第190話

※ 最後の方、ちょっとだけイチャついています、ご注意ください。


―――――――――――――――――――――


 カタリーナ大司祭様と、ミレーナ、ソフィーが帰った後、途中コレウスの持ってきた知らせを見てから口数が少なくなったマクス様の様子を気にしていた私だったのだけど、コレウスたちは気にしなくて良いと言ってさっさと応接室を片付けはじめる。

 ここに持って来てあった食器も食べ物も、どれもアクルエストリアで作ったものを直接その都度運んでいたのだそうで、全部あちらに持って帰れば良いだけということだった。あとの部屋の掃除などはこの屋敷を普段管理している人たちに任せることになっているので、客人が帰って一息ついている間に城に戻れるようになっていた。


「奥様、では私たちは先にこちらを持って先に戻っています」

「わかったわ。私はマクス様とコレウスと一緒に帰るわ」


 トレーにカップや皿を山のようにのせたクララとアミカが頭を下げてから下がっていく。

 では我々も、というコレウスに頷いて、先程からずっと身動ぎ一つしないマクス様に声を掛ける。


「マクス様」


 呼びかけても、ソファの肘置きに肘をついて口元を押さえている彼の反応はない。なにやら思案顔で外を眺めている。何度か名前を呼んでみるのだが気付いてもらえず、仕方なしに視界を遮るように覗き込む。


「あの、マクス様? お考えのところ失礼します。そろそろ戻りませんか?」

「……ん? ああ」


 しかし声に覇気はなく、視線もあまり合わない。


「酔われているのですか?」


 あれだけ飲んでいれば酔いも回りそうなものだけれど、彼が酔っている場面は見たことがない。普段から私に対しては酔っているような発言を繰り返してはいるが、呂律が回らなくなっているところなども見たことがない。


「いや、大丈夫だ」


 しっかりと自分で立ちあがったマクス様は、私の腰を抱くようにしながら歩き出す。屋敷の一部屋に設置されている転移魔法陣を踏めば、もう城に戻ってきていた。


「お風呂の用意も済んでいますので、いつでもおっしゃってくださいね!」


 あちらこちら忙しそうに動いている様子のクララが擦れ違いざまに言ってきたので「クララとアミカの手が空いてからで良いわよ」と答えれば、もう少しで片付け終わりますと笑顔を見せて駆け足で行ってしまった。いつでもいいという意味だったのだけど、これは逆に気を遣わせることになってしまったかもしれない。

 マクス様は、こちらに戻ってきてすぐに自室に行ってしまった。

 ――なにか気掛かりなことでもあるのかしら。

 最近ではあまり見なかったような思い悩んでいるような顔を見せられ、なにか役に立てることはないのかとじっとしていられなくなる。


「あの、マクス様」


 彼の部屋をノックしても返事はない。少しだけ待った後、もう一度ノックして「開けます」宣言してから扉を開ければ、すぐになにかハーブのような香りが漂ってきた。


「ああ、ビー。すまない。今空気を入れ替える」


 ソファにしどけない姿で半分横たわっていたマクス様の手には長いパイプのようなものが握られている。

 ――煙草?

 彼からそのような香りがしたことはなかったはずだ。しかし、その手にあるものは、形こそ私の知っているものよりも長く細い形状ではあるけれど、煙草パイプのように見えた。


「マクス様、煙草を吸われていたんですか?」

「これか? いや、煙草ではない。エルフの嗜好品だな。中はハーブで――まあ、身体に害のあるものではないよ」

「そのようなものを吸われるだなんて、知りませんでした」

「ははッ、私も久し振りに出してきたんだ。あなたが知らなくても不思議ではないな」


 お隣よろしいですか? と腰掛けようとすれば、彼は指を鳴らして風を起こす。薄く開けた窓の方へ風の渦が移動していき、部屋の中に漂っていた香りが薄まったように思えた。


「この匂いは嫌ではないか?」

「大丈夫です」


 いつものマクス様よりも少しだけスモーキーな香り。だが、不快ではない。


「少し、考えなくてはいけないことがあってな……うん、考えをまとめようと思って」

「私、なにも責めていませんよ?」

「ん? うん、だが……少しぼうっとしたくなってしまって、いや、ずっとやめていたのだが……」


 言い難そうにしているところを見ると、身体に害はないというのはあくまでも人間の肉体について言っているだけなのではないだろうか。彼が部屋に籠ってからさして時間は経っていないので、そんなに大量に吸ったわけではないとは思う。でも、もしも少しでも身体に良くないものだったらやめてほしい、と思ってしまうのは、私のわがままになるかもしれない、と思えばすぐに口にすることはできなかった。


「なにがあったのですか? 私が聞いても良いお話でしたら、教えていただけませんか?」

「ああ、いや。アレクサンダーから魔導師の塔へ迎えたい人物がいるという追加申請があっただけだよ」

「それが、そんなにマクス様を悩ませるような方なのですか?」

「ん……いや、うーん……悩ませ……あー……」


 彼は答えながら唸りだしてしまう。そんなに大変な人なの? と思っていると頭を抱き寄せられる。


「あなたまで悩ませるような話ではない。それに、この件に関してはもう既に私の代理でアレクサンダーが署名までさせて契約は済んでいる」


 額の端に口付けてきた彼は、嫌そうに溜息を吐いた。


「マクス様がいらっしゃらなくても、契約出来るんですか?」

「サブマスターには、特別な権限を与えてあるからな。それに、アレクサンダーが契約したんだからそいつに関する全責任はあいつに押し付けられると考えたらまあ……私にとっても都合が良いとも言える。そうだな、なにかあったらアレクサンダーに責任を取ってもらおう。よし。そう考えたら、悩んでいるのも馬鹿らしくなってきたな」

 

 私はなにも言っていないのに、話しているうちに悩んでいるのも面倒になってきたようだ。この性格は、良くも悪くも作用するので、周囲の人間やエルフたちはかなり苦労してきただろう。


「あんなののことを考えているよりも、私はあなたのことを考えていたい」


 ひょい、と膝に乗せられて、すかさず唇を奪われる。


「っ、マクスさ――」


 抗議しようと開けた唇の隙間に舌が捻じ込まれる。舌先にピリっとした感覚。これは、もしかしたら彼が吸っていたハーブの香りだろうか。いつもよりもスパイシーな香りに包まれて、頭がくらくらしてくる。


「ん、っ、マクスさま、ちょ……ぅんっ」

「ビー、なにも考えられなくなるくらい、あなたを感じさせておくれ」


 彼の唇が、頬から首筋に降りてくる。小さな声が出そうになるのを必死に堪える。


「我慢しないで。あなたの可愛い声で、私の耳を、頭を満たしてほしい」


 緩やかに身体のラインを撫でられ、そのままソファに押し倒される――

 と思ったところに「奥様こちらですか? お風呂の準備……」と言いながらクララが顔を出す。


「あっ! 失礼しましたっ」


 部屋の中の光景に、慌てて踵を返そうとする彼女を必死で呼び止める。


「やっ、クララ、クララ待って! 違うの、これはそういうことじゃなくて」

「お前、最悪なタイミングで来たな……」


 恨めし気なマクス様と助けを求める私の反応で状況を理解したらしいクララは、すたすた部屋に入ってくると彼の手から私を引っ張り上げて前に立つ。


「旦那様、焦らなくても奥様は逃げませんよ」


 お風呂が先です、ときっぱり言って、私の背中を押しながら部屋を出ようとする。歩きながら彼女はマクス様を振り返った。


「それから旦那様も。においついてますから、お食事の前に流してきてください。コレウスさんに叱られますよ」

「私は子供ではないんだがな。別に問題のあるものではあるまいに」

「それでも、です。ここは片付けておきますから、旦那様もお風呂にどうぞ。では後ほど!」


 部屋の扉を閉じたクララは「もう、旦那様に隙を見せたらああなるのはわかってるじゃないですか」と呆れたような声で私に複雑そうな笑みを見せた。

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