第13話 己霊と器



 おねむり おねむり

 月のあかりをあびて おねむり

 はなの香りのように軽やかで

 ことりの囀りのように心地よい

 そんな夢を見ておねむり

 いとしい御前



 


 何となしにサクは歌ってみていた。小さな頃に、桜華姐さんがよく歌っていた子守唄だ。

 

「……ツキタチ、何処行っちまったのかな」

 

 サクの小さな聲は雪に溶けて消える。サクは舞鶴姐さんの室で格子窓の側の壁に寄りかかって坐し、雪のしんしんと降る様子を眺めていた。

 (そう言えば、あいつって何時からいたんだっけ)

 はじめ、其処にはサクしか居なかった。常闇に囲まれ、何も見えず何も聞こえない空間であった。

 (でも気付いたらあいつがいた)

 ひょろひょろに痩せ細った幼兒ははじめ、嬰児だった。ずっと同じ上背に顔貌をしているサクと異なり、ツキタチは器と共に様相を変えた。その様子を目の当たりにして、サクはそんな己霊こだまもいるのだろう、と深く考えないようにしていた。

 (あいつ、全然話さなかったんだよなあ)

 ついこの間までとは比べ物にならない。ツキタチは一言も話さなかったのだ。「あ」とか「う」とかすら言わなかったのだ。

「……て、止め止め。くそ、考え事なんて柄にもないことすんなよなあ。」

 サクは髪を掻きむしった。肚の奥底がむかむかして、もやもやして、気持ち悪い。まるで己が己で無くなっていくようで気色悪い。

は、僕は己霊こだまなんだよ。余計なことさせるなよ……僕に感情はねえんだ。ねえんだよ……」

 

「どうしてあったらいけないんですか」

 

 サクは胸の奥が冷やりとなるのを感じた。

「……御前、なんでここに」

 何時の間にか扉は開けられ、其処に紫苑の姿があった。紫苑の群青は真っ直ぐとサクに向けられている。

真逆まさか、君が翡翠の子供だったとはね。はじめてこの見えぬ目を呪いたくなりましたよ」

「は?」

 サクは眉を顰めた。翡翠。たしか、器の、鴉の生みの親だ。会ったことはない。鴉を生んで直ぐに死んだと聞かされている。紫苑はずかずかと室内に這入り、サクの目前で立ち止まった。

「鴉。何故そんなに感情を押し殺そうとするのですか。もう君を避難する者も、忌避する者もありません。己を騙す必要などないのです」

 紫苑は少し早口に、けれども一音一音は確かに伝えた。サクは肚の底で渦巻くものが激しくなっていく気配を感じる。そしてその一方でその様な感覚があることに苛立ちを覚えた。紫苑は未だ何かを続けようと口を開く。

 ――もうこれ以上、余計なこと聞きたくない、考えたくない。

 サクは紫苑を遮断さえぎるように聲を張った。

「――だから!」

 サクは立ち上がり、続ける。

「僕は鴉じゃねえんだよ!僕は己霊こだまだ。己霊こだまは不変で、感情なんて持たねえんだよ!」

 

 気不味い沈黙が流れる。サクはしまった、と考えた。真逆まさか、己が己霊こだまについて口走るとは露程にも思っていなかった。サクは怖々と紫苑を見上げた。然し紫苑はサクの想像に反して、真面目な面持ちをしていた。サクは決まりの悪い気分になり、吐き捨てた。

「……なんだよ。可怪しなことを言っていると思うなら嘲笑えよ」

「いいえ、嗤いません。我が子の話から耳を背けようなど、してはいけないのですから」

 

「………………は?」

 

 サクは眼を白黒させた。あんぐりと口を開いているサクの様子を愉快とでも思ったのか、紫苑は僅かに目元を緩ませ、くすくすと笑った。

「鴉。君は――御前は、翡翠と、私の間に生まれた子だ。御前は翡翠に生き写しらしいですね。この眼にしっかり光りを宿していれば、ひと目見て知っただろうに。ずっと独りにして悪かった」

 紫苑が深々と頭を下げた。真逆まさか詫びてくるとは思わず、サクは閉口した。サクを見詰める紫苑の眼差しは真っ直ぐだ。見えもしないのに、何故何時もこの眼は逸らされないのか。サクは貌を頬を掻き、言葉を絞り出した。

「……別に、僕は気にしてねえ。己霊こだまの親はあんたじゃねえし」

 紫苑は変わらず目を離さず、サクの両肩を掴んだ。

「その己霊こだま、とは何かを教えてはくれませんか」

 視えていない筈の群青に、何か見透かされているような気がして、サクはたじろいだ。紫苑はなかなか手を離してはくれない。サクは「わかった、わかったから離せよ」と聲を荒げた。

 

「……御前たち地丿國の民は、たち己霊こだまえにしを結ぶことでひとつの生として確立されるんだよ。なんでかなんて聞くなよ。俺だって知らねえ。そんなもんなんだよ」

「縁、とはなんなのですか」

「ひとつの器とひとつの己霊こだまが混ざり合ってひとつの意識を作り出すことだ。ふつう、この意識に俺たち己霊は出てこねえんだが、何故か俺は出てきちゃってんだよ」

 紫苑は怪訝そうな面持ちをした。サクは気不味くなり、貌を背けた。

 (て、なんで気不味いとか思ってんだよ、。)

「……ひとつ聞いてもいいですか」

「なんだよ」

「御前は自身を「僕」と呼んだり「俺」と呼んだりしているのですが、普段はどちらを使うのですか。つい先程も「俺」と呼んでいましたよね」

「え」

 サクは自身の唇を触れた。サクは己を「僕」と呼ぶ。己霊の多くは自身を「僕」と呼ぶのだ。男の性質を有していても、女の性質を有していても。もとより性質を意識するのは器と縁を結ぶ時だけで、縁のないときはお互いの性質を意識することはない故であろう。名が無ければ、互いを分離して考えることもなかったかもしれない。己霊にとって、「個」は重要ではない。己霊にとって大切なことは不変で有り続けることなのだ。

「僕、さっき「」って言ってたのか?」

 

「まあ、そうですね。もしかして、今の御前は器と己霊の混ざりあった意識、なのではないでしょうか」

 

「……は?」

 紫苑はいや、違うなと独り言ちる。

 

「というよりそもそも、ふたり其処にいるものなのではないでしょうか」

 

 サクははあ?と聲を上げた。

「そんなことしたら、中で意見食い違ったりしちまうだろうが」

「食い違ってはいけないのですか?」

「は?」

 何を言っているのかわからない。揶揄からかわれているのではあるまいか。サクが眉を顰め、再び紫苑の貌を見ると、紫苑は至って真面目な貌をしていた。

「私たちはみな、葛藤するものです。己の内にいくつも相反する心が生じ、悩むのです」

「いやいや、僕たちにそんな記憶はないぜ」

 紫苑は目を伏せ、サクに語りかけるようにして云った。

 

「覚えていないだけかもしれませんよ。無意識に記憶を抑え込んでいるのかもしれませんし。御前は不変である必要があると言いました。ひともそうあろうとするものです。変化は恐ろしい。己の安寧を保つために感情の起伏を厭み、できるだけ不変であろうとする。どうしてもそうもいかないときだけ、私たちは心を揺らし変わるのです」

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