第186話
アクルエストリアからルミノサリアに移動するのは簡単だ。空に浮いている島から、王都にある屋敷へは転移魔法陣が通じている。マクシミリアン・シルヴェニアの王都での滞在場所とされている建物ではあるのだけど、私がここに来たのは二度目だ。
基本的にはアクルエストリアで生活しているので、王都には滅多に来ない。あちらこちらに辺境伯としての別邸は持っているらしいのだけれど、どこも活用されていないのが実情なようだ。
用意されていた馬車で実家に向かう。向かい合わせで座るのかと思いきや、隣に座るように言ってきたマクス様はべったりと私にくっついたまま、腰を抱いて離してはくれなかった。
「マクス様、あの、近すぎませんか?」
「夫婦なのだから、なんの問題もない距離感だと思うのだが?」
髪や頬に口付けをされながら、私は少しずつ身体が傾いでいく。
「こら。逃げるな、ビー」
「逃げていません」
「ではもっと近くに」
ぐいっと腰を抱き寄せられて、私は彼の胸を押して距離を取ろうとする。ドレスの乱れを気にしていたのではなかったのか、と思ったのだけど、残念ながらこの程度では着崩れることはないようだった。
「そんなにくっついていなくても……」
「ずっと腰を抱いていても良いと言ったではないか」
「言いましたけれど」
「頬へのキスも許されているぞ」
「それは、そうなのですけど」
結局マクス様を避けられないまま、半分のしかかられているような半端な体勢で実家に着く。玄関にはお兄様が出迎えに来てくれていた。
「やあ、ビー。おかえ、り?」
「お兄様、こんばんは。今日も素敵ですわね」
びしっと礼服をに見つけているお兄様に微笑みかけると、心配そうな顔をされる。
「なんだか、疲れてないか? 最近そんなに忙しかったのか?」
「いえ、そんなことはなかったのですけれど」
「ノルティス殿、今日はよろしく頼む」
「こちらこそ」
後ろから顔を出したマクス様に笑顔を返したお兄様は、げんなりしている私に対してつやつやしている彼の顔を見て不審そうな表情を浮かべた。それから、少し考えて、理解したように溜息を吐いた。
「父と母は応接間で待っています。まだ時間はありますよね。お茶でもいかがですか?」
「ああ、いただこう」
お兄様の前でも腰を抱いたままのマクス様の手の甲を軽くつねるけれど、彼はやめてくれない。
「シルヴェニア卿は、夜会でビーと会ったことはありましたか?」
「いや、国王に挨拶だけしたらすぐに帰っていたからな。多分見かけたことはないな。見ていたら記憶に残っていただろうからな」
それはどうかしら、と私は疑問に感じる。今だからこそ、あんな状況だったから私を認識してくださったけれど、以前のマクス様が第二王子の婚約者である公爵家の娘になど興味は持たないだろうと思うのだ。
――本当に、奇跡的なタイミングと思い違いの連続だったのだものね。
どこか1つでも違っていたら、今のこの状況はきっとない。それは何度思い返しても今の私には怖ろしく思える。
王城へ向かう時間まで、両親や兄とお茶を飲みながら話をする。お兄様のタイはいつもはマルベリー色を選んでいたのだけど、さすがに結婚した妹の髪の色をつけるわけにもいかなかったのだろう。今日の彼のタイはオレンジ色だった。
とりとめのない話をして、いざ王城へ向かおうとなると少し緊張してくる。男性と女性で別れることにして、イウストリーナ家の馬車に乗り込む。
「ビー、あなた、今幸せ?」
「はい」
ふたりきりになったお母様は、慈愛溢れる視線を私に向けた。
「あなたが幸せであれば、どこでどのように暮らしていても、滅多に会えない生活でも、安心していられるわ」
「マクス様も、他の方も、とてもよくしてくださっています。私のことを認めてくださって――ベアトリス個人として評価していただけている生活に、満足しています」
「そう」
「私、マクス様に『やりたいことをすればいい』と言っていただいた時、最初はなにをすれば良いかわからなかったんです。でも、マクス様から魔法を使う才能があると言っていただけて、魔法の勉強をして……国王様から婚約破棄を命じられた時にはショックを受けましたけど、でも、今となればそれが私にとっては幸せな道を歩きはじめる一歩だったのだと思います」
家族などから愛されていたのは確かで、それに不満はなかった。不当に虐げられたわけではなく、でも、マクス様と出会うまでの私には、自分というものがなかったように思える。
「私、今とても幸せです」
「今だけではなく、これからも幸せで居続けられると思える?」
「はい。マクス様が愛してくださるので」
それは良かったわ、と吐息のような小さな声で囁いたお母様は、私の頭を抱き寄せて、そのまま王城に着くまで静かな時間を過ごしたのだった。
タイミングを計って、早すぎず遅すぎずの時間に到着したこともあって、会場となる広間に入っていく際に必要以上の注目を集めることはなく、妙な陰口のようなものを耳にすることもなかった。
とはいえ、マクス様のこの美貌だ。当然のように視線は集まる。
「いつもこのような感じだったのですか?」
「いつもは顔を変えていたからそうでもなかったな」
妙に熱っぽい、ご令嬢・ご婦人方の視線を鬱陶しそうにしながら、マクス様は宣言通り私の隣にぴったり張り付くようにして立っていた。久し振りに夜会に参加している私にも視線は集まっていたが、その隣にいるあの美丈夫はもしかしてシルヴェニア卿か、とざわついているのを感じる。
「学院に通っていた貴族の方々のお口から、例の真実の愛の話は流れていたでしょうから」
「注目の的と言うわけだな」
しかし、視線が鬱陶しいのであれば今日も変身魔法を使えば良かったのでは? と思う私に「私に視線が集まることで、あなたを見る男が減るならそれでいい」と訳のわからないことを言ったマクス様は私に笑いかけてくる。
いつになく『愛してる』を絵に描いたような顔を向けられて、そのようなことは散々言われてきているにもかかわらずドキドキしてしまう。
「私があなたを愛しているのだと皆が知っているというのは、まあ悪い気はしないな」
「そうですか?」
「ああ。少なくとも、あなたには恋人も婚約者も配偶者もいないのだと勘違いして言い寄ってくるようなのは、その手の話に疎い連中か、そんなものは気にしないような失礼な連中だけだ。そういう手合いなら、まあ若干手酷く扱ったところで非難はされまい」
「だ、駄目です。本気のかけらも出しては駄目ですよ、マクス様」
「はははッ、ビーは心配性だな。怪我をさせたら面倒なことになるのは知っているよ」
軽く笑うマクス様だけれども、昔は短気だったという話をメニミさんから聞いたことがあるので心配になるのはしょうがないのではないだろうか。
それでは、と声がして「聖女、ミレーナ様」とミレーナが呼ばれ、会場に入ってくる。壁際にいた私たちを見つけた彼女は、小さな笑みを浮かべて前へと進んでいく。それから、第一王子であるルドヴィクス様と、その妃であるルシア様が仲睦まじい姿を見せる。今日は第一子であられるナタリア様はお留守番のようだった。
続いて、エミリオ様と、その弟君であるリュカ様。久しくお会いしていない間に大きく立派に成長した、堂々とした様子のリュカ様の姿に感慨深くなってしまう。私たちが並んでいるのを見たエミリオ様は一瞬眉を上げたもの、そのまま王子様らしい微笑みを保ったまま歩いていった。
最後に国王様と王妃様が揃って入場し、前方に王家の方々が並んだ。
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