第193話

 思いがけない提案に、理解が追い付かない。

 マクス様と結婚の届けは出したけれど、結婚式自体はエミリオ様と途中まで挙げただけだった。言われてみれば、マクス様との結婚式は1秒たりともしていない。あの場で結婚の宣言とサインはしたけれど、あれを結婚式と言っていいものかどうか。

 しかも、色々と勘違いや誤解が重なった上での、勢いでの結婚。その場で言われたのは、2年間の契約婚ということだった。

 ――2年の約束の日まで、あと少し。もう契約ではなくなった結婚生活ではあるけれど、本当はここで区切りだったはず。


「だめ、か?」


 返事をしないでいると、マクス様の表情が暗くなる。眉がわずかに寄り、瞳は自信を失ったかのように揺れている。その表情には不安と迷いが滲んでいるようで、言わなければ良かったと思っているかのように見えた。


「いいえ。素敵なお話だと思います」


 笑顔を向ければ、張り詰めていた彼の表情がゆっくりと解けていくのがわかった。強張っていた肩の力が抜け、眉間に刻まれていたしわも消えていく。瞳の中に見えた不安も、ほんの一瞬でなくなっていく。


「ビー、では」


 明るい笑みを浮かべたマクス様に大きく頷いてみせる。


「はい。私も、マクス様との結婚式をやりたいです。父や母、兄にも、今とても幸せだという姿を改めて見てもらえたら……」

「ああ……ありがとう、ありがとうビー」


 嬉しいよ、と言って抱き締めてこようとする彼の肩をそっと押して「でも」と私は続けた。

 

「結婚式を行いたいというお話には賛成するのですけれど――それは、このような格好の時に言われるようなことだったのでしょうか?」


 乱れた夜着にシーツ、肌のあらゆるところに散った赤い跡。明らかに――そういう場面ではなかったような気がする。なにかもう少し、もう少し適切な場面があったのではないだろうか。

 抱えきれないほどの花束や、跪いての告白が欲しいなどとは言っていない。のだけど、このような乱れた状況下でのプロポーズは、なんだか少しだけ残念な気もしてしまう。


「……すまない、やり直してもいいか?」


 自分たちの格好に気付いたマクス様は、途端に情けなく眉を下げた。その仕草があまりにしょぼくれていて、微笑ましく思えてしまう。まったく憎めない。きっと彼なりにずっと考え、どのような言葉で伝えようか、いつ私に言うべきか、タイミングを計っていたのだろう。

 それなのに、結局は衝動に駆られて口にしてしまった――そんな様子が表情に現れていた。


「これじゃ格好がつかないな」


 小さく呟くマクス様の声に、耐えきれず笑いがこみ上げてきた。なんとか堪えようとするが、その不器用な様子に、唇の端がどうしても緩んでしまう。


「ふ……ふふっ、いえ、やり直しは変なことになりそうですから、このままでいいです」

「ビー。私は、あなたのことになると途端に情けなくなってしまうようだ。自分でもどうかしているという自覚はあるし、どうにかしたいとも思っているんだが、どうにも感情が抑えきれない」

「それは、きっと私もです」

「そうか? ビーは私よりもだいぶ冷静に思えるぞ」


 本来の私は、もっと感情に振れ幅はなくて、いつだって自分がどう振舞うべきかを考えて動いていた。今のように、衝動的に動いたり、発言したり、感情をあらわにしたような表情を浮かべるような人間ではなかったのだ。


「マクス様が好きなようにして良いと言ってくださったから、今の私は以前よりも自分勝手で、昔よりずっと子供っぽいと両親などは呆れるかもしれませんよ」

「そんなあなたが、私は愛しくてならないんだよ」


 彼がそっと顔を近づけてくると、彼の息遣いを唇に感じた。視線が絡み合い、世界の中にふたりきりになってしまったかのような感覚。優しい目をした彼は、そっと唇を重ねてきた。触れるか触れないかのような一瞬の口付け。けれどそこには、言葉では表せないほどの優しさと想いがこめられてるように思えた。


「はい、喜んで。改めて、あなただけの花嫁にしてください」


 応えれば、彼は安堵したように笑って、強く抱き締めてくれた。



 翌朝、マクス様から「ビーとの結婚式を執り行うぞ」と宣言された城内は、私がここに連れて来られた日よりも大騒ぎだった。


「旦那様、本気ですか?」


 コレウスが引き攣った顔になる。


「どこに、そのようなことをする時間が……?」

「ビーとの結婚式だぞ。なによりも優先させるべき事柄だろうが」

「お気持ちはわかりますが、しかし」

「しかしもなにもない。私がやると言っているんだ。お前たちに拒否する権利はな――」

「こめんなさい、コレウス。私もやりたいと思ってしまったの。そうよね。1人で準備できるわけじゃないんだから、みんなに迷惑をかけることになってしまうわ」


 断固として執り行うと言っているマクス様を引っ張って止め、彼の前に出る。

 別に今すぐでなくても良いのだ。誰を呼ぶかも選定しなくてはいけないし、どこでやるのかも考えなければいけない。ドレスの発注も必要――まあ、エルフの仕立て屋さんをまた呼び出すのであれば、その日のうちに完成しそうではあるけれど。

 本当にごめんなさい、と謝れば


「……奥様のご意志でもあるのですか?」

「え?」

「旦那様の独断専行ではなく?」

「違うわ。マクス様から提案されたことではあるけど、私も同意してしまったから」


 結局は共犯だ。申し訳ないと思っている私に対し、返事を聞いたコレウス、それからクララとアミカを筆頭としたメイドたちの動きは早かった。

 コレウスはアレク先生に連絡をしてマクス様の予定の調整に取り掛かる。クララは早急に仕立て屋を呼び出し、私の意見を中心にドレスを検討しはじめる。アミカはキーブスに、結婚披露パーティで提供する料理の相談に走る。

 一致団結した様子に目を白黒させる暇もなく、それから1週間後には結婚式の当日を迎えていた。



―――――――


次回、本編最終回。

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