人魚を看取ること

 人魚を穏やかに看取ったのは初めてだ。

 学のある友人が結婚することになった。相手の娘は姉を亡くしているが遠くないうちに式をするそうだ。娘の姉は人魚に食われたということで遺体がでていない。葬式ができないから喪中ではない、改めて考えると不思議なことだった。

 人魚釣りとしてぜひ出席してくれと友人に乞われた。おれのうちは親父の代で人魚釣りを廃業している。友人が知らぬはずもない。引っかかる言い回しに尋ねれば困った客が来るだろうから相手をしてほしいのだと言う。ますます分からないが、おいおい説明されるだろう。

 灯台の下の崖から海を見る。

 この先、友人の家を尋ねることは減る。結婚して本格的に家を継げば忙しくなるに決まってる。そうやって疎遠になった友人たちを思い出す。顔を出せば迎えてくれるが、おれのほうが気が引けるのだ。

 おれは結婚する気もない。誰かを養うほどの甲斐性もなければ好んで人魚釣りのうちに嫁に来るやつもいない。

 それもあってだろう。遠方の海のことをずっと考えてる。人魚釣りとして船に乗って遠くへ行き、帰ってくる。時間が経てば経つほど魅力的に思えた。

 水平線を眺めて、足元の海を見る。浜辺になにかが漂着していた。気になってそちらへ向かう。

 浜辺に打ち上がっていたのはずたぼろの人魚だった。

 下半身の魚部分がふつうの人魚の倍はある。白銀色の鱗には背中側に黒い斑点があり、赤い背ビレがとぎれることなく尾ビレまで続いていた。片方の耳ビレからはこれまた長い赤い筋がでていた。初めて見る人魚だが、人魚絵図の後ろのほうには載っていた。ニシンの王の人魚である。

 ニシンとは北の海に住むという魚だ。ニシンの王の人魚は古い人魚絵図では名前不明あるいはタチウオと書かれている。ニシンの王という呼び方は北の方の人魚釣りに聞いて名前を教えてもらったらしい。

 以前は整っていたのだろう鱗はところどころ剥げ、腰ビレはふぞろいだ。耳ビレは片方ちぎれている。身はあちこちに食べられた跡がある。これはもう助からない。

 おれの気配を察したのだろう、ニシンの王の人魚は手を動かした。震える手先は弱々しい。いつか近所に住む老人が亡くなる前こんな感じだった。妙に人間らしくて困る。

 おい、声をかければ人魚は顔を僅かに動かした。

「死ぬのか」

 ニシンの王の人魚はゆっくりと瞬きをして頷いた。けほ、と水を吐く。エラがうまく動かないのだろう。苦しそうだった。

「キョウチクトウの人魚の花はいるか」

 自分でもどうしてそんなことを聞いたのか分からない。胸から下げたお守りの中には猛毒であるキョウチクトウの人魚の花弁が入っている。残り二枚となったうちの一枚である。

 ニシンの王の人魚は頷いたように見えた。おれに伸ばす手が弱々しい。

 食べないいきものを殺すのは信条に反するが、獰猛で狡猾で手に追えないはずの人魚が衰弱しているところを見たくはなかった。しおらしくて調子が狂う。

 お守りからキョウチクトウの人魚の花弁を取り出す。苦しみからわずかに身をよじるニシンの王の人魚の口元に花弁を近づけると、人魚はぱかりと口を開けた。口の中に花弁を押し込む。指を入れたというのに噛まれることもない。

 時間をかけて花弁を飲み込んだニシンの王の人魚は痙攣して動かなくなった。おれはなんとなくニシンの王の人魚のまぶたを閉じる。

 埋めなくては、そう考えて思い直した。陸のいきものが陸へ帰るのなら海のいきものが帰るのは海だ。小舟を取りに戻ってニシンの王の人魚を乗せた。沖でニシンの王の人魚を海に還す。沈んでいく人魚の尾ビレが動くことはなかった。

 ニシンの王はリュウグウノツカイとして内陸に紹介されている。最近友人に聞いた雑学を思い出す。内陸のやつらが夢見る竜宮というおとぎ話の使い。バカバカしいと思っていた名前がいまは妙に感傷的に聞こえた。

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