第6話 姐の身請け


 桜華姐さんは普段よりも一段と華やかな装いをしていた。大口の客が訪れている故、多くの妓女たちもそうしているのだが、桜華姐さんのそれはまるで特別な装いのように思えた。他の妓女が黄を基調としていた着物を身に着けている中、桜華姐さんだけが紅葉の重ねの着物――赤と濃赤を基調としている――を着ているのだ。桜華姐さんはくすくすと笑った。

「もう鴉ったら。あなたまで見物に来たのね。楽師さまがいらっしゃるのは珍しいから無理もないけれど」

 サクは何となく桜華姐さんの笑顔に陰りがあるように思えた。如何どうしたのだ、と尋ねたいところだが、サクの聲が桜華姐さんに届くことはない。ツキタチはじっと桜華姐さんを見詰めるばかりで何も問わない。すると、桜華姐さんの大きな瞳が揺れた。少し潤んですらいる。 

「……鴉とも、今日でお別れね」

「……え?」

 珍しく、ツキタチが意図していないと思われる聲を漏らした。桜華姐さんは今にも涙を溢しそうになるのを堪えている風であった。桜華姐さんは絞り出すように告白した。

 

「あたしね、身請けされることになったのよ――……」

 

「「え」」

 

 サクとツキタチは殆ど同時に聲が出た。桜華姐さんは懸命に笑みを浮かべて続けた。

「今日いらしたお役人さまの中に、お大臣さまがいらしたらしくてね。あたしを気に入ったらしいのよ。ほらあたし、舞鶴や鈴蘭に比べれば年齢が高くてでしょう?だから、ね。でもきっとあたしは仕合しあわせな方なのよね。妓女の中には売れなくてひもじい思いをするひとや、病を移されて死んでしまうひともいるんだもの。お金持ちの方に拾われたあたし、は……」

「……姐さん、外に出よう」

  

 ツキタチがそっと桜華姐さんの肩を抱くと、桜華姐さんはこくりとひとつ頷いた。サクは仕方のないことだ、と考えた。妓女ならば何時かは起こりうる結果とも言える。器が女であれば、未来のサクとツキタチも何処かへ身請けされていたかもしれない。身請けしてくれる男が品行方正で、心の奥底から妓女を愛してくれることもあるが、多くは愛人に収まる。今日出逢って間もなく身請けを決めるような男が愛情深いとはとても考えられない。

 中央棟から西棟の渡り廊下へ出ると、桜華姐さんは堪えていた大粒の涙をほろほろと流し始めた。

「鴉や皆と離れるの厭よ……。それに、お大臣さまは女をいたぶるのがお好きだって噂があるの……あたしきっと殺されてしまうのよ」

 しくしくとむせび泣く美しい女。サクはその様子を見守った。これは彼女が己で乗り越えなければならないことだ。何と慰めても彼女が納得しなければ何の意味もない。

 

 (……え)

 

 矢庭にぐらり、と視界が揺れた。サクはツキタチの方へ眼差しを向けたが、ツキタチの表情は変わらない。だがしかし視界は更にぐらぐらと揺れ、僅かに歪みを持って視点が定まらない。器の心の臓がばくばくと音を立て、呼吸が荒くなる。船酔いしたような心持ちになり、サクは片手で口元をおさえた。

「おい、ツキタ――……」

 ツキタチ、と呼ぼうとしたその瞬間、視界は元の姿に戻った。器の心の臓の音も鎮まっている。

「……なんだったんだ?」

 唖然としてサクは言葉を溢すが、矢張りツキタチからは何も返って来なかった。

「器の、状態でも悪ったのか?」

 サクは暫し思案するが、何も答えは出ない。考えても解らぬことは考えても仕方あるまい。サクは思考を止めた。 ひとしきり泣いた桜華姐さんはすっきりとしたのか、にこりと笑った。

「厭だわ、もう。弟の前で取り乱すなんて。お化粧直さなくちゃ。鴉、手伝ってちょうだい」

 笑おうと努めていることをサクは理解していた。然し何の権力も財力も有さぬ幼兒こどもに彼女を救うことは出来ない。サクはツキタチの肩を叩き、「ほら」と促した。

 ツキタチの化粧を施した桜華姐さんは、身請け先のお大臣もいる大部屋行った。楓の葉のような鮮やかな黄の着物の中にひとつ、真っ赤な紅葉が揚々と葉を広げているようであった。舞鶴姐さんも複雑な面持ちをしていた。

 

「……ツキタチ」

 サクは視界から視線を逸らさぬツキタチに聲を掛けた。相変わらずの貌をしているが、まるでサクと目を合わせぬようにしているようにも思えるのだ。サクにとって、桜華姐さんは器の姉でしかないが、器としての記憶しかないツキタチにとっては本当の姉のような存在だったのかもしれない。何となしにサクはそう思ったが、何と言ってやるべきなのか言葉が思いつかなかった。否。

 

「ねえ、サク」

 

 ぽつり、とツキタチが言葉を落とした。サクは目を瞬かせ、「なんだ?」と返す。ツキタチは暫し口を噤み――再び口を開いた。

「このは何と言うのだろう。器の状態はサクにも伝わるんだろう。サクはこのをなんと呼ぶの?」

「は……感覚?」

「うん。。ちくちくして、苦しくてたまらないんだ。」

 ツキタチは器ではなく、ツキタチ自身の胸に手を当てた。サクには彼が何を指しているのかまったく理解できないでいた。そのちくちくとした感覚、とやらがサクには感じ取れないのだ。器の調子は特に悪くないように感じられるのだ。


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