内陸へ出かけること(後)

 物書きが毎日やってくる。

 朝から晩まで喋り通す物書きと妹を眺めながら学のある友人の頼み事を片付けていく。やれあの話はよかった、このごろ流行りの甘味はとピーチクパーチク話す姿はまるで兄妹のようである。

 先日、公園に人気がなかったのは怪我をした鳥人が落ちてきたからだそうだ。矢を射られたのか飛べなくなって恨み言を振りまいていたらしい。鳥人はひとの声を真似て鳴くからさすがに怖かったのだろうと物書きは言っていた。あれだけ流暢に喋る異形を見ても街のやつらは異形がひとの言葉を解するとは信じられないようで呆れた。

「異形といえば先生の新作、主人公の女の子が」

 妹は流れるように次の話へ持っていった。主人公が格好良くて不器用で素敵だとまくしたてるのを聞き流す。寡黙で仕事人といった評価を聞いていて母の姿しか思い浮かばない。物書きは手放しで喜ぶでもなく目を泳がせている。主人公は何事も卒なくこなすが因縁ある異形の前では少しばかり弱さを見せる、そこがまたいいのだと妹が立て板に水のごとく語っていた。物書きはぷるぷると震え、そこまで好いてくれるとはありがたいと感謝の意を示していた。

 内陸で過ごすのは疲れる。目まぐるしいし、やかましいし、なにより海がない。友人の用事も大概片付けたし妹が女学校へ行っている隙に帰る準備を進める。

 そこそこに暑い日だった。

 物書きが神妙な顔をして頼みがある、ひとに会って欲しいと言い出した。改まった雰囲気に何者かと問えば学び舎で世話になった学者だと言う。眉間にしわが寄るのが分かる。物書きが珍しく深々と頭を下げたので仕方なく同行することにした。妹の相手をしてもらった恩も精算しておきたかった。

 物書きの学び舎は広く、澄ました顔をしたやつらがそこらかしこにいた。日陰を伝って古い建物に入る。カビようなの匂いがするが薄暗くて涼しい。さほど広くは見えない部屋一面にガラス張りの展示箱があった。骨、ヒレ、鱗、羽、毛皮、爪、異形たちの墓場だ。入り口から見て一番奥に人魚の骨が飾ってあった。人魚のどこをどう刃物を通してバラすのか、息をするのと同じくらい身になじんだ技を意識する。祈り言葉が口から溢れた。

「君、それは海の言葉ですか」

 穏やかな声がした。つられて奥の部屋を覗く。白髪のしゃきりとした老人が机から顔を上げてこちらを見返している。

 人魚釣りの祈り言葉だと返せば老人は眼鏡に手をやって目を細めた。おれは色付き眼鏡を外さなくてはという気になった。色付き眼鏡を外すと老人は息を呑んで頭を深々と下げた。物書きとよく似た仕草だった。

 老人は異形の研究を重ねてきた学者だという。学者は苦手だと正直に打ち明ければそうでしょうと静かに頷く。ぽつりぽつりと言葉を交わす。己の研究分野がねじ曲がって伝わり申し訳ないと老人は頭を下げた。話してみて老人は異形へおそれを持っていると感じたし、おれには理解できないが小さな背中に背負いきれない苦悩を抱えていると知った。

「知恵ある獣を扱いかねているのでしょう」

 内陸のやつらにとって異形はひとよりも低俗でなくてはならない、そうでなければ許せないのだと聞く。おれにはひとつもぴんとこない話だ。

 なんとなく昨日見たアサガオの人魚を思い出した。毒もひとを傷つける意志も持たなそうな呑気な群れ。あれは人魚かと聞いてみる。野生の人魚を何代もかけて無害にした鑑賞用だと答えが返った。なるほど内陸のやつらにとって異形はああであって欲しいのか。老人は深く頷いた。

「おれはここでは暮らしていけない」

 ひとが、ひとの姿をしたもの群れのほうがはるかに気持ち悪かった。

 首から下げた布袋を外して老人に渡す。キョウチクトウの人魚の毒こと花弁が入っている。手放す瞬間惜しくなったが弱気はねじ伏せた。ひととおり危険性を伝えると老人は驚いたようにうやうやしく布袋の中身を改め頷いた。

 よろしいのですか、戸惑う声に家族になにかあったら頼むと告げて部屋を出る。なんども深々と頭を下げられるのは落ち着かない。

 父と母に別れを告げ、妹には伝言を残して内陸の街を去る。行きに海のものが入っていた借り物のリュックサックには菓子やら薬やら書物やらが詰まっていた。

 乗合を三回乗り換える頃には海の気配が近くなった。ようやく落ち着いて呼吸ができそうだ。

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