物書きの書いた人魚のこと

 物書きから表紙に人魚の描かれた本が送られてきた。

 箱には本の他に物書きの手紙、うちの親父と妹からの手紙と乾物が入っていた。一通り手紙を読む。物書きは親父たちが住む家にまだ出入りしているそうだ。先日親父に実業家を紹介したのも物書きだという。礼と借りができた旨が記されている。

 おれは本なぞ読まない。今回は妹にも本が渡されたらしく、いらない本のやる先がなくなってしまった。

 手紙の返事を書かなければいけないが面倒でいますぐにはやりたくない。放っておいて釣りをするにも今日は海が荒れている。どうするか悩んで学のある友人を訪ねることにした。酒のつまみと本を手に家を出る。

 友人のところに着くとちょうど客が帰ったところだった。

 ぐったりとした友人は大層機嫌が悪い。無言で盃を煽る。そういえば祭りの季節だった。年に二回、豊漁の祈願と礼をする祭りがある。その祭りに人魚釣りの家は関わらない。人魚が豊漁では困るのだ。おれのうちは親父の代で人魚釣りを廃業にしたが、慣例で祭りには関わらないようにしている。

 一方友人はと言えばあちこち調整で忙しい。日取りからその年の役割分担から段取りから全部の話が回ってくる。当然不満やら衝突やらも起きるので、まあそこをなんとかと宥めてうまく回すのが役割である。損なものだと昔ぼやいていた。

「面白い話はないか」

 持ってきた本を見せたところ、読んだと一言で切り捨てられた。

 そこで先日川に人魚を釣りに行った話をする。鳥人打ちなぞこの辺りでは珍しいからか話に食いついてきた。おれは話が上手くはない。友人にあれこれ質問をされながら、人魚がずどんと撃たれたところまでいく。ほお、と友人から感嘆の息が漏れた。

「陸の狩りは火縄銃を使うと聞いてはいたが」

 人魚も撃てば死ぬのだね、興味深そうに頷く。そのまま講釈のような独り言を聞く。内陸では昔に獣人や鳥人を追いやるための大討伐をしたが、そのときも火縄銃を使っていたそうだ。海辺では長期の保管で火薬が湿気るから重用されていない。火縄銃の扱いには癖があって弓よりも連射が遅いそうだ。必然的に鳥人打ちは一撃必殺を求められる。

「人魚は陸では遅いが、獣人も鳥人も素早いだろう」

 火縄銃の玉はなにより速いからね。酒で口が回っているのだろう、友人は雄弁だった。おれは黙って聞いている。どうも機嫌が直ってきたらしかった。

「その本は読んだかい?」

 物書きの書いた本を指して友人が聞く。いや、短く答えて改めて表紙を見る。ヒレの大きな人魚が横を向いている。女の形をした上半身にはヒビのような線が入っていて奇妙だった。

 君は読まないだろうからと前置きをして友人があらすじを語る。

 大祖父の遺産として観賞用の人魚を受け継いだ男の話だ。座敷にあつらえられた水槽では人魚が遠くを見ている。人魚の肌には金色の線があるが、これは嘘か真か異国の技で骨やら管やらを継いで肉を縫って金色の薬で塗り込めた跡だという。世話係の話を聞きながら男は人魚を見る。ヒレも腰のくびれも背骨も腕の細さも胸周りも指も美しい。しかし人魚の鼻の形だけが引っかかる。受け継いだ人魚をどうするか考えながら過ごすが、あるとき口うるさい恋人の横顔が完璧だと気がつく。特に鼻の筋の形が美しい。そうだ、顔をすげ替えればいいのだ。そこで話は終わる。

「よくわからん」

 そうだろうね、友人は微笑んだ。妹の話によると物書きは確か冒険活劇のようなものを書いていた気がする。聞けばなんでも書いてるそうだ。

「あれは海を恐れていてね」

 それは知っていた。海には近づかないしあからさまに喋らなくなる。続けて友人は物書きのはなしをする。

 子供の頃に姉のように慕っていたひとが崖から足を踏み外して死んだらしい。その際に微笑んでいたのがずっと引っ掛かっている。聞いてすぐに人魚だと思った。違った。

「痴情のもつれだよ」

 姉のような女は物書きの父親と不義の関係だった。しかしそれではいけないと物書きの父親は別れ話を突きつけた。その翌日に女は崖から足を踏み外した。物書きと物書きの父親の目の前で、だ。

「よくわからん」

 だろうね、やっぱり友人は笑った。

 家に帰ってガラスの器を見やる。キョウチクトウの人魚の花弁が一枚漂っていた。座敷で飼われるという物語の人魚がちらつく。キョウチクトウの人魚が飼われることはない。確信して安心した。

 おれがあの人魚に抱えている感情はなんなのだろう。

 ふいに浮かんだ答えられないことを打ち捨てて、酒が気持ちいいうちにさっさと寝た。

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