々な副菜も用意した。

「——遠星さん! ちょっとコッチ見ておいてくれるかい?」

「は、はい!」

 自衛隊員に頼まれ、美海は一時、味噌汁当番も担った。

 こう見えて料理は人並みに出来る。

 炊飯の水蒸気に目を配りながら火を調節し、味噌汁を焚いていく。

 見れば愛鐘達は、絶えず迫り来る被災者たちに奔走していた。

「——鬼小町……なんて妙なあだ名で呼ばれているけれど、根は良い子なのよね……」

 いつだって、彼女の暴力は誰かのためにあった。

 あの時も——。



「おらどうしたよっ‼︎ お得意のぶりっ子で男に媚びてみろよ‼︎ お前が泣いて喚けば、どうせアイツらがこぞって駆けつけてくれるんだろ⁈」

 遠星とおじょう美海みなみは幼い頃、勇者様に憧れていた。

 勇者と言っても、緑色の容貌をした剣士ではない。

 魔法少女のように華やかな装束で身を包み、正義のために悪を裁く、ピュアな存在だ。自分もいつかそうなりたくて、空想上でしかない彼女達の真似事をしていた。

 街のゴミ拾いや、海岸の掃除をはじめ、些細な人の頼みも心良く請け負って来た。

「悪いな遠星さん。日直の仕事手伝ってもらっちゃって。片方がサボって帰っちゃってさ」

「……矢寺由衣やてらゆいさんだよね。もう一人の今日の日直……。あの人、いつもあぁ〜なんだあ。給食の配膳とかも全くやらないで廊下で他クラスの子と喋ってばっか……。放課後の掃除なんて上の空。私から注意しておくね!」

 一人仕事を丸投げされた男子生徒を手伝い、美海は黒板消しのクリーニングやチョーク入れ替えを行っていた。古くなったもの、短か過ぎるものは捨てて、同じ本数になるよう新品のものを足していく。

 片や男の子は、学級日誌を書いていた。毎日、その日の日直が記入しなければならない一日の記録だ。

 それを終え、等々帰宅するかと思われても——。

「やっべ‼︎ 塾に遅れる‼︎ くっそぉ〜」

「いいよ。教室の鍵は私が職員室に返しておくから」

「わ、わりぃな! この礼は必ずするから!」

 遠星美海は器用ではなかった。

 正義の勇者になりたくて、一般的に素晴らしいと褒められる事ばかりした。

「あれ? 遠星さん? まだいたの?」

「……藤村先生?」

「ちょうど良かったわぁ〜! あたしこれからテストの採点しなきゃ行けなくてさぁ〜。体育館の清掃、お願いしちゃってもいい?」

「……ええ。構いませんよ!」

「ありがとう黒糖‼︎ 助かりぃ〜ち‼︎」

 誰かにとって都合の良い存在をひたすらに演じ続け、仮初の善行を果たした。

 でも、光が当たれば、必然的に影がびる。

「——ガチで目障りなんだよお前‼︎ ホントムカつく‼︎」

 矢寺が美海を虐げる理由を、美海は知っていた。

 今まで散々クラスから浮き、問題児として名を馳せていた彼女だが、その穴埋めを美海がするようになってから、誰も矢寺を問題視しなくなり、どうでもよくなり、気がつけば、彼女は誰の目にも止まらなくなり、孤立した。一重にそれが、彼女の怒りの正体だ。

 面倒だからとたもとを分かり、されど孤独もまたいさぎよしとする事が出来ない弱さ——。

 なんたる矛盾——。

 されど——。

「——目障りなんはおんしゃあじゃワレえぇッ‼︎」

「ええぇぇ——ッ⁈」

 この月岡愛鐘という女は、その矛盾を素直に受け入れてしまう人だった。

 容赦なく、暴力という悪を振るってしまえる神経の図太さ。

 何があっても決して自分を曲げず、自身の良心を信じ、それを信念に正義とする。

「——月岡、お前って奴は本当に……」

「えへへ、すんません」

「今回、矢寺は針二本縫うことになったそうだ。お前、これがどれだけマズい事なのかを自覚しろ」

 たとえ周りが彼女の蛮行を悪とののしっても、そのおかげで助けられた人が居るのなら——。

「あ、あの!」

「ふぇ?」

「あ、ありがとう!」

「よかよか‼︎ そがん頭下げられよったら、どがんしたら良か分からんもん! うちはただ、気に入らんモンをクラしとっただけやけん」

 それはきっと、普遍的な正義よりも、——とおとい勇気だ。

 誰かの味方をするためなら、誰かをないがしろにする悪行も受け入れてしかるべき。そうやって矛盾を受け入れた時、人は誰かに愛されるのではないだろうか。

「——やめなさいっ‼︎」

「はっ‼︎ 遠星か! また性懲りも無く殴られに来やがった‼︎」

「いや待てっ‼︎ う、うしろ……愛鐘も居るぞ——⁈」

「「「う、ゔああああぁぁぁぁ‼︎ に、逃げろおおおぉぉぉ‼︎」」」


 ——なら私は、私を助けて勇気づけてくれた愛鐘のために、誰かの悪になろう。


 ——それが、私なりの忠義愛情だ。


 懐かしくも輝かしい自身の原点に、思わず笑みがこぼれる。

 愛鐘と出会っていなければ、彼女はきっと、反発する矛盾に絶望していただろう。

「——お、お姉ちゃん!」

「——え、あ、はい!」

 思い出にふけっていると、いつの間にか幼い子供がかたわらに居た。両手にはからになったおわんを抱えている。

「お、おかわり……いいですか?」

「え……? あ、ええ。もちろん」

 差し出された器を預かり、一杯を注ぐ。

「はい。しっかり食べて力をつけるのよ?」

「うん! ありがとう!」

 去って行く少年を見送り、美海は世界を俯瞰ふかんした。

 あらかた配り終えたと思うが、まだ味噌汁はたんまり残っている。

 先の少年を、もう一度一瞥いちべつし、また周囲を見回す。

 もしかしたら、他にも欲しがっている子が居るかも知れない。

 美海は立ち上がり、目についた子供へ声を掛けた。

「——まだ味噌汁残ってるけど、食べられそう?」

 見知らぬ女性からの当然のお尋ねに、少々困惑した様子を見せる子供達。

 仲間内で一度顔を合わせしばらくすると、再び美海を見上げ、器を掲げた。

「うん‼︎」

「分かったわ。それじゃあ持って来るわね」

 お椀を受け取り、テントへと戻る。

 それにしても、先程の自衛隊員は一体どこへ行ったのだろうか——。かれこれ三十分は立つが、未だ戻って来る気配がない。

 まさか職務放棄?

 いや、流石にそれはないか——。

 預かった器に味噌汁を入れ、再び子供達のもとへと持って行く。

「——はい。おかわり欲しかったら、気軽に声掛けていいからね」

「うん! お姉ちゃんありがとう!」

 その時だった。

 遠方から怒号と、そして銃声が聴こえたのだ。

「……なに?」

 唖然とする美海や子供達。

 握り飯を配っていた愛鐘と憂奈も、さすがに唖然としていた。

 怒号だけならまだしも、土手っ腹を射抜くような重い銃撃音は、流石に戦慄せざるを得なかった。

「——私ちょっと見て来る! 美海ちゃんと憂奈ちゃんは此処でみんなを見てて!」

 愛鐘はそう言って、音のした方へと一目散に飛び出していった。

「ちょっ‼︎ 愛鐘‼︎」

 今、彼女は刀を持っていない。何かあれば太刀打ち出来ない。

 しかし、子供達を放置しておく訳に行かないのもまた事実だ。

「どうしよう……」

 美海の忠義が、守るべき数の有無に揺らぎ始める——。



 現場は騒然としていた。

 ナイフを持った日本人男性と、そのすぐそばには血を流して倒れている外国人女性が居た。

 自衛隊員は、それを仲裁する形で立ちはだかっている。

 訊かずとも分かった。

 ——攘夷じょういだ。

「落ち着いてください!」

「どけ‼︎ そんな奴に食わせるモノなんざねぇだろ‼︎ 俺たちの貴重な食糧を……なんでこんな外来種に分けなきゃなんねぇんだ‼︎」

 先の発泡はただの威嚇射撃だったようで、怪我人は出ていない。

 外国人女性も、二の腕を斬られた程度の軽傷だ。

「大丈夫ですか‼︎」

 自衛隊と日本人男性が乱闘している中、愛鐘は外国人女性に駆け寄った。見たところ、ヨーロッパ系の人だ。

「止血しますね!」

 患部にハンカチを当てて、懐から取り出した紐で強く縛る。その紐、何処となく下緒さげおに似ている。

「何があったんですか?」

 尋ねて気づく。

 そうだった。相手は外国人だ。言葉が通じるはずない。

 どうしよう。英語出来ない。

 美海を呼ぶか——。

 しかし——。

「——エマ‼︎」

 遠くから、彼女を心配する少女が駆け寄ってきた。

 日本人だ。

 しかも——。

「ちょっと離れた隙に……何があったの?」

 同じく日本語で問い掛けている。

 すると、エマと呼ばれた外国人女性も——。

「……うん。配給のご飯を貰おうとしたら、ちょっとね……」

 喋れるんかい。

 しかも、全く訛りを感じさせない自然な日本語だ。在日滞在歴は長いと見た。

 状況はお察し。

 愛鐘は立ち上がり、加害者の男性へと歩み寄る。

「——人をしいたげるのなら、自分がおとしめられる覚悟も当然あるのよね」

 懐から抜き出される短刀。先程止血に使ったモノはこのこしらえから解いた物だった。

「ちょっ‼︎ 月岡さん! ここは私たちに——」

「退きなさい。こういう人間は、一度痛みを知らないと分からないんだわ」

 止めに入る自衛隊員らを押し除け、愛鐘は男性の間合いへと入った。

「や、やんのか⁈ あぁ——ッ⁈」

 突き出される剣尖を二寸五分の影を踏んでわす。

「なっ——⁈」

 相手から見れば、自身の刃が曲がったかのような錯覚におちいるほどの自然な動きだった。

 愛鐘は放たれた男の裏籠手を斬り裂き、そのまま何十発と彼に拳を放った。

 まだ高校三年生の少女が、大の男を一方的に蹂躙している姿といえば見るに絶えず、人々は何も言わずに目を逸らし、ことが終わるのを待った。

 一分と立たない内に男は倒れ伏せ、もはや顔の原型が分からなくなるほどの無様な姿を天下に晒した。

「攘夷だなんだの……あなたは牙を向けるべき相手を間違えてる。おとしめるべきは彼女達じゃないでしょう」

 男の醜態を俯瞰し、矛を納める愛鐘。

 しかし、男は思いの外しぶとかった。

「……あ、あぁ……そうかもな……」

 軽薄な笑みを漏らしながら、緩慢かんまんと立ち上がる男。左右にふらつきながらも、どうやら諦める気はないようだ。

「だが、諸外国からナメられているのもまた事実だろ‼︎」

 ——臭う。思わず腕で鼻を覆いたくなるほどの異臭が突然周囲にただよい始めた。

「(な、なに……?)」

 腐った卵——。

 放置された牛乳——。

 そんな物を遥かに凌駕するほどの、あまりに酷い臭気だ。

「連中をぶっ殺したところで、おとしめられた国民俺達の名誉は還らない‼︎」

 黒い——、黒い——、黒い——。真っ黒なすすもやを張るように男の周囲に立ち込める。

 ——駄目だ。

 これは、生きた災害だ。

「みんな離れ——ッ‼︎」

 振り返り、避難指示を出そうとしたその時、透明のまま羽化を待ち望んでいた邪悪なるわざわいが、獣の姿をかぶって実体化した。

「キャアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァ————ッ‼︎」

「ち——ッ‼︎」

 短刀を抜き放ち、地面を踏み込み時空を穿つ。

 疾風となって駆け抜けた月光の輪郭が、エマに爪を立てんとしていた魔獣を貫いた。

 漆黒の鱗を撃ち破り、彼方の喉元をえぐり斬る。

 噴出する黒い血飛沫。

 今の一息分の合間に、愛鐘は男の変貌を許してしまった。

「——ならば全てを壊そう‼︎ 願われていた通りに‼︎ 現行の破滅を今此処にもたらさん‼︎ ——つどえ‼︎ 災禍‼︎」


 ——あの頃から、誰もが密かに夢を見た。


 ——魔法。

 ——神秘。

 ——奇跡。

 ——ヒーロー。

 ——勇者。


 いつしか私たちは、そうなりたいと願い、その踏み台となる為のヴィランを空想した。

 非日常の到来。

 空想の具現化。

 御伽話おとぎばなしのような幻想を——。

 やがてそれは不況に陥って行く社会情勢と共に肥大化し、次第に人々の集合無意識は、より濃い禍いを願うようになった。

 蓄積していく鬱憤。

 堆積していく心労。

 混濁していく矛盾。

 平和というモノが正しい幸せであると思う反面、その影で、退屈をくつがえさんとよこしままじなった。その引き金となったのが、唐沢癒雨という革命家であったのなら——。

 彼の先導が、この国において、透明だったはずのけがれを実体化させるに至ったのなら——。

 此度の災害も、そうして現界したのだとしたら——。

 唐沢癒雨は、日陰を見出すべく育まれた人類悪として、未来永劫、あがめられるだろう。


 ——否、そうまじなうことで、人々は自身らの願望を成就させたのだ。


 白いつのが天にそむき、邪悪極まりない真っ赤な瞳が睫毛を差し置いて発光する。

 くちびるは失われ、獅子の如き強靭きょうじんな牙が鋭く剥き出され、鼻骨もまた還らぬものとなった。

 の人体は膨れ上がるように巨大化し、六尺を超える巨躯きょくへと変貌を遂げた。

 肩に大袖、腰には草摺くさずりを下ろし、甲冑で身に包んだ姿は、戦国の武将を想起させる。そして、何よりも人々を戦慄させるのは、右手に握られた大太刀おおたち——。

「……うそでしょ……」

 月岡愛鐘とて、その例外には至らない。

 全身が震え、足がすくむほどの圧倒的な恐怖心が、体全身を凍結させる。

 ——怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 短刀一振りで太刀打ち出来る相手じゃない。

 そもそも、人間が挑んでいい相手ではない。

「——我ガ攘夷ヲ阻ム者。国ニ仇成ス不貞者。我ガ天誅ノ下ニ始末シテクレル」



 ——同時刻。

 連鎖するように、海の向こうからあの三足歩行の魔獣が次々と上陸した。

 下関市は瞬く間に地獄と化し、あちこちで断末魔が轟いた。

 築き上げられた人類文明が次々と蝕まれ、無論を成すように人が殺される。

 捕食する訳でもなく、ただ純粋に殺戮を目的としているようだった。

「な、なんなのコイツら……」

 抜刀して身構える憂奈と美海。

 すでに被害は甚大なものとなったいる。

 殺された人々の数は計り知れない。

 されど、血みどろのしかばねを数多にして前にしようと、美海は身分の責任をまっとうしようと、虚勢を張る。

「——あなた達! お姉ちゃんの間合いから離れないで‼︎」

 後方に隠れている子供達の壁となり、また盾となる。

 刹那、美海の頬すぐ傍らを、迅雷とも見紛うほどの烈風が瞬き半ばにも満たない一瞬で駆け抜けた。

 空間が渦を巻くほどの猛威。

 自然現象ではない。

 憂奈による突進でもない。

 敵が——あの蜘蛛のような三足を巧みに利用して吹き抜けたのだ。

「——朝陽さん‼︎」

 傍らにいたはずのその気配がない。

 振り返れば、肉薄してきた一匹の魔獣に突き飛ばされていた。

 しかし、憂奈も見事なものだった。

 魔獣の爪を刀で防ぎ、あの第三宇宙速度にも等しい突進を受けてなお、踏みとどまった。

 両足に全体重を乗せて深々と踏ん張る憂奈。

 競り合いが続く刃縁から、真っ赤な火花が明滅する。

「——んぐぐぐぅ……ッ⁈」

 やがて地面に亀裂が入り、れた。

 このままでは憂奈の足が砕ける。

「せあッ——‼︎」

 真横から、美海が縦一文字をお見舞い。憂奈を抑え込んでいた一足を、一刀の下に両断した。

 絶え間なく、憂奈の斬撃が続く。

 先程の競り合いで踏み込みは完成していた。あとは——。

「日出暁天——っ‼︎」

 一息の下に大地を翔び、烈火となって地平にひらめく。

「——東雲‼︎」

 魔獣の体が、平行を成して斬り放される。

 勢いに乗って駆け抜けた憂奈は、跳躍の余力で地表面を滑走し、果てに静止した。その距離なんと一町弱(およそ百メートル)。

 常人離れした偉業に、自然と喝采が轟く。

『ゔぉおおおおおぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ————ッッ‼︎』

「スゲェー‼︎」

「なに今の‼︎」

「どうやってやったの⁈」

 しかし、これは憂奈自身も理解が及んでいなかった。

 我ながら実に不思議である。

 状況が状況だけに、無我夢中だったため、どうやったかなどは不明だ。

 ただ言えることは、今まで感じたことの無い力が突如として背中を押した。

「……………」

 呆然とする憂奈に、強い声が掛かる。それは緊張感のある極めて緊迫した声だった。

「——朝陽さん‼︎ 惚けてる場合じゃないわ‼︎ 敵はまだまだ来るわよ‼︎」

 一体倒した程度でぬか喜びは出来るほど、甘い状況ではない。

 敵の数は計り知れず——。目測でも二十体は居る。

 二人がかりでようやく倒せた一体。

 倒せるのか——。これら全てを——。

 ——いや。

 柄を握る手に、より強く力を込める。

 ——倒せるかじゃない。倒すんだ‼︎

「——や、やってやるわよ……」

 やけに重く感じる刀を力一杯持ち上げ、果断な姿勢で己を精一杯鼓舞する。

 恐怖に滲んだ涙を押し殺し、いつまでも凛々しく、勇ましく——。

「——腐っても私は武士よ。みっともない最後を迎えるくらいなら、最後まで精一杯……この剣に生きてやるっ‼︎」

 青眼に構えたきっさきが唸るのと同時に、美海の濡羽色の毛髪が、濃淡鮮やかな紺色に輝きを始めた。

 呼応して、碧緑色の瞳も、煌びやかなライトグリーンに発光する。それは、いつぞやの愛鐘と同じ煌めき——。

「お、お姉ちゃん……⁈」

 子供に言われて気がついた。

 左肩から下げていたルーズサイドテールが、光を放っていることに——。

「……こ、これは——っ⁈」

 そして、極め付けには、頭の真上に、淡い光を灯す法陣が浮かび上がる。

 現代こんにちで言えば〝ヘイロー〟と言った方が伝わりやすいだろうか。

 実体のない、天使の輪のようなものだ。

 美海の法陣は透明感あふれる水色の輝きを持ち、水巴みずどもえを中心に波輪なみわを巻き込んだ浪紋ろうもんだ。それが、何やら辺り一帯から、僅かばかりではあるものの、光の粒子を収束させている。まるで何かが可視化したかのようなまばゆい星屑。

「と、遠星さん——⁈ な、なに……それ……」

 驚愕に目をみはる憂奈だが、彼女とて人のことは言えた義理ではなかった。

「——い、いや、あなたこそ……」

「は——?」

 髪の毛は真っ赤っか。神々しいまでの緋色を光り放ち、瞳も紅蓮の炎でも焚いているのではないかと疑うレベルで烈々と燃え盛っている。

 そして、後頭部の上に添えられた法陣は日足紋ひあしもん。警察が付けている紋章と似て非なる物。各足の合間には十字光芒じゅうじこうぼうが浮かび、揃いも揃って真紅の輝きを放っている。

 彼女の法陣も、美海と同じく、周囲から光の微粒子をかき集めている。

 更にもう一つ。共通している事があるとすれば——。

「……力が、あふれてくる……」

 今なら何だって出来そうな——そんな予感があった。

「——待ってて愛鐘。もうすぐ会いに行くから‼︎」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る