内陸の男たちに人魚について教えること

 この三人に人魚の知識を叩き込んで欲しい。

 昼前に実業家からの手紙を携えて男たちがやってきた。いずれも体格のいいやつらである。

 おれのうちは親父の代まで人魚釣りをしていた。おれも子供の頃手伝っていたので人魚にはそこそこ詳しい。だが教えるとなればまた別である。口が上手くないのだ。

 実業家は集落の相談役にも話を通していて、三人はそこで寝泊まりをすることになっていた。やってきた三人の話を聞いて実業家の段取りの良さにいっそ呆れる。

 実業家は海路を拓きたいのだと言っていた。そのためには船に人魚の専門家が必要だ。ひとをやるから育てて欲しいとは聞いていたが、三人の出身を聞けばいずれも内陸だった。不安が募る。

「絶対に人魚の目は見るな。顔も見るな」

 最低限必要なことをまず伝えて、おれは竿と桶を手に釣りにでかける。三人は互いに顔を見合わせてついてきた。

 磯を歩く三人はへっぴり腰で、とてもじゃないが人魚の話どころではない。

 座って糸をたれて、話が下手だからなにを聞きたいか言えと伝える。三人は困ったようにひそひそと相談を始め、黙ってしまった。なんとも言えない空気に仕方なく声を出す。

「人魚を見たことは」

 ない、と二人が言った。残るひとりは内陸の公園で見たことがあるとなぜか自慢げだった。

「美しい方々でした」

 見たことがないと言った二人は羨ましそうにあれこれ聞いている。おれはげんなりとした。内陸の公園に住むアサガオの人魚たちはおれも見たことがある。観賞用だと言うアサガオの人魚たちは牙も爪もなまっていてとても同じいきものとは思えない。

 あれは違うとぼやけば、人魚を見たことがあると言った男が眉をしかめる。面白くないのだろう。

「人魚は気性が荒く、ずる賢く、強い」

 爺さんや婆さん、親父に聞かされた言葉が自然と口をつく。

「人の言葉が分かるし目を見れば破滅する」

 海辺のやつらなら子供でも知っている話だ。三人の男達はそれぞれに微妙な反応をする。どうもおれの言葉を疑っているらしい。言い募ることも浮かばないので浮きに目をやる。魚はかからない。

 お言葉ですがと一人が口を開く。

「獣人も鳥人も大討伐でいなくなりました」

 内陸では大昔に獣人や鳥人を追い払うための大討伐が行われたと学校で習った。獣人も鳥人も追いやられはしたものの、いなくなってはいない。鳥人打ちの姿を思い浮かべた。鳥人打ちは現役で鳥人を撃っている。そんなことも知らず男は誇らしげに続ける。

「人魚なぞなにを恐れることがありましょう」

 おれはもうなにも言いたくなくなってきた。ここしばらくで人魚のやつにどれだけ振り回されたかをつらつらと喋る気も起きない。それでも頼まれたからにはなんとかしなくてはいけない。

「海はどうだ」

 は、と訝しげに男たちが返事をする。海をどう思う、言い直せば不思議そうに答える。

 広い、青い、向こうにもひとが住むと思うと胸が弾む、美しい、風がべたつく、潮騒が思いの外うるさい。そこには恐れなどなかった。アサガオの人魚を見るような認識の差にやはりため息がこぼれる。

 おれには荷が重すぎた。

 釣り竿を上げて帰る準備をする。実業家に手紙を書く必要があった。これは、無理だ。

 ふと視界の端に赤いものが映った。立ち上がって確認する。白い腕が磯べりに張り付いていて、上半身がちょうど上陸するところだった。やや白く不透明な腰ビレを根本から脈のごとく枝分かれした暗い赤色のすじが支えている。テングサの人魚だ。

 おれにつられのか、三人が人魚を見ようとする。

「美しい」

 一番近くにいた男が思わずと言ったふうに呟いた。顔を見たのだ。素早く桶を離し手のひらで男の頬を打つ。音に驚いたのか残りの二人はこちらを見る。二人はまだ正気のようである。

「逃げるぞ」

 戸惑う三人に指示を飛ばす。人魚を警戒しながら桶を拾い、最後尾で放心した男の背を押す。目を見ていたら終いだ。おっかなびっくり歩く三人が磯を抜けたので、おれはそいつらをそのまま集落の相談役のところへ預けに行く。

 わけがわかりません、説明してください。乞われて答える。人魚釣りは世間で大罪とされる。おれは人魚を釣る気はないし、食わないものを殺す趣味もない。

「なぜそいつの頬を打ったのです」

「人魚の顔を見ただろう」

 それがなんだ、なぜだと先を行く二人の男たちが憤慨する。もう喋りたくない。

 集落の相談役はおれの顔を見てなにかを察したらしい。三人を預かってくれた。おれはひとり家に帰って白い紙に向かう。海を恐れぬものに人魚は無理だ。そんなことを書いたと思う。

 祖母は人魚に魅入られたやつに逆恨みで殺された。祖父は人魚と相討ちになった。親父が人魚釣りを廃業しておれは安心した。家族を失わなくて済むのだと。

 翌朝、集落の相談役のところに行って三人に実業家への手紙を渡した。向いてないのだと言えば三人はなんとか納得したらしい。内陸へ帰る準備をはじめた。

 帰り路を歩いていると、三人のうち一人が走って追いかけてきた。昨日頬を打った相手だった。アサガオの人魚を見たと言ったやつでもある。

 ありがとうございました。予想外の言葉に驚く。男の視線はうろうろとさまよい、手が少し震えていた。

 ぞっとするほど美しかったのですと男がこぼす。今も震えが止まらない、死んでしまうかと思ったと。

「恥ずかしい限りです」

 小声で付け加えられて首を横に振った。

「お前は向いてるかもな」

 おれの言葉に男は訝しげな顔をする。船に乗って人魚を蹴散らすものをなんと呼ぶか知らないが、恐れがあるならやっていけるだろう。

 後日、実業家から手紙が届いた。

 君に船に乗って欲しい。おれを責める言葉も迷いもなく書かれた言葉に察した。最初からそういう筋書きだったのだろう。段取りの良さにやはり呆れてしまった。

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