第192話
「本当に困ったひとですね」
「あなたを困らせてしまうような私は嫌いかい?」
「嫌いだなんて、冗談でも言えません。そういうのをわかっていて聞いてくるのはずるいと以前から言っているではないですか」
「ははッ、そうだったな。ああ、あなたは本当に可愛いな。ではズルい私も、当然嫌ではないということだ」
意地悪、と呟けば嬉しそうな顔で口付けられる。マクス様は、自分の言動で戸惑い、困っている私を眺めるのを好んでいるように思える。私の夫にはどうしてこうも子供のようなところがあるのだろうか、と悩ましく思うこともある。
誰に気を遣わなければいけない立場でもない彼は、普段から自由に振舞っているようであるし馴染みの人たちに駄々をこねているところも何度も見た。しかし、それが一番ひどくなるのは私とふたりきりでいる時のように思えてならない。
――甘えてください、と言ったのは、私から。
その言葉の通りに、何一つ飾ることなく接してくれているのだろうと思えば、完全に心を許されているという思いで身体中に甘い疼きが広がっていくようだ。
触れてくる手はどこまでも優しくて、その動きのひとつひとつから、私を見つめるその視線から、かけられる言葉から、肌や吐息の熱さから、どれだけ私を想ってくれているのかが伝わってくる。愛されていないかも、なんて彼を疑うなんてことは、それこそ罰当たりだと思えるくらいにその想いは明確だった。
――私の気持ちも、ちゃんと伝わっているのかしら。
感情を表に出しすぎるのは下品だと言われてきていた。そんな私には、マクス様ほど素直に想いを伝えられているようには思えない。
「マクス様」
「ん?」
彼の声が胸元で響く。
「――……愛してます」
「……っ、ビー? どうした?」
身体を引き上げ、顔を見てきたマクス様は少し戸惑っているようだ。
――ほら。
夫婦であるのに、こんな言葉一つで驚かせてしまうほどには、伝わっていないのだと思うと自分が不甲斐なくなる。
「普段、あまり口にして伝えられていないので、もしかしたら、私がどれだけマクス様を大切に想っているのか、ちゃんと、わかっていただきたい……と」
「いや……それは、そう言ってくれるのは嬉しいんだがな」
ほんのりと耳の先を赤らめたマクス様は、手の甲で口元を押さえる。少し視線を惑わせた彼は、横目で私を見ると口を隠したまま言う。
「知ってるぞ。ちゃんと」
「本当ですか?」
「ああ、あなたが思っているよりも、あなたは私にいつもその感情を伝えてきてくれている。大丈夫だ、自分がビーからどれだけ愛されているかは、わかっている」
自分で言うのはなかなかに恥ずかしいな、と照れたような笑みを浮かべた彼に改めて押し倒され、周囲に絹の銀糸のような美しい髪が降ってくる。それだけで、私の世界はマクス様だけになってしまう。見慣れたはずのこの景色なのに、未だに慣れることはない。それどころか、この構図で彼を見上げると、自然と胸が高鳴り、熱が上がってしまうようになっていた。
「まったくあなたは。もっと自信を持ってくれ。私の妻は、ビー以外には考えられない。私の愛も、ずっと、あなただけのものだよ」
「……はい」
「うん? なにか言いたそうだな」
全部言って良いぞ、と言われた私は、いつも気にかかっていることを言葉にする。
「以前もお話しましたが、私がマクス様よりも早く天に召されるのは変えられません。ですから、その時はどうか、私に操など立てずにまた愛する方を見つけて――」
伝えたかった言葉は、彼に飲み込まれて続きを音にすることは許されなかった。観念して脱力した私を感じてやっと唇を放してくれた彼は、頬を撫でながら囁く。
「私はね、あの男から『僕は、ビーと共に老いていくことが出来る』と言われた時、一瞬だけ悔しかったんだ。あれの言う通り、私はあなたと同じ速度で時間を刻むことはできない。私は、あなたが老人になってもこの姿のままだろう」
「そう……ですね」
「その時に、あなたが苦しむかもしれない、ビーがこの世を去った後、私が別の誰かを愛することを辛く思うかもしれない、と言われて――反論は難しかった」
でも、とマクス様は穏やかな笑みを浮かべて額を合わせてきた。語られる言葉は優しくて、でもどこか切ない響きを持っている。
「あなたが、運命などというものに導かれたのではなく、自分の意思で私を愛してくれているのだ、と言ってくれた時、嬉しくて……でも、同時に少しだけ、寂しかった」
「……え?」
「あなたは、これを運命ではないと言ったけれど、私は」
あの時の言葉を台無しにするようなことを言うぞ、と前置きしてマクス様は続ける。
「私は、もしも今の姿のあなたがこの世界を去ったとしても、あなたが生まれ変わる日をずっと待ち続けたいと思ったんだ。いつまででも待って、必ず見つけ出して、また恋に落ちたいと」
すまない、と謝る彼に胸が苦しくなる。そして、自分たちの恋を愛を運命だと言い続けていたのだというオスリアン王に思いを馳せる。
「何度でも何度でも巡り合って、愛し合って、そして私の命が尽きる時には、姿は違うかもしれないけれどあなたに側にいてほしい、などと思ってしまった」
なるほど、彼がそう思ったのだとすれば、本当に同じ魂の持ち主なのかもしれないと考えた私は小さく笑って、彼を抱き寄せた。
「それが叶うかはわかりませんけれど」
「ああ、そうだな」
少し気落ちして聞こえる彼の声に、私は微笑んで、唇を重ねる。縋るように絡んでくる舌が、切なくてならない。そんなに必死にならなくても、そんなのは単純な話なのに。
運命だから恋に落ちた、愛した、なんて、そんな薄っぺらい理由なんて嬉しくない。そう考えているのは、今も変わらない。でも、もし本当に生まれ変わりがあるのなら、また彼の隣で笑いたいとも思う。
だから。
「その時は、運命ではなく、また普通の、どこにでもある恋をしましょう」
「……ああ、そうだな。私は、きっとずっとあなたには敵わないままだ」
ふっ、と笑ったマクス様は「そうだ」と真面目な顔になった。
まだなにか不安なことがあるのだろうか。私が不安を吐露していたはずなのに、いつの間にか立場が入れ替わってしまっている。今度はなにを言われるのかと彼を見上げれば、マクス様はどこまでも真剣な顔で言ったのだった。
「ビー、改めて、あなたに言いたい。私と結婚してくれないか。私の妻になってほしい」
「……もう、結婚していて、妻ですが?」
「ああ、それはそうなんだが、あの時はそれこそ緊急措置のような気持ちでサインしたからな。そもそも、エルフの私にはあんなもの必要ないんだが」
小さく片眉をあげたマクス様は「それに」と続ける。
「あの時のあなたは、私のために花嫁の姿をしていたわけではないだろう? だからだ。改めて、私のための花嫁になってほしいんだ」
「マクス様、私」
彼は軽く口付けを落として、私の瞳を覗き込んだ。
「もう一度ちゃんと、私とビーのための結婚式を挙げたい、と思っているのだが」
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