禁足地から人魚を退かすこと
神主から人魚を退かして欲しいと依頼が来た。
おれのうちは親父の代まで人魚釣りをしていたので豊漁を司る神社には縁がない。ひとを食う人魚が豊漁では困るのだ。
集落の相談役づてに頼まれて社務所を訪れる。今の時期は祭りの前で忙しいだろうに神主自ら迎えてくれた。
神主なぞ顔も見るのも珍しい。馴染みのない老人は白い髪を几帳面に撫でつけている。襟もぴしりと整っているのに、心底困ったという風に背が丸まっていた。
「禁足地に人魚が住み着いてしまった」
禁足地とは神社の社がある小島のことだ。年に二回の祭りのときだけひとが入ることが許される。おれは祭りにも参加しないものだから行ったことがない。はあ、と相槌を打つ。
そもうちの神社の縁起として、と神主がつらつらと話し始める。要約すると海難避けも司るのに禁足地に人魚がいるのは体裁が悪い。特に祭の日には小島にひとが来るから危ない。かといって禁足地、つまり小島での殺生はご法度である。
長い話を聞いて途方に暮れた。人魚は獰猛で狡猾でひとを恐れない。釣るのも命がけである。それを殺さないように手加減しながらどうにかしろとは難題だった。
無理だと言うのは簡単だ。ただ祭の日には世話になってる集落のやつらも小島に行く。おれが海辺でひとり気ままに暮らしているのは彼らからの頼みでありまたお陰でもある。断る筋はもともと存在しない。
禁足地である小島への出入りの許可をもらった。何度も行くのはと渋られたが、一度追い払っただけでは帰ってくると告げる。神主は手のひらを返して祭りの前日までは様子を見てほしいと頼んでくる。よほど参っているのだろう、額に手を当ててうつむいてしまった。
さっさと帰って小舟の準備をする。海に出ることにも人魚と相対することにも恐れはある。それ以上に禁足地である小島に興味があった。
爺さんが生きていた頃、遠くの祭囃子を聞きながら駄々をこねたことがある。友はみな小島へゆく。お囃子を演奏するのだ、舞を披露するのだ、ご馳走がでるのだ、遅くまで起きていられるのだ。聞く話はどれも羨ましかった。どうして祭りに行けないのか爺さんに詰め寄った。
「人魚釣りは必用だが望まれてはいない」
しょうがない、爺さんは言った。
人魚釣りは半分人の形をしたものを釣り、解体し、食べる。鱗も肉も骨も珍しいので懐は温まるが危険な職だ。幼いおれにとっては自慢だったが、いまなら爺さんの言ったしょうがないが分かる。しょうのない話である。
禁足地である小島の浜に小舟をつける。手銛も持っては来たが、傷つけて逆上されては危ない。まずは敵情視察である。
沖側の磯に人魚がいた。
橙と白の大きな縞模様の小さめの人魚だった。ヒレは大きくなくこれといった特徴もない。南から流れてくるカクレクマノミという魚に似ている。茂みから眺めているとカクレクマノミの人魚の足元でなにかが動いた。人魚の幼獣である。よく見かける鉱石人魚よりさらに幼い。
親子の人魚を力づくでどかすのは無理だ。親はひどく抵抗するだろうし、幼獣といえど人魚である。二匹相手の立ち回りなど敗色が濃い。ため息をつく。
「おい」
茂みから顔を出してカクレクマノミの人魚に声をかける。人魚はひとの言葉が分かる。前に鉱石人魚で使った手をまた使うことになった。
幼獣をかばって臨戦態勢になる親人魚には近づかない。手銛も置いて話を続ける。
「おれは人魚を殺しに来たが、すごく面倒になった」
われながら言い分が拙い。カクレクマノミの人魚は訝しげな顔をした。続けてこの島にいる人魚は問答無用で殺してよいのだと嘘をつく。おれが猛毒であるキョウチクトウの人魚の花弁を持っていることも明かす。
「お前は温かい海の人魚だろう」
カクレクマノミは南から流れて来る魚だ。冬を越せずに大概死ぬ。カクレクマノミの人魚にも冬は辛いはずだ。まだここに留まっているのはひとえに幼獣がいるからだろう。
「取引だ。岬の岩場に住処を移せば魚をやる」
言うだけ言ってその日は帰った。
翌日は朝から岬の岩場で釣りをする。鉱石人魚は来たがカクレクマノミの人魚の親子は来なかった。釣った魚を岩場に積み上げて、その足で禁足地である小島に向かう。
カクレクマノミの人魚の親子はまだそこにいた。親人魚は警戒しているものの人間なぞ敵ではないという風格がある。大概の人魚は人間を恐れない。おれは遠くから声をかける。
「岬の岩場に魚を盛った」
不審そうに人魚が聞きヒレを立てる。
「明日までに住処を移せばお前たちのものだ」
翌朝、岩場の魚を見に行くと鉱石人魚が転がっていた。その腹の上にカクレクマノミの人魚の幼獣がもたれかかっている。親人魚は鱗干しをしているようだ。
人魚たちから距離を置いて釣りをする。釣った端から魚を人魚どもに投げる。なぜか鉱石人魚まで混ざって魚をむさぼり食っている。釣りながら独り言のように話す。
「ここから先は海も冷える。早く南へ行ってしまえ」
釣りを終えたら飯を食って禁足地である小島を覗く。人魚たちはいない。
朝から岩場で人魚に餌をやり、夕方には禁足地である小島を見回る。これを何日も繰り返している。
のんびりと島を巡ればなんてことはないただの森だ。道もほとんど整備されていない。浜の近くの鳥居をくぐるのはためらわれたので手前から向こうの社を見る。木造の小さな社だった。
羨ましかったものは想像よりも平凡であった。しょうがないと言っていた横顔を思い出し、爺さんの墓へ報告に行こうと思った。
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