人魚溜まりを見に行くこと
人魚を見に行く。書き置きを見てため息が出た。
祭りも無事に終わり、カクレクマノミの人魚の親子に餌をやるのもやめた。禁足地である小島に戻ってもいいと言ってはおいた。人魚は人間の言葉がわかっているだろう。戻ったのか温かい海に旅立ったのかは知らないが神主から苦情は来ていない。
つい習慣で魚を釣りすぎて学のある友人の家に売りにいく。使用人の婆さんがでてきて魚を検分したあと、坊っちゃんに会っていかないかと相談された。祭りの取り仕切り以来機嫌が悪いのだという。馴染みの婆さんが弱っているので友人の部屋にお邪魔する。友人は留守で書き置きがあった。
人魚を見に行く。おそらく本気だろう。
書き置きを婆さんに見せればうろたえるのが手に取るように分かる。人魚というのは獰猛で危険な生き物である。目を見てしまえば破滅する。書き置きを握りつぶして、婆さんに散歩に出ているらしいから探してみると告げ友人の家を後にした。
釣り竿と桶を手に海へ向かう。どこにいるのかは察しがついていた。人魚溜まりだろう。
人魚溜まりは名前の通り人魚がよく集まる。鱗干しをするために岩場に上がりくつろいでるらしい。まだおれのうちが人魚釣りをしていた頃に親父から教えてもらったが、人魚溜まりでは人魚を釣らないようにしているらしい。
穴場で人魚を釣らないのはおかしな話である。当然幼いおれも疑問に思った。あそこで人魚に手を出すと人魚たちは他の場所に移ってしまうから危ないそうだ。人魚が休む場所を変えればうっかり出会うやつが増える。死人が増えてしまっては元も子もないのだ。
友人に人魚溜まりを教えたのはおれだった。
まだ幼い頃、友人はいまより扱いづらいやつだった。口は達者で思い通りにいかないとヘソを曲げる。気の強さを隠しもしなかった。人魚釣りの子供なんぞと遊ぶなんてと大人に苦言を呈されたときなんぞひどく怒った。友人思いだとか美談になっているが、あれは自分の邪魔をされたのが気に食わないだけだ。
どうして教えたのかは覚えていない。当時から物知りだった友人の知らないことを知っている、たぶんそれが嬉しかったのだろう。
人魚溜まりの見える崖に友人は立っていた。人魚溜まりには人魚がいない。
「つまらん」
憮然とした友人の横に座る。婆さんが心配していたことは伝えておいた。
人魚がいなくてよかった。友人は将来を約束されたやつである。目の前で人魚を殺して恨まれるのはまあ別にいいが、死なれるのは困る。
遠く鳥が魚を捕るのを眺める。釣りをするときの心持ちでぼうっとする。
ぽつりぽつりと友人が話しをするのを聞く。祭りの準備からずっとつまらないことばかりで飽きていたらしい。いざこざの仲裁だ落とし所の調整だ顔を立てるだ知らないことばかりである。
「禁足地に人魚が出ていたんだろう」
ああ、と返事をする。どうも聞かされていなかったらしい。友人は珍しいものが好きである。親子の人魚に餌をやって禁足地から離れてもらった話をする。舌打ちが聞こえた。
子供の頃にこの場所を教えたとき、人魚に会いに行くやつがいるとは思わなかった。友人は喜んででかけ、いつまでも帰ってこないものだから捜索隊がでた。無事に見つかった友人は人魚が見られなかったと不貞腐れ、おれは親父に殴られた。損な話である。
夕日が落ちる。友人は黙って海に背を向けて帰る素振りを見せた。人魚溜まりを眺めれば一匹の人魚がよじ登っているところだった。遠目にも濃い桃色の花と緑の背びれが分かる。キョウチクトウの人魚である。
人魚に気がついていないのだろう。帰り路をゆく友人がおれの名前を呼ぶ。遅れて返事をして、振り返り振り返り家路についた。
夕焼け色に染まったキョウチクトウの人魚の姿が瞼の裏に焼き付いて離れない。海が遠くて助かった。ひとりだったら、まっすぐ食われに行っていたかもしれない。
この頃のおのれのろくでもなさにはほとほとため息がでる。
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