第189話
「カタリーナ、そろそろ満足したか」
ぶつぶつと最早反省と後悔を口にしつつ自分を責める状態になっている大司祭様に、マクス様が声を掛ける。
「っ、先生! 私は、本当に皆さまにとんだご迷惑を」
「それ、何回続けるんだ。あとその呼び方はやめろ。私はお前の師匠でも先生でもないと版百回言っても理解しないな?」
顔を上げた大司祭様の額は赤くなっている。
「そそっかしいのは今に始まったことではないし、ヴェヌスタのことになったらなにも見えなくなるのも今に始まったことではない。気にするな、とは言わんが、それ以上やられるといい加減に腹立たしいのを我慢するのにも限界が来る」
あまりにしつこくするのなら、強制的に教会に戻すし二度と会わない、と低い声で圧を掛けられてやっと立ち上がった大司祭様の元に1人用のソファが持ってこられ、喋り続けていて喉が渇いているだろう、と一緒に大きなグラスで水が運ばれてきた。ごくごくと一気にグラスを空けてほぅっと息を吐いた彼女に、マクス様は頬杖をついたいつものポーズで目を細め、言い聞かせるようにゆっくりと一言一言発する。。
「二度と、これらの件についての謝罪は口にするな。聞き飽きた。思い出したくもない。お前の這いつくばっての謝罪になどなんの意味もない。わかったか?」
「……はい」
「では、帰って良し」
「マクス様。そんな冷たいことをおっしゃらなくても良いじゃないですか」
旧知の仲のようなのに、久し振りに会話が出来る環境だというのに、謝罪だけで帰らせているのはあまりに可哀想だ。しかし、マクス様は若干不機嫌な空気を漂わせたまま、私に自分の隣に戻って来るように言うと黙ってしまう。
はやく行ってあげなさいな、とソフィーが肘でつついてくる。顔を見ると、面倒事を増やさないでちょうだい、とでも言いたげな顔をしている。どうしても行かなくては駄目かと目で訴えても、行って、と真顔で頷かれる。ついでに壁際に立っているクララやアミカ、コレウスも『定位置についてください、奥様』という顔をしていた。
「マクス様、もう許して差し上げましょう」
彼の隣に腰掛けて、そっと膝に手を添える。ぴくりと反応したマクス様は、私を見ると片眉を上げた。
「最初から許さないなんて言っていないぞ」
「私もですわ」
「じゃあ、その提案は意味のないことではないか」
「意味は、ないのですけど」
でも、彼女は許されたいのだ。怒っていないことを謝られることほど腹立たしいことはないというのは理解できるが、しかしやらかしてしまったと反省して許しを請いたくなる気持ちもわかるから、その一言でこの件についてあちらからなにかしら言ってくることがなくなるのならそれで良いじゃないか、とも思う。
――いちいちマクス様が不機嫌になることの方が、こちらには不利益なわけだし。
建設的かどうかといえば決してそうではないが、全員の精神的な安定を考慮した場合にはそれが一番平和な解決策だと思われた。
「ずっと、謝罪に来たいとおっしゃっていたのを断っていたのですよね?」
「ああ。あなたも学院でやることが多く、忙しかったからな。こんなくだらないことで煩わせたくはなかった」
「そのお気持ちだけで、十分ですわ、カタリーナ大司祭様。私も、主人も本当に怒ってはおりません。それに、あの時マクス様があの場にいらっしゃらなければ私たちがこのようになることもなかったのですから、今はあの日のことは女神様の思し召しだったのかもしれない、と感謝しているくらいですわ」
ミレーナが聖女として覚醒してからのこの2年間に起きた出来事の多くが、ヴェヌスタが意図したものではないというのはミレーナから聞いている。しかし、彼女を納得させるには女神の名前を出すのが一番早い。心の中でヴェヌスタに名前を使ってしまったことを謝罪しながら微笑んでみせる。
「お心遣いに感謝いたします、ベアトリス様」
一瞬泣きそうな顔を見せた大司祭様にまたしても「話し終えたならさっさと帰れ」と言ったマクス様は私の肩を抱く。
「私はお前と話すことはないよ。ビーだってそうだ。ミレーナ嬢やソフィエル嬢と話をしたいのなら、それはそっちで勝手にやってくれ」
「マクス様」
そのような態度は駄目です、と両頬に手を添えて私の方を向かせれば、言葉を詰まらせた彼は大きな溜息を吐いてから額に軽く唇を押し当ててきた。
「ビーがそこまで言うのなら、まだしばらく滞在することを許してやろう」
カタリーナ大司祭様への許しが出るのと、私が彼の膝に乗せられるのは同時だった。誰もが予測していたことなので、驚いて小さく声を上げたのは大司祭様だけだ。
「あ……せん――シルヴェニア卿とベアトリス様は、とても仲が良いのですね」
「見ての通りだ」
どぎまぎした様子で聞いてくる大司祭様に答えながらついでに頬に口付けようとしてくるマクス様を避けつつ、アミカにお茶のおかわりを要求する。逃げるな、と耳元で囁かれても、口付けは当然、この姿勢だって他人に見せるものではないとやっぱり思うのだ。あとにしてください、と唇の動きで告げれば、ぱちぱち瞬きしたマクス様は小さく口角を引き上げた。
「それにしても、ヴェヌスタからのお告げを直接受けられるなんて思っていませんでした」
世間話をしているうちに、内容は自然とそちらにいってしまう。うっとりとした顔のカタリーナ大司祭様は、恋する乙女のような溜息を吐いて、祈るようなポーズになった。
彼女の夢枕に立ったヴェヌスタは、教会にある彫刻や絵姿よりもずっと美しく、慈愛に満ちていたようで、その神々しさに感動に打ち震えたのだという。
「女神様はおっしゃったのです。聖女と王家は望まぬ婚姻を結ぶ必要はない。誰もが愛する人と結ばれるべきだ、と。そのお言葉で、聖女ミレーナを、エミリオ様はもちろん、リュカ様の婚約者にするという話も、ルドヴィクス様の側室にするという話もなくなりました」
愛する人同士が結ばれるのが理想だというのは、私自身もそうであれば良いと思う。
しかし、国同士、貴族、商売をしているなどの立場や理由の前には、必ずしもその通りにはならない。けれど、そこに必ずしも愛が生まれないわけでもないのだ。
思いがけぬ縁から、愛し合うことになるふたりだって世の中にはたくさんいる。でも、愛し合っていたはずが、気持ちが擦れ違ってしまう恋人や夫婦もいる。
愛というのは、なんて難しいのか。まだ愛し愛されることの幸福を知ったばかりの私には、まだまだわかっていないことばかりだ。
ひとまず、ミレーナが望まぬ結婚を強要されなくなったのは良いことだと信じたい。
そんなことを考えていると、大司祭様の声にさらに熱がこもった。
「また、ヴェヌスタはおっしゃいました。魔族たちと話をつけたので、この先数百年は魔族の襲撃は起きない、と。なんてすばらしいんでしょう! 女神はこの国を本当に愛しておられるのですね」
そのお告げを聞いたこの場の面々、大司祭様以外はヴェヌスタの交渉のおかげという部分に対して懐疑的だった。
ヴォラプティオが、初代聖女ライラと彼女の愛のお相手の魂の持ち主の行く末を、この先の生まれ変わりに至るまで見届けたいという理由でここに手を出すなと魔界に言っているだけでは? 女神はなにもしていないのでは?
この数ヶ月でなにが起きたのかを知っていると、どちらかと言えばヴォラプティオ――魔界の王から、数百年単位のルミノサリアへの不可侵宣言があったという方が納得できる話だった。
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