第187話
――ああやって真面目な顔をしていらっしゃるところを見ると、やっぱりちゃんと王子様しているわよね、エミリオ様。
なのに、口を開くとどうしてああなのだろう。婚約を解消するまでは、もう少しマトモだったはずなのに。彼の顔を見ていると溜息が零れそうになる。しかし、そんな私の目の前に白い手袋をはめた手が出された。
「……?」
なにかしら、とその手の持ち主を見れば、彼は小さく微笑んで少しだけ身を屈め「私以外をそのように見つめてはいけないよ」と囁いてくる。こんな場所でどうしてそのような戯言を言ってくるのか。軽く睨んでも、彼は嬉しそうな顔をするだけだ。
ふと視線を感じて顔を正面に向ければ、エミリオ様が見たこともない無表情でこちらを見ていた。思わず息を呑んで、半歩下がりそうになった私の身体をマクス様が支える。
国王様が口を開き、夜会の始まりを告げる。そして続いて
「その前に、我が息子――第二王子であるエミリオ・フォルティテュードに関して、皆に知らせたいことがある」
その言葉にざわっと空気が揺らいで、当然聖女との婚約発表だろうとミレーナを見る人が何人もいた。しかし、そのような視線を受けてもミレーナはにこにこといつも通りの笑みを浮かべているだけで、なにを考えているのかわからなかった。
彼女のドレスを見るに、どう考えても婚約発表ではない。いかにも聖女然とした清楚な白いドレスを着てはいるが、シンプルで盛装というには遠い。ミレーナは王族の方々からは離れた前方で、左右をソフィーと騎士の正装をしているレオンハルト様に囲まれていた。
空気が落ち着くのを待った国王様は、またゆっくりと、だがはっきりと言葉を発した。
「この度、本人からの申し入れによりエミリオ・フォルティテュードの王位継承権の放棄を認めることとなった。これにより、リュカ・フォルティテュードに第二王位継承権を――」
先程よりもよほど大きなざわめきが起こる。ざわめきどころではない、悲鳴のような声までもが何か所からも上がっていた。
「王位継承権の、放棄? エミリオ殿下が?」
「なぜ……あの婚約破棄には、エミリオ様にはなんの落ち度もないのに」
「えっ、じゃあ私はどうすればいいの、お父様!」
エミリオ様の婚約者の地位を狙っていたご令嬢が絶望したような声を出す。リュカ様の婚約者を狙うには、少々年齢が上になりすぎる娘さんなのだと思われた。更には、リュカ様の婚約者候補などはもうとっくに顔合わせも済んでいるだろうし、そこに入り込むのはかなり難しいだろう。
当の本人はしれっとした顔をしていて、なにがどうなって王位継承権の放棄なんて話になったのかがまったく理解できない。
大きな問題を起こしたかどうかで言えば、起こしてないとは言えない。
元婚約者の現既婚者である私にしつこく言い寄って、かつ自分の思い通りにしようとした。エルフの王であり、魔導師の塔のマスター、アクルエストリアの主でもある特権持ちのマクシミリアン・シルヴェニアに喧嘩を売った。
でもそれは魔族であるヴォラプティオに操られていたというのも理由のひとつで――その話を知っているのは、ごく一部だけだ。王家にとってもマクス様側にとっても周囲に知られたくない内容を含むので、魔法を使っての箝口令まで敷かれているから、私に言い寄っていたまでは知られていたとしても、それ以降の最大級の問題については漏れようがない。
「……王位継承権を放棄して、王族から除籍扱いになる? 随分と思い切ったことをするな、あの王子様」
お兄様はなんとも言えない顔をしている。
「その後、なにするつもりなんだ?」
なんらかの爵位は与えられるだろうけれど、そこで静かに領地経営などをするような性格には思えない。地位によっては彼の配偶者になりたいというお嬢さんはたくさんいるだろうけれど、それなりに出来る人でないとあらゆる意味で苦労するだろう。
――大変ね、これから。
彼の今後について他人事で話を聞いていた私の耳に、国王様の言葉が飛び込んでくる。
「また、聖女ミレーナに関しても、先日大司祭の元にヴェヌスタから『必ずしもミレーナは王族と結婚しなくてもよい。今までの慣習に則って彼女を拘束してはいけない』とお告げがあったという知らせがあった。聖女が幸せになれる相手でなければ意味がないということで、王族に限らず婚姻が認められる」
こちらの発言に、今度は未婚の男性陣がざわつく。王族限定でなくなったのなら、彼らにもチャンスはある。国王様の口ぶりからすれば相手は貴族に限らないようでもある。だけど、聖女が血縁になるかもしれないという状況を見逃す家があるだろうか。
と、思ったのも一瞬。
「そして今日、聖女ミレーナ・カレタスから、これまで彼女の身辺を警護していたレオンハルト・アルカディウスとの親密な仲についても知らされた」
はぁ!? という声があがるのももっともだろう。他の人たちよりもよほど彼女と親しい私だって驚きを隠せていない。ミレーナを見れば、幸せそうな顔でレオンハルト様を見上げている。
――確かに、ミレーナの側にずっといたのはレオンハルト様だったけれども。え? いつの間に?
ソフィーは知っていたのかしら、と思いながら見れば、あちらもこっちを見ていてばちっと視線が合った。『知っていたの?』と視線で問えば、苦笑いを返される。あれは、どういう意味だろう。もしとっくに密かな恋人同士だったというのなら、どうして私には教えてくれなかったの、とちょっとだけ疎外感を感じてしまう。
「ミレーナ嬢……恋人がいるのなら、ビーのことでこれ以上私に絡むのはやめてほしいのだが……」
ぼそっと呟くマクス様の声に「私もそう思います」と心の中で同意を示す。
――それにしても。
ソフィーの今日のドレスは、元聖なる乙女らしい白や淡い色をメインに使ったシンプルなものではなく、黒に近い紺の薄手の布を何枚も重ねたような凝ったデザインのものだった。
――……黒に近い、紺……?
ちらりと横を見れば、同じ色の髪色をしたお兄様がいる。そしてその胸元にあるのは、ソフィーの瞳と同じような色のタイ。
――気のせい、よね?
こんなにも一気にあちらこちらでくっつきました報告をされても、私の許容量を超える。一旦こちらを気にするのはやめる。
先程の言葉は、国王様からミレーナとレオンハルト様の邪魔をするなと言われてしまったようなもので、よほどの人でなければ彼女に手を出せなくなってしまっただろう。さっきのソフィーの表情が『本当は恋人ではないのだけどね』という意味なら、もしかしたらミレーナが自由になるため、レオンハルト様は偽装の恋人、婚約者になってくれている可能性もある。
――今度、ミレーナに聞かなければいけないわ。
他にもいろいろと国王様は話されていたのだけど、どれもこれもとんでもない発表ばかりで、頭がついていっていない人がほとんどに見えた。では夜会を楽しんでくれ、と言われても、それどころではない。困惑を浮かべて身内や親しい人たちと額を寄せ合っている人もいれば、さっさと自分のために動き出した人たちもいた。
王子という立場を退くと発表されたエミリオ様だったが、それでも今後の彼の地位を窺って親密になろうというご令嬢方が彼を囲む。明らかに適当な笑顔でご令嬢をいなしていたエミリオ様は、窓の方に顔を向けてぱぁっと顔を輝かせた。その視線の先にいるのは、当然私――
ではない。
そこに立っていたのは、肩にかかる長さの、緩やかなウェーブを描く深い紫色の髪の、黄金の瞳をしている女性。髪と瞳の色は私と似ているけれど、私よりもずっとずっと妖艶でスタイルの良い美女だった。
いつからそこにいたのか、少しけだるげな空気をまとって周囲の男性の視線を集めている。しかし、あまりにも人を寄せ付けない雰囲気を持っていて、誰も話し掛けられないでいるようだった。
「きみ、そこにいたのか!」
「エミリオ様、お話は終わった?」
「ああ、もう退席しようと思っていたところだよ」
「ワタシも遠慮のない視線にさらされて疲れてしまったから、もう戻っても良い?」
「構わないよ。一緒に行こう」
エミリオ様は、群がってくるご令嬢の輪を無視して歩み寄ると、その謎の美女をエスコートするようにしながらさっさと広間を出ていってしまった。
目を真ん丸にする私の上から「ヴォラプティオ……だな、あれ」苦々しそうなマクス様の声が降ってくる。
「やっぱり、そうですよね?」
魔族は人間のように性別は固定化されていないから、その気になれば女性の姿になることも出来る。それは知っていたけれど、こんな場所で見ることになるとは思わなかった。
「なんだ、あれで女除けのつもりか? というか、あれではどこかの踊り子かなにかに惚れて王位を棄てたように見えるぞ」
「……ただの踊り子であれば、王族主催の夜会には参加できませんわ。いくらエミリオ様が招待したと言っても」
「じゃあ、アレはどういう扱いなんだ」
「私に聞かないでください」
これ、一体なにが起きているの? これからあのひとたちどうするつもりなの?
混乱状態のままの会場にはいつの間にかダンスの曲が流れ始め、条件反射のように踊りだした人たちを前に、なんとなくいつも通りの空気感が戻ってきつつあった。
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