毒が欲しいと訪ねられること
人魚を殺す毒がほしいと男が訪ねてきた。
先日似たような依頼があったことを思い出した。その集落の奴らから聞き出したのだろう。男の目は血走っているし握りしめた拳も震えている。件の毒ことキョウチクトウの人魚の花はガラスの器にまだあるが、なにに使うのかも分からないまま渡せやしない。玄関先でそのまま問答になった。
殺したい人魚がいる、絞り出された声は震えている。怒りだろうか、嘘はなさそうだ。それにしても物騒な話である。はいどうぞと渡すわけにもいかず辛抱強く宥めて男の話を聞き出した。
「恋人が人魚に誑かされたんだ」
男の恋人である幼馴染の女はいつからか素っ気なくなったのだと言う。遠出に誘っても家の用事が忙しいとかわされ続けて疑わしくなって見張っていたところ人魚と密会していたそうだ。
男の恋人は美しいものが好きだという。質素ながらにいつもきれいに見目を整え、着るものを買うときも一番美しいもののために随分粘るらしい。惚気と怨詛のまじった話をぽつりぽつりと男はした。
しかしなにを言われても渡せないものは渡せない。
「生憎素人に扱える毒なぞない。恋人と話せ」
とたんに男の険しい目からぼろりと涙が流れる。人相の崩れた男は仁王立ちのまま泣き続けていて不気味であった。家の前にこのまま居座ってやると地を這う声で脅されて、仕方なく条件をつけた。おれが行くから案内しろと告げると男は太い腕で涙を拭う。
首から下げた布袋には濃い桃色の花弁が一枚入っている。話をつけたその足で男のすむ集落まで供をした。
浜辺の大きな岩へ男の後をついてそろりと寄る。岩陰から先を覗けば人魚と女が遠目にも仲睦まじく並んでいた。
さてなんの人魚かと目を細めて事態の悪さに息を呑んだ。宿借り人魚である。人魚の本体が人間の上半身か魚の下半身かという論争は昔からあるが宿借り人魚だけは明確に分かっている。魚の部分が成長するに従って上半身を乗り換えるのである。形が似ているから人魚と呼んでいるが他のいきものと言ってもいい。
男に冷静に聞くよう前置きをして説明すると、怒りで我を忘れたようで雄叫びを上げて宿借り人魚へと走っていく。慌てて後を追う。
突然の男の乱入に女と人魚が怯んだ。男が宿借り人魚に掴みかかろうと手を伸ばせば宿借り人魚も頑丈な歯と鋭い爪で応戦する。もみくちゃになる男と宿借り人魚を引き離そうと男の腕を掴む。女は宿借り人魚の影に隠れてしまった。その様子を見て男はますます激高し、宿借り人魚の警戒心を煽る。両者一歩も引かず相対していた。
ともかく女に宿借り人魚から離れるよう話しかけようとしたときだ。きらりと鈍い輝きが見えた。金属が閃いて宿借り人魚の腰ビレに吸い込まれる。
耳をつんざくような絶叫を上げのたうつ宿借り人魚を女が包丁で繰り返し刺す。おれはといえば口をあけて見ていることしかできない。男も拳を上げたまま止まってしまった。宿借り人魚が動かなくなるまで惨劇を見守る。
「どうして」
やっとのことでそれだけ言うと、女はにこりと笑った。
「恥ずかしながら肌が荒れて」
人魚の肉は美容にいいと聞くから、女の言い分に寒気がつたう。宿借り人魚は人魚とはまた違うのだと説明すると女は顔をうつむけた。残念と呟く声に反省の色はない。
ようやく動けるようになった男は女の美しさを讃え始めた。ついていけないおれは宿借り人魚の死骸を片付ける。恋人たちは抱擁を交わしおれのことなど忘れたようだ。これ以上彼らにに関わりたくなかったのでそのまま帰った。
後日、あまりにも後味が悪くて学のある友人に意見を求めに行った。難儀だったねと労ってもらい一息つく。
「ところで君は例の本を読んだかな」
読んでないと返せば友人は困ったように微笑んだ。読んでほしいような読んでほしくないような心地だそうだ。訳がわからない。
家に帰って首から下げた布袋の中身をガラスの器に戻す。濃い桃色の花弁が四枚揺れる。女の会った人魚が宿借り人魚でよかった、真っ先に安堵するおれも大概ひとでなしであった。
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