人魚釣りの依頼が来ること
人魚を釣ってほしいとの依頼が来た。
おれのうちは代々人魚釣りを職としてきた。おれも子供の頃には手伝っていたが後を継ぐ前に親父が人魚釣りを廃業にした。陸の学者やらなにやらが可哀想だと言い出したのが原因だ。いまでも海住まいと陸住まいはこの件でよく揉めるが、おれも親父も正直ほっとした。人魚と関わらなくて生きていけるならそれに越したことはない。
廃業しても素性は知られているので稀にこういう厄介な頼み事が来る。知らないやつの頼みなら断るのだが、さほど遠くない集落の男たちから頭を下げられたのでは仕方ない。釣るだけでいい、その先はこちらで処分するとの条件だ。人魚は売れば金になるが売っても食っても捨てても陸からの批判がうるさい。処分しなくてもいいのならまあ、としぶしぶ引き受けた。
水を張ったガラスの器に沈めた濃い桃色の花を見る。キョウチクトウの人魚の花がゆらゆらと揺れていた。五枚の花弁は一見ただの花だが毒がある。
人魚というのは狡猾で厄介だ。そのうえ人を喰う。
件の人魚は先月岬に流れてきたそうだ。蓄光性があるらしく夜にぼんやり光って見えるのだという。害もなさそうだし見目もよいしと放っておいたところ、若いのがちょっかいを掛けて腕を食いちぎられたらしい。顛末を聞いて呆れた。人魚を舐めすぎている。
古い道具を取り出して人魚釣りの準備をした。竿でも網でも工夫すれば釣れるが今回は銛を使う。離れて暮らす親父たちに話が行く前に片付けてしまいたい。銛とロープの繋ぎなどを一通り手入れをしてから、部屋を見渡して祖母から貰ったお守りを手に取る。ガラスの器から濃い桃色の花弁を一枚ちぎってお守りに突っ込んだ。持っていかなければいけないような気がしたのだ。
小舟を出して岬に着く頃には日が落ちていた。今夜は月が大きい。灯台の灯りもよく見える。大きく息を吸って吐く。覚悟を決めた。
遠くに見える薄明りを追って舟を漕ぐ。薄明りは蛍よりも淡く、黄色とも黄緑ともつかない色をしている。形がわかるくらいまで近寄って銛を手に取る。水中で相対すれば負ける。勝負は一回だ。
構えて投げる。風を切って飛ぶ銛が水面にするりと飛び込む。間もなく金切り声のような絶叫が聞こえた。うまく当たったらしい。
薄明りが水面下でうねるのを銛につけたロープを手繰って寄せる。激高した人魚が小舟に体をぶつけた。ひっくり返らないようにバランスをとりながら小舟にロープをくくりつけると浜を目指してひたすらに櫂を漕ぐ。暴れる人魚を牽引するのは骨が折れる。
激闘の末、浜辺まで誘導した獲物は狙った人魚に間違いはないはずだった。蓄光性の鱗、聞いたとおりの腰ヒレ尾ビレ。ひとつ、腹がでていることだけを除けば、である。
「おまえ子持ちなのか」
ぐるる、と歯牙を剥き出しにする人魚が飛びかかってくる。思ったより俊敏な動きに驚くものの、陸ではわずかに人のほうが早い。後ろに下がったおれは無事だったが、首から下げていたお守りの紐が食いちぎられた。
「キョウチクトウ」
やった、人魚が釣れた、遠くから男たちの声がする。集落から明かりが近づいてくるのが見える。どこかで見ていたのだろうか。頃合いが良すぎて気に食わない。
人魚からお守りを取り戻そうと手を伸ばす。人魚は近づいてくる男たちを見て、おれを見て笑う。そうしておれのお守りを食べてしまった。間もなく体に毒が回ったのだろう、痙攣した挙げ句に倒れた。死んだかもしれない。
人魚を釣ってくださってありがとうございます、頭を下げる男たちに目をやる。強い毒を使ったので処分に気をつけるよう伝えたところ先頭の男の顔が歪んだ。面倒ごとの気配を察して銛を片付けさっさと小舟で帰った。それきり礼のひとつも言いに来ない。
学のある友人に顛末を語ったところ、その集落には伏せった娘がいることと子持ちの人魚は珍しくてたいへん滋養にいいという作り話を聞かされた。子持ちの人魚は死にものぐるいで暴れるから釣らない決まりになっているだけである。出回ることはほとんどないから変に尾ひれがついたのだろう。
それにしても今度の人魚はほとんど暴れなかったのが気にかかる。
「なんで最後に笑ったんだか」
「子を食われたくなかったんだろうさ」
話が飛んだ気がして眉間にしわがよる。友人は説明した気になってそれ以上教えてはくれなかった。
家のガラスの器には濃い桃色の四枚の花弁が塩水の中でたゆたっている。
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