変わっていくこと

 人魚釣りとして遠くへ行く船に乗る。

 おれは内陸へ移り住みたくはないし、ずっとこの海辺にいるのだと思っていた。そこへ突然やってきた選択肢が妙に気にかかっている。

 おれのうちは親父の代で人魚釣りを廃業した。おれはただの釣り人だが子供の頃手伝っていたから人魚釣りの知識はある。望まれて留まって、好んで住んでいる。でもこの頃釣りをしていると遠くの海を夢想することがある。おかしな話だ。

 今日は海が荒れていて釣りはできない。どうにも落ち着かないので学のある友人に相談しようと昼頃に家を出た。

 友人の家の裏口からあがりこむ。妙に慌ただしい。友人の家の使用人がちらちらとこちらを見る。面と向かってなにも言わないのはいまは温厚になった友人がなにかしら釘を差しているのだろう。使用人の中でも馴染み婆さんをに探したが見当たらない。

 友人の顔だけ見て帰ろうかとした矢先だ。廊下で客人と鉢合わせてしまった。すぐ退散しようとしたが引き止められる。先日人魚釣りの仕事で出会った男だ。

 湾の内側の海辺に住む男は娘の見合いに来たのだと言った。娘の顔を思い出して少し身震いする。人魚に食われたという姉の仇をとった娘は大人しさの中に恐ろしさを秘めた女だった。

 それにしても大変間が悪い。友人が見合いの席にいるとは知らずに遊びに来たことを告げ、とにかく謝って帰ろうとした。男はしげしげとこちらを見る。なにか思いついたようだった。

 時間があるのでしたらどうか、と懇願される。理由もわからず頷いてしまって見合いの席に連れてかれた。友人の家のものが驚いた顔をして居心地が悪い。友人はどこか面白がる顔をして、娘はぺこりと頭を下げた。

「若い二人だけでは緊張するかもしれませんから」

 友人は結婚を面倒がっていた。娘は物静かだ。おれは一応どちらとも面識があるから場のつなぎとして使われたらしい。男とその嫁、友人の家のものが部屋から出ていく。娘と友人、ふたりの前に残されて思わず黙ってしまった。おれは話がうまくないのだ。

 知り合いだったのか、友人が白々しく聞く。先日の娘の復讐譚は名前こそ伏せたが洗いざらい話してしまっている。話に出てきた女と、いま同じ部屋にいる娘が同一人物だと察しているはずだ。

 後ろめたくて視線をさまよわせていると娘もなにか察したらしい。

「姉のこと、話されたんですね」

 うめくように返事をする。おれがほとんどなにも喋らなくても話が伝わる空間が怖い。悪かったと告げれば娘は肩をすくめる。

 娘が友人を見る。相変わらず感情が読めない。

「断られます?」

 豪胆な切り口である。どうも結論から先に喋っているらしく、簡潔すぎるのだ。友人は声をたてて笑う。

「まさか。受けるよ」

 おれは友人を見る。あれほど渋っていた結婚をあっさりと承諾するなんて思いもよらなかった。

「それだけ肝が座っていると助かるしね」

 はあ、娘はあっさりと承諾した。

 帰り際に友人のうちの使用人の婆さんがえらく喜んで野菜やら獣肉をくれた。野菜と獣肉を抱えて遠回りをして帰る。

 変わらないと思っていた日常が変わっていく。荒れた海を眺めて考える。遠方の海にはどんな魚がいて、どんな人魚がいるのか。航路とはどんなものなのか。

 浜に人魚があがってくる。おれは自分のことでいっぱいでまともに視界に入れなかった。

 人魚がいることだけはちゃんと分かっていたから、ため息をついて家に帰る。野菜と獣肉は置き忘れた。夕方改めて取りに戻ったらどちらも食い荒らされていた。使用人の婆さんには悪いことした。

 野菜と獣肉のあった場所には濃い緑色の細い葉が落ちている。一目でキョウチクトウの人魚のものだと分かった。少し前までおれを困らせていた元凶に全然気が付かなかった。

 遠方の海への思いは案外深いらしい。

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