人魚の幽霊がでるとのこと

 人魚の幽霊が出ると近隣の集落から相談が来た。

 おれのうちは親父の代まで人魚釣りを生業にしていたが人魚の幽霊とは聞いたことがない。そもそも人魚が恨む祟るなんぞ信じられない。坊主の領分じゃないかと思うものの近所付き合いは無碍にできない。とりあえず話を聞いてみることにした。

「祖母の遺品に人魚の鱗でできた数珠があったんです」

 疲れた顔をした女はぼそぼそと話し始めた。

 黒く艶のある数珠玉は女の祖母にとって宝物だったそうだ。いまの世の中では人魚を素材としてみることは大悪だが、女の祖母の代では手の届かない贅沢品である。話を聞くに鉱石人魚の鱗を削って作ったものだろう。鉱石人魚自体が滅多に捕れないものだからその鱗をふんだんに使った数珠の当時の価値など計り知れない。

 遺品を片付けていた女も捨てるのを躊躇ったらしい。が、結局持っていても後ろめたさが勝るので海に返したという。

「その日から、人魚の幽霊を見るんです」

 さてここからが本題らしい。

 海を眺めているとうっすらと人魚の姿が見える。形ははっきりとしないがこの辺りでは見たことのない美人で、下半身までは見えたことがない。そして決まって向こうの海が透けて見える。

 たどたどしく紡がれる話を総合すると人間の幽霊でもおかしくはない。やはり坊主の領分だろうが一度海を見ることにする。

 女と並んで海を見る。寄せて返す波音が気持ちいい。近所のじいさんが魚を干しながら女に声をかけている。よかったねえ人魚釣りの兄ちゃんに来てもらって、うん、などと話すのをなんともなしに聞く。坊主を呼べとは言い難い。穏やかな日差しの中で沖合を眺める。

 ひっ、と女が息を呑んだ。

 指の先にはゆらゆらと女の形をした半透明の人魚がいた。

「ああ、海月人魚」

 沖合によく流れているほとんど無害な人魚のことを忘れていた。ミズクラゲによくにた性質のこの人魚は解体したところでほとんど水である。泳いでいるところなど探すのも大変なほどだ。

 海月人魚の話をすると女は目を丸くして瞬きを繰り返す。

「人魚の幽霊じゃあないんですか」

 そもそもおれは人魚の幽霊など初めて聞いたとようやく伝えることができた。人魚の鱗を海に返してやったのに化けて出るのは筋違いだという感想も付けたところ、女は長く息を吐いた。よっぽど怯えていたのだろう。つい余計なことも口から転がり出る。

「化けて出るならおれの家だろう」

 この辺り一帯の人魚を釣ったのはおれの祖先である。解体したのも売りさばいたのもおれの家の仕事だったはずだ。

「怖くないんですか」

 考える間もなく頷いた。

 獲物に恨まれるなら仕方ないとは思う。魚でも人魚でも同じことだ。勝手を言うと人魚は恨まない気がする。恨む気力を残すぐらいなら暴れて闘ってなんとしてでも生き残ろうと粘る。ずる賢いし厄介だが生きることに全力である。だからこそ、妙にひとを惹きつけるのだ。

 海月人魚は害がないからと干物を作ってるじいさんにも伝えて家に帰る。ガラスの器の中にはキョウチクトウの人魚の花弁が二枚揺れていた。害のある花をまだ手放せないでいる。

 翌日、磯で釣りをしていると馴染みになってしまった薄水色の鉱石人魚が餌をねだりに来た。少し見ないうちに細くなっていたのでマアジを二匹やった。潮溜まりに転がってマアジを食べる鉱石人魚を見て、人魚のことを買いかぶったかもしれんと反省した。

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