天使の森

黒木露火

天使の森

「今夜の宿は事故物件だ」

 海田うみたが言った。

 何が面白いのか、似合わないスーツのクソガキたちがどっと笑う。

 一仕事終えた解放感でいっぱいのやつらの前には、ビールジョッキが並んでいる。

 俺は運転があるから飲めない。

 閉店間近な田舎の夜のファミレスはがら空きで、難癖つけてきそうな人間もいない。

 某県での仕事が終わり、俺たちは別の県に移動中だった。

 海田は一見、おしゃれなカタカナの職業の三十代リーマン風。それがネクタイを緩め、シャツのボタンを一つ外すだけで、首のまわりをぐるりと巻く、鎖のタトゥーが見え、とたんに堅気には見えなくなる。

 俺たちは、いわゆる特殊詐欺の実行チームだった。

 かけ子チームは別にいて、メッセージアプリで指示が来る。

 受け子と出し子は二人ずつ。頭の悪いはんぱもののクソガキたちだった。運転免許もないから、宿にしている貸別荘や町はずれの空き家からは逃げられない。

 リーダーの海田は、そんなやつらをおだててシゴトさせるのが上手かった。

 食い詰めて、稼げる運転手のバイトに応募した間抜けが俺だ。地元の高校に通学する妹の隠し撮りを見せられ、後悔したときには遅かった。


 事故物件なら何度か宿がわりにしている。霊感とやらがないせいか、毎回どうということもなかったが、不自然に畳や壁紙や襖が新しい場所で寝るのを、俺は避けていた。クソガキたちは「ここだけきれいだ」と喜んで荷物を置いていたが。

 ただ、貸別荘はともかく、空き家は掃除が甘い。

 寝る場所が汚いのは耐えられない。

 長距離運転後の掃除を考えると、げんなりした。

 飯が終わり、先に外に出ると、そこら中からやかましい虫の声が聞こえる。

 白い商用ワゴンに乗り込んでエンジンをかける。暑さは落ち着いていたが、虫が入ってくるので窓は開けられない。エアコンをつけた。

 次々と車に乗り込んできたクソガキたちは、飯と酒で眠気がきたらしくおとなしい。

 会計を済ませてきた海田が、最後に助手席に乗り込む。

「○○方面でいいんですよね?」

 声をかけると、海田はナビの行き先を俺に示した。

「あと一時間半ですか……」

「もう少し行ったら、最後のコンビニあるから寄ってな。酒とつまみを頼む」

 万券を二枚、厚い財布から取り出して、海田が渡してきた。薬指の指輪が暗い車の中で一瞬きらりと光った。

 受け取った札をポロシャツの胸ポケットにねじ込むと、俺は発車した。


 コンビニに寄った後は、ずっと街灯もない暗い県道を走っていた。

 明日の連絡をとっているのか、海田は助手席でずっと携帯を触っている。

 ナビの案内に従って、暗い山道から外れて、もっと暗い林道の中に入る。やがて道路は未舗装になり、ときどきワゴンはバウンドした。

 まだ新しい色の木造家屋がヘッドライトに浮かび上がった。

 先に降りた海田が一度裏手にまわり、また戻ってきた。隠し場所からとってきた鍵を差し込み、ドアを開ける。しばらくして玄関のあかりがつき、再びドアから海田が顔を出した。

「大丈夫だ。入ってこい」

 ライトをつけたまま、声がかかるまで待っていた俺はエンジンを切った。

「もう着いたんスか、事故物件」

 車が動いていないことに気づいたのか、クソガキのひとりが目をさます。

 俺は車の後ろにまわり、自分の荷物と掃除道具を取り出した。

「酒とつまみ買ってあるから、お前ら、クーラーボックス持ってこいよ」

 後部座席からやつらの歓声があがる。

 俺は確かめるように、もう一度家を見た。若い夫婦が好みそうな、いまどきのデザインだ。

 家の背後に黒く広がる森に、なぜか目が行く。

 そこに何かが潜んでるような気がしてならなかった。


 リビングのエアコン一台を残して、電化製品も家具も、何もなかった。

 電気と水は生きていて、携帯も圏外ではなかった。プロパンガスの残量も十分だった。

 掃除はそれなりに行き届いており、今夜はゆっくり休めそうだった。滞在した痕跡を消すために、どうせ明日の朝には掃除はしなければいけないが。

 風呂を入れてリビングに向かうと、クソガキたちと海田はもう飲み始めていた。

「ちょうどよかった。今から海田さんがこの家の話してくれるんスよ」

 皆が顔を赤くしている中、海田の顔色は変わらない。酔いつぶれているところを見たことがない。

 もともと強いのもあるだろうが、このチームのリーダーは海田だ。いざというときを考えると、泥酔するわけにもいかないのだろう。

 それは俺も同じで、いつ叩き起こされて逃げなければならないとも限らない。飲むなら一缶だけと決めていた。

 発泡酒とポテトチップスの袋を抱えた俺が部屋の入り口に座るのを待って、海田は話し始めた。


「五年前、ここに住んでた男が家族三人を散弾銃で撃ち殺して、自殺しちまったのさ」

 高校を卒業し、町のほうでトラック運転手として働いていた男は、結婚して二人の子供に恵まれた。

 この山間の村で製材所を経営していた父親は、跡を継がせるために男を町から呼び戻し、きれいな家も建ててやった。一家は幸せそうに見えた。

 美人だった嫁の不倫を死んだ男が疑っていたという話もあるが、何が原因だったのかは、全員が死亡してしまったために不明だ。

 はっきりしてるのは、五年前の十月の日曜日の朝、朝食の途中に何かがあった。

 母親と幼稚園の男の子、小学生の女の子は、揃ってそこの森に逃げた。

 まず、男の子、次に母親。最後に女の子が撃たれた。

 男は家に戻ってくると、通勤に使ってた軽自動車の中で銃口を咥えた……。

「ということは、犯行現場は家の中じゃない」

 凄惨な事件の概要にクソガキたちは黙り込んでいたが、俺は思わずほっとして口を滑らした。

「そういうことになるな」

 海田はにやっと笑った。

 今までの事故物件は自殺や孤独死が多かった。そういう家も気持ちは悪いが、父親による一家惨殺の家はヤバい。さすがに本当の殺人現場では眠れる気がしなかった。

「じゃあ、後で森のほうに肝試しに行こうぜ」

バカのうちの一人が言い出す。

「それいい。面白そう」

「犯行現場には、犯人の親が死んだ孫たちのために花を供えてるから、すぐわかるらしい」

 海田まで乗り気だ。

 その時、風呂が沸いたらしい電子音が聞こえた。

「誰が一番に風呂入る……」

「懐中電灯あった?」

「なけりゃ、スマホのライトで大丈夫っしょ」

 俺の言葉なんて聞こえちゃいねえ。

 発泡酒を飲み干すと、俺は風呂場に向かった。


 死んだ家族が使っていた風呂にゆっくり入って出てくると、誰もいなかった。

 窓を開けると、盛大な虫の声に混じって、かすかな笑い声や話し声が聞こえる。

 ど田舎の一軒家だから、苦情なんか来やしないが……。

 倦怠感と酔いが一気に押し寄せる。

 俺は窓を閉めた。荷物の中から出した自分のタオルケットにくるまると、部屋の隅で目を閉じた。


 寝る前に、あんな話を聞いたせいだろうか。

 夢を見た。

 盛大な虫の声に混じって、どこかで叫び声が聞こえる。うめき声も。泣き声も。

 その声はあのクソガキたちに似ている。

 何やってるんだあいつら……。

 海田はどうした……。

 目を開けようとするが、眠い。眠くて仕方ない。

 ふと気がつくと、虫の声が止んでいた。

 なんとか目を開けると、静かで暗い夜の森の中だった。

 まっすぐ伸びる大きな木に、俺はもたれかかっていた。

 青臭い雑草をつぶしたようなにおいや土のにおいがする。少しだけ、鉄サビのにおいもしたような気がした。

 どこからか小鳥のさえずりが聞こえる。聞いたことのない、鳥の声。

 夜の森の中で二羽、まるで会話をするように鳴き交わしている。

 鳥の声はだんだん俺に近づいてきて、羽音も聞こえるようになった。

 思ったより羽音は大きかった。

 近くにいる。飛んでいる。

 夜だから、どうせ暗くて見えないだろうと思いながら目を上げた。

「てん、し……?」

 宗教画や西洋の建築物によくある、羽のある子どもの頭象。智天使、ケルビム。

 それが二体いた。

 暗闇に輝く白い肌は健康的で、楽しそうな笑顔は愛らしい。

 頭の横に広がって羽ばたいているのは、黒い髪の毛のように見えるが、羽、なのか?

「天使が、いる……」

 呟くと、天使たちは鳥のさえずりで笑った。うれしそうだった。

「かわいいなあ」

 俺も彼らに微笑んだ。

 ああ、いい夢だな。

 そう思いながら、目を閉じた……。


 早朝、車が止まる音で目が覚めた。

 日はまだ昇っていないが、部屋の中が見て取れる程度には明るい。起き上がると誰もいなかった。クソガキたちの荷物もない。こんなことは初めてだった。

 玄関のドアを開いて誰かが入ってくる。

 上機嫌らしく、鼻歌を歌っている。

 それが海田だということに気づいて、緊張が解けた。

 部屋に入ってきた海田はTシャツにジャージ姿だった。寝るときの恰好だ。

「起きてたのか」

「今、起きました。どこ行ってたんですか?」

 そんなこと答えるわけがないと思っていたら、「家族サービス」と返された。

「実はこれでも二児のパパなんだよ俺。うちの子たち、育ちざかりの食べ盛りだからさ」

 肝試しの後、自宅に帰って子どもと焼き肉でも食ってきたのだろうか。元気な男だ。

「自分の子どもを褒められるとうれしいもんだね。うちの子たち、かわいいからさあ」

 一人で盛り上がる海田を放って、俺は二度寝の体勢に入った。

「何時に起きればいいですか?」

「正午までに出ればいい」

 海田もタオルケットを被るとすぐに寝息をたて始めた。


 次の街で裏通りに入るよう、指示された。

「降りろ」

 ひとけのない路地で車を降りると、海田は俺の荷物を渡してきた。大学時代から使っていた、大きめのリュックだ。その上に、ぽんと厚みのある茶封筒が載せられる。

「お前とはここで終わりだ。余計なこと詮索しないし、使い勝手がいいし、本当はもうちょっと手伝ってもらいたかったんだが」

 俺のかわりに運転席に座った海田が、人懐こい顔で笑った。

「化け物と言われることはあっても、天使なんて言われたのは初めてだったんだ。うちの子たちも嬉しかったらしい。殺さないでって、頼まれちまったからなあ」

 白い商用ワゴンはすぐに見えなくなった。

 茶封筒の中には、求人広告にあった通りの報酬が入っていた。


 飛頭蛮、飛び首、カベサ・カラドール、ウマワキア、カテカテ、そしてウミタ。

 夜に体から首だけが離れ、時には人を食らうという怪物の伝承は、アジアから南米まで広く伝わっている。

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