「ファンタジー水族館」の思い出(前編)
「ファンタジー水族館」ってのは、俺がまだ小さな頃、坐骨の海岸沿いにあった水族館だ。
今はもう潰れちまって、水族館の建屋すら残ってないけどな。
ネットを探しても写真すら見つからないよ。
水族館自体は特に変わったところのない普通の展示だった。
だけど物珍しい魚もちらほらいて、開業当時は本当に人気があったと聞くよ。
ただ、水族館には定番の「イルカ」がいなかった。
イルカショーもやってなかったな。
イルカだけじゃなく、ショーのできるアシカもいなかったんじゃないだろうか。
それでも1つだけ、他の水族館には絶対にいない「海獣」がいたんだよ。
その動物は少し離れた場所に水槽があってな。
普通の展示水槽がある場所から、トンネルを通って行くんだ。
壁に半魚人や海の怪物が描いてある狭いトンネルさ。
絵で描いた怪物だったが、妙にリアルでな。
ゾッとするような目をしていたよ。
あの薄気味悪いトンネルを進むに連れ、うっとりするような「海獣」の鳴き声が聞こえて来ていた。
その「海獣」ってのは「人魚」なんだ。
髪の長い、キレイな女性でさ。
目は白目が無くて、動物のように真っ黒だった。それでも、顔は整って美人だった。
上半身は肌色の人間のままなのに、下半身は鱗だらけの尾びれになってるんだよ。
うっとりするような、高くて気持ちの良いキレイな声で鳴くんだ。
自由自在に、しなやかな下半身を使って泳ぎ、水から上がってはキレイな声で鳴いていた。
歌のようにも聞こえたね。
びっくりなのは、上半身は何も着てなかった。裸だったんだ。
丸みのある胸があらわになっていた。
俺は子どもだったし、水族館は好きだった。
親父は胸のせいか、人魚が大好きだった。
相当に入れ込んでたんだ。
貧乏のくせに、しょっちゅう水族館へ人魚を見に行ってたんだ。
「おい、坊!水族館いくか?仕方ねえから連れてってやる」親父は休みになると必ず言っていた。
おふくろは呆れて「博打や飲み屋に使われるよりはいい」と諦めてたのを覚えている。
だから俺と親父は、ほぼ毎週土日になると水族館へ行っていた。
当時を知る連中で、人魚のことを「元水泳部のコンパニオンを雇ってたんだ」なんて言う奴もいる。
当時、テレビだって夜中の番組や昼間のメロドラマの時間帯には、トップレスの女優が出てた時代だった。
教育やコンプライアンスより、欲望が優先される。そんな時代だったんだよな、昭和ってのは。
俺も自分があんな事件を見なければ、たぶんそう思っていたよ。
あれは、水泳が得意な女の子が、尾ひれをつけて人魚のマネをしているだけ…とな。
人魚の展示時間が細切れで短かったというのもある。
女の子たちを水から上げて、休憩させる時間だと言い張ってる奴もいたよ。
でも、事件は起きたんだ。
今でも思い返すと、あれは現実だったのか、幼い子供の空想や悪夢の類だったのか区別がつかない。
なんせ目撃した第三者は、ろくに読み書きすらできないチビだった俺だけだった。
その光景を誰に話しても信じてはくれない。
ネットや、古新聞を見たって全く載ってない。
それでも、俺は自分が見たあの件が「ファンタジー水族館」を廃業に追い込んだと今でも信じてるんだ。
あれは、俺が人魚の水槽の前に座っていた時に起きた。
親父はちょうどトイレに行っていた。
観客席にいたのは俺と、ほろ酔いの作業着を着たおっさんが一人座っていただけだった。
【つづく】
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