第188話

 ――えぇと……この状況はどうすれば良いのかしら?


 ここはルミノサリア王都にあるマクス様の別宅、の、応接室。そこで床に這いつくばっている人物を前に、私はもう10分ほどの間


「頭をお上げください」

「怒ってはいませんから」

「まずは落ち着きましょう。ソファに座ってお話いたしましょう」


 と繰り返していた。しかし、目の前の人は高貴そうな装束を床に広がらせた状態で、一切顔を上げようとはしない。


「ビー、もう気が済むまでそうさせておけ。あなたまで立ち続けている理由はないぞ、ほら、こっちへおいで」


 マクス様は面倒臭そうな顔で、この人がこのポーズになった瞬間からソファに腰掛けて昼間からワインを傾けている。


「謝りたい人には謝らせてあげましょう、お姉様」


 ミレーナがにこにこしながら客用のソファに座っている。隣には、複雑そうな顔のソフィーがずっと無言で寄り添っていた。


「本人が自分が楽になりたいだけなんですもの。この手の人は、どう言ったところで自分が納得するまでやめませんよぉ」


 可愛い笑顔でキツいことを言った彼女は、キーブス手製のお菓子を先程から遠慮なく食べ続けている。


「お待たせしました、おかわりをお持ちしました」


 大きなトレーいっぱいにたくさんの種類のお菓子や果物を乗せてやってきたクララは、床の装飾品のようになっているその人をひょいっと避けてテーブルに置き「お茶はいかがですか?」と後ろからやってきたアミカの持っているポットを示す。


「いただきます!」

「私もお願いできますか」


 やっと口を開いたソフィーは、横目で床で潰れている大司祭様をちらっと見て小さく眉を寄せ、重い息を吐いた。それから、手を伸ばして私のスカートをちょっと引いた。


「ベアトリス、ミレーナ様とシルヴェニア卿のおっしゃる通りよ。一度お座りなさいな」

「でも」

「座って。お茶にしましょう」


 ほら、こっちに、と自分の隣を叩いたソフィーの迫力に負けて彼女の座っているソファに近付けば「お姉様! 真ん中! 真ん中に座ってください、はいっ」元気よくミレーナが場所を開けてくれた。


「あ、こら、ビーは私のところに決まって――」

「大司祭様がご夫婦のあのように仲睦まじい姿をご覧になられたら、刺激が強くて卒倒してしまうかもしれません。全員のためにも、奥様にはこちらに座っていただくのが一番かと思いますわ」


 自分の膝を叩いたマクス様にびしっと言ったソフィーは、上品な仕草で焼き菓子を食べている。私も、アミカが淹れてくれたほんのりと甘い薬草茶を口に含んで、甘いジャムの乗った小さなクッキーをつまんだ。


「この度は、いえ、2年前もベアトリス様には多大なご迷惑を……!」


 エミリオ様との結婚式を取り仕切れなかったこと。聖女が現れたということに興奮して自分しか判断できないのだから、とミレーナがこちらに来るのを待てずに彼女の実家の領地へ向かってしまったこと。事情を細かく話さなくても代理を受け入れてくれるのがマクス様だけだったから、ロクに王家の婚姻に関しての説明もせずに任せてしまったこと。そして、あまりにもすべてのタイミングが悪かったこと。

 大司祭様が顔を伏せたまま言い訳のように話している内容をまとめると、つまりはそういうことになる。

 

「私がここの王家が使う宣誓書について、その効力を再確認しなかったのもいけなかったんだ。お前だけの失態ではないよ。それに、私もビーも今幸せだと言っているんだ。しつこいぞ」


 マクス様などは「お前、それとも私とビーが夫婦になったことが間違いだった、気に入らないのか? あまりにそれについて言及し続けるなら、そういうことだと理解するぞ」と若干苛立っているようでもある。過ぎたことだから、もう忘れてくれて良いという私の言葉は、謝罪を続ける大司祭様の耳には入っていないようだ。


「昔からだ。こいつは、神聖力はバカみたいにあって才能もある癖にアホなんだ。これと思ったらそれしか目に入らない。信じたらそれに向かって猛進する。そして、ミレーナ嬢の言葉を借りるならヴェヌスタ強火担というやつだ」

「おっちょこちょいっていうか、まあ、見ようによっては可愛らしいキャラクターではありますよね。巻き込まれる方としては大迷惑ですけど」


 ミレーナは先程から笑顔だけれど、大司祭様に対して好意的なようには見えない。


「先々代が亡くなったあと、あまりに若いこれが一人前になるまでの繋ぎとして大司祭の立場にいたんだよ。まあ、洗礼に関して言えば、私はヴェヌスタの直系の子孫だからな。そこらの司祭から受けるよりも有難みはあるだろう」


 エルフであって魔導師の塔のマスターであるマクス様がその役目を担うには、私たちには話せないような交渉や取り決めがあったのか、それとも……

 ――過ぎた話だから面倒なだけね、きっと。


「それだけ熱心な大司祭の言葉だから、ヴェヌスタからのお告げなんていう適当な話で王家も教会も納得して、ミレーナもある程度は自由になったんだから。アレも聖女の役に立てて嬉しいんじゃないか?」


 もうこの話は終わりだ終わり、とマクス様はワインのおかわりを要求する。

 私も、大司祭様が納得するまで放置する方向に気持ちを切り替えて、もう耳にタコができるほど繰り返されている謝罪を聞き流すことにする。


「ところでミレーナ」

「はい?」


 これはあまり大きな声で言ってはいけないのではないかと自然と声が小さくなる。なんですかなんですか? とミレーナは上半身を寄せてくる。その耳に顔を寄せて尋ねる。


「あのお告げは、本当の話なのですか?」

「本当ですよ。ヴェヌスタに交渉して、好きじゃない人と結婚しなくてもいいって言ってもらいました。所属は安全のために教会に預けられますけど、でも教会に私の拘束権はないですし、外出時にはレオ様がいつも護衛についてくださることになりました」


 本人の口から、聞きたかった相手のことが出るとは思っていなかった。これはチャンス、とすかさず声の大きさを戻して質問を重ねる。


「そう、そのレオンハルト様のことだけれど」

「はい」

「昨日のあれは、なんだったの?」


 あれ? と首を傾げたミレーナは、またお菓子を口に入れてから「ああ!」と手を打ち合わせた。


「レオ様と親しくさせていただいているというお話ですね。あれは、言葉通りですよ」

「言葉通りって……いつの間に?」


 レオンハルト様は『推し』だと言っていなかったかしら。それがどういう意味なのか、私はまだ全然わかっていない。いわゆる恋愛感情ではないという意味だと理解していたのに、彼女の中で感情が変わっていったということ?

 ――やっぱり、そういうことだったの?

 驚いた私に、彼女は「うふふ」と口元に手を当てて笑う。そして小さく首を傾げてくすくす笑いながら言った。


「お姉様までそういう勘違いなさったんですね。親しいっていうのは変な意味ではなくて、純粋に仲良しというだけですよ。うまい具合に、国王様含めてみなさん勘違いしてくださいましたねー」

「そうね、ミレーナ様とレオンハルト様は、親しい、わよ」


 わざわざソフィーが言い加えるところを見ると、彼女の視点からすればその勘違いの方が正しいようにも思える。しかしミレーナは「だから、とどうこうなるっていうのは解釈違いで、私、推しの部屋の壁になりたい派なんですってば」と私にはよくわからないことを繰り返す。


「でも、彼はミレーナ様の知っている『レオンハルト・アルカディウス』とも違っていたのですよね?」

「……お姉様やシルヴェニア卿の性格が私の知っていたものとは違っていたのと一緒で、確かにレオ様も違っていましたよ? でも推しは推しで」

「だから、私たちはミレーナ様の知っている世界の登場人物ではなくて、貴女と同じ世界に生きている人間ですよ」

「わかってます、わかってますけど、でも、なんか違うんですってばぁ!」


 私とマクス様の関係についてはあれこれ言ってくるわりに、自分の恋愛に関してはあまり積極的でも慣れているわけでもないらしい。

 ソフィーいわく、レオンハルト様もミレーナのことは憎からず思っているように見えるそうで、ふたりのことを一番近くで見ていた彼女の言葉であるのなら、いつかは本当に『親しい仲になりました』という報告を受ける日が来るかもしれないとも思えた。

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