「ファンタジー水族館」の思い出(中編)
作業着を着た酔ったおっさんは、おそらく俺の親父と目的は同じだ。
人魚のおっぱいが見たかったに違いない。
カップ酒片手に、じとっとした目つきで人魚を見つめていた。
俺は小さくなって席に座り、きれいな人魚に見とれていた。
人魚たちはそんな俺たちの様子を見て、ちょっかいを出したくなったのだろう。
水から上がると、人口の岩場に腰掛ける。
幼児だった俺も、酔ったおっさんも、人魚の濡れた肌や、雫が滴る谷間に目を奪われたに違いない。
人魚二匹は俺たちの様子を見ると、顔を見合わせ、歌った。
つまり鳴き声を発し始めた。
素晴らしくきれいで、透き通った声だった。
聞いているだけでうっとりとした。
恋心のように甘く切ない高揚感と、安楽椅子に座ったような心地よさが同時に体を包む感じがした。
俺はただ、「年相応じゃない」…自分でそんな感じがして、ドギマギして席に座っていたと思う。
少し、恐ろしさすら感じていた。
余りに人魚がきれいで、色っぽくて、それでいて鳴き声がうっとりとするくらい魅力的だったからだ。
引き込まれそうだったんだ。
俺が多少なり若者で、血気盛んだったら…もっと近寄って人魚に声をかけていただろう。
作業服のおっさんはそれをやってしまった。
のそのそとプールの縁に近づき、だみ声で声を掛けたのだ。
手招きして、何か叫んでいた。
たぶん「もっと近くに来い」とか言ったんだと思う。
人魚二匹は、静かに水面に入り、おっさんに近づいた。
俺はうらやましかった。
間近で人魚が見たかった。
子どもの臆病心からそれはできなかったが、今では本当によかったと思っている。
人魚はプールの縁に近づき、おっさんと向き合った。
おっさんは興奮して手を伸ばした。
俺は息を飲んだ。
何が起こるんだろう。
水槽の周りはしんとしている。
俺と、おっさん…それから人魚だけ。
親父はまだ便所から帰ってこない。
俺は思った。
「ああ、あの酔っ払いのおじちゃん、人魚のからだにさわるかもしれない。こわい」
と。
同意なく女性の体に触ることは、やっちゃいけないことだとは漠然と知っていた。
人間社会のタブーなんだと…
それを、カップ酒片手に、よっぱらいのおじちゃんがやろうとしている…
俺は怖いもの見たさで、目が離せなかった。
一匹の人魚が、俺の方を向いて、にっと笑った気がした。
俺はどきりとした。
次の瞬間、おっさんが伸ばした手を人魚が掴んで、プールに引きずり込んだ。
【つづく】
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