人魚がカニ籠にかかること

 人魚がカニ籠にかかるのだと相談を受けた。

 おれが釣りから帰ってきたところを狙って近所のじいさんがやってきた。人魚が人魚がと要領を得ない話を茶飲みがてら辛抱強く聞いたところ、カニ籠にほとんど毎日人魚がかかるのだという。三日続いて怖くなってカニ籠の位置を変えたところまた同じ人魚がかかる。逃しても逃してもやってくるそうだ。人魚は執念深くて祟るだろう、信心深いらしいじいさんは随分とまいっている。おれのうちは親父の代で人魚釣りを廃業にしたのだが、仕方ないので翌日のカニ籠を引き上げる約束をした。どうもキョウチクトウの人魚ではなさそうだ。

 近所のじいさんの使うカニ籠は蟹ばかりか魚も入る。若いときに特別大きいのを作って上手く行ったのでずっと同じものを使っているそうだ。歳を考えて小さいのにしろと忠告しておいた。腰を壊すとどうにもならない。

 朝日よりも早く起きる。前日に作っておいた握り飯を麦茶で流し込み、手銛を確認した。じいさんの話では放せば逃げていくらしいが人魚を侮ってはいけない。

 窓際のガラスの器に目をやる。塩水の中では濃い桃色の花がゆらゆらと揺れていた。一枚花弁をむしったせいかぽっかりと欠けが目立つ。塩水に手を入れて花弁をまた一枚ちぎり取る。そのまま先日作った布製の小袋にしまって首からかけた。人魚にも効く毒を入れた即席のお守りである。

 カニ籠というにはあまりにも大きい籠を探して手銛を片手に海に潜る。要領を得ない話に付き合ったかいがあってすぐに見つかった。中には人魚が入っている。

 ヒレの大きな人魚だった。尾ビレも胸ビレも耳ビレも大きい。全長は小さく、大人しくカニ籠に収まっている。なにより目を引くのは鱗の色である。鮮やかな水色は見る角度によって色味が変わりきらきらと輝くようだった。鉱石人魚である。

 手銛を持ったまま水面へと上がる。じいさんが鱗がどうのと言っていたのはこのことらしい。

 さて困ったことになった。

 鉱石人魚は呼び名の通り鱗が鉱石のごとく硬い。重い鱗のせいで他の人魚ほど早くは泳げず親離れが遅いと聞いたことがある。あの鉱石人魚はおそらく幼獣で、狩りが下手だからカニ籠に入って飯を横取りしていたのだろう。味をしめるとそのうち定置網も荒らす。被害が増えれば人魚釣りの出番だ。いまのうちに穏便に収めたい。

 とりあえず手銛を置いてカニ籠を引き上げる。手に縄が食い込み鉱石人魚の重みが辛い。じいさんがまいっていたのはこの重さのせいかもしれない。なんとか引き上げると人魚は首を傾げた。じいさんじゃないからだろうか、眉をひそめて警戒の色を見せている。

「おまえ、このままだと海に帰れなくなるぞ」

 カニ籠に入れたまま話しかけると鉱石人魚は怪訝そうな顔をした。

「おまえみたいな人魚は高く売れる。内陸でばらばらにされる」

 そも鉱石人魚は警戒心が強くてめったに見られないものである。ものめずらしさもあって鱗一枚でもいい値がつく。なるべくわかりやすくその辺を人魚に伝えると、ヒレがしゅんと伏せた。

「狩りくらい自分でやれ」

 説教じみてきて自分でも嫌になる。どうして見ず知らずの人魚に道理を説かなければならないんだ、説教など坊主か学者がやればいい。おれはそんな大層な人間でもない。自己嫌悪に入ってしまい、思わず舌が滑った。

「どうしても腹が減ったなら魚を分けてやるからおれを探せ」

 ぱっと人魚が顔を上げる。目を見ないようにおれが下を向いてしまう。人魚相手になにをしてるんだか、視界に入った布袋のせいで眉間のシワは険しくなる。

「ただし楽しようってんならキョウチクトウを食わせる」

 人魚のヒレがぴんと張る。キョウチクトウの人魚のことを知っているのだろうか。考えてを探りたくて顔を見てしまった。幼いにしては複雑な表情だ。困ったようななんともいい難いといった、いや、あれはおれを憐れんでいる。

 馬鹿馬鹿しくなってカニ籠から鉱石人魚を引きずり出して海に投げ込む。じいさんには様子見と、カニ籠を普通のサイズにしろと伝えることにした。

 翌日から鉱石人魚はたまに釣りのときに現れては魚をねだる。やはり人魚は人間の言葉を分かっていやがる。

 学のある友人にぼやいたところ珍しく爆笑していた。嫁取りより先に子育てかとからかわれて、ぶすくれるしかない。

 ガラスの器に残った濃い桃色の花弁は三枚。布袋に一枚。人魚に会う以上、キョウチクトウの毒が手放せそうにない。

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